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プロフィール
HN:
麻咲
年齢:
41
性別:
女性
誕生日:
1983/05/03
職業:
フリーター
趣味:
ライブ、乙女ゲーム、カラオケ
自己紹介:
好きなバンド
janne Da Arc
Angelo
犬神サーカス団
シド
Sound Schedule
PIERROT
angela
GRANRODEO
Acid Black Cherry 他
好きな乙女ゲームとひいきキャラ
アンジェリークシリーズ(チャーリー)
遙かなる時空の中でシリーズ(無印・橘友雅、2.藤原幸鷹、3.平知盛、4・サザキ)
金色のコルダシリーズ(1&2・王崎信武、3・榊大地、氷渡貴史)
ネオアンジェリーク(ジェット)
フルハウスキス(羽倉麻生)
ときめきメモリアルGSシリーズ(1・葉月珪、2・若王子貴文)
幕末恋華シリーズ(大石鍬次郎、陸奥陽之助)
花宵ロマネスク(紫陽)
Vitaminシリーズ(X→七瀬瞬、真田正輝、永田智也 Z→方丈慧、不破千聖、加賀美蘭丸)
僕と私の恋愛事情(シグルド)
ラスト・エスコート2(天祢一星)
アラビアンズ・ロスト(ロベルト=クロムウェル)
魔法使いとご主人様(セラス=ドラグーン)
危険なマイ★アイドル(日下部浩次)
ラブマジ(双薔冬也)
星空のコミックガーデン(轟木圭吾)
リトルアンカー(フェンネル=ヨーク)
暗闇の果てで君を待つ(風野太郎)
ラブΦサミット(ジャン=マリー)
妄想彼氏学園(神崎鷹也) 他
バイト先→某損保系コールセンター
janne Da Arc
Angelo
犬神サーカス団
シド
Sound Schedule
PIERROT
angela
GRANRODEO
Acid Black Cherry 他
好きな乙女ゲームとひいきキャラ
アンジェリークシリーズ(チャーリー)
遙かなる時空の中でシリーズ(無印・橘友雅、2.藤原幸鷹、3.平知盛、4・サザキ)
金色のコルダシリーズ(1&2・王崎信武、3・榊大地、氷渡貴史)
ネオアンジェリーク(ジェット)
フルハウスキス(羽倉麻生)
ときめきメモリアルGSシリーズ(1・葉月珪、2・若王子貴文)
幕末恋華シリーズ(大石鍬次郎、陸奥陽之助)
花宵ロマネスク(紫陽)
Vitaminシリーズ(X→七瀬瞬、真田正輝、永田智也 Z→方丈慧、不破千聖、加賀美蘭丸)
僕と私の恋愛事情(シグルド)
ラスト・エスコート2(天祢一星)
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魔法使いとご主人様(セラス=ドラグーン)
危険なマイ★アイドル(日下部浩次)
ラブマジ(双薔冬也)
星空のコミックガーデン(轟木圭吾)
リトルアンカー(フェンネル=ヨーク)
暗闇の果てで君を待つ(風野太郎)
ラブΦサミット(ジャン=マリー)
妄想彼氏学園(神崎鷹也) 他
バイト先→某損保系コールセンター
アクセス解析
2007/07/16 (Mon)
一次創作関連
「……え……?」
何かひどい聞き間違いをしてしまったのかと思った。
「……俺たちは本当の兄弟じゃない」
聞き間違いなどではなかった。
「戸籍の上では兄弟でも、血縁から言えば、綾は……俺の従兄弟だ」
「いと、こ……」
まるで目の前の景色がぐるりと反転してしまったように思った。
うつむいた紅朱の表情は未だうかがい知れない。
「……そのことを、綾は、知らない」
《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【3】
「ここにいるような気がしたよ」
人気のない夜の公園で、ブランコに座ってうなだれている玄鳥を見つけた万楼は、そのあまりにもセオリーに則った光景に、
「玄鳥って……古典派だよね」
と思わず呟いた。
「……茶化しに来たなら独りにしてくれないか」
玄鳥が目を半眼するのにも関わらず、万楼はちゃんと古典派の流儀に則って隣のブランコに座った。
「あったかい缶コーヒーでも買ってきて『ほら』って投げてあげればよかったかな」
「いらない」
「ごめんごめん、いじけないで」
万楼はスニーカーの先で削れた地面をなぞりながら笑う。
「……玄鳥がリーダーと本気で喧嘩するところなんて初めて見たからちょっとびっくりした」
玄鳥は視線を足元に落としたまま溜め息をついた。
「……大人げないよな、俺も。兄貴のあの手のもの言いには慣れたつもりだったんだけど」
「そうなの?」
「少なくとも今までは我慢できてたのに」
玄鳥はどうやら、楽屋での一件をすっかり反省しているらしかった。
「……日向子さん、何か言ってた……?」
「え? うーん……ボクもすぐ飛び出しちゃったからな。困ったような顔はしてたと思う」
玄鳥は自嘲の笑みを浮かべて、自分の左手を見る。
「……早速、約束破っちゃったかな……」
「約束……?」
「何でもないよ」
玄鳥はその左手でそのまま自分の目元を覆った。
「虫の居所が悪かっただけなのかもしれない……」
「リーダーの?」
「いや、俺のだよ……兄貴と日向子さんを見てたら、なんか……」
言葉に詰まった玄鳥に、万楼は小さく笑った。
「ヤキモチ、妬いちゃった?」
「笑うなよ……」
「ごめん、おかしくなっちゃった。玄鳥の気持ちが、わかり過ぎて」
「え?」
真意を問うように顔を上げた玄鳥を、万楼はいつになく真剣な顔で見つめて、言った。
「好きな人ができたんだ」
まるで美少女のような綺麗な顔をした少年が、「男」の目をしている。
「できればボクが、彼女の特別になりたい。……玄鳥も、そうなんでしょう?」
「万楼……」
たとえ名前を口にしなくても、玄鳥にも容易に察することができた。
万楼が好きになったという女性が誰であるか。
それは、玄鳥が想うのと同じ人だ。
「だからボクは、もう玄鳥の応援はしてあげられないんだ」
万楼が苦笑する。それが伝染したかのように、玄鳥も微かに笑んだ。
「……参ったなあ。これ以上ライバルが増えないでくれるといいんだけど」
「ねーねー、マジであれ、フォローしなくてよかったの?
これがきっかけでウチ解散しちゃったりしないよねー?」
「そうなったら心置きなく、ピアノに専念できるやないか。よかったな」
「笑えない冗談言わないの!」
年少二人が夜の公園で古典的に友情を深め合っていた頃、同居コンビは自宅に帰り着いていた。
帰宅するなり蝉は、有砂の部屋に居座ってずっとぶつぶつ言っていたが、有砂のほうはいたって冷静だった。
ベッドに寝転がって恨めしそうに見つめる蝉はそっちのけで、テーブルに頬杖をついて求人雑誌をめくっている。
「ねーねーねー、よっちんは心配じゃないワケ? あの仲良し兄弟が大喧嘩だよ?」
有砂は雑誌をめくる手も、記事を追う目もそのままで、
「賠償請求はな、親子間では成立せんけど、兄弟間では成立するらしいで」
「……はい?」
「兄弟は他人の始まり、ゆうことや……なんぼ仲が良くても、他人が腹の底で何考えとるかなんて、実際のところは言われるまでわからんもんやろ」
蝉は少しだけ考えてから、
「……つまり、たまには言いたいこと言って喧嘩するのもいいかも……ってコト??」
有砂は答えなかったが、蝉は「そっかそっか」と感心したように首を何度も上下する。
「よっちんてばなかなか深いコト言うじゃん……無駄にバンド内最年長ってワケじゃなかったんだね~」
「……大体、首突っ込むのも面倒やしな。よその家の兄弟喧嘩なんて」
蝉は、枕に預けていた頭をちょっと持ち上げた。
「羨ましいと思わない?」
有砂の手が止まった。
「おれの妹は喧嘩出来る年になる前に天国に行っちゃったんだよね……だけどさ」
蝉は笑う。
「いつかよっちんは、ちゃんと喧嘩出来るといいね」
「……なんやそれ」
「そろそろ捜してあげなよ、有砂ちゃんのこと」
「……捜して、どうなるんや?」
「んー……わかんないケド、とりあえずうちのお嬢様は喜ぶんじゃないの」
「お嬢喜ばせて何かオレに得があるんか?」
ようやく雑誌から視線を離して、有砂は蝉を見やった。
蝉は何故か妙にニヤニヤしている。
「そゆコト言うケドさ……ぶっちゃけ、よっちんは、日向子ちゃんのコトどうなのよ?」
「……何が?」
「ちょっとはオンナとして意識したりしないの?」
「……なんで?」
「なんでってこともないケドさ、あの子のお目つけ役としてはちょっと気になるワケよ」
有砂はいよいよ憮然とした面持ちで、蝉を睨む。
「オレはあんなガキに手出すほど女に不自由してへんから」
「……手出そうとして拒否られて、平手打ちされたくせに……っ、あたっ!」
飛んできた雑誌の固い角が蝉の額にジャストミートした。
「うっさい」
「ぼ、暴力反対~」
若干涙目になりながら額を押さえる蝉に、
「ジブンこそどうなんや」
有砂はすかさず反撃を開始する。
「お嬢様のためなら火の中水の中なんやろ?」
「え、そりゃそうだケド……あの子はおれの家族だしさぁ……それに」
蝉は真っ赤なおでこを晒しながら、少し複雑な笑顔を浮かべた。
「何にしたってさ、あの子にとって大切なのは『雪乃』で『蝉』じゃないからね~」
「綾が弟になったのは、俺が5才、あいつが3才ん時だ」
くしくも数日前、美々が座っていたのと同じ席に座って、日向子は紅朱の話に耳を傾けていた。
「綾の実の母親……俺の叔母は、一人で綾を生んで育ててたんだが、元々大きな病気を患ってて、それが元で死んだ。
俺は叔母に懐いて、よく遊びに行ってたからな……かなりショックだったし、はっきり覚えてる」
時折、コーラのグラスを口に運びながら、紅朱はゆっくりと過去を紐解いていく。
「綾はまだ小さかったから、覚えてないし、教えるつもりもない。
今は浅川の家があいつの家だからな。
幸い、姉妹だった母親同士がよく似てたおかげで、俺と綾の容貌も似てたから、誰に疑われることもなかった」
「そうしてずっと……20年も、兄弟として過ごしていらっしゃったのですね?」
「ああ」
そういえば玄鳥は、父方の遺伝だという赤みがかった髪も引き継いでいない。
もちろんそれが100パーセント引き継がれるとは限らないから取り立てて不思議に思う者はいないだろうが。
「……最初の10年は、あいつの『兄貴』になることが課題だった。そっからの10年は俺があいつの『兄貴』であり続けることが課題になった。
その境目になったのが、中学時代に起きた事件だ」
紅朱の赤みかがった瞳に、怒りをたたえた炎が不意に灯った気がした。
「……綾の実の父親が、恥じ知らずにも訪ねてきやがったんだ。
今更綾を引き取りたいとか抜かしやがって、あの下道……」
「そんな……」
「もちろん俺も浅川の両親も断固拒絶してやったさ。綾にはバレなかったが、万が一バレたらって不安が、その日から俺の中に住み着いた」
「あの」
日向子は思わず言った。
「わたくしは、もしも玄鳥様が真実をお知りになったとしても、長年家族として暮らしていらっしゃった浅川の皆様を捨てるようなことはないと思うのですけれど……」
他の誰かならいざ知らず、なにしろあの玄鳥のことだ。
しかし紅朱は、日向子を、およそ普段からは想像出来ないほど弱々しい目で見つめる。
「……だけどあいつは、父親の名前を知ったら、きっと迷う」
「……なぜですの?」
「……それはっ」
紅朱は一瞬、言いかけた言葉を飲み込んで、別の言葉を口にした。
「……俺が違う道を選んでいれば、こんなことにならなかったんだ……だから、俺には浅川家の平穏を守る責任がある。
俺はいつまたあの男が来てもいいように、綾を引き留められるだけの強さを持ってなきゃなんねェんだ。
どんなに迷ったとしても最後には俺を……浅川家を選ばせるために」
悲愴な決意を語る横顔は、とても青ざめて見えた。
この人をここまで脅えさせるものはなんなのだろう……と日向子は思った。
今は聞いても答えてくれないのかもしれないが。
日向子もまたその問いを飲み込んで、別の問いを口にした。
「紅朱様は、玄鳥様を……支配したいのですか?」
「……」
紅朱は何も言わず、苦しそうに眉間に皺を寄せて、手の中のグラスを見つめていたが、
「人と人の絆は、力ずくで繋ぎ留めたり、引き離したりするものでしょうか?」
その言葉に一瞬目を見開いて、日向子をを見た。
その目は、懐かしい古い写真を眺めているかのように、微かに細められている。
「同じこと言い残して、出てった女が昔いた」
「え……」
「……3年も経つのに、何も成長してねェ」
3年前に出ていった、紅朱の大切な女性……本人の口から直接その人の話が出たのは、恐らく初めてだった。
「粋さんの……」
紅朱のこの目は、粋のためのもの。
ただひとり、長い間ずっと紅朱の心を囚えたままのひと。
日向子の胸は、何故かチクッと痛んだような気がした。
紅朱はコーラの残りを一気に飲み干し、深く息を吐き出すと、不意に乾いた笑いを浮かべた。
「……綾が、あんなにムキになって俺に歯向かって来たのは初めてだった。
あいつは急速に成長して、俺の手から離れようとしてるんだろう……。
それを素直に喜んでやれない俺は、所詮偽物の兄貴でしかないのかもな」
「そのようなことはありませんわ!」
日向子の声は無意識に大きくなってしまっていた。少し驚いている紅朱に、日向子のは微笑みかける。
「『バカ野郎』ですわ」
「あ?」
予想だにしない言葉を投げ掛けられて、唖然とする紅朱。
日向子は微笑みを絶やさずに続ける。
「紅朱様は、紅朱様が思うよりずっとよく頑張っていらっしゃいますわ。
わたくしが認めて差し上げましてよ」
「お前……」
「わたくしがそう言っているのですから、どなたにも文句は言わせませんわ」
暗闇の中で日向子を包んだ温かい言葉を、そっくりそのまま返した。
「っ……ははは」
紅朱は思わず吹き出して、笑い出した。
「……言っとくが俺は泣かねェからな!」
「もし泣きたくなったらおっしゃってください。
わたくしは後ろを向いておりますから」
「だから泣かねェっての」
紅朱は笑った顔のままで、ぽつり、と呟いた。
「……今日の話、誰にも言うなよ。他に知ってんのは綾以外の家族と、あいつの実父だけだからな」
「もちろんですわ……けれどよかったのですか?
わたくしなどに話してしまって……」
「ああ。お前にはいつか聞いてもらいたかった」
紅朱の目は、いつになくとても優しかった。
一つ嵐が去った後の空のように。
「……思った通り、なんとなく軽くなった」
《つづく》
何かひどい聞き間違いをしてしまったのかと思った。
「……俺たちは本当の兄弟じゃない」
聞き間違いなどではなかった。
「戸籍の上では兄弟でも、血縁から言えば、綾は……俺の従兄弟だ」
「いと、こ……」
まるで目の前の景色がぐるりと反転してしまったように思った。
うつむいた紅朱の表情は未だうかがい知れない。
「……そのことを、綾は、知らない」
《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【3】
「ここにいるような気がしたよ」
人気のない夜の公園で、ブランコに座ってうなだれている玄鳥を見つけた万楼は、そのあまりにもセオリーに則った光景に、
「玄鳥って……古典派だよね」
と思わず呟いた。
「……茶化しに来たなら独りにしてくれないか」
玄鳥が目を半眼するのにも関わらず、万楼はちゃんと古典派の流儀に則って隣のブランコに座った。
「あったかい缶コーヒーでも買ってきて『ほら』って投げてあげればよかったかな」
「いらない」
「ごめんごめん、いじけないで」
万楼はスニーカーの先で削れた地面をなぞりながら笑う。
「……玄鳥がリーダーと本気で喧嘩するところなんて初めて見たからちょっとびっくりした」
玄鳥は視線を足元に落としたまま溜め息をついた。
「……大人げないよな、俺も。兄貴のあの手のもの言いには慣れたつもりだったんだけど」
「そうなの?」
「少なくとも今までは我慢できてたのに」
玄鳥はどうやら、楽屋での一件をすっかり反省しているらしかった。
「……日向子さん、何か言ってた……?」
「え? うーん……ボクもすぐ飛び出しちゃったからな。困ったような顔はしてたと思う」
玄鳥は自嘲の笑みを浮かべて、自分の左手を見る。
「……早速、約束破っちゃったかな……」
「約束……?」
「何でもないよ」
玄鳥はその左手でそのまま自分の目元を覆った。
「虫の居所が悪かっただけなのかもしれない……」
「リーダーの?」
「いや、俺のだよ……兄貴と日向子さんを見てたら、なんか……」
言葉に詰まった玄鳥に、万楼は小さく笑った。
「ヤキモチ、妬いちゃった?」
「笑うなよ……」
「ごめん、おかしくなっちゃった。玄鳥の気持ちが、わかり過ぎて」
「え?」
真意を問うように顔を上げた玄鳥を、万楼はいつになく真剣な顔で見つめて、言った。
「好きな人ができたんだ」
まるで美少女のような綺麗な顔をした少年が、「男」の目をしている。
「できればボクが、彼女の特別になりたい。……玄鳥も、そうなんでしょう?」
「万楼……」
たとえ名前を口にしなくても、玄鳥にも容易に察することができた。
万楼が好きになったという女性が誰であるか。
それは、玄鳥が想うのと同じ人だ。
「だからボクは、もう玄鳥の応援はしてあげられないんだ」
万楼が苦笑する。それが伝染したかのように、玄鳥も微かに笑んだ。
「……参ったなあ。これ以上ライバルが増えないでくれるといいんだけど」
「ねーねー、マジであれ、フォローしなくてよかったの?
これがきっかけでウチ解散しちゃったりしないよねー?」
「そうなったら心置きなく、ピアノに専念できるやないか。よかったな」
「笑えない冗談言わないの!」
年少二人が夜の公園で古典的に友情を深め合っていた頃、同居コンビは自宅に帰り着いていた。
帰宅するなり蝉は、有砂の部屋に居座ってずっとぶつぶつ言っていたが、有砂のほうはいたって冷静だった。
ベッドに寝転がって恨めしそうに見つめる蝉はそっちのけで、テーブルに頬杖をついて求人雑誌をめくっている。
「ねーねーねー、よっちんは心配じゃないワケ? あの仲良し兄弟が大喧嘩だよ?」
有砂は雑誌をめくる手も、記事を追う目もそのままで、
「賠償請求はな、親子間では成立せんけど、兄弟間では成立するらしいで」
「……はい?」
「兄弟は他人の始まり、ゆうことや……なんぼ仲が良くても、他人が腹の底で何考えとるかなんて、実際のところは言われるまでわからんもんやろ」
蝉は少しだけ考えてから、
「……つまり、たまには言いたいこと言って喧嘩するのもいいかも……ってコト??」
有砂は答えなかったが、蝉は「そっかそっか」と感心したように首を何度も上下する。
「よっちんてばなかなか深いコト言うじゃん……無駄にバンド内最年長ってワケじゃなかったんだね~」
「……大体、首突っ込むのも面倒やしな。よその家の兄弟喧嘩なんて」
蝉は、枕に預けていた頭をちょっと持ち上げた。
「羨ましいと思わない?」
有砂の手が止まった。
「おれの妹は喧嘩出来る年になる前に天国に行っちゃったんだよね……だけどさ」
蝉は笑う。
「いつかよっちんは、ちゃんと喧嘩出来るといいね」
「……なんやそれ」
「そろそろ捜してあげなよ、有砂ちゃんのこと」
「……捜して、どうなるんや?」
「んー……わかんないケド、とりあえずうちのお嬢様は喜ぶんじゃないの」
「お嬢喜ばせて何かオレに得があるんか?」
ようやく雑誌から視線を離して、有砂は蝉を見やった。
蝉は何故か妙にニヤニヤしている。
「そゆコト言うケドさ……ぶっちゃけ、よっちんは、日向子ちゃんのコトどうなのよ?」
「……何が?」
「ちょっとはオンナとして意識したりしないの?」
「……なんで?」
「なんでってこともないケドさ、あの子のお目つけ役としてはちょっと気になるワケよ」
有砂はいよいよ憮然とした面持ちで、蝉を睨む。
「オレはあんなガキに手出すほど女に不自由してへんから」
「……手出そうとして拒否られて、平手打ちされたくせに……っ、あたっ!」
飛んできた雑誌の固い角が蝉の額にジャストミートした。
「うっさい」
「ぼ、暴力反対~」
若干涙目になりながら額を押さえる蝉に、
「ジブンこそどうなんや」
有砂はすかさず反撃を開始する。
「お嬢様のためなら火の中水の中なんやろ?」
「え、そりゃそうだケド……あの子はおれの家族だしさぁ……それに」
蝉は真っ赤なおでこを晒しながら、少し複雑な笑顔を浮かべた。
「何にしたってさ、あの子にとって大切なのは『雪乃』で『蝉』じゃないからね~」
「綾が弟になったのは、俺が5才、あいつが3才ん時だ」
くしくも数日前、美々が座っていたのと同じ席に座って、日向子は紅朱の話に耳を傾けていた。
「綾の実の母親……俺の叔母は、一人で綾を生んで育ててたんだが、元々大きな病気を患ってて、それが元で死んだ。
俺は叔母に懐いて、よく遊びに行ってたからな……かなりショックだったし、はっきり覚えてる」
時折、コーラのグラスを口に運びながら、紅朱はゆっくりと過去を紐解いていく。
「綾はまだ小さかったから、覚えてないし、教えるつもりもない。
今は浅川の家があいつの家だからな。
幸い、姉妹だった母親同士がよく似てたおかげで、俺と綾の容貌も似てたから、誰に疑われることもなかった」
「そうしてずっと……20年も、兄弟として過ごしていらっしゃったのですね?」
「ああ」
そういえば玄鳥は、父方の遺伝だという赤みがかった髪も引き継いでいない。
もちろんそれが100パーセント引き継がれるとは限らないから取り立てて不思議に思う者はいないだろうが。
「……最初の10年は、あいつの『兄貴』になることが課題だった。そっからの10年は俺があいつの『兄貴』であり続けることが課題になった。
その境目になったのが、中学時代に起きた事件だ」
紅朱の赤みかがった瞳に、怒りをたたえた炎が不意に灯った気がした。
「……綾の実の父親が、恥じ知らずにも訪ねてきやがったんだ。
今更綾を引き取りたいとか抜かしやがって、あの下道……」
「そんな……」
「もちろん俺も浅川の両親も断固拒絶してやったさ。綾にはバレなかったが、万が一バレたらって不安が、その日から俺の中に住み着いた」
「あの」
日向子は思わず言った。
「わたくしは、もしも玄鳥様が真実をお知りになったとしても、長年家族として暮らしていらっしゃった浅川の皆様を捨てるようなことはないと思うのですけれど……」
他の誰かならいざ知らず、なにしろあの玄鳥のことだ。
しかし紅朱は、日向子を、およそ普段からは想像出来ないほど弱々しい目で見つめる。
「……だけどあいつは、父親の名前を知ったら、きっと迷う」
「……なぜですの?」
「……それはっ」
紅朱は一瞬、言いかけた言葉を飲み込んで、別の言葉を口にした。
「……俺が違う道を選んでいれば、こんなことにならなかったんだ……だから、俺には浅川家の平穏を守る責任がある。
俺はいつまたあの男が来てもいいように、綾を引き留められるだけの強さを持ってなきゃなんねェんだ。
どんなに迷ったとしても最後には俺を……浅川家を選ばせるために」
悲愴な決意を語る横顔は、とても青ざめて見えた。
この人をここまで脅えさせるものはなんなのだろう……と日向子は思った。
今は聞いても答えてくれないのかもしれないが。
日向子もまたその問いを飲み込んで、別の問いを口にした。
「紅朱様は、玄鳥様を……支配したいのですか?」
「……」
紅朱は何も言わず、苦しそうに眉間に皺を寄せて、手の中のグラスを見つめていたが、
「人と人の絆は、力ずくで繋ぎ留めたり、引き離したりするものでしょうか?」
その言葉に一瞬目を見開いて、日向子をを見た。
その目は、懐かしい古い写真を眺めているかのように、微かに細められている。
「同じこと言い残して、出てった女が昔いた」
「え……」
「……3年も経つのに、何も成長してねェ」
3年前に出ていった、紅朱の大切な女性……本人の口から直接その人の話が出たのは、恐らく初めてだった。
「粋さんの……」
紅朱のこの目は、粋のためのもの。
ただひとり、長い間ずっと紅朱の心を囚えたままのひと。
日向子の胸は、何故かチクッと痛んだような気がした。
紅朱はコーラの残りを一気に飲み干し、深く息を吐き出すと、不意に乾いた笑いを浮かべた。
「……綾が、あんなにムキになって俺に歯向かって来たのは初めてだった。
あいつは急速に成長して、俺の手から離れようとしてるんだろう……。
それを素直に喜んでやれない俺は、所詮偽物の兄貴でしかないのかもな」
「そのようなことはありませんわ!」
日向子の声は無意識に大きくなってしまっていた。少し驚いている紅朱に、日向子のは微笑みかける。
「『バカ野郎』ですわ」
「あ?」
予想だにしない言葉を投げ掛けられて、唖然とする紅朱。
日向子は微笑みを絶やさずに続ける。
「紅朱様は、紅朱様が思うよりずっとよく頑張っていらっしゃいますわ。
わたくしが認めて差し上げましてよ」
「お前……」
「わたくしがそう言っているのですから、どなたにも文句は言わせませんわ」
暗闇の中で日向子を包んだ温かい言葉を、そっくりそのまま返した。
「っ……ははは」
紅朱は思わず吹き出して、笑い出した。
「……言っとくが俺は泣かねェからな!」
「もし泣きたくなったらおっしゃってください。
わたくしは後ろを向いておりますから」
「だから泣かねェっての」
紅朱は笑った顔のままで、ぽつり、と呟いた。
「……今日の話、誰にも言うなよ。他に知ってんのは綾以外の家族と、あいつの実父だけだからな」
「もちろんですわ……けれどよかったのですか?
わたくしなどに話してしまって……」
「ああ。お前にはいつか聞いてもらいたかった」
紅朱の目は、いつになくとても優しかった。
一つ嵐が去った後の空のように。
「……思った通り、なんとなく軽くなった」
《つづく》
PR
2007/07/14 (Sat)
一次創作関連
「前のバンド、あと2曲で終わるみたい」
ステージ袖から舞い戻った万楼の報告に、heliodorメンバーは焦りを隠せなくなっていた。
「……ね、いくらなんでも遅いんじゃん? ど、どうするよ?」
「落ち着いて下さい」
玄鳥は苦しげな表情を浮かべながらも全員を見渡し、告げた。
「もし出番になっても兄貴が来なかったら、ソロとインストで繋ぎましょう」
「繋ぐ……て、確実に来る保証がないやろ、いつまで繋げゆうんや」
有砂にきっぱりと指摘されても、玄鳥は揺るぎない眼差しで、
「兄貴は必ず来ます」
断言した。
「もし来なければ責任は全て、俺が持ちます」
《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【2】
その頃、当の日向子と紅朱には、誰一人予想だにしなかった落とし穴にどっぷり嵌って抜け出せなくなっていた。
「やべェな……」
ようやく暗闇に目が慣れてきた。
「間に合わねェかもな……」
「メンバーの皆様にご連絡は?」
「した。繋がらねェ。今日のハコは地下だからな……圏外なんだろうよ」
紅朱は舌打ちをして、ガスッと冷たい壁を殴った。
日向子は、不安に胸を痛めながら、その背中に問掛ける。
「紅朱様、お寒いのでは?」
「ブランケット一枚しかねェだろ? お前が使ってていい」
日向子は自身を包む、安っぽい色のブランケットをじっと見つめた。
室内の温度はどんどん下がっている気がする。
寒さと暗闇と静寂が支配する檻に今、二人はなすすべなく囚われている。
フロントとの連絡、暖房からドアの開閉に到るまで全てを電気制御でコントロールするこの建物は、「停電」という予期せぬ事態にはあまりにも無力だった。
外部からの音すら全てシャットダウンされた空間で、二人に許されたことは電気が復旧するか、助けが来るのをひたすら待つ以外にない。
「紅朱様……」
日向子はブランケットの端をふわりと広げて、紅朱の肩に。
「いいって言ってんだろ」
「もう少しお近くにいらして頂けませんか? 二人で使いましょう」
「……悪い」
紅朱は、日向子に身体を寄せた。
隣合った腕がぶつかり合うほど近くに。
日向子はそれに一瞬どきり、としながらも、お互いがはみ出さないようにブランケットでしっかりと包み込んだ。
ベッドの上、ほとんど寄り添い合うような格好で、二人は解放を待っていた。
「……紅朱様」
「なんだ」
「……わたくしのためにこのようなことになってしまいましたのでしょう? 申し訳ありません……」
「お前……」
「謝っても許されることではありませんわね」
「違う。お前は何も悪くない……巻き込まれただけなんだ」
紅朱はわずかに頭を垂れて、苛立ちを噛み締めるようにして言った。
「こんなことにまでなってだんまりしてても仕方ねェか……『D-union』を名乗る俺たちの私設ファンクラブが、お前を陥れようと狙ってんだ」
「わたくしを……狙って? どういうことですか?」
「……お前の編集部に嫌がらせのメールしたり、さっきの奴らも多分雇われてんだろうな……。
嫌がらせメールは、heliodorのライブ中だけ激減する……間違いなく、ファンの仕業だ」
heliodorのファンに狙われている……嫌がらせを受けている……つきつけられた事実はあまりにも衝撃的で、呆然とする日向子の肩からするっとブランケットが滑り落ちた。
「それは……わたくしが、記者として未熟でいたらないからでしょうか……知らないうちに、大切なファンの皆様にご不快な思いをさせてしまっていたと……」
暗い暗い闇の中、日向子の瞳はゆっくりと涙を浮かび上がらせる。
「……バカ野郎」
紅朱はとっさに滑り落ちたブランケットを掴んで、それでもう一度日向子を包み、そのままブランケットごしに力いっぱいその身体を抱き締めた。
「お前は、お前が思うよりずっとよくやってるさ……俺が認める。
俺が言ってんだから、誰にも文句言わせるか」
「紅朱様……」
たとえブランケットごしであっても、抱き締める腕の強さに、日向子は戸惑いを隠しきれなかった。
それと同時に、真冬の日溜まりのような温かい気持ちがこんこんと湧き出してくる。
「もう大丈夫ですわ……離して下さい」
「泣き止んだら離してやるよ……俺は泣き顔見せられんのが嫌いだからな」
「……そう、申されましても、わたくし……」
ぐすっとしゃくり上げると、腕の力が一層強くなった気がした。
「……そのように、優しくして頂くと、っ、止まらな……」
紅朱はそれ以上は無言で、ブランケットの中で日向子が泣き止むのを待っていた。
そしてしゃくり上げる声がようやく収まり始めた頃、ピンク色の世界が、闇を溶かしながらゆっくりと点滅しながら蘇っていった。
「紅朱、急げ!」
ハコの出入口にいた対バン相手のメンバーが、くわえていた煙草を落としそうになりながら叫ぶ。
「何やってた? もう、20分以上楽器隊だけで繋いでんだぞ!!」
「そうか……!」
短く受け答えて、紅朱は走り抜け、日向子もそれに続いた。
走りながら紅朱は羽織っていた薄手のジャケットを脱ぎ去り、日向子に投げた。
「預かっててくれ」
「は、はい」
それをなんとかキャッチした日向子は、ステージへまっしぐらに向かう紅朱の背中に向かって、一生懸命叫んだ。
「本当にありがとうございました!! 頑張って下さい! わたくし、ちゃんと見ていますから!」
「悪ィな、待たせた」
深紅の疾風のように紅朱が駆け込んできた瞬間、オーディエンスは大いに沸いた。
即興でセッションを続けていたメンバーたちも、それぞれに安堵の表情を浮かべた。
「……兄貴」
誰よりもほっとしていたのは玄鳥だった。
紅朱はマイクを掴むとメンバーたちを振り返り、早口で告げた。
「そのまま《spicy seven》だ」
全員が目線で頷き、有砂がカウントを取る。
極めて印象的な妖艶なベースラインとギターによるイントロが鳴り出すと、また歓声が上がる。
すでにこの新曲は、heliodorの新たな代表曲として認知されてきている。
客の目につかないよう気遣いながら袖に隠れるようにして見守る日向子も、笑って肩でリズムをとる。
紅朱のジャケットを落とさないようにしっかり抱き締めながら。
《限りなく 凶悪な挑発
手を挙げろ 錆色の悪魔》
瞬間、全ての視線が紅朱に集まった。
《厚顔無恥の 憐れな群れは
犬も食わない 卑怯者》
歌詞が、違うのだ。
《脅迫は今宵 送信中
降り注ぐ幾千のポイズン
罪の意識が稀薄な君たち
しっぽは見えてる 最終章
罠は巧妙 手口は簡潔
引き金は 悪意湧く「泉」
叫んだ「粛清」
狙いつける devil union
その向日葵を手折るなら
お前らに聞かせる唄はない》
紅朱が、恐らくは即興のアドリブで唄うその詞の内容に、フロアがざわついていた。
感想に突入すると、紅朱はまるでその視線で全員を焼き尽そうとするかのように、ステージからの景色を見渡した。
「親愛なるファンの皆さん……俺たちの向日葵を泣かせた奴はどいつですか?」
口の端を歪めて、好戦的な笑みを浮かべる。
「……俺たちを敵に回したいならいつでもかかってこいよ」
その言葉の意味がわからない者は皆不思議そうな顔で紅朱を見つめ、わかった者は紅朱から目をそらす。
「今俺の目を見れない奴は、とっとと帰れ。
俺たちを真っ直ぐ見つめてくれる、可愛い向日葵たちのためだけに、今夜は最高の唄を聞かせてやる」
向日葵とは即ちファンである自分達だと解釈した人々は一斉に悲鳴と歓声を上げる。
暗い顔をした一部のファンと、ステージの上に立つメンバーたちには無論わかっている。
紅朱は「日向子」を狙う闇の集団に、今この場ではっきりと宣戦布告したのだ。
「日向子」に牙を剥くことは、自分を……そしてheliodorを敵に回すことだと。
「流石は紅朱! キメるとこはびしぃっとキメてくれるじゃん☆」
テンションの高い蝉をはじめ、楽屋のメンバーたちは皆一様に緊張感から解き放たれた、脱力した雰囲気だった。
「紅朱様、これを」
ちょこちょこと歩み寄って、日向子は預かっていたジャケットを手渡す。
「……おお、サンキュ」
紅朱はジャケットと引き替えに、日向子に微笑を返した。
日向子もそれに、笑顔で答える。
その様子を見ていた玄鳥は、無意識に目をそらした。
「ところで、お前ら……時間稼ぎさせて悪かったな」
紅朱は何気無い口調で、メンバーたちに訪ねた。
「あれは誰の提案だ?」
「玄鳥だよ。玄鳥の指示でやったんだ」
代表するように万楼が答える。
「玄鳥かっこよかったんだよ! リーダーが来なかったら責任は自分がとる……なんて言って」
「まあ、そうでしたの? 玄鳥様」
感嘆する日向子に、玄鳥はいつもの照れ笑いをする。
「いや、俺はそんな……」
しかし。その時。
「余計なことはするな」
誰もが耳を疑う言葉を、紅朱が言い放った。
「リーダーでもないクセに……無謀な指示なんか出してんじゃねェよ」
「え……」
玄鳥の笑顔は凍りつく。
「だって……」
「だって、じゃねェ。あの状況で俺が戻って来る保証があったか?
あんなリスク犯すくらいならとっとと頭でもなんでも下げて撤退すりゃよかったんだ」
「リーダー」
たまりかねたように万楼が口を開いた。
「玄鳥、本当に頑張ってたんだよ。リーダーのこと信じて……必死に、リーダーの穴を埋めようとしてくれたんだ」
「……それが気に入らねェって言ってんだよ」
紅朱は、数分前までとはまるで別人のような厳しい目付きで玄鳥を睨んだ。
「弟のくせに生意気なんだよ、お前。俺の穴を埋めようなんて、何様のつもりだ」
玄鳥はその視線を受け止めて、静かに……本当に静かに、紅朱を睨み返した。
「……あんたこそ何様だよ」
本当に玄鳥が発しているのかと疑ってしまうほど、低く重い、怒りに震える声音。
「……あんたはいつもそうだ。昔から、ずっと……」
「……玄鳥様っ」
思わず制止しようとした日向子の肩を誰かが掴んだ。
有砂だった。
戸惑う日向子をよそに玄鳥は更に怒りの言葉をつむぐ。
「……いくら兄貴だからって、なんでも『弟のクセに』で片付けられたんじゃたまらないよ」
怒りに身体を震わせたまま、玄鳥はすたすたと楽屋を出て行ってしまった。
紅朱はそれを目で追い、苛立った様子で舌打ちする。
「今の、絶対リーダーが悪いからね」
万楼は一瞬紅朱をあまり迫力のない目で睨んで、ぷいっとそっぽを向いて楽屋を出て行った。
「紅朱さぁ……マジで、変だよ。あんな言い方しちゃまず……うげ」
言いにくそうにしどろもどろ話し掛けようとした蝉の衣装の首ねっこを、ぎゅっと有砂が引っ張る。
「……出るんや、アホ」
蝉を強制連行して有砂が出て行ってしまうと、そこにはもう日向子と紅朱しかいなくなってしまった。
「紅朱様……」
うつ向いている紅朱の顔は、赤い髪に隠されて見えない。
「……お前も俺のほうが間違ってると思ってんだろ?」
「……紅朱様も、紅朱様が間違っていると思っていらっしゃるのでは?」
「……間違ってるかどうかなんて関係ねェ……」
「紅朱様が『兄』で、玄鳥様が『弟』だから……?」
「そうだ」
「わたくしにはわかりません……何故そこに固執なさるのか」
しばしの沈黙の後、紅朱はゆっくりと口を開いた。
「そうしてないと、不安なんだろうな……俺は」
握り締めた拳は震えている。
「……俺は、綾の本当の兄貴じゃねェから」
《つづく》
ステージ袖から舞い戻った万楼の報告に、heliodorメンバーは焦りを隠せなくなっていた。
「……ね、いくらなんでも遅いんじゃん? ど、どうするよ?」
「落ち着いて下さい」
玄鳥は苦しげな表情を浮かべながらも全員を見渡し、告げた。
「もし出番になっても兄貴が来なかったら、ソロとインストで繋ぎましょう」
「繋ぐ……て、確実に来る保証がないやろ、いつまで繋げゆうんや」
有砂にきっぱりと指摘されても、玄鳥は揺るぎない眼差しで、
「兄貴は必ず来ます」
断言した。
「もし来なければ責任は全て、俺が持ちます」
《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【2】
その頃、当の日向子と紅朱には、誰一人予想だにしなかった落とし穴にどっぷり嵌って抜け出せなくなっていた。
「やべェな……」
ようやく暗闇に目が慣れてきた。
「間に合わねェかもな……」
「メンバーの皆様にご連絡は?」
「した。繋がらねェ。今日のハコは地下だからな……圏外なんだろうよ」
紅朱は舌打ちをして、ガスッと冷たい壁を殴った。
日向子は、不安に胸を痛めながら、その背中に問掛ける。
「紅朱様、お寒いのでは?」
「ブランケット一枚しかねェだろ? お前が使ってていい」
日向子は自身を包む、安っぽい色のブランケットをじっと見つめた。
室内の温度はどんどん下がっている気がする。
寒さと暗闇と静寂が支配する檻に今、二人はなすすべなく囚われている。
フロントとの連絡、暖房からドアの開閉に到るまで全てを電気制御でコントロールするこの建物は、「停電」という予期せぬ事態にはあまりにも無力だった。
外部からの音すら全てシャットダウンされた空間で、二人に許されたことは電気が復旧するか、助けが来るのをひたすら待つ以外にない。
「紅朱様……」
日向子はブランケットの端をふわりと広げて、紅朱の肩に。
「いいって言ってんだろ」
「もう少しお近くにいらして頂けませんか? 二人で使いましょう」
「……悪い」
紅朱は、日向子に身体を寄せた。
隣合った腕がぶつかり合うほど近くに。
日向子はそれに一瞬どきり、としながらも、お互いがはみ出さないようにブランケットでしっかりと包み込んだ。
ベッドの上、ほとんど寄り添い合うような格好で、二人は解放を待っていた。
「……紅朱様」
「なんだ」
「……わたくしのためにこのようなことになってしまいましたのでしょう? 申し訳ありません……」
「お前……」
「謝っても許されることではありませんわね」
「違う。お前は何も悪くない……巻き込まれただけなんだ」
紅朱はわずかに頭を垂れて、苛立ちを噛み締めるようにして言った。
「こんなことにまでなってだんまりしてても仕方ねェか……『D-union』を名乗る俺たちの私設ファンクラブが、お前を陥れようと狙ってんだ」
「わたくしを……狙って? どういうことですか?」
「……お前の編集部に嫌がらせのメールしたり、さっきの奴らも多分雇われてんだろうな……。
嫌がらせメールは、heliodorのライブ中だけ激減する……間違いなく、ファンの仕業だ」
heliodorのファンに狙われている……嫌がらせを受けている……つきつけられた事実はあまりにも衝撃的で、呆然とする日向子の肩からするっとブランケットが滑り落ちた。
「それは……わたくしが、記者として未熟でいたらないからでしょうか……知らないうちに、大切なファンの皆様にご不快な思いをさせてしまっていたと……」
暗い暗い闇の中、日向子の瞳はゆっくりと涙を浮かび上がらせる。
「……バカ野郎」
紅朱はとっさに滑り落ちたブランケットを掴んで、それでもう一度日向子を包み、そのままブランケットごしに力いっぱいその身体を抱き締めた。
「お前は、お前が思うよりずっとよくやってるさ……俺が認める。
俺が言ってんだから、誰にも文句言わせるか」
「紅朱様……」
たとえブランケットごしであっても、抱き締める腕の強さに、日向子は戸惑いを隠しきれなかった。
それと同時に、真冬の日溜まりのような温かい気持ちがこんこんと湧き出してくる。
「もう大丈夫ですわ……離して下さい」
「泣き止んだら離してやるよ……俺は泣き顔見せられんのが嫌いだからな」
「……そう、申されましても、わたくし……」
ぐすっとしゃくり上げると、腕の力が一層強くなった気がした。
「……そのように、優しくして頂くと、っ、止まらな……」
紅朱はそれ以上は無言で、ブランケットの中で日向子が泣き止むのを待っていた。
そしてしゃくり上げる声がようやく収まり始めた頃、ピンク色の世界が、闇を溶かしながらゆっくりと点滅しながら蘇っていった。
「紅朱、急げ!」
ハコの出入口にいた対バン相手のメンバーが、くわえていた煙草を落としそうになりながら叫ぶ。
「何やってた? もう、20分以上楽器隊だけで繋いでんだぞ!!」
「そうか……!」
短く受け答えて、紅朱は走り抜け、日向子もそれに続いた。
走りながら紅朱は羽織っていた薄手のジャケットを脱ぎ去り、日向子に投げた。
「預かっててくれ」
「は、はい」
それをなんとかキャッチした日向子は、ステージへまっしぐらに向かう紅朱の背中に向かって、一生懸命叫んだ。
「本当にありがとうございました!! 頑張って下さい! わたくし、ちゃんと見ていますから!」
「悪ィな、待たせた」
深紅の疾風のように紅朱が駆け込んできた瞬間、オーディエンスは大いに沸いた。
即興でセッションを続けていたメンバーたちも、それぞれに安堵の表情を浮かべた。
「……兄貴」
誰よりもほっとしていたのは玄鳥だった。
紅朱はマイクを掴むとメンバーたちを振り返り、早口で告げた。
「そのまま《spicy seven》だ」
全員が目線で頷き、有砂がカウントを取る。
極めて印象的な妖艶なベースラインとギターによるイントロが鳴り出すと、また歓声が上がる。
すでにこの新曲は、heliodorの新たな代表曲として認知されてきている。
客の目につかないよう気遣いながら袖に隠れるようにして見守る日向子も、笑って肩でリズムをとる。
紅朱のジャケットを落とさないようにしっかり抱き締めながら。
《限りなく 凶悪な挑発
手を挙げろ 錆色の悪魔》
瞬間、全ての視線が紅朱に集まった。
《厚顔無恥の 憐れな群れは
犬も食わない 卑怯者》
歌詞が、違うのだ。
《脅迫は今宵 送信中
降り注ぐ幾千のポイズン
罪の意識が稀薄な君たち
しっぽは見えてる 最終章
罠は巧妙 手口は簡潔
引き金は 悪意湧く「泉」
叫んだ「粛清」
狙いつける devil union
その向日葵を手折るなら
お前らに聞かせる唄はない》
紅朱が、恐らくは即興のアドリブで唄うその詞の内容に、フロアがざわついていた。
感想に突入すると、紅朱はまるでその視線で全員を焼き尽そうとするかのように、ステージからの景色を見渡した。
「親愛なるファンの皆さん……俺たちの向日葵を泣かせた奴はどいつですか?」
口の端を歪めて、好戦的な笑みを浮かべる。
「……俺たちを敵に回したいならいつでもかかってこいよ」
その言葉の意味がわからない者は皆不思議そうな顔で紅朱を見つめ、わかった者は紅朱から目をそらす。
「今俺の目を見れない奴は、とっとと帰れ。
俺たちを真っ直ぐ見つめてくれる、可愛い向日葵たちのためだけに、今夜は最高の唄を聞かせてやる」
向日葵とは即ちファンである自分達だと解釈した人々は一斉に悲鳴と歓声を上げる。
暗い顔をした一部のファンと、ステージの上に立つメンバーたちには無論わかっている。
紅朱は「日向子」を狙う闇の集団に、今この場ではっきりと宣戦布告したのだ。
「日向子」に牙を剥くことは、自分を……そしてheliodorを敵に回すことだと。
「流石は紅朱! キメるとこはびしぃっとキメてくれるじゃん☆」
テンションの高い蝉をはじめ、楽屋のメンバーたちは皆一様に緊張感から解き放たれた、脱力した雰囲気だった。
「紅朱様、これを」
ちょこちょこと歩み寄って、日向子は預かっていたジャケットを手渡す。
「……おお、サンキュ」
紅朱はジャケットと引き替えに、日向子に微笑を返した。
日向子もそれに、笑顔で答える。
その様子を見ていた玄鳥は、無意識に目をそらした。
「ところで、お前ら……時間稼ぎさせて悪かったな」
紅朱は何気無い口調で、メンバーたちに訪ねた。
「あれは誰の提案だ?」
「玄鳥だよ。玄鳥の指示でやったんだ」
代表するように万楼が答える。
「玄鳥かっこよかったんだよ! リーダーが来なかったら責任は自分がとる……なんて言って」
「まあ、そうでしたの? 玄鳥様」
感嘆する日向子に、玄鳥はいつもの照れ笑いをする。
「いや、俺はそんな……」
しかし。その時。
「余計なことはするな」
誰もが耳を疑う言葉を、紅朱が言い放った。
「リーダーでもないクセに……無謀な指示なんか出してんじゃねェよ」
「え……」
玄鳥の笑顔は凍りつく。
「だって……」
「だって、じゃねェ。あの状況で俺が戻って来る保証があったか?
あんなリスク犯すくらいならとっとと頭でもなんでも下げて撤退すりゃよかったんだ」
「リーダー」
たまりかねたように万楼が口を開いた。
「玄鳥、本当に頑張ってたんだよ。リーダーのこと信じて……必死に、リーダーの穴を埋めようとしてくれたんだ」
「……それが気に入らねェって言ってんだよ」
紅朱は、数分前までとはまるで別人のような厳しい目付きで玄鳥を睨んだ。
「弟のくせに生意気なんだよ、お前。俺の穴を埋めようなんて、何様のつもりだ」
玄鳥はその視線を受け止めて、静かに……本当に静かに、紅朱を睨み返した。
「……あんたこそ何様だよ」
本当に玄鳥が発しているのかと疑ってしまうほど、低く重い、怒りに震える声音。
「……あんたはいつもそうだ。昔から、ずっと……」
「……玄鳥様っ」
思わず制止しようとした日向子の肩を誰かが掴んだ。
有砂だった。
戸惑う日向子をよそに玄鳥は更に怒りの言葉をつむぐ。
「……いくら兄貴だからって、なんでも『弟のクセに』で片付けられたんじゃたまらないよ」
怒りに身体を震わせたまま、玄鳥はすたすたと楽屋を出て行ってしまった。
紅朱はそれを目で追い、苛立った様子で舌打ちする。
「今の、絶対リーダーが悪いからね」
万楼は一瞬紅朱をあまり迫力のない目で睨んで、ぷいっとそっぽを向いて楽屋を出て行った。
「紅朱さぁ……マジで、変だよ。あんな言い方しちゃまず……うげ」
言いにくそうにしどろもどろ話し掛けようとした蝉の衣装の首ねっこを、ぎゅっと有砂が引っ張る。
「……出るんや、アホ」
蝉を強制連行して有砂が出て行ってしまうと、そこにはもう日向子と紅朱しかいなくなってしまった。
「紅朱様……」
うつ向いている紅朱の顔は、赤い髪に隠されて見えない。
「……お前も俺のほうが間違ってると思ってんだろ?」
「……紅朱様も、紅朱様が間違っていると思っていらっしゃるのでは?」
「……間違ってるかどうかなんて関係ねェ……」
「紅朱様が『兄』で、玄鳥様が『弟』だから……?」
「そうだ」
「わたくしにはわかりません……何故そこに固執なさるのか」
しばしの沈黙の後、紅朱はゆっくりと口を開いた。
「そうしてないと、不安なんだろうな……俺は」
握り締めた拳は震えている。
「……俺は、綾の本当の兄貴じゃねェから」
《つづく》
2007/07/13 (Fri)
一次創作関連
「紅朱様っ、これ、これも押してもよろしいですか!?」
「いや……そりゃ構わねェけど」
「まあすごいですわ。灯りの色が綺麗なピンク色に……!」
「楽しいか? それ」
回転ベッドの側にある、室内の設備を一括操作する制御パネルを覗き込んで、色々な機能を発動させては歓喜する日向子を、紅朱はいぶかしげに見つめる。
日向子は笑って言った。
「わたくし『らぶほ』は初めてですの。
紅朱様はこういった施設をよくご利用なさるのですか?」
「は? お前なぁ……無邪気に答えにくい質問すんじゃねェよ……」
「はあ」
日向子の間抜けなリアクションを受けて、紅朱は気になっていたことを尋ねた。
「……日向子、お前……ラブホって何するとこかマジでわかってるか?」
《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【1】
「はい、存じておりますわ」
日向子は自信満々に頷く。
「気心の知れた親しい男女が、歓談したり、遊戯に興じたりしながら過ごす場所でしょう?
以前、雪乃に聞きましたの」
「……」
「連れて行ってほしいと頼んだのですけれど、連れて行ってくれませんでしたのよ。
ダンスと一緒で、女性側から誘うのははしたないことなので、間違っても他の殿方を誘ったりしてもいけないとのことでしたから、わたくしはずっと我慢しておりましたの」
「……すげェな。雪乃って奴。嘘をつかずにこんだけ核心を避けた説明がとっさに出来るって……詐偽師の素質あんじゃねェか……?」
ぶつぶつ呟く紅朱に、日向子はきょとんと首を傾ける。
「わたくし、間違っていますの?」
「いや、別に間違ってはないけどな」
「うふふ、わたくし紅朱様と『らぶほ』に来れてとても感激ですの」
知らないとは恐ろしいこと……なにげにとんでもない発言をしているのだが、日向子には欠片も自覚がない。
紅朱は頭でも痛いような顔をしていたが、
「……ま、いいか」
あえてツッコミは入れない方針でいくようだ。
「とにかく、heliodorの出番ギリまでここにいるからな」
「まあ……よろしいんですの?」
「ああ。それが一番安全だからな。
それに今日のライブはまた袖から見ろ。俺の目が届くところから離れんな」
睨みつけるような真剣な目で説き伏せられ、日向子はまた頷いたが、
「あの……何か、起きているのでしょうか?」
「お前は知らなくていい」
とりつくしまもないとはこのことだった。
いきなり見知らぬ男たちに拉致されかけて、そこを救われて、こんなところに逃げ込んで。
一体何が起きているのだろう。
紅朱は何か知っていそうなのに話すつもりがなさそうだ。
ベッドのへりに足を組む格好で座った紅朱を、ベッドの上に正座で座る日向子はじっと見つめた。
後ろの部分だけ長く長く伸ばした赤毛の先端のほうがシーツの上にたまっているのが目についた。
「紅朱様……」
「なんだよ」
「お願いがあるのですけれど」
「ん?」
「……少しだけ、紅朱様のおぐしに触らせて頂けませんこと?」
予想だにしない請願に、紅朱は思わず日向子を凝視した。
「あ? なんで?」
「あまりにもお綺麗でいらっしゃるから……やはり、いけませんかしら」
「……まあ、ちょっとぐらいなら触ってもいいけど……」
「ありがとうございます! やはり紅朱様はおやさ……」
「お優しい、ゆーなっつってんだろ」
日向子は、ベッドの上を膝立ちしてちょこちょこ移動し、紅朱の後ろに回った。
深紅の光沢を放つ、絹糸のようなそれを指で一束すくう。
「本当にお綺麗……このように鮮やかな色に染めていらっしゃるのに、全くダメージがありませんのね」
「染めてるわけじゃねェよ。元々こういう色なんだ」
「え……?」
あまりにも意外な言葉に、日向子は改めて紅朱の髪を指先で撫でて、見つめた。
確かに染色して出せる色合いではないような気がする。
「ユーメラニン、とかって色素が普通の日本人よりかなり少ないらしい。父方の親族はみんなそういう傾向にはあるらしいが、俺ほどはっきり出た奴はいないって話だ」
そういえばそのあまりに印象的な髪色に目を奪われがちだが、近くで見ると、紅朱は瞳の色も肌の色も、かなり薄い。
こんなに美しい「赤」を生まれながらに授かったという紅朱は、日向子には何か神秘的にすら感じられた。
「素敵ですわね」
「だろ。俺も気に入ってる」
言葉とは裏腹に、自らの髪先を手にとってもてあそぶ紅朱の瞳には、何か自嘲的な色がある。
「今でこそ、って感じだけどな」
「もしや……幼少の頃にはいじめなどをお受けになったり……」
「いや、その逆だった」
「逆?」
「俺は小学校時代、よその学校で西小のジャリアンって呼ばれてたらしいぜ」
「ジャリアン……あの、『のろ太のくせに生意気だぞー』のジャリアンですか?」
「ああ。まんま、ああいう小学生だった。
あいにく身体は大きいほうじゃなかったけどな……」
日向子は、国民的アニメの大変メジャーな登場人物と紅朱のイメージを重ねて、思わず笑ってしまう。
「ガキ大将、でいらしましたのね?」
「そうだ。強さを示して上に立てばナメられない……堂々と胸を張っていれば、いっそ俺の赤い髪は、ハクをつけてくれたしな」
「……そうでしたか」
日向子には今も紅朱は自分を強く見せるように演出しているように思えてならなかった。
優しいと言われて怒るのも、それだけ自分を弱く見られているように感じるからなのかもしれない。
深紅の髪を長くたらして、強い視線で他者を威嚇して。
紅朱は武装している。
いばらで覆った城のように、その柔らかな心を深く隠して。
「……お疲れにはなりませんか?」
「……え?」
突拍子もない日向子の問掛けに、紅朱は眉を寄せた。
「いつも強い人でいるのは大変なことだと思いますわ」
「……別に俺は無理してそうしてるわけじゃねェよ」
「でも……」
そうではない。
そんなことはない。
大切な人を失って、ギターが弾けなくなってしまうほど繊細な神経をしている筈なのに。
紅朱はその大切な人にも弱さを見せなかったのだろうか……?
「例えば……例えば、玄鳥様の前でくらいはお心を休められてもよろしいのでは?」
「綾……?」
紅朱はふっと乾いた笑いを浮かべた。
「俺が誰よりも自分を強く見せなきゃなんねェのは……あいつなんだよ」
「え? それは……」
「綾には、俺が最強、俺が一番、俺には絶対逆らうな……って刷り込んで育ててっからなぁ」
「刷り込み……ですか」
日向子は、玄鳥が語っていた、紅朱に対する劣等意識とも呼べるような強迫観念を思い出した。
いくら努力しても、兄には勝てないような気がするという玄鳥……それは、紅朱の刷り込みが成功しているということを意味するのだろうか。
「何故そのようなことを?」
「何故って……そりゃ、俺が『兄貴』で、綾は『弟』だからだ」
「そういうもの……ですか?」
「そういうもんだ」
一人っ子で、しかも女である日向子には到底よくわからない感覚だった。
それが果たして一般的な感覚かどうかも含めて理解し難い。
「……で、いつまで触ってんだよ」
「あ、申し訳ありません」
日向子はずっと触ったままだった紅朱の髪から手を離した。
「……ありがとうございました。わたくし、紅朱様のおぐし、とても好きですわ」
「……そりゃどうも」
目をそらしたのは、もしかして少し照れているからなのかもしれない。
「しっかし暇だなぁ……」
それを裏付けるように話題を意図的に変えてくる。
「紅朱様、折角の『らぶほ』ですから、ご一緒に何か致しませんか?」
「……何か致しませんか、ってお前……」
悪気ゼロの爆弾発言。
「はい。わたくしと遊んで頂けませんか?」
連発。
「……どんだけ大胆なこと口走ってんだ、お前は」
紅朱は呆れを通り越してついに吹き出した。
「お前みたいな女、初めてだよ」
何故笑われているのかはわからなかったが、紅朱の笑顔につられて、日向子も笑っていた。
「……そうだな、暇だし……リハ兼ねてちょっと声出しとくか」
紅朱は、備え付けのカラオケのリモコンに手を伸ばした。
「まあ紅朱様、お唄をお聞かせ頂けるのですか!?」
「何言ってんだ、一緒になんかしたい、っつったのお前だろ」
「はい?」
紅朱はニヤッと笑って、ビニールのカバーを被ったマイクを二本手にし、一本を日向子に差し出した。
「デュエットしてやるよ。光栄だろ?」
「……まだ戻ってこんな、紅朱は」
開演時間を過ぎ、とうとうオープニングアクトが始まった。
「フロアをざっと見たけど、お姉さんもまだ来てないみたい」
「……玄鳥、マジで二人がどこ行ったかわかんないワケ?」
わけのわからないまま待ち惚けさせられて、heliodorの楽器隊は落ち着かない時を過ごしていた。
「わかりません」
玄鳥は申し訳なさそうに首を横に振った。
「だけど、ちゃんと出番までには戻る筈です。
もう少し待ちましょう」
「……演奏停止」
「まだ2番がありますわ」
「……止めろ」
「はあ」
日向子が言われるがまま演奏停止ボタンを押すと、紅朱はマイクを放り投げてベッドに倒れ込んだ。
「……日向子、喜べ。ジャリアンの称号はお前に譲ってやる」
ぐったりした声で呟く紅朱に、日向子は目をしばたかせた。
「あの~?」
乱れて顔を半分覆った赤毛の隙間から、紅朱は力なく日向子を睨んだ。
「おい、今のは唄か? 本気で唄ってこうなのか? そんなことがありえるのか??」
「わたくし……かなり真剣に唄いましたが」
「……お前、マジで音感ねェのな」
溜め息まじりで評され、日向子は一瞬考えたあと、しゅんと下を向いた。
「……申し訳ありません。折角紅朱様がデュエットを申し込んで下さいましたのに……」
「いや……そりゃ別に謝るようなことでもねェけどさ。
流石にちょっとびびったな……」
邪魔な髪を手でのけながら、紅朱はまたくくっと笑った。
「お前って奴は……とろいは、ミーハーだは、世間知らずだは、音痴だは……ありえねェ」
よく人から指摘される欠点ベスト4を並べられ、ますますしゅんとうなだれる日向子だったが、紅朱はスプリングで反動をつけて起き上がると、言った。
「けどなんか……お前見てるとほっとするよな」
「え?」
「うちのメンバーが気ィ許すのもわからなくない……それが日向子の才能なのかもな」
《つづく》
「いや……そりゃ構わねェけど」
「まあすごいですわ。灯りの色が綺麗なピンク色に……!」
「楽しいか? それ」
回転ベッドの側にある、室内の設備を一括操作する制御パネルを覗き込んで、色々な機能を発動させては歓喜する日向子を、紅朱はいぶかしげに見つめる。
日向子は笑って言った。
「わたくし『らぶほ』は初めてですの。
紅朱様はこういった施設をよくご利用なさるのですか?」
「は? お前なぁ……無邪気に答えにくい質問すんじゃねェよ……」
「はあ」
日向子の間抜けなリアクションを受けて、紅朱は気になっていたことを尋ねた。
「……日向子、お前……ラブホって何するとこかマジでわかってるか?」
《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【1】
「はい、存じておりますわ」
日向子は自信満々に頷く。
「気心の知れた親しい男女が、歓談したり、遊戯に興じたりしながら過ごす場所でしょう?
以前、雪乃に聞きましたの」
「……」
「連れて行ってほしいと頼んだのですけれど、連れて行ってくれませんでしたのよ。
ダンスと一緒で、女性側から誘うのははしたないことなので、間違っても他の殿方を誘ったりしてもいけないとのことでしたから、わたくしはずっと我慢しておりましたの」
「……すげェな。雪乃って奴。嘘をつかずにこんだけ核心を避けた説明がとっさに出来るって……詐偽師の素質あんじゃねェか……?」
ぶつぶつ呟く紅朱に、日向子はきょとんと首を傾ける。
「わたくし、間違っていますの?」
「いや、別に間違ってはないけどな」
「うふふ、わたくし紅朱様と『らぶほ』に来れてとても感激ですの」
知らないとは恐ろしいこと……なにげにとんでもない発言をしているのだが、日向子には欠片も自覚がない。
紅朱は頭でも痛いような顔をしていたが、
「……ま、いいか」
あえてツッコミは入れない方針でいくようだ。
「とにかく、heliodorの出番ギリまでここにいるからな」
「まあ……よろしいんですの?」
「ああ。それが一番安全だからな。
それに今日のライブはまた袖から見ろ。俺の目が届くところから離れんな」
睨みつけるような真剣な目で説き伏せられ、日向子はまた頷いたが、
「あの……何か、起きているのでしょうか?」
「お前は知らなくていい」
とりつくしまもないとはこのことだった。
いきなり見知らぬ男たちに拉致されかけて、そこを救われて、こんなところに逃げ込んで。
一体何が起きているのだろう。
紅朱は何か知っていそうなのに話すつもりがなさそうだ。
ベッドのへりに足を組む格好で座った紅朱を、ベッドの上に正座で座る日向子はじっと見つめた。
後ろの部分だけ長く長く伸ばした赤毛の先端のほうがシーツの上にたまっているのが目についた。
「紅朱様……」
「なんだよ」
「お願いがあるのですけれど」
「ん?」
「……少しだけ、紅朱様のおぐしに触らせて頂けませんこと?」
予想だにしない請願に、紅朱は思わず日向子を凝視した。
「あ? なんで?」
「あまりにもお綺麗でいらっしゃるから……やはり、いけませんかしら」
「……まあ、ちょっとぐらいなら触ってもいいけど……」
「ありがとうございます! やはり紅朱様はおやさ……」
「お優しい、ゆーなっつってんだろ」
日向子は、ベッドの上を膝立ちしてちょこちょこ移動し、紅朱の後ろに回った。
深紅の光沢を放つ、絹糸のようなそれを指で一束すくう。
「本当にお綺麗……このように鮮やかな色に染めていらっしゃるのに、全くダメージがありませんのね」
「染めてるわけじゃねェよ。元々こういう色なんだ」
「え……?」
あまりにも意外な言葉に、日向子は改めて紅朱の髪を指先で撫でて、見つめた。
確かに染色して出せる色合いではないような気がする。
「ユーメラニン、とかって色素が普通の日本人よりかなり少ないらしい。父方の親族はみんなそういう傾向にはあるらしいが、俺ほどはっきり出た奴はいないって話だ」
そういえばそのあまりに印象的な髪色に目を奪われがちだが、近くで見ると、紅朱は瞳の色も肌の色も、かなり薄い。
こんなに美しい「赤」を生まれながらに授かったという紅朱は、日向子には何か神秘的にすら感じられた。
「素敵ですわね」
「だろ。俺も気に入ってる」
言葉とは裏腹に、自らの髪先を手にとってもてあそぶ紅朱の瞳には、何か自嘲的な色がある。
「今でこそ、って感じだけどな」
「もしや……幼少の頃にはいじめなどをお受けになったり……」
「いや、その逆だった」
「逆?」
「俺は小学校時代、よその学校で西小のジャリアンって呼ばれてたらしいぜ」
「ジャリアン……あの、『のろ太のくせに生意気だぞー』のジャリアンですか?」
「ああ。まんま、ああいう小学生だった。
あいにく身体は大きいほうじゃなかったけどな……」
日向子は、国民的アニメの大変メジャーな登場人物と紅朱のイメージを重ねて、思わず笑ってしまう。
「ガキ大将、でいらしましたのね?」
「そうだ。強さを示して上に立てばナメられない……堂々と胸を張っていれば、いっそ俺の赤い髪は、ハクをつけてくれたしな」
「……そうでしたか」
日向子には今も紅朱は自分を強く見せるように演出しているように思えてならなかった。
優しいと言われて怒るのも、それだけ自分を弱く見られているように感じるからなのかもしれない。
深紅の髪を長くたらして、強い視線で他者を威嚇して。
紅朱は武装している。
いばらで覆った城のように、その柔らかな心を深く隠して。
「……お疲れにはなりませんか?」
「……え?」
突拍子もない日向子の問掛けに、紅朱は眉を寄せた。
「いつも強い人でいるのは大変なことだと思いますわ」
「……別に俺は無理してそうしてるわけじゃねェよ」
「でも……」
そうではない。
そんなことはない。
大切な人を失って、ギターが弾けなくなってしまうほど繊細な神経をしている筈なのに。
紅朱はその大切な人にも弱さを見せなかったのだろうか……?
「例えば……例えば、玄鳥様の前でくらいはお心を休められてもよろしいのでは?」
「綾……?」
紅朱はふっと乾いた笑いを浮かべた。
「俺が誰よりも自分を強く見せなきゃなんねェのは……あいつなんだよ」
「え? それは……」
「綾には、俺が最強、俺が一番、俺には絶対逆らうな……って刷り込んで育ててっからなぁ」
「刷り込み……ですか」
日向子は、玄鳥が語っていた、紅朱に対する劣等意識とも呼べるような強迫観念を思い出した。
いくら努力しても、兄には勝てないような気がするという玄鳥……それは、紅朱の刷り込みが成功しているということを意味するのだろうか。
「何故そのようなことを?」
「何故って……そりゃ、俺が『兄貴』で、綾は『弟』だからだ」
「そういうもの……ですか?」
「そういうもんだ」
一人っ子で、しかも女である日向子には到底よくわからない感覚だった。
それが果たして一般的な感覚かどうかも含めて理解し難い。
「……で、いつまで触ってんだよ」
「あ、申し訳ありません」
日向子はずっと触ったままだった紅朱の髪から手を離した。
「……ありがとうございました。わたくし、紅朱様のおぐし、とても好きですわ」
「……そりゃどうも」
目をそらしたのは、もしかして少し照れているからなのかもしれない。
「しっかし暇だなぁ……」
それを裏付けるように話題を意図的に変えてくる。
「紅朱様、折角の『らぶほ』ですから、ご一緒に何か致しませんか?」
「……何か致しませんか、ってお前……」
悪気ゼロの爆弾発言。
「はい。わたくしと遊んで頂けませんか?」
連発。
「……どんだけ大胆なこと口走ってんだ、お前は」
紅朱は呆れを通り越してついに吹き出した。
「お前みたいな女、初めてだよ」
何故笑われているのかはわからなかったが、紅朱の笑顔につられて、日向子も笑っていた。
「……そうだな、暇だし……リハ兼ねてちょっと声出しとくか」
紅朱は、備え付けのカラオケのリモコンに手を伸ばした。
「まあ紅朱様、お唄をお聞かせ頂けるのですか!?」
「何言ってんだ、一緒になんかしたい、っつったのお前だろ」
「はい?」
紅朱はニヤッと笑って、ビニールのカバーを被ったマイクを二本手にし、一本を日向子に差し出した。
「デュエットしてやるよ。光栄だろ?」
「……まだ戻ってこんな、紅朱は」
開演時間を過ぎ、とうとうオープニングアクトが始まった。
「フロアをざっと見たけど、お姉さんもまだ来てないみたい」
「……玄鳥、マジで二人がどこ行ったかわかんないワケ?」
わけのわからないまま待ち惚けさせられて、heliodorの楽器隊は落ち着かない時を過ごしていた。
「わかりません」
玄鳥は申し訳なさそうに首を横に振った。
「だけど、ちゃんと出番までには戻る筈です。
もう少し待ちましょう」
「……演奏停止」
「まだ2番がありますわ」
「……止めろ」
「はあ」
日向子が言われるがまま演奏停止ボタンを押すと、紅朱はマイクを放り投げてベッドに倒れ込んだ。
「……日向子、喜べ。ジャリアンの称号はお前に譲ってやる」
ぐったりした声で呟く紅朱に、日向子は目をしばたかせた。
「あの~?」
乱れて顔を半分覆った赤毛の隙間から、紅朱は力なく日向子を睨んだ。
「おい、今のは唄か? 本気で唄ってこうなのか? そんなことがありえるのか??」
「わたくし……かなり真剣に唄いましたが」
「……お前、マジで音感ねェのな」
溜め息まじりで評され、日向子は一瞬考えたあと、しゅんと下を向いた。
「……申し訳ありません。折角紅朱様がデュエットを申し込んで下さいましたのに……」
「いや……そりゃ別に謝るようなことでもねェけどさ。
流石にちょっとびびったな……」
邪魔な髪を手でのけながら、紅朱はまたくくっと笑った。
「お前って奴は……とろいは、ミーハーだは、世間知らずだは、音痴だは……ありえねェ」
よく人から指摘される欠点ベスト4を並べられ、ますますしゅんとうなだれる日向子だったが、紅朱はスプリングで反動をつけて起き上がると、言った。
「けどなんか……お前見てるとほっとするよな」
「え?」
「うちのメンバーが気ィ許すのもわからなくない……それが日向子の才能なのかもな」
《つづく》
2007/07/11 (Wed)
一次創作関連
今更だが、heliodorメンバーの誕生日と血液型と身長の公式設定を決めてみた。しかも昨日、仕事中に。笑。
こんな感じ↓↓(誕生日・星座・血液型・身長)
[紅朱]
4月15日生まれ
牡羊座
O型
161cm
[玄鳥]
1月11日生まれ
山羊座
AB型
170cm
[万楼]
7月3日生まれ
蟹座
B型
178cm
[蝉]
10月10日生まれ
天秤座
A型
175cm
[有砂]
2月25日生まれ
魚座
A型
193cm
[森久保日向子]
6月9日生まれ
双子座
O型
150cm
血液型と星座はイメージで、誕生日はみんな語呂合わせで考えてみた。さあ、どういう意味でしょうか。笑。
日向子と有砂、身長差43cmってすごいよなぁ……。
日向子は紅朱より更に小さくないと絵にならないからなんだけどさぁ。汗。
こんな感じ↓↓(誕生日・星座・血液型・身長)
[紅朱]
4月15日生まれ
牡羊座
O型
161cm
[玄鳥]
1月11日生まれ
山羊座
AB型
170cm
[万楼]
7月3日生まれ
蟹座
B型
178cm
[蝉]
10月10日生まれ
天秤座
A型
175cm
[有砂]
2月25日生まれ
魚座
A型
193cm
[森久保日向子]
6月9日生まれ
双子座
O型
150cm
血液型と星座はイメージで、誕生日はみんな語呂合わせで考えてみた。さあ、どういう意味でしょうか。笑。
日向子と有砂、身長差43cmってすごいよなぁ……。
日向子は紅朱より更に小さくないと絵にならないからなんだけどさぁ。汗。
2007/07/11 (Wed)
一次創作関連
第4章も最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました(ぺこり)。
4章は玄鳥編だけど、どちらかと言うと浅川兄弟編の前編とも言うべきお話で、ここは二人でセットなのだよ。
玄鳥というキャラクターは、以前も書いたように、heliodorという太陽の「黒点」にあたる。
太陽の表面で一番温度が低くて光が弱いから黒く見えるらしい。
昔の人にはこれがカラスに見えたらしく、サッカー日本代表のシンボルマークでお馴染みヤタガラスの伝説になったとかならないとか(いや、なりました)。
うちの子はカラスではなくツバメだけどね。
「玄鳥」という名前はもともと主人公格のキャラに使おうと思っていたお気に入りの名前だったから、私の中でも彼はなにげに思い入れのあるキャラクターだったりする。
ツバメというと私は「親指姫」や「幸福な王子」といった童話を思い出すんだけど、どちらも一体何がこの子をつき動かすのかってくらい、献身的に尽すのよね。笑。
「幸福な王子」のツバメは王子様の為に南の国に渡るのを止めて凍死だし、自分の恩人にあたる「親指姫」を王子様のところまで連れてってあげるし。
幼心に「ツバメは絶対に親指姫のこと好きな筈だよなー。親指姫だってよくワカンナイ王子より、仲良くなったツバメを好きになればいいじゃん? ツバメと親指姫が結ばれちゃいけないのー?」って思ったりした。
当時は、ツバメは実はメスっていうことで脳内補完した。そんな幼児。爆。
ちなみに幸福な王子のツバメも絶対にメス! あれはラブストーリーよ。ピュアな。
主である王子に付き従いながらも、親指姫を慕うツバメのジレンマ……それが玄鳥を通して描きたいテーマなのです!!(落ち着け)
キャラの造形としては2章蛇足で書いた通りなんだけど、それ以外でちょっと影響されたのは「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル」の「柊 潤」かな。
潤は、柊兄弟次男坊でギタリスト志望。実兄に対する劣等感と対抗意識の塊みたいな奴で、ヤンチャでおバカなバイキンマンみたいな小僧。笑。
ヒロインの歌ちゃんのことが好きなんだけど、歌ちゃんは兄貴の恵一に憧れている(本命のボーイフレンドはまた別にいるが)……という報われないお約束設定。
ストレートに可哀想な奴ですな。笑。
ここは兄弟仲が大変悪いから、葛藤とかは別にないだろうけど。
今回は【1】冒頭から重要な新キャラを投入。
そう! シュバルツですっ!! シュバルツ万歳!!
すいません。
愛猫家の世迷事です。
ゴスロリ少女・望音ちゃんが登場。
最初はもうちょっと無口な綾波系の予定だったんだけど、それだと話が進まないので結構話すようになった。笑。
そしてまた寝顔ネタ。
だ、ダメっすか?
文句は私じゃなくて、飛影は邪王炎殺黒龍波を撃った後に気絶睡眠する、という卑怯な萌設定を考えた富樫テンテーにお願いします。
あれが多分、ルーツだ……。なんだあの無防備な寝顔。汗。
玄鳥が左側頭部の痛みを訴えているけど、あれは私が貧血で倒れるとよく痛くなるから。実はつい最近も。笑。
今回の詞は、コールセンターの仕事をしている時に感じるストレスをそのまま詞にしています。
応答第一声(気合入ってます)を聞き終わる前に無言で切るな。
かってにまくし立てずに落ち着いて私の話も聞いてよー。
できないことはできないとしか言えないってば。
っていうね。この、恋愛となんにも関係ないことをそれっぽく改変するのは結構楽しいんだよね。
【2】の冒頭は最初もっと長かったんだけど、後半尺足りなくて削った。ごめん蚊帳の外トリオ(その言い方がひでー)。
紅朱が何も考えてないわけではないことが判明。
【3】で黒玄鳥が出現(くろくろと……て)。
どうかっこよく表現してもそれはつまりエアギターだよね、って思いながら書いてた。笑。
【4】は……そんなに語ることないな(え)。
かなり重要な話がたくさん出てきてるんだけど、まあ読んで頂いた通りです。
今後の展開を占うフラグが立った模様。汗。
そういえば前回書き忘れたけど、魔女っ子三人娘はそれぞれ林檎にまつわる罪を犯している。
林檎をだしにして日向子の部屋に入って脅してきたちづみ、林檎の意匠の婚約指輪で悪魔と契ったうづみ、そしていづみはインターネット……パソコンにまつわる罪。パソコンといえば、アップル。どうやらマック使いらしい。爆。
【5】は完全に次章、更にはストーリー後半へのつなぎ、といったエピソード。
玄鳥さんのストリートファイト第3戦。笑。
おいしいところは兄貴がもってっちゃいましたが。いやはや。
そんなわけで次回は紅朱がメインで、第1部完結編みたいな形になると思うので、またよろしくお願いします。
ご意見ご感想お待ちしとります。
4章は玄鳥編だけど、どちらかと言うと浅川兄弟編の前編とも言うべきお話で、ここは二人でセットなのだよ。
玄鳥というキャラクターは、以前も書いたように、heliodorという太陽の「黒点」にあたる。
太陽の表面で一番温度が低くて光が弱いから黒く見えるらしい。
昔の人にはこれがカラスに見えたらしく、サッカー日本代表のシンボルマークでお馴染みヤタガラスの伝説になったとかならないとか(いや、なりました)。
うちの子はカラスではなくツバメだけどね。
「玄鳥」という名前はもともと主人公格のキャラに使おうと思っていたお気に入りの名前だったから、私の中でも彼はなにげに思い入れのあるキャラクターだったりする。
ツバメというと私は「親指姫」や「幸福な王子」といった童話を思い出すんだけど、どちらも一体何がこの子をつき動かすのかってくらい、献身的に尽すのよね。笑。
「幸福な王子」のツバメは王子様の為に南の国に渡るのを止めて凍死だし、自分の恩人にあたる「親指姫」を王子様のところまで連れてってあげるし。
幼心に「ツバメは絶対に親指姫のこと好きな筈だよなー。親指姫だってよくワカンナイ王子より、仲良くなったツバメを好きになればいいじゃん? ツバメと親指姫が結ばれちゃいけないのー?」って思ったりした。
当時は、ツバメは実はメスっていうことで脳内補完した。そんな幼児。爆。
ちなみに幸福な王子のツバメも絶対にメス! あれはラブストーリーよ。ピュアな。
主である王子に付き従いながらも、親指姫を慕うツバメのジレンマ……それが玄鳥を通して描きたいテーマなのです!!(落ち着け)
キャラの造形としては2章蛇足で書いた通りなんだけど、それ以外でちょっと影響されたのは「おねがいマイメロディ くるくるシャッフル」の「柊 潤」かな。
潤は、柊兄弟次男坊でギタリスト志望。実兄に対する劣等感と対抗意識の塊みたいな奴で、ヤンチャでおバカなバイキンマンみたいな小僧。笑。
ヒロインの歌ちゃんのことが好きなんだけど、歌ちゃんは兄貴の恵一に憧れている(本命のボーイフレンドはまた別にいるが)……という報われないお約束設定。
ストレートに可哀想な奴ですな。笑。
ここは兄弟仲が大変悪いから、葛藤とかは別にないだろうけど。
今回は【1】冒頭から重要な新キャラを投入。
そう! シュバルツですっ!! シュバルツ万歳!!
すいません。
愛猫家の世迷事です。
ゴスロリ少女・望音ちゃんが登場。
最初はもうちょっと無口な綾波系の予定だったんだけど、それだと話が進まないので結構話すようになった。笑。
そしてまた寝顔ネタ。
だ、ダメっすか?
文句は私じゃなくて、飛影は邪王炎殺黒龍波を撃った後に気絶睡眠する、という卑怯な萌設定を考えた富樫テンテーにお願いします。
あれが多分、ルーツだ……。なんだあの無防備な寝顔。汗。
玄鳥が左側頭部の痛みを訴えているけど、あれは私が貧血で倒れるとよく痛くなるから。実はつい最近も。笑。
今回の詞は、コールセンターの仕事をしている時に感じるストレスをそのまま詞にしています。
応答第一声(気合入ってます)を聞き終わる前に無言で切るな。
かってにまくし立てずに落ち着いて私の話も聞いてよー。
できないことはできないとしか言えないってば。
っていうね。この、恋愛となんにも関係ないことをそれっぽく改変するのは結構楽しいんだよね。
【2】の冒頭は最初もっと長かったんだけど、後半尺足りなくて削った。ごめん蚊帳の外トリオ(その言い方がひでー)。
紅朱が何も考えてないわけではないことが判明。
【3】で黒玄鳥が出現(くろくろと……て)。
どうかっこよく表現してもそれはつまりエアギターだよね、って思いながら書いてた。笑。
【4】は……そんなに語ることないな(え)。
かなり重要な話がたくさん出てきてるんだけど、まあ読んで頂いた通りです。
今後の展開を占うフラグが立った模様。汗。
そういえば前回書き忘れたけど、魔女っ子三人娘はそれぞれ林檎にまつわる罪を犯している。
林檎をだしにして日向子の部屋に入って脅してきたちづみ、林檎の意匠の婚約指輪で悪魔と契ったうづみ、そしていづみはインターネット……パソコンにまつわる罪。パソコンといえば、アップル。どうやらマック使いらしい。爆。
【5】は完全に次章、更にはストーリー後半へのつなぎ、といったエピソード。
玄鳥さんのストリートファイト第3戦。笑。
おいしいところは兄貴がもってっちゃいましたが。いやはや。
そんなわけで次回は紅朱がメインで、第1部完結編みたいな形になると思うので、またよろしくお願いします。
ご意見ご感想お待ちしとります。
2007/07/11 (Wed)
一次創作関連
「……ん?」
今日のイベント会場まであと100メートルといったところで、紅朱は思わず足を止めた。
歩道の真ん中にちょこんと猫がたたずんでいる。
黒い仔猫だ。
まだ生まれて何ヵ月といったところか?
お行儀よく座って、大きな金色の瞳でじっと紅朱を見ている。
「……あっち行けよ。縁起悪ィな」
紅朱が睨んでも逃げようとはしない。
「なんだよ、飼い猫か……?」
しゃがんで手を伸ばして銀色の首輪を確認しようとした時、
「その子、私のよ」
後ろから声。
氷と氷がぶつかり合ったような、澄んで凛とした声だった。
振り返ると紅朱よりいくらか年下くらいの少女が立っていた。
ゴシックロリータで全身を包んだ、サラサラした直毛の真っ黒な長い髪が印象的な美人だった。
瞳の色も吸い込まれそうな漆黒で、本当に血が通っているのか怪しいほど真っ白な肌との対比が美しい。
紅朱は少女に向き直って、首をつまみ上げるようにして仔猫を差し出した。
「飼い主なら、ちゃんと管理しとけ。車道にでも出たらどうすんだ」
美少女は無表情で猫を受けとると、
「……首謀者はイヅミって子よ」
美しい声で言う。
「どこかで会わなかったか、聞いてみるといいわ」
「……なんだって??」
紅朱は、無表情なまま黒い生き物を手の中で遊ばせる少女をいぶかしげに見つめた。
「『森久保日向子』をちゃんと守りなさい」
「……お前、なんか知ってんのか?」
少女は黒猫を抱いて、険しい顔をしている紅朱の横をすり抜けていった。
「……『森久保日向子』はいずれ鍵になるわ」
「待てよ」
紅朱は少女の肩を掴んで引き留める。
「意味わかんねェことだけ言って去るな」
少女は紅朱を首だけで振り返る。
「つッ」
あどけない顔をした黒猫の爪が、紅朱の手を容赦なく引っ掻いた。
「うにぁ」
「痛ェな……」
紅朱が手を引くと、少女はまた進行方向へと向き直った。
「……気安いわ。私たちはあなた程度の自由には出来ないの」
結局言いたいことだけ言って去っていく少女の後ろ姿を、紅朱は睨んでいた。
本能が、警戒しろと言っている。
刻まれた爪痕に、彼の髪の色と同じ、深紅がにじんでいた。
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【5】
「どういたしましょう。またお父様ですわ」
日向子が見つめるモニターには、またしてもしかめっ面の初老の紳士が映っている。
今回は連れはいない。
「困りましたね」
すっかり出掛ける支度を整えた玄鳥は困惑した表情で同じ画面を見つめた。
「機材を積んでハコまで行くにはもう出ないと……リハに間に合わないかもしれないですね」
長いような短いような3日間が終わり、この部屋に別れを告げて、ライブ会場に向かわなくてはいけない玄鳥。
もちろん日向子とともに向かうつもりだったのだが、今二人で出て行くのはあまりにも危険だった。
日向子の父がいるオートロックの正面口を避けて、裏から回ったとしても、駐車場に行けば鉢合わせるかもしれない。
「玄鳥様、お先に出て下さい。本日は雪乃も来られないとのことですけれど、わたくしはお父様がお帰りになってから、一人で会場に向かいますわ」
「……そう、するしかないですかね」
玄鳥は心底残念そうに嘆息した。
「……でも日向子さん、この3日間本当にありがとうございました」
「こちらこそ、色々なお話を伺えてとても楽しかったですわ。
また、いつでも遊びにいらして下さいね」
玄鳥はちょっと現金に思われるほどにわかに機嫌を回復し、いつもの照れた顔で笑った。
「はい!」
「おはようございます」
軽い挨拶の声とともに楽屋入りした玄鳥は、一瞬にして襲いかかってきた2人の仲間たちに容赦なく両腕をホールドされて捕獲された。
「玄鳥クロトくろとっ! どっ、どうだった!? どうだったワケよっ!?」
「玄鳥はもう、大人の階段を登ってしまったの? ねえ、そうなの?」
「……蝉さん、万楼……あの、どうしたんですか? 一体……」
よくわからないが何か必死な二人に詰め寄られ、どうしていいかわからず、立ち尽くす玄鳥を、有砂が同情するような目で見つめた。
「難儀な連中やな……」
眠そうに口癖を呟く有砂に、状況説明を求めようとした玄鳥だったが、それより早く、
「綾」
少し離れたところで、紅朱が口を開いた。
「日向子はどうした? 一緒に来たんだろ」
「いや……日向子さんならあとから一人で」
「一人で?」
紅朱は腰かけていたパイプの椅子から立ち上がり、明らかに静かな怒りを込めた目を実弟に向けながら、つかつかと歩み寄ってきた。
「バカ野郎。今日が一番危ねェってのに一人にしてどうすんだ!」
「……兄貴?」
「ったく……何のために側に置いたかわかんねェだろうが」
玄鳥は今自分がなぜそんなに怒られているのかわからなかったし、実際玄鳥には直接的に非はなかったのだが、紅朱は、
「リハは俺抜きでやってくれ。本番までには戻る」
早口で言い捨てて、鉄砲玉のように楽屋を飛び出した。
それをただ呆然と見送っていた玄鳥だったが、我に返ると、いきなりの出来事で身体から離れた二人と、それともう一人に、
「俺はリハまでに戻りますから」
と言い残し、風のような早さで兄の後を追った。
「あの……おっしゃっている意味がわたくしには判りかねるのですが……」
いつもの白いバッグを胸の前で持って、日向子は小首をかしげていた。
「だからさー、ちょっと付き合ってって言ってんだよ」
「楽しいところに連れてってあげるからさ♪」
「ねえ、いいじゃん☆」
今日heliodorが出演するライブハウスへ向かう途中の細い路地で、日向子は一瞬にして数人の男たちに囲まれた。
いかにも柄のよろしくない雰囲気のチンピラ崩れのような男たちは、チープな脚本に沿ったかのような台詞をめいめいに口走りながら、馴れ馴れしい軽薄な笑顔を見せる。
「あの、わたくし少し急いでおりますので……お誘いになるなら他の方を当たって頂きたいのですけれど……」
当惑しながらも日向子はあくまで丁寧に頼んでみたのだが、
「そんなこと言わないでよ。ほら、おいでって」
少し乱暴に腕を掴まれてしまう。
「あのっ……」
叫ぼうとした口も塞がれてしまった。
「来てくんないと困るんだよ。もう前払いで半分金貰っちゃってるしさ」
「そうそう。大丈夫、ちょっとラブホでも入って写真撮るだけだからさ」
「オールヌードでね♪」
「ははははは」
「……!」
日向子の思考回路は激しくスパークして、正常に働く状態ではもはやなかった。
男たちの言葉の意味さえ理解できなかったが、ただ大きく邪悪な意志が自分に向けられ、呑み込もうとしていることだけを感じとっていた。
「……っ……」
助けて。誰か。
声に出来ない叫びを上げて、きつく目を閉じた。
と。
ぷしゅーっ。
妙な音がして、冷たい水飛沫が頬にかかった。
「わ、冷てぇっ!!」
「なんだこりゃっ、げーっ」
掴まれていた手と、塞がれていた口がいきなり自由になった。
驚いて目を開けると、服や髪を濡らした男たちが騒いでいた。
一体何が起きたのか?
「走れ! 日向子!!」
そのよく知る声で、はっと我に返る。
中身のなくなったコーラのボトルが足元をコロコロ転がっていく。
「早く! こっちだ!!」
日向子は促されるままに駆け出した。
「あ、逃げるなよっ」
「待てこら!!」
男たちの手をすり抜けて、さしのべられていた手を必死で掴む。
「逃げるぞ、日向子」
「紅朱様……!!」
鮮やかな紅の髪を晩秋の風になびかせながら、紅朱が日向子の手を取った。
けして離れないよう、強く強く握って走る。
日向子はその速さについていくのに必死にならざるをえなかったが、その手の力強さだけははっきり感じていた。
小柄な身体のわりに大きくてしっかりした手の感触。
日向子はそれを、心から頼もしく思っていた。
一方の男たちも急いで日向子たちを追い掛けようとした。
しかし。
「ここは、通さない」
立ちはだかった者がいた。
「な、なんだてめぇは」
「とっととどけ!」
口々にうるさくがなる男たちを、静かに睨みつけて、黒髪に白いメッシュの青年は、きっぱりと言い放った。
「あの人を傷つけようとするなら、俺は絶対に許さない。
命が惜しくないならかかって来いよ……」
「はあ……はあ……」
「……大丈夫か? 悪ィ、無理に走らせちまったな」
「……はぁ……はぁ……いいえっ……あのっ……はぁ……はぁ……」
「無理に喋るな。息が整ってからにしろ。ここにいりゃ、とりあえず安全だしな」
紅朱の言葉に頷いて、日向子はまずゆっくりと息が整うのを待ち、だんだんと落ち着いたところで、キョロキョロと周りを見回した。
無我夢中で飛込んだその空間は、かつて日向子が一度たりとも踏み込んだことない未知の世界だった。
「……紅朱様、あの、ここは……?」
日向子の問いに、紅朱は少しだけ気まずそうに言った。
「……ラブホ」
「らぶほ?」
「……ラブ、ホテルって言やわかんのか?」
日向子の目は、点になった。
「あの……えっと……らぶほてる、といいますと……あの……らぶほてるでしょうか……?」
「……まるで『狂戦士(バーサーカー)』ね」
「……あ」
深くはないが浅くもないだろうダメージを受けたならず者たちが逃げて行った後。
駆け付けた警察に軽く聴取を受け、終わって、一人になった玄鳥に呼び掛けてきたのは、あの少女だった。
「半分は八つ当たりに見えたけれどね」
「……なんですか、八つ当たりって」
「自覚がないのね」
仔猫が緻密なレースをあしらった肩の上でぐいんと伸びながら欠伸する。
「にゅう」
玄鳥はその様を見ながら、
「……お久しぶりです。ライブ、見に来てくれたんですか? 望音(モネ)さん」
努めて普通の口調で語りかけた。
「いいえ。そろそろ気が変わったかと思って会いに来ただけよ」
少女は能面のような顔で囁く。
玄鳥は苦笑して、首を横に振った。
「いいえ」
約束と柔かな温もりを記憶している左手の薬指を、右手で包みながら。
「そう」
少女……望音は淡々と言い放って、仔猫のシュバルツを撫でてやりながら玄鳥に背中を向けた。
「また会いましょう、浅川綾」
細い路地から大通りに出た望音は、路肩に停車していた黒いクーペに歩み寄り、ウインドウがわずかに開いた運転席を覗き込んだ。
「困ったものね、あなたの『鵺(キメラ)』は。まだ自分がただの『玄鳥(ツバメ)』と信じているみたい。
そんな器に収まる器量ではないと、いつになったら自覚してくれるのかしらね」
「……とりあえず、お乗りなさい、『唄姫(ディーヴァ)』。彼が絡むと君は本当にお喋りになる」
運転席から返ってきたのは、上質なワインより心地良く人を酔わせる甘い美声だった。
望音はその美声にすら表情を変えることなく、助手席のドアにゆっくり手をかけ、静かな声で囁いた。
「……ええ。行きましょう。伯爵」
《第5章へつづく》
今日のイベント会場まであと100メートルといったところで、紅朱は思わず足を止めた。
歩道の真ん中にちょこんと猫がたたずんでいる。
黒い仔猫だ。
まだ生まれて何ヵ月といったところか?
お行儀よく座って、大きな金色の瞳でじっと紅朱を見ている。
「……あっち行けよ。縁起悪ィな」
紅朱が睨んでも逃げようとはしない。
「なんだよ、飼い猫か……?」
しゃがんで手を伸ばして銀色の首輪を確認しようとした時、
「その子、私のよ」
後ろから声。
氷と氷がぶつかり合ったような、澄んで凛とした声だった。
振り返ると紅朱よりいくらか年下くらいの少女が立っていた。
ゴシックロリータで全身を包んだ、サラサラした直毛の真っ黒な長い髪が印象的な美人だった。
瞳の色も吸い込まれそうな漆黒で、本当に血が通っているのか怪しいほど真っ白な肌との対比が美しい。
紅朱は少女に向き直って、首をつまみ上げるようにして仔猫を差し出した。
「飼い主なら、ちゃんと管理しとけ。車道にでも出たらどうすんだ」
美少女は無表情で猫を受けとると、
「……首謀者はイヅミって子よ」
美しい声で言う。
「どこかで会わなかったか、聞いてみるといいわ」
「……なんだって??」
紅朱は、無表情なまま黒い生き物を手の中で遊ばせる少女をいぶかしげに見つめた。
「『森久保日向子』をちゃんと守りなさい」
「……お前、なんか知ってんのか?」
少女は黒猫を抱いて、険しい顔をしている紅朱の横をすり抜けていった。
「……『森久保日向子』はいずれ鍵になるわ」
「待てよ」
紅朱は少女の肩を掴んで引き留める。
「意味わかんねェことだけ言って去るな」
少女は紅朱を首だけで振り返る。
「つッ」
あどけない顔をした黒猫の爪が、紅朱の手を容赦なく引っ掻いた。
「うにぁ」
「痛ェな……」
紅朱が手を引くと、少女はまた進行方向へと向き直った。
「……気安いわ。私たちはあなた程度の自由には出来ないの」
結局言いたいことだけ言って去っていく少女の後ろ姿を、紅朱は睨んでいた。
本能が、警戒しろと言っている。
刻まれた爪痕に、彼の髪の色と同じ、深紅がにじんでいた。
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【5】
「どういたしましょう。またお父様ですわ」
日向子が見つめるモニターには、またしてもしかめっ面の初老の紳士が映っている。
今回は連れはいない。
「困りましたね」
すっかり出掛ける支度を整えた玄鳥は困惑した表情で同じ画面を見つめた。
「機材を積んでハコまで行くにはもう出ないと……リハに間に合わないかもしれないですね」
長いような短いような3日間が終わり、この部屋に別れを告げて、ライブ会場に向かわなくてはいけない玄鳥。
もちろん日向子とともに向かうつもりだったのだが、今二人で出て行くのはあまりにも危険だった。
日向子の父がいるオートロックの正面口を避けて、裏から回ったとしても、駐車場に行けば鉢合わせるかもしれない。
「玄鳥様、お先に出て下さい。本日は雪乃も来られないとのことですけれど、わたくしはお父様がお帰りになってから、一人で会場に向かいますわ」
「……そう、するしかないですかね」
玄鳥は心底残念そうに嘆息した。
「……でも日向子さん、この3日間本当にありがとうございました」
「こちらこそ、色々なお話を伺えてとても楽しかったですわ。
また、いつでも遊びにいらして下さいね」
玄鳥はちょっと現金に思われるほどにわかに機嫌を回復し、いつもの照れた顔で笑った。
「はい!」
「おはようございます」
軽い挨拶の声とともに楽屋入りした玄鳥は、一瞬にして襲いかかってきた2人の仲間たちに容赦なく両腕をホールドされて捕獲された。
「玄鳥クロトくろとっ! どっ、どうだった!? どうだったワケよっ!?」
「玄鳥はもう、大人の階段を登ってしまったの? ねえ、そうなの?」
「……蝉さん、万楼……あの、どうしたんですか? 一体……」
よくわからないが何か必死な二人に詰め寄られ、どうしていいかわからず、立ち尽くす玄鳥を、有砂が同情するような目で見つめた。
「難儀な連中やな……」
眠そうに口癖を呟く有砂に、状況説明を求めようとした玄鳥だったが、それより早く、
「綾」
少し離れたところで、紅朱が口を開いた。
「日向子はどうした? 一緒に来たんだろ」
「いや……日向子さんならあとから一人で」
「一人で?」
紅朱は腰かけていたパイプの椅子から立ち上がり、明らかに静かな怒りを込めた目を実弟に向けながら、つかつかと歩み寄ってきた。
「バカ野郎。今日が一番危ねェってのに一人にしてどうすんだ!」
「……兄貴?」
「ったく……何のために側に置いたかわかんねェだろうが」
玄鳥は今自分がなぜそんなに怒られているのかわからなかったし、実際玄鳥には直接的に非はなかったのだが、紅朱は、
「リハは俺抜きでやってくれ。本番までには戻る」
早口で言い捨てて、鉄砲玉のように楽屋を飛び出した。
それをただ呆然と見送っていた玄鳥だったが、我に返ると、いきなりの出来事で身体から離れた二人と、それともう一人に、
「俺はリハまでに戻りますから」
と言い残し、風のような早さで兄の後を追った。
「あの……おっしゃっている意味がわたくしには判りかねるのですが……」
いつもの白いバッグを胸の前で持って、日向子は小首をかしげていた。
「だからさー、ちょっと付き合ってって言ってんだよ」
「楽しいところに連れてってあげるからさ♪」
「ねえ、いいじゃん☆」
今日heliodorが出演するライブハウスへ向かう途中の細い路地で、日向子は一瞬にして数人の男たちに囲まれた。
いかにも柄のよろしくない雰囲気のチンピラ崩れのような男たちは、チープな脚本に沿ったかのような台詞をめいめいに口走りながら、馴れ馴れしい軽薄な笑顔を見せる。
「あの、わたくし少し急いでおりますので……お誘いになるなら他の方を当たって頂きたいのですけれど……」
当惑しながらも日向子はあくまで丁寧に頼んでみたのだが、
「そんなこと言わないでよ。ほら、おいでって」
少し乱暴に腕を掴まれてしまう。
「あのっ……」
叫ぼうとした口も塞がれてしまった。
「来てくんないと困るんだよ。もう前払いで半分金貰っちゃってるしさ」
「そうそう。大丈夫、ちょっとラブホでも入って写真撮るだけだからさ」
「オールヌードでね♪」
「ははははは」
「……!」
日向子の思考回路は激しくスパークして、正常に働く状態ではもはやなかった。
男たちの言葉の意味さえ理解できなかったが、ただ大きく邪悪な意志が自分に向けられ、呑み込もうとしていることだけを感じとっていた。
「……っ……」
助けて。誰か。
声に出来ない叫びを上げて、きつく目を閉じた。
と。
ぷしゅーっ。
妙な音がして、冷たい水飛沫が頬にかかった。
「わ、冷てぇっ!!」
「なんだこりゃっ、げーっ」
掴まれていた手と、塞がれていた口がいきなり自由になった。
驚いて目を開けると、服や髪を濡らした男たちが騒いでいた。
一体何が起きたのか?
「走れ! 日向子!!」
そのよく知る声で、はっと我に返る。
中身のなくなったコーラのボトルが足元をコロコロ転がっていく。
「早く! こっちだ!!」
日向子は促されるままに駆け出した。
「あ、逃げるなよっ」
「待てこら!!」
男たちの手をすり抜けて、さしのべられていた手を必死で掴む。
「逃げるぞ、日向子」
「紅朱様……!!」
鮮やかな紅の髪を晩秋の風になびかせながら、紅朱が日向子の手を取った。
けして離れないよう、強く強く握って走る。
日向子はその速さについていくのに必死にならざるをえなかったが、その手の力強さだけははっきり感じていた。
小柄な身体のわりに大きくてしっかりした手の感触。
日向子はそれを、心から頼もしく思っていた。
一方の男たちも急いで日向子たちを追い掛けようとした。
しかし。
「ここは、通さない」
立ちはだかった者がいた。
「な、なんだてめぇは」
「とっととどけ!」
口々にうるさくがなる男たちを、静かに睨みつけて、黒髪に白いメッシュの青年は、きっぱりと言い放った。
「あの人を傷つけようとするなら、俺は絶対に許さない。
命が惜しくないならかかって来いよ……」
「はあ……はあ……」
「……大丈夫か? 悪ィ、無理に走らせちまったな」
「……はぁ……はぁ……いいえっ……あのっ……はぁ……はぁ……」
「無理に喋るな。息が整ってからにしろ。ここにいりゃ、とりあえず安全だしな」
紅朱の言葉に頷いて、日向子はまずゆっくりと息が整うのを待ち、だんだんと落ち着いたところで、キョロキョロと周りを見回した。
無我夢中で飛込んだその空間は、かつて日向子が一度たりとも踏み込んだことない未知の世界だった。
「……紅朱様、あの、ここは……?」
日向子の問いに、紅朱は少しだけ気まずそうに言った。
「……ラブホ」
「らぶほ?」
「……ラブ、ホテルって言やわかんのか?」
日向子の目は、点になった。
「あの……えっと……らぶほてる、といいますと……あの……らぶほてるでしょうか……?」
「……まるで『狂戦士(バーサーカー)』ね」
「……あ」
深くはないが浅くもないだろうダメージを受けたならず者たちが逃げて行った後。
駆け付けた警察に軽く聴取を受け、終わって、一人になった玄鳥に呼び掛けてきたのは、あの少女だった。
「半分は八つ当たりに見えたけれどね」
「……なんですか、八つ当たりって」
「自覚がないのね」
仔猫が緻密なレースをあしらった肩の上でぐいんと伸びながら欠伸する。
「にゅう」
玄鳥はその様を見ながら、
「……お久しぶりです。ライブ、見に来てくれたんですか? 望音(モネ)さん」
努めて普通の口調で語りかけた。
「いいえ。そろそろ気が変わったかと思って会いに来ただけよ」
少女は能面のような顔で囁く。
玄鳥は苦笑して、首を横に振った。
「いいえ」
約束と柔かな温もりを記憶している左手の薬指を、右手で包みながら。
「そう」
少女……望音は淡々と言い放って、仔猫のシュバルツを撫でてやりながら玄鳥に背中を向けた。
「また会いましょう、浅川綾」
細い路地から大通りに出た望音は、路肩に停車していた黒いクーペに歩み寄り、ウインドウがわずかに開いた運転席を覗き込んだ。
「困ったものね、あなたの『鵺(キメラ)』は。まだ自分がただの『玄鳥(ツバメ)』と信じているみたい。
そんな器に収まる器量ではないと、いつになったら自覚してくれるのかしらね」
「……とりあえず、お乗りなさい、『唄姫(ディーヴァ)』。彼が絡むと君は本当にお喋りになる」
運転席から返ってきたのは、上質なワインより心地良く人を酔わせる甘い美声だった。
望音はその美声にすら表情を変えることなく、助手席のドアにゆっくり手をかけ、静かな声で囁いた。
「……ええ。行きましょう。伯爵」
《第5章へつづく》
2007/07/09 (Mon)
一次創作関連
それは、声なき密談。
《編集部から何かリアクションは?》
《いや、まだ何も動きはないと思います》
《やり方がぬるいんじゃないの?》
《確かに上に働きかけて『森久保日向子』を降ろさせる、なんてまだるっこしいよね》
《脅かして、自分から辞退させるべきだ》
《一体何をネタに脅すワケ?》
《ネタなんて、いくらでも作れるでしょ》
《そうね》
《……まあ後一日、様子を見よう》
《あlfrふuiq》
「シュバルツ。悪戯はよしなさい」
「うにゃ」
キーボードを踏み荒らす子猫を抱き上げて、黒い瞳の美少女はその手の中に閉じ込めた。
「……この人たち。またくだらないことを始めるみたい」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【4】
「そうです……ココとココを一緒に押さえて……角度はこういうふうに」
「て、手が攣りそうですわ……」
「あ、辛かったら一度離して休んで下さいね」
「はい、そう致しますわ」
日向子は左手をひらひらと振りながら、
「わたくし、ギターの才能もないのかしら」
と、暗い声で呟いた。
「最初はそういうもんですから……落ち込まないで下さいね?」
そう囁く玄鳥の笑顔に、日向子も笑ってみせた。
「はい……レッスンを続けて頂けますか? 玄鳥先生」
リビングのソファーに座った日向子は、黒光りする新品同様のエレキギターを抱えていた。
玄鳥は少し遠慮がちに日向子の左手を取って、
「じゃあ今のをもう一回」
6本の弦へと導き、正しい位置へと案内する。
このギターも、手にしているピックも、日向子がコレクションしていたあ「高山獅貴」モデルのものだった。
弾けもしないギターを、「高山獅貴」とつくだけで買ってしまったことを話すと、流石の玄鳥も苦笑いしてしまったが、
「それなら、せっかくだから弾いてあげて下さい。手伝いますから」
と、日向子にギターを教えることを提案し、日向子もそれを喜んで受け入れた。
日向子は内心ほっとしていた。
昨夜、玄鳥の奇行とも言える有り様を目撃した日向子は、ピアノ室に戻ってこのギターを引っ張り出した。
玄鳥のためには、家に帰らせて、昼間存分に練習させてあげるのが一番いいとは思ったが、紅朱との約束は破るわけにいかないので、せめて多少なりとギターに触らせてあげたいと考えたのだ。
実際、日向子に指導している玄鳥は水を得た魚のように活き活きとして見える。
まあこの場合、単純にそれだけの理由でもないのだが、日向子には気付きようもないことだった。
「……こうですの?」
「はい……もう少しだけ、しっかり押さえて」
日向子の小さい手を上から包むようにして教えている玄鳥の顔は、ずっと赤く染まったままだ。
「……玄鳥様は教え方がお上手でいらっしゃいますわね?」
「え、そ……そうですか?」
「玄鳥様も紅朱様からギターを教わったりなさったことがありまして?」
「……ないですよ。俺、ギターやってること三年前まで黙ってましたから」
「え?」
「休憩がてら、話しましょうか」
玄鳥はそう言って、一度日向子から手を離して、隣に座った。
「兄貴がバンドやって唄を唄いたいって言い出したのが中学生の頃で。
父さんが大反対だったもんだから、浅川家は戦争状態だったんですよ。
結局兄貴は高校卒業してすぐ家出同然で上京しちゃって。
とてもじゃないけど誰にも言い出せるような雰囲気じゃなかったんです」
玄鳥は笑いながら話してはいたが、その当時はさぞ大変だったに違いない。
一方で日向子は、自分と同じように、やりたいことを貫いたがために父親とぶつかって家を出た紅朱に、親近感を抱いてもいた。
「だけどいつか頃合いを見たら両親にちゃんと話して、俺もバンドやるつもりでした。
出来れば、兄貴とは違うバンドがよかったんですけどね」
「まあ、どうしてですの?」
日向子が意外そうに目を丸くすると、玄鳥は少し複雑な表情をあらわした。
「……兄貴と、勝負したかったんです」
「勝負……?」
「俺が兄貴のやってることを自分もやりたくなるのは、兄貴に勝ってみたいっていう願望からなんです。多分ね」
日向子が玄鳥の新しい一面を……その根幹をなす思いを知った瞬間だった。
「兄貴は好奇心は旺盛なんだけど、実はかなり飽きっぽい人なんです。
何を始めても、俺が兄貴のレベルに到達する前にはやめちゃいますから。
そうなると俺は、逆にどこで止めていいかわかんなくなるんです」
「どこで止めていいかわからない……ですか」
「どんなに上達しても、『もし兄貴が途中で止めずに続けていれば、今の俺よりずっと上に行ってるに違いない』って、考えてしまうから。
みんなは、そんなの思い込みだ、お前のほうがずっとセンスがあるよ、なんて言ってはくれますけど……。
俺はそんなことじゃ全然納得できなくて、何も達成感を得られないまんまひたすら練習を続けてしまうんですよね」
日向子の脳裏に、昨夜の玄鳥の姿がフラッシュバックする。
心臓の真ん中がきゅっと苦しくなった。
「いつか、どんなことでもいいから兄貴とちゃんと勝負して……勝ちたい。
そう願い続けた俺にとって、兄貴が音楽っていう特別なものを見つけたことは本当に嬉しいことで……兄貴は音楽だけは途中で投げることはない、って思いましたから。
兄貴がバンドやるなら、俺も別のバンドやって……それで勝負しようって決めてたんです」
「でもそうはなりませんでしたわね?」
「はい。兄貴は……ギターが弾けなくなってしまいましたから」
「……そうか。やっぱりそこだけ異常に数が少ないんだな。
わかった……また、連絡する」
携帯を切った紅朱は、舌打ちをして、何色のカーペットがしかれているのかすら判別不可能なほどちらかった室内を、物を蹴散らしながら移動して、ベッドに倒れ込んだ。
握りしめていた携帯を投げ捨てるように手放すと、仰向けの格好で、一本蛍光灯が切れたままの天井を見上げた。
「……そういうことかよ。ただの噂じゃなかったわけだな……」
「3年前。兄貴はバイク事故で怪我して、その後遺症でギターが弾けなくなったって……言われてます」
玄鳥は含みのあるいい回しをあえて選び、その理由も後につけてきた。
「……でもメンバーは口にはしなくても、みんな、なんとなくわかってて。
怪我が理由なら兄貴は諦めたりしないで、克服しようとする筈ですから。
兄貴が弾けなくなったのは、本当は精神的な理由だろうって」
「精神的な……理由」
3年前の出来事で、紅朱を追い詰めるようなことといえば、日向子には思い当たることがひとつあった。
「粋さんの……ことですか?」
「……多分、そうです」
玄鳥はまるで自分のことかのように、辛そうに目を伏せた。
「俺は弱ってる兄貴を見るの、辛くて……だから、つまらない対抗心は封印しなくちゃって思ったんです。
兄貴のかわりに俺が、ギター弾こうって……兄貴の右腕になろうって決めたんですよ。
父さんには兄貴の時の百倍くらい猛烈に反対されましたけど……でも、決意は揺るがなかったですから」
そう言い切る玄鳥の言葉には迷いも偽りもないのがよくわかった。
けれど日向子は、昨夜の玄鳥を見てしまった。
きっとあれもまた玄鳥のひとつの真実。
紅朱を側で支えたい、という新しい願いの陰でくすぶっている……満たされない気持ち。
兄との勝負がつかない限り、玄鳥はいくら練習を積み、いくら巧くなって、誰から称讚されたとて、永遠に心休まることはないのかもしれない。
「いつか……紅朱様がギターを弾けるようになったら、勝負したいですか?」
日向子の問掛けに、玄鳥は少し考えて、答えた。
「どうでしょうね。単純に技術だけならブランク明けの兄貴とじゃ、流石に勝負にならないだろうし……。
勝負するなら、俺がheliodorを抜けて新しいバンドでも組むしか……」
「えっ……」
「いや、冗談ですよ! 本気にしないで下さい」
うっかり口走った言葉への日向子の反応が予想以上に大きかったため、玄鳥は少しうろたえる。
「……まあ、時々そんなことをちらっと考えることもなくはないです。
……実は、すごい人から誘いの声がかかったこともあったりましたからね……。
だけど俺は今、heliodorのギタリストですから。
個人の感情を優先して、たくさんの人を裏切るようなことはするべきじゃないんです……」
日向子は頷いたが、内心はかなり複雑だった。
玄鳥の言っていることは正しい。
正しいが、それでは玄鳥はいつ報われるのだろうか?
玄鳥はいつまでも、報われない心を封印していけるのだろうか?
昨夜、わけもわからず流れ落ちた涙の意味が、今の日向子にはわかるような気がした。
一心に見えないギターを奏でる玄鳥の姿は、怖くもあったが、純粋に美しかった。
別人のようなあの瞳は、どこか遠くを映していた。
玄鳥がいつか……あの時見つめていた遠い場所へ、行ってしまうような予感がした。
だから、涙が出たのだ。
玄鳥にもそんな日向子の気持ちがいくらか伝わったらしく、逆に労るような優しい眼差しで日向子を見つめてきた。
「俺のことで悩んだりしないで下さい。
俺は結局、heliodorが好きなんですよ。だから、ずっと今のバンドで弾いていきます。
……日向子さんが応援してくれるなら尚更、頑張らないといけないし」
まだ笑顔に戻らない日向子に、玄鳥はそっと左手の小指を差し出した。
「指切り、ってちょっと子どもっぽいですかね?」
照れたように笑う。
「日向子さんを悲しませるようなことは絶対にしないと今、ここで、約束します。
だから、あなたは笑っていて下さい」
その言葉に、日向子もそっと左手を差し出した。
「ではわたくしは、玄鳥様の今のお言葉を信じることをお約束致しますわ」
ようやく微笑んで、それから、ゆっくりと指先を近付けていった。
小指と小指が、静かに絡まり合う。
「ゆびきりげんまん……」
無邪気な誓約。
けれど二人はそれを、信じた。
またゆっくりと指と指が離れる。
玄鳥は今更のようにどんどん顔を紅潮させる。
「やっぱり……ちょっと恥ずかしいですね」
「うふふ」
日向子は自分の左手の小指を右手で包み込んだ。大切なものを匿うかのように。
「そうだ、日向子さん。言い忘れましたけどね、ギターに関しては俺、他にも目標にしてる人がいるんですよ」
恥ずかしさを振り払いたいのか、少し早口で玄鳥が切り出した。
「まあ、どなたですの?」
興味津々な日向子に、玄鳥はきっぱりとその名を告げた。
「鳳蝶(アゲハ)です。伝説の、mont suchtの初代ギタリスト」
「鳳蝶様……ですか」
それは、mont suchtの最初期、わずか一年にも満たない間、活動していたという人物。
日向子や玄鳥が生まれる前の出来事で、希少なデモテープこそ残っているものの、その人となりを知る者はほとんどいない。
「mont suchtのギターは何人も替わったけど、やっぱり鳳蝶の音が一番だと思いますから。
アゲハ蝶って英語でスワロー・テイルっていうでしょう?
だから俺は玄鳥、ツバメを意味する名前にしたんです」
「ツバメ……ですか」
感心したように何度も首を上下する日向子に、玄鳥はまだ赤らみが消えない顔で笑いながら、こう続けた。
「鳳蝶が偉大な『鳳(オオトリ)』なら、俺はまだまだちっぽけな『玄鳥(ツバメ)』なんです」
《つづく》
《編集部から何かリアクションは?》
《いや、まだ何も動きはないと思います》
《やり方がぬるいんじゃないの?》
《確かに上に働きかけて『森久保日向子』を降ろさせる、なんてまだるっこしいよね》
《脅かして、自分から辞退させるべきだ》
《一体何をネタに脅すワケ?》
《ネタなんて、いくらでも作れるでしょ》
《そうね》
《……まあ後一日、様子を見よう》
《あlfrふuiq》
「シュバルツ。悪戯はよしなさい」
「うにゃ」
キーボードを踏み荒らす子猫を抱き上げて、黒い瞳の美少女はその手の中に閉じ込めた。
「……この人たち。またくだらないことを始めるみたい」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【4】
「そうです……ココとココを一緒に押さえて……角度はこういうふうに」
「て、手が攣りそうですわ……」
「あ、辛かったら一度離して休んで下さいね」
「はい、そう致しますわ」
日向子は左手をひらひらと振りながら、
「わたくし、ギターの才能もないのかしら」
と、暗い声で呟いた。
「最初はそういうもんですから……落ち込まないで下さいね?」
そう囁く玄鳥の笑顔に、日向子も笑ってみせた。
「はい……レッスンを続けて頂けますか? 玄鳥先生」
リビングのソファーに座った日向子は、黒光りする新品同様のエレキギターを抱えていた。
玄鳥は少し遠慮がちに日向子の左手を取って、
「じゃあ今のをもう一回」
6本の弦へと導き、正しい位置へと案内する。
このギターも、手にしているピックも、日向子がコレクションしていたあ「高山獅貴」モデルのものだった。
弾けもしないギターを、「高山獅貴」とつくだけで買ってしまったことを話すと、流石の玄鳥も苦笑いしてしまったが、
「それなら、せっかくだから弾いてあげて下さい。手伝いますから」
と、日向子にギターを教えることを提案し、日向子もそれを喜んで受け入れた。
日向子は内心ほっとしていた。
昨夜、玄鳥の奇行とも言える有り様を目撃した日向子は、ピアノ室に戻ってこのギターを引っ張り出した。
玄鳥のためには、家に帰らせて、昼間存分に練習させてあげるのが一番いいとは思ったが、紅朱との約束は破るわけにいかないので、せめて多少なりとギターに触らせてあげたいと考えたのだ。
実際、日向子に指導している玄鳥は水を得た魚のように活き活きとして見える。
まあこの場合、単純にそれだけの理由でもないのだが、日向子には気付きようもないことだった。
「……こうですの?」
「はい……もう少しだけ、しっかり押さえて」
日向子の小さい手を上から包むようにして教えている玄鳥の顔は、ずっと赤く染まったままだ。
「……玄鳥様は教え方がお上手でいらっしゃいますわね?」
「え、そ……そうですか?」
「玄鳥様も紅朱様からギターを教わったりなさったことがありまして?」
「……ないですよ。俺、ギターやってること三年前まで黙ってましたから」
「え?」
「休憩がてら、話しましょうか」
玄鳥はそう言って、一度日向子から手を離して、隣に座った。
「兄貴がバンドやって唄を唄いたいって言い出したのが中学生の頃で。
父さんが大反対だったもんだから、浅川家は戦争状態だったんですよ。
結局兄貴は高校卒業してすぐ家出同然で上京しちゃって。
とてもじゃないけど誰にも言い出せるような雰囲気じゃなかったんです」
玄鳥は笑いながら話してはいたが、その当時はさぞ大変だったに違いない。
一方で日向子は、自分と同じように、やりたいことを貫いたがために父親とぶつかって家を出た紅朱に、親近感を抱いてもいた。
「だけどいつか頃合いを見たら両親にちゃんと話して、俺もバンドやるつもりでした。
出来れば、兄貴とは違うバンドがよかったんですけどね」
「まあ、どうしてですの?」
日向子が意外そうに目を丸くすると、玄鳥は少し複雑な表情をあらわした。
「……兄貴と、勝負したかったんです」
「勝負……?」
「俺が兄貴のやってることを自分もやりたくなるのは、兄貴に勝ってみたいっていう願望からなんです。多分ね」
日向子が玄鳥の新しい一面を……その根幹をなす思いを知った瞬間だった。
「兄貴は好奇心は旺盛なんだけど、実はかなり飽きっぽい人なんです。
何を始めても、俺が兄貴のレベルに到達する前にはやめちゃいますから。
そうなると俺は、逆にどこで止めていいかわかんなくなるんです」
「どこで止めていいかわからない……ですか」
「どんなに上達しても、『もし兄貴が途中で止めずに続けていれば、今の俺よりずっと上に行ってるに違いない』って、考えてしまうから。
みんなは、そんなの思い込みだ、お前のほうがずっとセンスがあるよ、なんて言ってはくれますけど……。
俺はそんなことじゃ全然納得できなくて、何も達成感を得られないまんまひたすら練習を続けてしまうんですよね」
日向子の脳裏に、昨夜の玄鳥の姿がフラッシュバックする。
心臓の真ん中がきゅっと苦しくなった。
「いつか、どんなことでもいいから兄貴とちゃんと勝負して……勝ちたい。
そう願い続けた俺にとって、兄貴が音楽っていう特別なものを見つけたことは本当に嬉しいことで……兄貴は音楽だけは途中で投げることはない、って思いましたから。
兄貴がバンドやるなら、俺も別のバンドやって……それで勝負しようって決めてたんです」
「でもそうはなりませんでしたわね?」
「はい。兄貴は……ギターが弾けなくなってしまいましたから」
「……そうか。やっぱりそこだけ異常に数が少ないんだな。
わかった……また、連絡する」
携帯を切った紅朱は、舌打ちをして、何色のカーペットがしかれているのかすら判別不可能なほどちらかった室内を、物を蹴散らしながら移動して、ベッドに倒れ込んだ。
握りしめていた携帯を投げ捨てるように手放すと、仰向けの格好で、一本蛍光灯が切れたままの天井を見上げた。
「……そういうことかよ。ただの噂じゃなかったわけだな……」
「3年前。兄貴はバイク事故で怪我して、その後遺症でギターが弾けなくなったって……言われてます」
玄鳥は含みのあるいい回しをあえて選び、その理由も後につけてきた。
「……でもメンバーは口にはしなくても、みんな、なんとなくわかってて。
怪我が理由なら兄貴は諦めたりしないで、克服しようとする筈ですから。
兄貴が弾けなくなったのは、本当は精神的な理由だろうって」
「精神的な……理由」
3年前の出来事で、紅朱を追い詰めるようなことといえば、日向子には思い当たることがひとつあった。
「粋さんの……ことですか?」
「……多分、そうです」
玄鳥はまるで自分のことかのように、辛そうに目を伏せた。
「俺は弱ってる兄貴を見るの、辛くて……だから、つまらない対抗心は封印しなくちゃって思ったんです。
兄貴のかわりに俺が、ギター弾こうって……兄貴の右腕になろうって決めたんですよ。
父さんには兄貴の時の百倍くらい猛烈に反対されましたけど……でも、決意は揺るがなかったですから」
そう言い切る玄鳥の言葉には迷いも偽りもないのがよくわかった。
けれど日向子は、昨夜の玄鳥を見てしまった。
きっとあれもまた玄鳥のひとつの真実。
紅朱を側で支えたい、という新しい願いの陰でくすぶっている……満たされない気持ち。
兄との勝負がつかない限り、玄鳥はいくら練習を積み、いくら巧くなって、誰から称讚されたとて、永遠に心休まることはないのかもしれない。
「いつか……紅朱様がギターを弾けるようになったら、勝負したいですか?」
日向子の問掛けに、玄鳥は少し考えて、答えた。
「どうでしょうね。単純に技術だけならブランク明けの兄貴とじゃ、流石に勝負にならないだろうし……。
勝負するなら、俺がheliodorを抜けて新しいバンドでも組むしか……」
「えっ……」
「いや、冗談ですよ! 本気にしないで下さい」
うっかり口走った言葉への日向子の反応が予想以上に大きかったため、玄鳥は少しうろたえる。
「……まあ、時々そんなことをちらっと考えることもなくはないです。
……実は、すごい人から誘いの声がかかったこともあったりましたからね……。
だけど俺は今、heliodorのギタリストですから。
個人の感情を優先して、たくさんの人を裏切るようなことはするべきじゃないんです……」
日向子は頷いたが、内心はかなり複雑だった。
玄鳥の言っていることは正しい。
正しいが、それでは玄鳥はいつ報われるのだろうか?
玄鳥はいつまでも、報われない心を封印していけるのだろうか?
昨夜、わけもわからず流れ落ちた涙の意味が、今の日向子にはわかるような気がした。
一心に見えないギターを奏でる玄鳥の姿は、怖くもあったが、純粋に美しかった。
別人のようなあの瞳は、どこか遠くを映していた。
玄鳥がいつか……あの時見つめていた遠い場所へ、行ってしまうような予感がした。
だから、涙が出たのだ。
玄鳥にもそんな日向子の気持ちがいくらか伝わったらしく、逆に労るような優しい眼差しで日向子を見つめてきた。
「俺のことで悩んだりしないで下さい。
俺は結局、heliodorが好きなんですよ。だから、ずっと今のバンドで弾いていきます。
……日向子さんが応援してくれるなら尚更、頑張らないといけないし」
まだ笑顔に戻らない日向子に、玄鳥はそっと左手の小指を差し出した。
「指切り、ってちょっと子どもっぽいですかね?」
照れたように笑う。
「日向子さんを悲しませるようなことは絶対にしないと今、ここで、約束します。
だから、あなたは笑っていて下さい」
その言葉に、日向子もそっと左手を差し出した。
「ではわたくしは、玄鳥様の今のお言葉を信じることをお約束致しますわ」
ようやく微笑んで、それから、ゆっくりと指先を近付けていった。
小指と小指が、静かに絡まり合う。
「ゆびきりげんまん……」
無邪気な誓約。
けれど二人はそれを、信じた。
またゆっくりと指と指が離れる。
玄鳥は今更のようにどんどん顔を紅潮させる。
「やっぱり……ちょっと恥ずかしいですね」
「うふふ」
日向子は自分の左手の小指を右手で包み込んだ。大切なものを匿うかのように。
「そうだ、日向子さん。言い忘れましたけどね、ギターに関しては俺、他にも目標にしてる人がいるんですよ」
恥ずかしさを振り払いたいのか、少し早口で玄鳥が切り出した。
「まあ、どなたですの?」
興味津々な日向子に、玄鳥はきっぱりとその名を告げた。
「鳳蝶(アゲハ)です。伝説の、mont suchtの初代ギタリスト」
「鳳蝶様……ですか」
それは、mont suchtの最初期、わずか一年にも満たない間、活動していたという人物。
日向子や玄鳥が生まれる前の出来事で、希少なデモテープこそ残っているものの、その人となりを知る者はほとんどいない。
「mont suchtのギターは何人も替わったけど、やっぱり鳳蝶の音が一番だと思いますから。
アゲハ蝶って英語でスワロー・テイルっていうでしょう?
だから俺は玄鳥、ツバメを意味する名前にしたんです」
「ツバメ……ですか」
感心したように何度も首を上下する日向子に、玄鳥はまだ赤らみが消えない顔で笑いながら、こう続けた。
「鳳蝶が偉大な『鳳(オオトリ)』なら、俺はまだまだちっぽけな『玄鳥(ツバメ)』なんです」
《つづく》
2007/07/09 (Mon)
一次創作関連
「……ああ、確認してくれないか?
一昨日の夕方から深夜にかけての、関東からのメールだ。
頼んだ。よろしく。じゃあな」
携帯の終話ボタンを押した紅朱は、当然誰もいないと思って振り返った場所に、人がいたことに一瞬驚き、動揺したが、何事もなかったかのように、
「珍しく早いじゃねェか。有砂」
声をかけた。
有砂は恐らく「何か」勘付いているのだろうが、
「……ジブンが何を隠してようと別に、オレは一切興味あらへん……と、ゆうておくか」
溜め息混じりにそう言って、紅朱のさし向かいに座った。
「……わざわざ詮索して首突っ込んでも、不要な面倒事を抱えるだけやからな……ましてや、それがジブンなら尚更や。
……なあ、リーダー?」
「ああ、そりゃ賢明だな」
紅朱は今の今まで美々と繋がっていた携帯を手の中でもてあそびながら、ふっと笑った。
「……お前の好きそうな美人だけど、今はまだ紹介してやるわけにはいかねェからな」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【3】
玄鳥と過ごす二日目の夜。
日向子はがさがさとピアノ室にある大きな収納スペースをあさっていた。
ここにあるものの半分以上は伯爵……「高山獅貴」とゆかりあるものばかりで、元来収集癖のある日向子は少しでも関係のあるものは何でも手を出し、ここに保管していた。
今日は日がな玄鳥とリビングで過ごし、高山獅貴や、獅貴がかつて在籍していたmont suchtのDVDを見たり、CDを聞いたりしていたのだが、他にもっと玄鳥が喜ぶようなものはないかと探してみることにしたのだ。
「うふふ……明日も伯爵様のお話、たくさん伺えるかしら……?」
日向子は上機嫌だった。
玄鳥は伊達に「クリスタル会員」の肩書きを持っているわけではなく、日向子よりも遥かに知識豊富で、何よりミュージシャンとしての立場から語られる獅貴の話は日向子にはとても新鮮で、興味深いもの。
そして日向子がいくらミーハーな発言や、妄想を交えた奇妙な見識を晒そうと、玄鳥は優しく笑って聞いてくれる。
それどころか、
「そうか。ライブに来てるお客さん、ってそんなところまで見てるものなんですね……勉強になります」
と、時には日向子のファン目線に偏った話でさえ真面目に受け止めてさえくれる。
共通の趣味の話題……と言っても、二人が見ている世界は全く違い、同じことを語り合っても切口がまるで違う。
玄鳥の話を聞いていると、日向子はどんどん自分の世界が広がり、また少し伯爵に近付けたような気さえした。
それが、本当に嬉しく、楽しかったのだ。
ほとんど時を忘れて発掘作業をしていた日向子だったが、不意に欠伸をしたことで、すっかり真夜中になっていたことに気付いた。
もう零時は回っている。
「……玄鳥様……ちゃんとお休みになっていらっしゃるかしら?」
日向子は作業を中断して、ほんの少しだけ寝室を覗いてみることにした。
足音にさえも気を遣いながら、日向子は寝室のドアに歩み寄り、慎重にノブに手をかけた。
ノックして声をかけようかとも思った、眠っているところを起こしてしまうのは気の毒だ。
少しだけ様子を見るだけなら……そう思ってそっとドアを数センチ、開いた。
部屋の灯りは消えていた。だが、ベッドサイドにあるオーディオコンポから青白い光が発せられていて、それが薄闇をぼんやりと照らし出している。
その微かな光の中で、玄鳥はベッドの上に座っていた。
日向子は「玄鳥様、そろそろお休みになって下さい」と声をかけようと一瞬思い、やめた。
というより、その光景を前にして声を出すことができなかった。
ベッドに座った玄鳥は、ヘッドフォンで何か曲を聞いているらしかった。
静寂の中に響く音もれから、日向子にはそれが「mont sucht」の最初期の曲「sleepwalker」だと判別出来た。
ということは、玄鳥は今それなりの爆音で聞いているということなのだろう。
その爆音をなぞって、玄鳥は「ギターを弾いて」いた。
実際にギターを持っているわけではない。
だが、持っていることを錯覚させるほどの精密な動きで、玄鳥の指は何もない空間の、目に見えない弦を押さえ、弾く。
透明なギターがそこにあるのではないかと、日向子は思った。
見えざるギターを一心に奏でる玄鳥の表情は、今まで日向子が見たことのあるものとはまるで当てはまらないものだった。
どこをとらえているともつかない眼差しは、瞬きすら忘れているかのように一切動かず、虚空を見つめている。
玄鳥はほとんど無表情ではあったが、それ故に鬼気迫る雰囲気をかもし出していた。それでいて、妙に静かでもある。
どこか普通の人間とは思えないような、不可思議な様子だ。
日向子の頭の中に、先日の蝉の言葉がよぎった。
――確かに真面目な奴だケド、それとはまた違うかも
――なんかもう、取り憑かれちゃってま~す、ってカンジ?
集中力マックスの玄鳥見たら、多分日向子ちゃん引くと思う……怖いんだって、マジで
「取り憑かれている」という表現はまさに、今の玄鳥にぴったりとハマる。
平家の怨霊に魅入られた耳なし芳一は、多分こんなふうに琵琶を奏でていたのではないかと、日向子は思った。
ぞっとするほどに美しく、儚げで……言い知れない不安をかき立てるような。
「……玄鳥様……」
理由を説明できない涙が、日向子の頬を一滴、伝った。
「……お止めになって下さい」
考えるより先に、日向子は寝室に飛込んで、見えないネックを握る玄鳥の左手に自分の手を重ねた。
手を止めた玄鳥は、遠くを見つめるかのように動かなかった視線を、ゆっくりと日向子へとスライドさせた。
自分の姿を映し出した双眸のあまりの冷たさに、日向子は心臓を掴まれたような思いがした。
「……邪魔、しないでくれないか?」
瞳の色と同じ冷たい声。冷たい口調。
「……玄鳥様……?」
これが本当にあの玄鳥なのか、と思った。
「……邪魔だって言ってるだろ? 早く、離せよ……」
殺意にも似た強烈な敵意を剥き出した言葉に、日向子は玄鳥の左手を解放した。
玄鳥はまた何事もなかったように日向子から視線を外し、「演奏」を再開する。
「玄鳥様……わたくしのこと、お判りにならないのですか……?」
言いようのない哀しみに、また一雫、涙が落ちる。
いつもの玄鳥なら、恐らくはみっともないくらいにうろたえて、必死に日向子を泣き止ませようと頑張るだろうに、今の玄鳥はもはや日向子のことなど視界に入れてすらいないのだ。
泣いていようと、笑っていようと全く関心などありはしないというように。
「玄鳥様……」
いくら呼んでも届くことはない。
日向子は指の背で涙を拭い、それから、玄鳥のヘッドフォンにひたすら大音量の洪水を提供し続けるオーディオコンポにそっと手を伸ばし、震える指先でその電源を、落とした。
ジャカジャカともれ出していた音楽が止まり、玄鳥の動きも、止まった。
日向子はもう一度、玄鳥に静かに歩み寄り、そっとヘッドフォンを外した。
途端に、こちらも電源が落ちてしまったかのように、玄鳥は瞳を閉じてゆっくり崩れた。
「玄鳥様……!!」
倒れ込む上体を、日向子は受け止めようとしたが、受け止めきれなくて、一緒にベッドの真下の床に転がってしまった。
呆然と床に寝たまま玄鳥を抱き締めていた日向子だったが、やがて規則正しい寝息が聞こえてきたことで、少しだけ安心した。
起こさないように立ち上がり、流石にベッドに持ち上げることは無理なので、このまま布団だけでもかけてあげることにした。
柔らかい毛布をふわりとかけた瞬間、玄鳥の唇がわずかに動き、言葉を紡ぎ出した。
「……練習……しな、きゃ……」
そんな玄鳥の姿は、いっそ痛々しかった。
もしかすると、昨夜もこんなふうに彼は「練習」していたのだろうか?
そして恐らくは明日の夜も……。
日向子は、このままではいけないと思った。
一晩中こんなことをしていたら、元気になるどころかますます玄鳥は消耗してしまうに違いない。
それに、あんな玄鳥を見るのは……とても、辛い。
日向子はもう一度涙の跡を拭って、ピアノ室へと戻っていった。
「なんとなく、和食にしちゃったんですけど、大丈夫ですか?」
テーブルの上には今朝も温かい朝食が並んでいる。
白いご飯と、ネギと豆腐とワカメのみそ汁、焼き魚に、キャベツときゅうりの浅漬けと、胡麻とホウレン草のおひたし……。
日向子はそれらごしに、玄鳥の顔をじっと見つめていた。
「……日向子さん?」
玄鳥は少し困った顔を見せる。
「……そんなに見られると俺、その……」
しどろもどろなそのリアクションに、日向子は心の底から深い安心を得た。
「……よかった……いつもの玄鳥様ですわ」
「……え?」
「いいえ……なんでもありませんわ。
お食事、とても美味しいです。玄鳥様は本当に、お料理がお上手でいらっしゃいますのね?」
いきなりべた褒めされた玄鳥は思いきり照れて赤面しながら、
「母の手伝いとか、昔からよくしてましたから……結構、楽しいですよね? 料理も」
「ええ、わたくしもお料理は好きですわ」
「いいものが出来れば嬉しいし、人に食べてもらって喜んでもらえればもっと嬉しい……それに、やればやるほどど上達するでしょう?
そういう意味だと、ギター弾くのと似てるかもしれないですね」
「ギター」という言葉に、日向子は魚の身をほぐしていた箸を一瞬休めた。
「……玄鳥様、ギターお好きでいらっしゃいますのね」
「え? まあ、それはそうですよ。ギタリストですから」
「……どうしてギターを始められたのですか?」
日向子の問いに玄鳥は一瞬不思議そうな顔をしていたが、
「ああ、取材ですね」
そう解釈して、納得したように笑った。
「ギターは、兄貴が弾いてたから俺も始めようと思ったんです」
「紅朱様が……空手の時と同じですのね?」
「はい。……俺が何か始める時は大体いつもそうなんです。子どもの時からずっとそんな感じで。
兄貴にはしょっちゅう怒られてましたね。『なんでもかんでも俺の真似してんじゃねェよ』って」
二人のやりとりがすんなり想像できて、日向子は思わずくすっと笑ってしまった。
「紅朱様を慕っていらっしゃいますのね?」
「えっと……慕ってる、って表現は何か今更気持ち悪いですけど……すごい人だってことはわかってるし、認めてますよ」
なんとはなしに気まずそうな顔をしながら、それでも玄鳥は自信を持っている様子で言った。
「……多分……世界中で一番、兄貴のすごさを理解してるのは俺だと思いますよ」
《つづく》
一昨日の夕方から深夜にかけての、関東からのメールだ。
頼んだ。よろしく。じゃあな」
携帯の終話ボタンを押した紅朱は、当然誰もいないと思って振り返った場所に、人がいたことに一瞬驚き、動揺したが、何事もなかったかのように、
「珍しく早いじゃねェか。有砂」
声をかけた。
有砂は恐らく「何か」勘付いているのだろうが、
「……ジブンが何を隠してようと別に、オレは一切興味あらへん……と、ゆうておくか」
溜め息混じりにそう言って、紅朱のさし向かいに座った。
「……わざわざ詮索して首突っ込んでも、不要な面倒事を抱えるだけやからな……ましてや、それがジブンなら尚更や。
……なあ、リーダー?」
「ああ、そりゃ賢明だな」
紅朱は今の今まで美々と繋がっていた携帯を手の中でもてあそびながら、ふっと笑った。
「……お前の好きそうな美人だけど、今はまだ紹介してやるわけにはいかねェからな」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【3】
玄鳥と過ごす二日目の夜。
日向子はがさがさとピアノ室にある大きな収納スペースをあさっていた。
ここにあるものの半分以上は伯爵……「高山獅貴」とゆかりあるものばかりで、元来収集癖のある日向子は少しでも関係のあるものは何でも手を出し、ここに保管していた。
今日は日がな玄鳥とリビングで過ごし、高山獅貴や、獅貴がかつて在籍していたmont suchtのDVDを見たり、CDを聞いたりしていたのだが、他にもっと玄鳥が喜ぶようなものはないかと探してみることにしたのだ。
「うふふ……明日も伯爵様のお話、たくさん伺えるかしら……?」
日向子は上機嫌だった。
玄鳥は伊達に「クリスタル会員」の肩書きを持っているわけではなく、日向子よりも遥かに知識豊富で、何よりミュージシャンとしての立場から語られる獅貴の話は日向子にはとても新鮮で、興味深いもの。
そして日向子がいくらミーハーな発言や、妄想を交えた奇妙な見識を晒そうと、玄鳥は優しく笑って聞いてくれる。
それどころか、
「そうか。ライブに来てるお客さん、ってそんなところまで見てるものなんですね……勉強になります」
と、時には日向子のファン目線に偏った話でさえ真面目に受け止めてさえくれる。
共通の趣味の話題……と言っても、二人が見ている世界は全く違い、同じことを語り合っても切口がまるで違う。
玄鳥の話を聞いていると、日向子はどんどん自分の世界が広がり、また少し伯爵に近付けたような気さえした。
それが、本当に嬉しく、楽しかったのだ。
ほとんど時を忘れて発掘作業をしていた日向子だったが、不意に欠伸をしたことで、すっかり真夜中になっていたことに気付いた。
もう零時は回っている。
「……玄鳥様……ちゃんとお休みになっていらっしゃるかしら?」
日向子は作業を中断して、ほんの少しだけ寝室を覗いてみることにした。
足音にさえも気を遣いながら、日向子は寝室のドアに歩み寄り、慎重にノブに手をかけた。
ノックして声をかけようかとも思った、眠っているところを起こしてしまうのは気の毒だ。
少しだけ様子を見るだけなら……そう思ってそっとドアを数センチ、開いた。
部屋の灯りは消えていた。だが、ベッドサイドにあるオーディオコンポから青白い光が発せられていて、それが薄闇をぼんやりと照らし出している。
その微かな光の中で、玄鳥はベッドの上に座っていた。
日向子は「玄鳥様、そろそろお休みになって下さい」と声をかけようと一瞬思い、やめた。
というより、その光景を前にして声を出すことができなかった。
ベッドに座った玄鳥は、ヘッドフォンで何か曲を聞いているらしかった。
静寂の中に響く音もれから、日向子にはそれが「mont sucht」の最初期の曲「sleepwalker」だと判別出来た。
ということは、玄鳥は今それなりの爆音で聞いているということなのだろう。
その爆音をなぞって、玄鳥は「ギターを弾いて」いた。
実際にギターを持っているわけではない。
だが、持っていることを錯覚させるほどの精密な動きで、玄鳥の指は何もない空間の、目に見えない弦を押さえ、弾く。
透明なギターがそこにあるのではないかと、日向子は思った。
見えざるギターを一心に奏でる玄鳥の表情は、今まで日向子が見たことのあるものとはまるで当てはまらないものだった。
どこをとらえているともつかない眼差しは、瞬きすら忘れているかのように一切動かず、虚空を見つめている。
玄鳥はほとんど無表情ではあったが、それ故に鬼気迫る雰囲気をかもし出していた。それでいて、妙に静かでもある。
どこか普通の人間とは思えないような、不可思議な様子だ。
日向子の頭の中に、先日の蝉の言葉がよぎった。
――確かに真面目な奴だケド、それとはまた違うかも
――なんかもう、取り憑かれちゃってま~す、ってカンジ?
集中力マックスの玄鳥見たら、多分日向子ちゃん引くと思う……怖いんだって、マジで
「取り憑かれている」という表現はまさに、今の玄鳥にぴったりとハマる。
平家の怨霊に魅入られた耳なし芳一は、多分こんなふうに琵琶を奏でていたのではないかと、日向子は思った。
ぞっとするほどに美しく、儚げで……言い知れない不安をかき立てるような。
「……玄鳥様……」
理由を説明できない涙が、日向子の頬を一滴、伝った。
「……お止めになって下さい」
考えるより先に、日向子は寝室に飛込んで、見えないネックを握る玄鳥の左手に自分の手を重ねた。
手を止めた玄鳥は、遠くを見つめるかのように動かなかった視線を、ゆっくりと日向子へとスライドさせた。
自分の姿を映し出した双眸のあまりの冷たさに、日向子は心臓を掴まれたような思いがした。
「……邪魔、しないでくれないか?」
瞳の色と同じ冷たい声。冷たい口調。
「……玄鳥様……?」
これが本当にあの玄鳥なのか、と思った。
「……邪魔だって言ってるだろ? 早く、離せよ……」
殺意にも似た強烈な敵意を剥き出した言葉に、日向子は玄鳥の左手を解放した。
玄鳥はまた何事もなかったように日向子から視線を外し、「演奏」を再開する。
「玄鳥様……わたくしのこと、お判りにならないのですか……?」
言いようのない哀しみに、また一雫、涙が落ちる。
いつもの玄鳥なら、恐らくはみっともないくらいにうろたえて、必死に日向子を泣き止ませようと頑張るだろうに、今の玄鳥はもはや日向子のことなど視界に入れてすらいないのだ。
泣いていようと、笑っていようと全く関心などありはしないというように。
「玄鳥様……」
いくら呼んでも届くことはない。
日向子は指の背で涙を拭い、それから、玄鳥のヘッドフォンにひたすら大音量の洪水を提供し続けるオーディオコンポにそっと手を伸ばし、震える指先でその電源を、落とした。
ジャカジャカともれ出していた音楽が止まり、玄鳥の動きも、止まった。
日向子はもう一度、玄鳥に静かに歩み寄り、そっとヘッドフォンを外した。
途端に、こちらも電源が落ちてしまったかのように、玄鳥は瞳を閉じてゆっくり崩れた。
「玄鳥様……!!」
倒れ込む上体を、日向子は受け止めようとしたが、受け止めきれなくて、一緒にベッドの真下の床に転がってしまった。
呆然と床に寝たまま玄鳥を抱き締めていた日向子だったが、やがて規則正しい寝息が聞こえてきたことで、少しだけ安心した。
起こさないように立ち上がり、流石にベッドに持ち上げることは無理なので、このまま布団だけでもかけてあげることにした。
柔らかい毛布をふわりとかけた瞬間、玄鳥の唇がわずかに動き、言葉を紡ぎ出した。
「……練習……しな、きゃ……」
そんな玄鳥の姿は、いっそ痛々しかった。
もしかすると、昨夜もこんなふうに彼は「練習」していたのだろうか?
そして恐らくは明日の夜も……。
日向子は、このままではいけないと思った。
一晩中こんなことをしていたら、元気になるどころかますます玄鳥は消耗してしまうに違いない。
それに、あんな玄鳥を見るのは……とても、辛い。
日向子はもう一度涙の跡を拭って、ピアノ室へと戻っていった。
「なんとなく、和食にしちゃったんですけど、大丈夫ですか?」
テーブルの上には今朝も温かい朝食が並んでいる。
白いご飯と、ネギと豆腐とワカメのみそ汁、焼き魚に、キャベツときゅうりの浅漬けと、胡麻とホウレン草のおひたし……。
日向子はそれらごしに、玄鳥の顔をじっと見つめていた。
「……日向子さん?」
玄鳥は少し困った顔を見せる。
「……そんなに見られると俺、その……」
しどろもどろなそのリアクションに、日向子は心の底から深い安心を得た。
「……よかった……いつもの玄鳥様ですわ」
「……え?」
「いいえ……なんでもありませんわ。
お食事、とても美味しいです。玄鳥様は本当に、お料理がお上手でいらっしゃいますのね?」
いきなりべた褒めされた玄鳥は思いきり照れて赤面しながら、
「母の手伝いとか、昔からよくしてましたから……結構、楽しいですよね? 料理も」
「ええ、わたくしもお料理は好きですわ」
「いいものが出来れば嬉しいし、人に食べてもらって喜んでもらえればもっと嬉しい……それに、やればやるほどど上達するでしょう?
そういう意味だと、ギター弾くのと似てるかもしれないですね」
「ギター」という言葉に、日向子は魚の身をほぐしていた箸を一瞬休めた。
「……玄鳥様、ギターお好きでいらっしゃいますのね」
「え? まあ、それはそうですよ。ギタリストですから」
「……どうしてギターを始められたのですか?」
日向子の問いに玄鳥は一瞬不思議そうな顔をしていたが、
「ああ、取材ですね」
そう解釈して、納得したように笑った。
「ギターは、兄貴が弾いてたから俺も始めようと思ったんです」
「紅朱様が……空手の時と同じですのね?」
「はい。……俺が何か始める時は大体いつもそうなんです。子どもの時からずっとそんな感じで。
兄貴にはしょっちゅう怒られてましたね。『なんでもかんでも俺の真似してんじゃねェよ』って」
二人のやりとりがすんなり想像できて、日向子は思わずくすっと笑ってしまった。
「紅朱様を慕っていらっしゃいますのね?」
「えっと……慕ってる、って表現は何か今更気持ち悪いですけど……すごい人だってことはわかってるし、認めてますよ」
なんとはなしに気まずそうな顔をしながら、それでも玄鳥は自信を持っている様子で言った。
「……多分……世界中で一番、兄貴のすごさを理解してるのは俺だと思いますよ」
《つづく》
2007/07/07 (Sat)
一次創作関連
「日向子さん……こんな時間にどうしたんですか?」
「申し訳ありません……玄鳥様、わたくし今夜はなんだか眠れませんの……」
「そうですか……実は俺もなんです」
「まあ……玄鳥様もですの……?」
「壁一枚隔てた部屋にあなたがいるんだと思うと、胸がドキドキして……」
「……わたくしも、同じ気持ちですの」
「……日向子さん……!」
「……玄鳥様……! がばぁっ、ぶちゅー……ってそんなのマジで絶対無理っ!! ありえなーい!!」
「ぶちゅー!? がばぁっはまだしもぶちゅー!? そんなことになったらボクはもう玄鳥と口きかない!!」
「おれはそんな、よっちんみたいなハレンチな子に育てた覚えはないぞっ玄鳥!!」
「あんなに真面目でいい子だった玄鳥が……有砂2号に……ううう」
「いや、今ならまだやり直せるっ! 玄鳥! 怒らないから戻っておいでっ、おれたちのところへ!!」
「玄鳥ーーっ!! カムバーック!!」
「……で? 救急車と霊柩車、どっちに乗りたいんや?」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【2】
外野がファミレスで半狂乱で騒いでいた頃。
当の玄鳥は実際、眠れない夜を過ごしていた。
しかしそれは、周りが想像するほど色っぽい理由からではなかった。
「まあ、玄鳥様」
日向子が後ろから声をかけると、玄鳥は、ドアノブにかけていた手を引っ込めて、ぎくっとばかりに肩を揺らして振り返った。
「あっ……」
「お出掛けになってはいけませんわ」
「いや……あの、一回だけ、ちょっと自宅に……」
「そうは参りませんわ。
紅朱様からは、この3日間、玄鳥様もわたくしも一歩も部屋から出ないように、誰が来ても部屋に入れないように、と申し使っておりますのよ」
「そんな無茶な……」
ほとんど過剰と思われる紅朱からの命令に、玄鳥は頭を押さえた。
「3日後は次のライブの当日じゃないか……兄貴はそれまで練習するなって言うのかよ……」
玄鳥が夜更けにこっそり玄関へ向かった理由は、やはり帰宅してギターの練習をするためのようだった。
「いけませんわ……まだお倒れになってから半日も経っておりませんのに」
「倒れた……って、ただの睡眠不足と疲労ですよ。ライブを途中退場したのは俺の責任だし、申し訳ないと思ってます。
だからこそ練習を積んで次のライブでは失敗を取り返さないと。
それに日向子さんだってお仕事があるんじゃ……」
「いいえ、編集長様の許可を頂いて『玄鳥様に3日間密着取材』ということになっていますので」
「密着……ですか」
「密着です」
「密着……」
「あの……お顔が赤いですわ」
「えっ、いや……別に変な意味ではなくてっ」
玄鳥は自らを落ち着けようとするかのようにふーっと息を吐いて、ぱしぱし、と自分の頬を叩いた。
「……確かに、たまにはいいのかもしれませんね。ギターから離れて気分転換っていうのも……」
今だけ。
この3日間だけ。
ギターのことは忘れよう。
日向子と過ごせる時間を大切にしよう。
少なくともその時の玄鳥は本心からそう思っていた。
「これで少なくとも3日は、安全だろう。
外部との接触もないし、何かあった時はあいつが日向子を守れる」
紅朱はふっと口の端を持ち上げた。
「時間稼ぎにゃ十分だ」
「ご協力ありがとうございます……紅朱さん」
「まあ、まさに棚からボタモチってやつだがな」
コーラが入ったグラスをあおる紅朱に、連れの女は深く頭を下げた。
「本当に……ありがとうございます」
深夜、カフェからバーに切り変わったいつものあの店のカウンター。
肩を並べる二人は、どちらもここの常連で、どちらも日向子と縁の深い二人だったが、あまりに意外な取り合わせだった。
一人は紅朱。
そして、もう一人は……美々だった。
「でもいいんですか? 他の皆さんには説明しなくて……特に玄鳥さんは知っていたほうがいいんじゃ……」
「綾は隠し事がこの銀河系で一番ヘタクソな奴だ……いくら日向子でも何か感じちまうかもしれねェ。
日向子には知らせたくねェから、あんたは俺に相談してきたんだろ?」
「そうですね……出来ることなら日向子には知られたくないです。
わざわざ怖い思いや不快な思い、することないですから……」
「俺も同じだ。だから秘密がバレるリスクは極力小さくしたい」
沈んだ表情でうつむく美々に、紅朱も笑みを打ち消して真剣な顔付きになった。
「……まだ届いてんのか? 例のメール」
「はい……1000通、2000通って数が毎日……送信先は違っても内容はほとんど同じ。
非会員制のネットカフェや公共の施設のパソコンを使ったりしてるみたいで……集団でやってることは間違いないですけど、どれだけの人間が関わってるのか特定もできません」
紅朱は不愉快そうに、いささか手荒にグラスをテーブルを叩き付けるように置いた。
「こそこそと……卑怯者が。
『森久保日向子』をheliodor企画の担当から外してください。
外さなければ蓮芳出版の雑誌はもう二度と買いません……か。
ふざけたことぬかしやがる。あいつが何かしたってのかよ」
「1通、2通なら無視できてもこれだけの数じゃ……編集長も黙殺できないかもって言ってます。
早くなんとかしないと……日向子は降ろされます」
紅朱はやり場のない苛立ちを持てあましたように、拳を握り締めた。
「……んな馬鹿な話が許されるわけねェだろっ」
美々は、沈んだ顔付きのままで、それでもほんの少し微笑んだ。
「日向子のために、そんなに怒ってくださるんですね……」
「……俺はheliodorのリーダーとして、日向子を高く買ってるんだ。あいつは思った以上に変わった奴のようだからな」
「……誉めて、下さってるんですよね?」
「ああ。すごいんだ、あの女」
紅朱は皮肉を言ったつもりは欠片もなかった。
「あいつの取材を受ける前と受けた後で、メンバーの顔が全然違うのはなんでだろうな……三人とも邪魔な荷物を一個、手放したような顔してやがる。あるいは……日向子がそれを背負うのを手伝ってやってんのかもな」
紅朱は普段あまり人には見せないような、穏やかな優しい微笑を浮かべた。
「あいつはそのうち……俺や綾の荷物も、半分持ってくれんのかな……?」
――綾くんはすごいね! また100点だね
――浅川がいてくれれば体育祭もうちのクラスがぶっちぎりだよな?
――お前、高校でも生徒会長やってんの? 流石だよなぁ。
――浅川くん、復学してはくれないか? 君程の逸材は学部中見渡しても二人といないだろうよ。
――今のheliodorの要は、ギターの玄鳥だな。あいつはマジで半端なく巧い!
――紅朱じゃなくてよかったぜ。お前みたいな勝ち目のない完璧な弟がいたんじゃ、兄貴として肩身狭すぎるもんな~?
「……違……う……」
夢現で呟いた、自分の声で玄鳥は目を覚ました。
意識が戻ってからも、垂れ流されるように独り言が口をついた。
「……違う……ちがう……」
無意識に、ぎゅっと両手の拳を握り締めた。
「……俺は……まだ……勝ててない……」
毛布がずるずるとベッドの下に落ちて溜る。
「練習……しなきゃ」
ダイニングテーブルに朝食が並んでいる。
ピーナッツバターを塗ったトースト、半熟なハムエッグ、トマトを添えたグリーンサラダ、それに野菜がたっぷりの温かいスープ。
「お口に合いますでしょうか?」
日向子は、あのクリーム色のフリルエプロンをつけて、紅茶の準備をしながら玄鳥に尋ねた。
「はい……おいしいです。朝から日向子さんの手料理が食べられるなんて、俺、幸せ者ですよね……」
玄鳥は実際、言葉通りとても嬉しそうではあったが、
「お顔の色、あまりよろしくありませんわ」
日向子は心配になった。
「いや、平気ですよ……昨夜もあれからちゃんとすぐに寝たんです……」
そうは言いながら、玄鳥は完全に欠伸を噛み殺しながらトーストをかじっている。
「枕が合わなくていらっしゃるのでは?」
「そんな、とんでもないです……日向子さんこそ、俺が寝室に居座っちゃってるから、ピアノ室で来客用の簡易ベッドで寝てるんでしょう?
今夜はもう交代にしませんか??」
「いいえ、わたくしは今のままで構いません。伯爵様のタペストリーを眺めながら就寝するのもなかなか素敵ですのよ」
「あはは……日向子さんらしいですね……」
玄鳥はなんとも複雑な顔をしながらもとりあえず笑っておくことにしたようだ。
「じゃあせめて明日の朝食は俺に作らせて下さい。それこそお口に合うかわかりませんけどね」
「まあ、よろしいんですの?」
「はい……もちろん」
初々しくも和やかな雰囲気に包まれる食卓。
だがそれを打ち破ろうとするかのように、インターフォンのお呼びがかかる。
「まあ……こんな時間に来るのはきっと雪乃ですわ」
日向子はいたって呑気にモニターに映し出される訪問者を確認しに行き、そして、一気に顔色を変えた。
「まあ、大変……!」
「どうしたんですか? 雪乃さんじゃなかったんですか?」
「いえ雪乃ですわ……でも一人ではありませんの」
日向子は玄鳥を、とてもとても困惑した瞳で見つめた。
「……お父様が、一緒ですの」
「おとっ……っ、ゲホッ」
玄鳥は思わずパンくずを喉につまらせ、目を白黒させる。
「応答がございません。お部屋にはいらっしゃらないのでしょう」
「こんな朝早くから……か?」
「お仕事の都合で早くお出掛けになることも最近では特に珍しくはございませんので」
「……ならば、出直そう。戻るぞ、漸」
「……はい。先生」
いかにも気難しそうな初老の男はしかつめらしい顔をしながら、踵を返し、連れの先に立ってマンションを後にする。
連れの眼鏡の青年は、気付かれないように密かな声音で「今回だけですよ、お嬢様」と呟いて、少しだけインターフォンのカメラに向けて会釈程度の礼をして、それに続いた。
「……大丈夫、どうやら諦めてお帰りになったみたい」
「よかったんですか? お父さんに居留守なんか使って……とか言ったところで、今部屋に入って来られたら確実に俺は殺されると思いますけど……」
「今はどなたも入らせないお約束ですもの、仕方ありませんわ」
軽い罪悪感を覚えたのは確かだったが、日向子は降りきるように言った。
「そうでした……早く紅茶をご用意しなくてはいけませんわね?」
《つづく》
「申し訳ありません……玄鳥様、わたくし今夜はなんだか眠れませんの……」
「そうですか……実は俺もなんです」
「まあ……玄鳥様もですの……?」
「壁一枚隔てた部屋にあなたがいるんだと思うと、胸がドキドキして……」
「……わたくしも、同じ気持ちですの」
「……日向子さん……!」
「……玄鳥様……! がばぁっ、ぶちゅー……ってそんなのマジで絶対無理っ!! ありえなーい!!」
「ぶちゅー!? がばぁっはまだしもぶちゅー!? そんなことになったらボクはもう玄鳥と口きかない!!」
「おれはそんな、よっちんみたいなハレンチな子に育てた覚えはないぞっ玄鳥!!」
「あんなに真面目でいい子だった玄鳥が……有砂2号に……ううう」
「いや、今ならまだやり直せるっ! 玄鳥! 怒らないから戻っておいでっ、おれたちのところへ!!」
「玄鳥ーーっ!! カムバーック!!」
「……で? 救急車と霊柩車、どっちに乗りたいんや?」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【2】
外野がファミレスで半狂乱で騒いでいた頃。
当の玄鳥は実際、眠れない夜を過ごしていた。
しかしそれは、周りが想像するほど色っぽい理由からではなかった。
「まあ、玄鳥様」
日向子が後ろから声をかけると、玄鳥は、ドアノブにかけていた手を引っ込めて、ぎくっとばかりに肩を揺らして振り返った。
「あっ……」
「お出掛けになってはいけませんわ」
「いや……あの、一回だけ、ちょっと自宅に……」
「そうは参りませんわ。
紅朱様からは、この3日間、玄鳥様もわたくしも一歩も部屋から出ないように、誰が来ても部屋に入れないように、と申し使っておりますのよ」
「そんな無茶な……」
ほとんど過剰と思われる紅朱からの命令に、玄鳥は頭を押さえた。
「3日後は次のライブの当日じゃないか……兄貴はそれまで練習するなって言うのかよ……」
玄鳥が夜更けにこっそり玄関へ向かった理由は、やはり帰宅してギターの練習をするためのようだった。
「いけませんわ……まだお倒れになってから半日も経っておりませんのに」
「倒れた……って、ただの睡眠不足と疲労ですよ。ライブを途中退場したのは俺の責任だし、申し訳ないと思ってます。
だからこそ練習を積んで次のライブでは失敗を取り返さないと。
それに日向子さんだってお仕事があるんじゃ……」
「いいえ、編集長様の許可を頂いて『玄鳥様に3日間密着取材』ということになっていますので」
「密着……ですか」
「密着です」
「密着……」
「あの……お顔が赤いですわ」
「えっ、いや……別に変な意味ではなくてっ」
玄鳥は自らを落ち着けようとするかのようにふーっと息を吐いて、ぱしぱし、と自分の頬を叩いた。
「……確かに、たまにはいいのかもしれませんね。ギターから離れて気分転換っていうのも……」
今だけ。
この3日間だけ。
ギターのことは忘れよう。
日向子と過ごせる時間を大切にしよう。
少なくともその時の玄鳥は本心からそう思っていた。
「これで少なくとも3日は、安全だろう。
外部との接触もないし、何かあった時はあいつが日向子を守れる」
紅朱はふっと口の端を持ち上げた。
「時間稼ぎにゃ十分だ」
「ご協力ありがとうございます……紅朱さん」
「まあ、まさに棚からボタモチってやつだがな」
コーラが入ったグラスをあおる紅朱に、連れの女は深く頭を下げた。
「本当に……ありがとうございます」
深夜、カフェからバーに切り変わったいつものあの店のカウンター。
肩を並べる二人は、どちらもここの常連で、どちらも日向子と縁の深い二人だったが、あまりに意外な取り合わせだった。
一人は紅朱。
そして、もう一人は……美々だった。
「でもいいんですか? 他の皆さんには説明しなくて……特に玄鳥さんは知っていたほうがいいんじゃ……」
「綾は隠し事がこの銀河系で一番ヘタクソな奴だ……いくら日向子でも何か感じちまうかもしれねェ。
日向子には知らせたくねェから、あんたは俺に相談してきたんだろ?」
「そうですね……出来ることなら日向子には知られたくないです。
わざわざ怖い思いや不快な思い、することないですから……」
「俺も同じだ。だから秘密がバレるリスクは極力小さくしたい」
沈んだ表情でうつむく美々に、紅朱も笑みを打ち消して真剣な顔付きになった。
「……まだ届いてんのか? 例のメール」
「はい……1000通、2000通って数が毎日……送信先は違っても内容はほとんど同じ。
非会員制のネットカフェや公共の施設のパソコンを使ったりしてるみたいで……集団でやってることは間違いないですけど、どれだけの人間が関わってるのか特定もできません」
紅朱は不愉快そうに、いささか手荒にグラスをテーブルを叩き付けるように置いた。
「こそこそと……卑怯者が。
『森久保日向子』をheliodor企画の担当から外してください。
外さなければ蓮芳出版の雑誌はもう二度と買いません……か。
ふざけたことぬかしやがる。あいつが何かしたってのかよ」
「1通、2通なら無視できてもこれだけの数じゃ……編集長も黙殺できないかもって言ってます。
早くなんとかしないと……日向子は降ろされます」
紅朱はやり場のない苛立ちを持てあましたように、拳を握り締めた。
「……んな馬鹿な話が許されるわけねェだろっ」
美々は、沈んだ顔付きのままで、それでもほんの少し微笑んだ。
「日向子のために、そんなに怒ってくださるんですね……」
「……俺はheliodorのリーダーとして、日向子を高く買ってるんだ。あいつは思った以上に変わった奴のようだからな」
「……誉めて、下さってるんですよね?」
「ああ。すごいんだ、あの女」
紅朱は皮肉を言ったつもりは欠片もなかった。
「あいつの取材を受ける前と受けた後で、メンバーの顔が全然違うのはなんでだろうな……三人とも邪魔な荷物を一個、手放したような顔してやがる。あるいは……日向子がそれを背負うのを手伝ってやってんのかもな」
紅朱は普段あまり人には見せないような、穏やかな優しい微笑を浮かべた。
「あいつはそのうち……俺や綾の荷物も、半分持ってくれんのかな……?」
――綾くんはすごいね! また100点だね
――浅川がいてくれれば体育祭もうちのクラスがぶっちぎりだよな?
――お前、高校でも生徒会長やってんの? 流石だよなぁ。
――浅川くん、復学してはくれないか? 君程の逸材は学部中見渡しても二人といないだろうよ。
――今のheliodorの要は、ギターの玄鳥だな。あいつはマジで半端なく巧い!
――紅朱じゃなくてよかったぜ。お前みたいな勝ち目のない完璧な弟がいたんじゃ、兄貴として肩身狭すぎるもんな~?
「……違……う……」
夢現で呟いた、自分の声で玄鳥は目を覚ました。
意識が戻ってからも、垂れ流されるように独り言が口をついた。
「……違う……ちがう……」
無意識に、ぎゅっと両手の拳を握り締めた。
「……俺は……まだ……勝ててない……」
毛布がずるずるとベッドの下に落ちて溜る。
「練習……しなきゃ」
ダイニングテーブルに朝食が並んでいる。
ピーナッツバターを塗ったトースト、半熟なハムエッグ、トマトを添えたグリーンサラダ、それに野菜がたっぷりの温かいスープ。
「お口に合いますでしょうか?」
日向子は、あのクリーム色のフリルエプロンをつけて、紅茶の準備をしながら玄鳥に尋ねた。
「はい……おいしいです。朝から日向子さんの手料理が食べられるなんて、俺、幸せ者ですよね……」
玄鳥は実際、言葉通りとても嬉しそうではあったが、
「お顔の色、あまりよろしくありませんわ」
日向子は心配になった。
「いや、平気ですよ……昨夜もあれからちゃんとすぐに寝たんです……」
そうは言いながら、玄鳥は完全に欠伸を噛み殺しながらトーストをかじっている。
「枕が合わなくていらっしゃるのでは?」
「そんな、とんでもないです……日向子さんこそ、俺が寝室に居座っちゃってるから、ピアノ室で来客用の簡易ベッドで寝てるんでしょう?
今夜はもう交代にしませんか??」
「いいえ、わたくしは今のままで構いません。伯爵様のタペストリーを眺めながら就寝するのもなかなか素敵ですのよ」
「あはは……日向子さんらしいですね……」
玄鳥はなんとも複雑な顔をしながらもとりあえず笑っておくことにしたようだ。
「じゃあせめて明日の朝食は俺に作らせて下さい。それこそお口に合うかわかりませんけどね」
「まあ、よろしいんですの?」
「はい……もちろん」
初々しくも和やかな雰囲気に包まれる食卓。
だがそれを打ち破ろうとするかのように、インターフォンのお呼びがかかる。
「まあ……こんな時間に来るのはきっと雪乃ですわ」
日向子はいたって呑気にモニターに映し出される訪問者を確認しに行き、そして、一気に顔色を変えた。
「まあ、大変……!」
「どうしたんですか? 雪乃さんじゃなかったんですか?」
「いえ雪乃ですわ……でも一人ではありませんの」
日向子は玄鳥を、とてもとても困惑した瞳で見つめた。
「……お父様が、一緒ですの」
「おとっ……っ、ゲホッ」
玄鳥は思わずパンくずを喉につまらせ、目を白黒させる。
「応答がございません。お部屋にはいらっしゃらないのでしょう」
「こんな朝早くから……か?」
「お仕事の都合で早くお出掛けになることも最近では特に珍しくはございませんので」
「……ならば、出直そう。戻るぞ、漸」
「……はい。先生」
いかにも気難しそうな初老の男はしかつめらしい顔をしながら、踵を返し、連れの先に立ってマンションを後にする。
連れの眼鏡の青年は、気付かれないように密かな声音で「今回だけですよ、お嬢様」と呟いて、少しだけインターフォンのカメラに向けて会釈程度の礼をして、それに続いた。
「……大丈夫、どうやら諦めてお帰りになったみたい」
「よかったんですか? お父さんに居留守なんか使って……とか言ったところで、今部屋に入って来られたら確実に俺は殺されると思いますけど……」
「今はどなたも入らせないお約束ですもの、仕方ありませんわ」
軽い罪悪感を覚えたのは確かだったが、日向子は降りきるように言った。
「そうでした……早く紅茶をご用意しなくてはいけませんわね?」
《つづく》
2007/07/05 (Thu)
一次創作関連
「まあ」
今日のイベント会場まであと100メートルといったところで、日向子は思わず足を止めた。
歩道の真ん中にちょこんと猫がたたずんでいる。
黒い仔猫だ。
まだ生まれて何ヵ月といったところか?
お行儀よく座って、大きな金色の瞳でじっと日向子を見ている。
「なんて可愛らしい……」
日向子が近付いても逃げようとはしない。
「あら首輪をしていますのね……?」
しゃがんで手を伸ばして銀色の首輪を確認しようとした時、
「その子、私のよ」
後ろから声。
氷と氷がぶつかり合ったような、澄んで凛とした声だった。
振り返ると、日向子と同じか少し年下くらいの少女が立っていた。
ゴシックロリータで全身を包んだ、サラサラした直毛の真っ黒な長い髪が印象的な美人だった。
瞳の色も吸い込まれそうな漆黒で、本当に血が通っているのか怪しいほど真っ白な肌との対比が美しい。
日向子は少女に笑いかけ、抱き上げた仔猫を差し出した。
「可愛らしい仔猫ちゃんですのね?」
美少女は無表情で猫を受けとると、
「シュバルツは仔猫ちゃんじゃないわ」
美しい声で言う。
「黒豹のベビィなの」
「黒豹……??」
日向子は、少女の手の中で嬉しそうにじゃれついている黒い生き物を思わず見た。
「だったら、凄いわよね」
「はあ」
少女は「シュバルツ」を抱いて、ポカンとしている日向子の横をすり抜けていった。
「……ただの例え話よ」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【1】
熱狂のステージは中盤に差し掛かっていた。
《せめて 聞いてくれ
甘い台詞じゃないが
親愛なる君のために
愛を込めたとっておきさ》
日向子は少し身体を揺すってリズムを取りながら、いつものように、メンバーひとりひとりの姿を目で追っていく。
紅朱は今日も絶好調だ。
《聞きわけもなく
まくしたてるDarlin'
どんな顔であやまれば
許してくれるんでしょうか?》
有砂はいつも通り、とても安定している。
《出来ないものは 出来ないと
言い切る僕のスタンスを
怠慢だと君は責めるけど
果たせない約束は
君とはしない》
スノウ・ドームの一件以来しばらくは不調そうだった万楼も、だいぶ持ち直して見える。
《要求をつきつける前に
不可解な君の素顔を
特定するヒントを
僕に投げておくれ》
サビのあたまで少し走ってしまって、蝉が舌を出して笑う。日向子もつられて笑う。
《僕の話を最後まで
聞いてくれたらわかるだろう
秒針が三度回るまで
何も言わずに待っていて》
Aサビの後はすかさず8小節のギターソロ、日向子はステージ上手の玄鳥を見やった。
その瞬間、まるでタイミングを合わせたように玄鳥と目が合った。
「あ」という顔をした玄鳥は、すぐにそれを微笑に転じた……のだが。
「……?」
日向子はその微笑に妙な違和感と不安を覚えた。
その正体はすぐに判明する。
ソロの最初の二小節が鳴った直後、玄鳥のギターの4弦がバチッと弾けるように切れて、それを合図としたかのように玄鳥の身体は突如として、崩れた。
「……玄鳥様……!?」
会場は騒然となり、上手前方を中心にいくつもの悲鳴が上がる。
よろめくように前傾姿勢でバランスを失った玄鳥は、声を上げることもなく、そのままギターをかばうような格好で膝を折って、その場に倒れた。
ほとんど間を空けず、紅朱が邪魔だとばかりに蹴倒したマイクスタンドが倒れ、転がって、キン、とマイクがこめかみに突き刺さる悲鳴を上げた。
「綾……っ!!」
ステージ上であるにも関わらず、実名で呼び掛けながら、紅朱は誰より早く玄鳥に駆け寄った。
「綾っ!!」
「紅朱、落ち着いて!」
「むやみに動かさないほうがいいと思うな」
玄鳥を抱き起こそうとした紅朱を、蝉と万楼が慌てて制する。
有砂は冷静に、スタッフに向けてスティックを軽く下向きに三度、振った。
『照明を、落とせ』
暗転した暗闇の中で止まない悲鳴に包まれながら、日向子もまた大きな不安にさいなまれていた。
「玄鳥様……どうなさったの……??」
「……ん……」
左側頭部がズキズキと痛む。
外傷によるものではなく、内側から響く痛みだ。
それは、なじみの鈍痛。
それに耐えながら、玄鳥はゆっくりと目を開けていく。
柔らかい光が網膜にさしこんでくる。
そして鼓膜は、
「まあ、お気付きになりまして?」
一番心地好く響く声を捕まえた。
「……あ」
一気に目を開いて、ほとんど反射的に身体を起こそうとした。
「……うっ」
苦痛が鋭さを増して襲いかかり、目の前の景色が揺れる。
「いけませんわ、まだ起き上がらないで寝ていらして下さい」
玄鳥はそのまま柔らかいベッドに再び身を沈めた。
ベッド?
玄鳥はそこに引っ掛かりを覚えた。
玄鳥の部屋は和室で、寝具はベッドではなく布団だ。
ということは、少なくともここは玄鳥の部屋ではないのだ。
では一体、ここはどこだろう??
「もうすぐお食事が出来ますから、横になったまま待っていらして下さい」
「……は、はい?」
玄鳥はその光景に、愕然とし、何度も瞬きを繰り返し、何度も目をこすった。
夢か?
いや、夢なら痛みは感じない筈だ。
ならば現実なのか?
これは。
クリーム色のフリルのついたエプロンをまとった日向子が、料理用のミトンをはめた手を頬に当ててにっこり微笑んでいる。
「おじや……お好きですか?」
状況は全く飲み込めない。
飲み込めないが……。
「だ……大好きです!!」
元気よく返事し過ぎてまた頭が痛かったが、そんなことはどうでもよかった。
エプロン日向子は安心したように笑う。
「まあ、お顔の色……随分よくなられて」
顔色がいいどころか、耳まで赤くなっているに違いない自分をかなり恥ずかしく思いつつ、玄鳥は恐る恐る問掛けた。
「あの……日向子さん……ここはもしかして……」
「はい、わたくしの部屋です」
「……あの……ってことは今俺が寝ているのは……」
「わたくしの寝室のベッドです」
「……えっ……ええっ!?」
「……あの、やはり返ってご迷惑だったでしょうか?」
「……いや……あの……なんていうか……そういうわけじゃなくて……その」
客観的に観察したら哀れなくらい完全なパニック状態を起こしている玄鳥に、日向子は心配そうに近付いてきた。
「……どういたしましょう。お顔がどんどん赤くなって。もしや熱がおありなのでは……?」
日向子はベッドサイドに身をかがめて、ミトンを外した手を玄鳥の額にぴたっと当てた。
「……っ……」
「やはり少しお熱いような……」
「ひっ……日向子さんっ……」
近いです。
近すぎます。
もう言葉が声にならない。
至近距離で見つめてくる愛くるしい瞳に、玄鳥はもはやだんだんと混乱を通りこして釘付けになっていた。
「玄鳥様……?」
そして、心配そうに自分の名前をつむぐ唇にも……。
「あ……」
玄鳥は甘く痺れるような感覚に捕まったまま、うっとりと目を細めた。
「日向子さん……」
と。その時。
「おい日向子! 鍋噴いてたから火止めたぞ?」
かなり乱暴にドアが開け放たれて、とてもよく知っている顔が現れた。
「まあ紅朱様、申し訳ありません。わたくしったら……」
日向子は立ち上がるなり、ミトンをはめ直しながらとてとてとキッチンに走って行った。
玄鳥はそれを呆然と見送り、それから部屋に残った人物を見やった。
「なんだ綾、結構平気そうじゃねェか」
呑気な口調で評する実兄に、忘れていた左側頭部の痛みが一気に蘇った気がした。
「そうか……またこのパターンか……」
ライブ中に昏倒した玄鳥が、日向子のマンションで目を覚ますまでの空白の時間はこうだった。
結局メンバーの手で楽屋まで運ばれた玄鳥は、完全に意識を手放しており、顔色は蒼白だった。
駆け付けた日向子まで青ざめてしまったほどに。
しかし、最初あれだけ取り乱していた紅朱も、他のメンバーたちも意外と冷静な態度だった。
「……いつか倒れるんじゃないかと思ったよ」
と万楼が呟く。
「最近かなり無理してたっぽいしね~?」
蝉が溜め息まじりでそう言うと、その傍らで有砂が呆れ顔で口を開く。
「……マッド・ギタリストめ」
日向子は思わず誰にともなく尋ねた。
「玄鳥様……そんなにご無理をなさっていたのでしょうか?」
「ああ。当人も自覚してなかったろうがな」
代表するかのように紅朱が答えた。
「綾はバンドマンのくせに、普段やたら早寝早起きだし、三度のメシもきっちり摂って、規則正しい生活してやがる。
それが一旦練習や作曲活動にのめりこむと、文字通り寝食忘れて熱中しちまうとこがあってな」
「まあ、真面目な玄鳥様らしいですわね……」
日向子がそう言うと、
「確かに真面目な奴だケド、それとはまた違うかも」
蝉が苦笑いする。
「なんかもう、取り憑かれちゃってま~す、ってカンジ?
集中力マックスの玄鳥見たら、多分日向子ちゃん引くと思う……怖いんだって、マジで」
随分大袈裟な物言いだと日向子は思ったが、誰一人それを否定する者もフォローする者もなく、一様に「なんか今怖いもの思い出しちゃった」という顔をしていた。
紅朱は嘆息する。
「近頃は別件でも頭の痛い問題があって、対策を練ったりしてたしな……そんな時くらい他は手ェ抜きゃいいんだが……言っても聞かねェんだよ、このバカ」
紅朱は少し苛立って見えた。
「こんなことになっても、起きたら普通に練習し始めそうだよね、玄鳥」
万楼が苦笑いをしながら言うと、有砂は、
「いっそしばらくギター触れない環境に隔離したらどうや?」
涼しい顔でわりと過激な提案を投げかける。
「ああ、案外そりゃいいかもな」
紅朱は意外なほどあっさりとその提案を採用した。
「誰か3日くらいこいつ引き取れ」
「ボクのところは無理だよ。狭いから」
万楼が真っ先にそう主張し、
「……これ以上やかましいんが増えるなんて冗談やない」
「……ってことなんで、うちもちょっとな~……紅朱んとこ連れてけばイイじゃん? 可愛い弟なんだから」
同居コンビも難色を示した。
紅朱はきっぱりと
「嫌なこった。面倒くせェ」
情け容赦もなく拒否した。
「俺の生活習慣に朝から晩までダメ出ししやがるに決まってる」
結局全員が引き取りたがらないのでは、仕方がないかと思ったせつな……。
「ではわたくしの部屋に来て頂きましょうか?」
日向子が当たり前のように口にした言葉に、一同騒然となった。
「こっこら! 日向子ちゃん! きみは女の子なんだから簡単に男を部屋に泊めちゃダメっ!! 絶対ダメ!!」
「うん。ボクもあんまりよくないと思うよ……お姉さん」
蝉と万楼はかなり真剣に反対し、有砂でさえも、
「……本気か?」
と眉根を寄せた。
だが紅朱だけは、
「いや、いいんじゃないか」
ためらいもなく賛同した。
「女が相手ならわがまま言わずおとなしくするだろうし……日向子んとこのマンションは確か結構広かったよな?」
「はい、全く問題ありません」
「大アリだよ!!」
綺麗にハモる蝉と万楼、有砂の溜め息もすっかり無視して、日向子と玄鳥の三日間同棲生活がここに大決定した。
「綾を頼むな? 日向子」
「はい! わたくしにお任せ下さい」
《つづく》
今日のイベント会場まであと100メートルといったところで、日向子は思わず足を止めた。
歩道の真ん中にちょこんと猫がたたずんでいる。
黒い仔猫だ。
まだ生まれて何ヵ月といったところか?
お行儀よく座って、大きな金色の瞳でじっと日向子を見ている。
「なんて可愛らしい……」
日向子が近付いても逃げようとはしない。
「あら首輪をしていますのね……?」
しゃがんで手を伸ばして銀色の首輪を確認しようとした時、
「その子、私のよ」
後ろから声。
氷と氷がぶつかり合ったような、澄んで凛とした声だった。
振り返ると、日向子と同じか少し年下くらいの少女が立っていた。
ゴシックロリータで全身を包んだ、サラサラした直毛の真っ黒な長い髪が印象的な美人だった。
瞳の色も吸い込まれそうな漆黒で、本当に血が通っているのか怪しいほど真っ白な肌との対比が美しい。
日向子は少女に笑いかけ、抱き上げた仔猫を差し出した。
「可愛らしい仔猫ちゃんですのね?」
美少女は無表情で猫を受けとると、
「シュバルツは仔猫ちゃんじゃないわ」
美しい声で言う。
「黒豹のベビィなの」
「黒豹……??」
日向子は、少女の手の中で嬉しそうにじゃれついている黒い生き物を思わず見た。
「だったら、凄いわよね」
「はあ」
少女は「シュバルツ」を抱いて、ポカンとしている日向子の横をすり抜けていった。
「……ただの例え話よ」
《第4章 黒い寓話 -inferior-》【1】
熱狂のステージは中盤に差し掛かっていた。
《せめて 聞いてくれ
甘い台詞じゃないが
親愛なる君のために
愛を込めたとっておきさ》
日向子は少し身体を揺すってリズムを取りながら、いつものように、メンバーひとりひとりの姿を目で追っていく。
紅朱は今日も絶好調だ。
《聞きわけもなく
まくしたてるDarlin'
どんな顔であやまれば
許してくれるんでしょうか?》
有砂はいつも通り、とても安定している。
《出来ないものは 出来ないと
言い切る僕のスタンスを
怠慢だと君は責めるけど
果たせない約束は
君とはしない》
スノウ・ドームの一件以来しばらくは不調そうだった万楼も、だいぶ持ち直して見える。
《要求をつきつける前に
不可解な君の素顔を
特定するヒントを
僕に投げておくれ》
サビのあたまで少し走ってしまって、蝉が舌を出して笑う。日向子もつられて笑う。
《僕の話を最後まで
聞いてくれたらわかるだろう
秒針が三度回るまで
何も言わずに待っていて》
Aサビの後はすかさず8小節のギターソロ、日向子はステージ上手の玄鳥を見やった。
その瞬間、まるでタイミングを合わせたように玄鳥と目が合った。
「あ」という顔をした玄鳥は、すぐにそれを微笑に転じた……のだが。
「……?」
日向子はその微笑に妙な違和感と不安を覚えた。
その正体はすぐに判明する。
ソロの最初の二小節が鳴った直後、玄鳥のギターの4弦がバチッと弾けるように切れて、それを合図としたかのように玄鳥の身体は突如として、崩れた。
「……玄鳥様……!?」
会場は騒然となり、上手前方を中心にいくつもの悲鳴が上がる。
よろめくように前傾姿勢でバランスを失った玄鳥は、声を上げることもなく、そのままギターをかばうような格好で膝を折って、その場に倒れた。
ほとんど間を空けず、紅朱が邪魔だとばかりに蹴倒したマイクスタンドが倒れ、転がって、キン、とマイクがこめかみに突き刺さる悲鳴を上げた。
「綾……っ!!」
ステージ上であるにも関わらず、実名で呼び掛けながら、紅朱は誰より早く玄鳥に駆け寄った。
「綾っ!!」
「紅朱、落ち着いて!」
「むやみに動かさないほうがいいと思うな」
玄鳥を抱き起こそうとした紅朱を、蝉と万楼が慌てて制する。
有砂は冷静に、スタッフに向けてスティックを軽く下向きに三度、振った。
『照明を、落とせ』
暗転した暗闇の中で止まない悲鳴に包まれながら、日向子もまた大きな不安にさいなまれていた。
「玄鳥様……どうなさったの……??」
「……ん……」
左側頭部がズキズキと痛む。
外傷によるものではなく、内側から響く痛みだ。
それは、なじみの鈍痛。
それに耐えながら、玄鳥はゆっくりと目を開けていく。
柔らかい光が網膜にさしこんでくる。
そして鼓膜は、
「まあ、お気付きになりまして?」
一番心地好く響く声を捕まえた。
「……あ」
一気に目を開いて、ほとんど反射的に身体を起こそうとした。
「……うっ」
苦痛が鋭さを増して襲いかかり、目の前の景色が揺れる。
「いけませんわ、まだ起き上がらないで寝ていらして下さい」
玄鳥はそのまま柔らかいベッドに再び身を沈めた。
ベッド?
玄鳥はそこに引っ掛かりを覚えた。
玄鳥の部屋は和室で、寝具はベッドではなく布団だ。
ということは、少なくともここは玄鳥の部屋ではないのだ。
では一体、ここはどこだろう??
「もうすぐお食事が出来ますから、横になったまま待っていらして下さい」
「……は、はい?」
玄鳥はその光景に、愕然とし、何度も瞬きを繰り返し、何度も目をこすった。
夢か?
いや、夢なら痛みは感じない筈だ。
ならば現実なのか?
これは。
クリーム色のフリルのついたエプロンをまとった日向子が、料理用のミトンをはめた手を頬に当ててにっこり微笑んでいる。
「おじや……お好きですか?」
状況は全く飲み込めない。
飲み込めないが……。
「だ……大好きです!!」
元気よく返事し過ぎてまた頭が痛かったが、そんなことはどうでもよかった。
エプロン日向子は安心したように笑う。
「まあ、お顔の色……随分よくなられて」
顔色がいいどころか、耳まで赤くなっているに違いない自分をかなり恥ずかしく思いつつ、玄鳥は恐る恐る問掛けた。
「あの……日向子さん……ここはもしかして……」
「はい、わたくしの部屋です」
「……あの……ってことは今俺が寝ているのは……」
「わたくしの寝室のベッドです」
「……えっ……ええっ!?」
「……あの、やはり返ってご迷惑だったでしょうか?」
「……いや……あの……なんていうか……そういうわけじゃなくて……その」
客観的に観察したら哀れなくらい完全なパニック状態を起こしている玄鳥に、日向子は心配そうに近付いてきた。
「……どういたしましょう。お顔がどんどん赤くなって。もしや熱がおありなのでは……?」
日向子はベッドサイドに身をかがめて、ミトンを外した手を玄鳥の額にぴたっと当てた。
「……っ……」
「やはり少しお熱いような……」
「ひっ……日向子さんっ……」
近いです。
近すぎます。
もう言葉が声にならない。
至近距離で見つめてくる愛くるしい瞳に、玄鳥はもはやだんだんと混乱を通りこして釘付けになっていた。
「玄鳥様……?」
そして、心配そうに自分の名前をつむぐ唇にも……。
「あ……」
玄鳥は甘く痺れるような感覚に捕まったまま、うっとりと目を細めた。
「日向子さん……」
と。その時。
「おい日向子! 鍋噴いてたから火止めたぞ?」
かなり乱暴にドアが開け放たれて、とてもよく知っている顔が現れた。
「まあ紅朱様、申し訳ありません。わたくしったら……」
日向子は立ち上がるなり、ミトンをはめ直しながらとてとてとキッチンに走って行った。
玄鳥はそれを呆然と見送り、それから部屋に残った人物を見やった。
「なんだ綾、結構平気そうじゃねェか」
呑気な口調で評する実兄に、忘れていた左側頭部の痛みが一気に蘇った気がした。
「そうか……またこのパターンか……」
ライブ中に昏倒した玄鳥が、日向子のマンションで目を覚ますまでの空白の時間はこうだった。
結局メンバーの手で楽屋まで運ばれた玄鳥は、完全に意識を手放しており、顔色は蒼白だった。
駆け付けた日向子まで青ざめてしまったほどに。
しかし、最初あれだけ取り乱していた紅朱も、他のメンバーたちも意外と冷静な態度だった。
「……いつか倒れるんじゃないかと思ったよ」
と万楼が呟く。
「最近かなり無理してたっぽいしね~?」
蝉が溜め息まじりでそう言うと、その傍らで有砂が呆れ顔で口を開く。
「……マッド・ギタリストめ」
日向子は思わず誰にともなく尋ねた。
「玄鳥様……そんなにご無理をなさっていたのでしょうか?」
「ああ。当人も自覚してなかったろうがな」
代表するかのように紅朱が答えた。
「綾はバンドマンのくせに、普段やたら早寝早起きだし、三度のメシもきっちり摂って、規則正しい生活してやがる。
それが一旦練習や作曲活動にのめりこむと、文字通り寝食忘れて熱中しちまうとこがあってな」
「まあ、真面目な玄鳥様らしいですわね……」
日向子がそう言うと、
「確かに真面目な奴だケド、それとはまた違うかも」
蝉が苦笑いする。
「なんかもう、取り憑かれちゃってま~す、ってカンジ?
集中力マックスの玄鳥見たら、多分日向子ちゃん引くと思う……怖いんだって、マジで」
随分大袈裟な物言いだと日向子は思ったが、誰一人それを否定する者もフォローする者もなく、一様に「なんか今怖いもの思い出しちゃった」という顔をしていた。
紅朱は嘆息する。
「近頃は別件でも頭の痛い問題があって、対策を練ったりしてたしな……そんな時くらい他は手ェ抜きゃいいんだが……言っても聞かねェんだよ、このバカ」
紅朱は少し苛立って見えた。
「こんなことになっても、起きたら普通に練習し始めそうだよね、玄鳥」
万楼が苦笑いをしながら言うと、有砂は、
「いっそしばらくギター触れない環境に隔離したらどうや?」
涼しい顔でわりと過激な提案を投げかける。
「ああ、案外そりゃいいかもな」
紅朱は意外なほどあっさりとその提案を採用した。
「誰か3日くらいこいつ引き取れ」
「ボクのところは無理だよ。狭いから」
万楼が真っ先にそう主張し、
「……これ以上やかましいんが増えるなんて冗談やない」
「……ってことなんで、うちもちょっとな~……紅朱んとこ連れてけばイイじゃん? 可愛い弟なんだから」
同居コンビも難色を示した。
紅朱はきっぱりと
「嫌なこった。面倒くせェ」
情け容赦もなく拒否した。
「俺の生活習慣に朝から晩までダメ出ししやがるに決まってる」
結局全員が引き取りたがらないのでは、仕方がないかと思ったせつな……。
「ではわたくしの部屋に来て頂きましょうか?」
日向子が当たり前のように口にした言葉に、一同騒然となった。
「こっこら! 日向子ちゃん! きみは女の子なんだから簡単に男を部屋に泊めちゃダメっ!! 絶対ダメ!!」
「うん。ボクもあんまりよくないと思うよ……お姉さん」
蝉と万楼はかなり真剣に反対し、有砂でさえも、
「……本気か?」
と眉根を寄せた。
だが紅朱だけは、
「いや、いいんじゃないか」
ためらいもなく賛同した。
「女が相手ならわがまま言わずおとなしくするだろうし……日向子んとこのマンションは確か結構広かったよな?」
「はい、全く問題ありません」
「大アリだよ!!」
綺麗にハモる蝉と万楼、有砂の溜め息もすっかり無視して、日向子と玄鳥の三日間同棲生活がここに大決定した。
「綾を頼むな? 日向子」
「はい! わたくしにお任せ下さい」
《つづく》