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麻咲
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女性
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1983/05/03
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ライブ、乙女ゲーム、カラオケ
自己紹介:
好きなバンド

janne Da Arc
Angelo
犬神サーカス団
シド 
Sound Schedule
PIERROT
angela
GRANRODEO
Acid Black Cherry 他

好きな乙女ゲームとひいきキャラ
アンジェリークシリーズ(チャーリー)
遙かなる時空の中でシリーズ(無印・橘友雅、2.藤原幸鷹、3.平知盛、4・サザキ) 
金色のコルダシリーズ(1&2・王崎信武、3・榊大地、氷渡貴史)
ネオアンジェリーク(ジェット) 
フルハウスキス(羽倉麻生) 
ときめきメモリアルGSシリーズ(1・葉月珪、2・若王子貴文) 
幕末恋華シリーズ(大石鍬次郎、陸奥陽之助) 
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アラビアンズ・ロスト(ロベルト=クロムウェル) 
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2007/09/01 (Sat)
「あの……それは」

「だって」

 秀人は笑っている。

「有佳も薔子ももう僕の奥さんちゃうし、菊人も薔子が引き取ってんから僕の子やないやん?
ってことは僕にはもう関係ないし」

 あまりにも明るい口調で悪びれもせずに語るので、日向子は一瞬何も言えなくなってしまった。

「……あ、困った顔。めっちゃ可愛い」

 秀人は楽しそうだ。

「実に、そそるねー」

 沢城秀人には世間一般の常識は通用しない……美々の言葉が頭をよぎる。

「……どうしてそのような冷たいことを仰るのですか?」

「冷たい??」

 秀人は心外そうに目を細める。

「僕は冷たくなんかないで? ただ、僕がホンマに大切にできる人は一人だけやねんか」

「一人だけ……ですか」

「僕にはもうすぐ入籍する新しいハニーがいてんねんで。昔の奥さんと関わったなんてバレたらハニーが気ぃ悪くするやん?」









《第8章 迷宮の果てで、もう一度 -release-》【4】








「あの、事情はお察し致しますけれど……」

 そんなものは到底「お察し」出来るような事情ではなかったが、日向子はあくまで下手に出た。

「そこをどうかご協力頂けませんでしょうか?」

 秀人は口許の笑みをたやすことなく、

「キミ、僕のことを、ひとでなしやと思ってるやろ?」

 逆に問い返す。

 日向子は小首を傾げる。

「いえ、そのようなことはありませんけれど、少し困った方だとは思っています」

 秀人は「うんうん」と頷く。

「けどねえ、キミ。究極的に言えばみんな自分自身が一番可愛いもんなんやで?
……キミも、そう」

「……どういう意味でしょうか?」

 戸惑う日向子の顔を覗きこむように、秀人は少し距離をつめる。

「菊人が見付かっても、見付からなくても、生きていても、死んでいても、警察沙汰になっても、ならなくても……キミには何の損失もないやんか。
どっちでもええから、キミは気分のええほうを選んで行動しているに過ぎへんってこと。僕と同じや。わかる?」

「……よく、わかりません」

「ようするに、今キミは何もリスクを負ってへんゆうことや。
無傷で主張する正義に説得力なんかあらへんて」

 日向子は秀人の眼差しに至近距離から見下ろされ、なんだか落ち着かない気分を味わいながら、懸命に頭を回転させた。

「……では、わたくしがリスクを負えば、説得に応じて下さるということでしょうか?」

 秀人は元々切長の目を細める。

「……そうやねえ。それやったらええかも」

「では、わたくしはどのようなリスクを負えばよろしいのでしょうか?」

「んー……」

 秀人はほんの少し目線を外し、悩むような顔をしていたが、またすぐに日向子を見つめてにっこり笑った。


「純潔、とか?」


「は?」

 キョトンとしている日向子の華奢な肩を、秀人はポン、と唐突に押した。

「きゃっ」

 運動法則に従って日向子は横倒しにベッドに倒れ込んだ。

 秀人は日向子を見下ろしてぺろっと舌先で唇を舐めた。

「……僕と、エッチする?」

「……っ」

「エッチするんやったら有佳のいるとこ、教えてあげる」

「……そ、そのような……」

「あ、震えてる。めっちゃ可愛い……」

 秀人は上体を傾けて、日向子に半分被さるようにして瞳を覗く。

「実に、そそるね」

 日向子はぎゅっと手に力を込めて、息を大きく吸う。震えを止めるために。

「……このようなこと、ハニー様が悲しまれますわよ?」

「ええよ。今日からキミが僕のハニーってことにするから」

 暖簾に腕押しとはこのことか。

 日向子は今になって秀人の言葉をひとつ誤解していたことに気付いた。

 本当に大切に出来る人はひとりしかいない……それは恋人のことではないのだ。

 彼にとって最も大切で、可愛いのは自分自身なのだから。

「……嫌やんなあ? こんなひとでなしの、ようわからんおっさんに汚されるなんて。
嫌やったら僕を殴って帰ればええやん。
僕も無理強いする気ィなんて更々ないで?」

 それが理不尽な言葉だということはわかっている。

 しかしそれでも日向子は動けなかった。

 逃げて帰れば、菊人を救うことより自分の身可愛さをとったことになる。秀人の理屈でいくならば……。

 この人に負けたくない、と思った。


「……お好きに、なさってはいかがですか……?」

 気丈に告げて、きゅっと目を閉じた。

「……ふうん、そう」

 秀人の顔が更に近付いたのがわかった。
 耳元に息がかかる。

「……っ」

「……水無子と似てるんは、顔だけちゃうなあ。
キミもなかなか、僕の思い通りにならんね……?」

「……え?」


 日向子が思わず目を開けた瞬間、突如として激しく金属がぶつかるような破壊音が響き渡った。


「あーあー……また、なんちゅうことを」

 秀人は日向子から身を引いて、呆れたように溜め息をつく。

 日向子も半分身体をおこして、何が起きたのかを確認する。

 音がしたのは入り口のドアからだった。

 ドアのノブのあたりがすっかりひしゃげて、一部は砕けて床に転がってしまい、ドアの向こう側の景色が覗き見られるようになってしまっていた。

 驚く日向子の目の前で、破壊されたドアが開け放たれる。

「……ホンマに人の話をちゃんと聞かんオンナやな……」

 不機嫌な顔をした有砂が、どうやら凶行に用いたと思われる、胴体のへこんだ消火器を片手に入ってきだ。

「一人でそいつに会うな、ゆうた筈やで」

「あの、でも菊人ちゃんが……」

「薔子さんに聞いた。聞いたからここへ来たんや……ま、そこの変態に言いたいことは他にも山ほどあるんやけどな」

 手にしていた消火器を軽く放り投げる。秀人の足元に、それは鈍い音を立てて転がった。

 有砂はそうして空いた手で日向子をベッドから引っ張り下ろし、自分の後ろに押しやった。

 日向子はいつかの駐車場での出来事を思い出した。
 あの時と違うのは有砂の背中に強烈な殺気を感じること。

「……とりあえず、とっとと母さんの居場所を吐け」

「佳人~、それが人に物を頼む態度なん?」

 秀人は有砂の殺気を正面から受け止めている筈だが、この期に及んでもにやにや笑っている。

「……菊人のことが心配なんやったら、もっとちゃんとお願いしてみたらどうや~? お兄ちゃん」

「っ」

 有砂の肩が増幅した怒りにぐっと持ち上がるのを見て、日向子は思わずその背中に、触れた。

「……」

 有砂は日向子を軽く振り返り、無言のまま見つめた。
 日向子も何も言わなかった。

 それでも有砂は、小さく首を上下して頷いた。

 わかってる、と。

 そして有砂は再び実父へと向き合う。

「……親父……」

 低い声で呟くと、日向子の見守る前で、ゆっくりと、膝を、折った。

 グレーのカーペットを敷いた床に膝をつき、手をていて、最後に頭が降りる。

「……頼む。教えてくれ」

 日向子は祈るように両手を組んだ。
 有砂にとって、反発している父親に頭を下げることがどれほど屈辱的なことであるか。
 
 もしこれでも秀人がごねるようなら、日向子もその横で手をつくつもりでいた。

 だがその必要はなくなった。
 秀人がベッドに腰かけたまま、有砂を見下ろして、笑顔でこう告げたからだ。



「な~んちゃって♪ ホンマは僕も知らんねん。……怒った~?」



「っ……!」

 予想だにしない言葉に感情が追い付かずに、膝をついたまま呆然とする有砂の横をすたすたと、日向子は真っ直ぐに秀人の眼前に歩み出た。

 そして。

 細い手首が砕けてしまうのではないかというほど力いっぱい……秀人を平手打ちした。

「……痛ぁ~……」

 涙目で頬を押さえる秀人を正面から見据えていい放つ。


「痴れ者。恥をお知りなさい」


 幼な顔の小さな令嬢が浴びせた痛烈な一言。

「……えっ、あ……」

 秀人は大きく目を見開いて固まる。

「……ご。ごめんな、さい」

 涙目の状態で声を裏返らせながら、ほとんど反射的に謝罪する。

 日向子はそんな秀人に背を向けると、また別の意味で呆然としている有砂の前でしゃがみこみ、数秒前が嘘のような笑顔を見せた。

「ご立派でいらっしゃいました。さあ、参りましょう」

 手をさしのべる。

「……ね?」

 有砂は無言のまま目を伏せて、静かにその手を取った。

「……ああ」

 おとなしく日向子に手を引かれて立ち上がり、半泣きのままうなだれている秀人に視線を向けることもなく、有砂はゆっくりと破壊されたドアから部屋を出た。

 何事が起きたかと部屋の外に集まっていたアシスタントの若い女性たちがわざとらしく散々に逃げて行く中を、ゆっくりと歩き、一階エントランス直通のエレベーターに二人で乗り込んだ。

 ドアが閉まった瞬間、日向子は突然、バランスを失ったようによろめいて、有砂にしなだれかかるような格好となってしまった。

「……お嬢?」

 とっさにそれを支えながら、有砂は日向子の顔を覗く。

「……申し訳ありません……身体に力が入らなくて」

 日向子ははーっと息を吐き出す。

「……人様に対して本気で怒ってしまったのは、生まれて初めてでしたから……」

「……あんな無茶苦茶な交換条件出されても怒らんかったくせに」

「はしたない真似を致しました……有砂様のお父様にあのような」

「……あんな奴、はなから父親やと思てへん」

「……それは、嘘ですわね」

「……なんやて?」

「有砂様は秀人様に頭をお下げになりました……菊人ちゃんのために夢中でいらしたのでしょうけれど、そればかりでなく、本当はどこかで秀人様を信じてみたい、というお気持ちがあったのではありませんか?」

 日向子は有砂の腕に身体を預けたまま、ずっと高いところにあるその瞳を見つめた。

 有砂は目をそらすことなく、眼差しを受け止める。

「……そう、かもな」

 胸を締め付けられるほどに寂しそうな微笑で。

「……何回裏切られても、何回失望しても、どこかでまだ期待を棄てきれてへんのかもしれへん」

「……あ」

 ゆっくりと静かに下降を始める狭い箱の中で、日向子は有砂の腕に包まれ、きつく抱きしめられていた。

 胸の位置に押し付けられる格好になった右耳には有砂の心臓の鼓動が響いてくる。

 苦しそうな呟きと一緒に。

「……前にジブンが言うてた通り、オレは孤独に耐えられない甘ったれのガキや……」

「有砂様……?」

「……いつも悪夢に追い掛けられて、独りきりで夜を越えることすらオレには……っ」

 顔は見えないが、多分有砂は泣いているのだろう、と日向子は思った。

 秀人の仕打ちは恐らく、有砂の不安定な心を紙一重で支えていた細い支柱を無惨にへし折ってしまったのだろう。

 だがその支柱は裏を返せば、有砂の本心を外界から隔てるための、侵入者を阻む障害だったともいえるのかもしれない。

 吐き出されているのは、皮肉も虚勢も失われた言葉。

 脆く儚く、純粋な……。

 日向子は今、初めて有砂の剥き出しの感情に触れたような気がした。

 そのあまりにも繊細な想いにどんな言葉を返してあげればいいのかわからず、日向子はただ有砂の後ろに手を回して、その小刻みに震える背中を撫でていた。

 フロア表示の点灯が「1」を示し、ゆっくりと扉を開くその時まで。


 訪れたその時、有砂は、静かに日向子を解放した。

「……立てる、か?」

「……はい、あの……大丈夫みたいです」

「そうか」

 有砂はどこかわざとらしく、日向子の前に立ってエントランスを抜け、歩いていく。

 涙の余韻を見られたくないのだろう。

 いつもの有砂に戻りつつある。

「さてどうする? お嬢。諦めて警察に駆け込むか?」

 後ろ姿の問掛けに、日向子はきっぱり答えた。

「いいえ。まだですわ」










《つづく》

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2007/08/28 (Tue)
「……ストーカー?」

 マンションの入り口にしゃがみこんでいた、おさげ髪の若い女は、斜め上から見下ろす男へ眼鏡ごしに強い視線を向けた。

「……ご挨拶ね、沢城佳人。コートも着ないでどこに行ってたの?」

「練習」

 短く答えて通りすぎようとする有砂に、すかさず問掛ける。

「ねえ、ゼン兄は? 連絡がつかないから待ってたんだけど……」

 有砂は立ち止まり、うづみを振り返った。

「……聞いてないんか? あいつならここにはもう戻らんつもりみたいやで」

「え……?」

「……ご丁寧にアパートの名義変更の手続きまで勝手に済ませて出て行きよった。
バンドも辞める気のようやし……お嬢の話と合わせて考えると、釘宮の後継者になるんはほぼ確定らしい。それも、年内やと……スノウ・ドームは安泰そうやな」

 有砂の言葉には多分に皮肉が含まれていたが、

「うそ……」

 うづみはそんなことにまるで気付かないように愕然とした表情でその場にへたりこんだ。

「……そんな……やっと、ゼン兄を自由に出来ると思ったのに……」

 震えながら、両手で頭を抱えるうづみを無言で見下ろしていた有砂は、ふと彼女の左手の薬指にきらめく飾りを目にとめた。

「……その指輪、どこで手に入れた?」










《第8章 迷宮の果てで、もう一度 -release-》【3】










「どうしたの? 日向子……」

 美々はいきなり部屋を訪ねてきた職場の親友兼後輩のただならぬ雰囲気に驚いていた。

 玄関先では話しにくいからという日向子に応えて、とりあえず部屋の中へ入れたが、日向子はソファに腰を下ろすこともなく、切羽詰まった表情で切り出した。

「美々お姉様の、お母様……有佳(ユカ)様が今どちらにいらっしゃるか、おわかりになりますか?」

 思いもかけない問掛けに、美々は日向子を凝視する。

「……なんで?」

 声音はどこか冷たいものになってしまう。

 日向子はひるまず、じっと美々を見返す。

「菊人ちゃん……美々お姉様の弟に当たる男の子が行方不明になりましたの
ハウスキーパーが目を離した隙にお庭からいなくなったと……」

 美々は一瞬目を見開いたが、すぐに打ち消す。

「……それで?」

「はい……ポストに走り書きのようなメモが投函されていたそうで……その、差し出し人の名前が有佳様なのですって」

「……メモには何て?」

「……『この子は私が連れて行きます』、と」

「……」

「有佳様は沢城家とは完全に絶縁していらっしゃったそうで、薔子様には行方がおわかりにならないのですわ。
美々お姉様ならご存じなのではありませんか……?」

 美々は一瞬苦しそうな顔で目を伏せたが、それもまたすぐに打ち消した。

「……その状況だったら確実に誘拐じゃないの。警察に通報すれば済むことでしょ?」

「できれば警察沙汰にはなさりたくないと、薔子様のご判断です……」

 美々はフッとにわかに冷笑した。

「……自分の子どもの身が危ないかもしれないってのに、悠長な女」

 日向子は首をゆっくり左右する。

「薔子様だって一秒でも早く菊人ちゃんの無事を確かめたいと思っていらっしゃいます。
……ただ、出来ることなら大人の都合で深く傷付く子どもをもう出したくないとお考えなのです」

 かつて沢城家の双子に起きた惨劇は、大きくマスコミにも取り上げられて、当事者たちの心に未だ影を落としている。
 
 薔子は当時は自分のことで精一杯だったために、他の人間、それも夫の前妻とその子どもたちを思いやる余裕など全くなかったのだろう。
 しかし年月を経て、自らも子を授かった今、薔子はそれを過ちと認められるようになっていた。

 日向子は電話で話して、そんな薔子の気持ちを察した。
 そして、詳しくは話せないが、有佳の居所に心当たりがあるかもしれない人を知っていること、もしも明日の日付に変わるまでに連絡しなければ、その時は警察に届けるようにと伝えたのだった。

「……なんなのよ、それは」

 うつむいた美々はうめくように呟く。

「あたしの幸せをぶち壊しておいて、今更何言ってんのよ……」

「美々お姉様……」

「日向子……あたし、佳人に会ったよ」

「え……?」

 微かに瞳に涙を浮かべた美々が、顔を上げ、乾いた微笑みをつくる。

「偶然ね……あの店でバイト始めたなんて知らなかったから。
あたし、あんなにつっぱってたのに、実際に会ったら我慢出来なくて、声をかけちゃった」

「……それで?」

「……佳人も気付いたみたいだったけど……言われちゃった。『もうここには来るな』って」

 一滴、涙が頬を伝い落ちる。

「当たり前だよね。……拒絶したのはあたしだったんだから。
……ダメなんだよ、一度壊してしまったものは元になんか戻らないんだ」

 震える言の葉。

「あの女もそれを知るべきなんじゃないの……?
子どもに何かあったって、自業自得よ」

 冷淡とも言える発言とは裏腹に、美々は傷付いた少女の顔をしている。

 日向子はそっと歩み寄り、小さな身体でぎゅっと美々に抱きついた。

「……日向子……」

「あなた方は、いつも自分に嘘をついて、追い詰めようとなさいますのね……欲しいものを要らないと言って、寂しくても寂しいとは言わない。
心にもないことばかり口にして、自ら傷付いて」

 本当に、よく似ているのだ。

 この妹とあの兄とは。

「……もしも、先に声を掛けたのが有砂様だったら、美々お姉様はどうなさいましたか……?」

「……それは」

「もしも相手が自分を憎んでいたら、許してもらえなかったら、拒絶されたら……そんな不安を感じたのではないですか?
傷付くくらいなら、自分から遠ざけてしまおうと……思うのでは?」

 美々は無言だったが、日向子はそんな彼女を見つめて、涙の跡を指で拭う。

「……本当に欲しいものがある時は、どうぞ勇気を出して、なりふり構わず求めて下さい。
その結果何が起きても……わたくしは、美々お姉様のお側にいて、出来る限りお支え致します。
……親友、なのですから」

 美々はきゅっと目を閉じて、今度は反対に日向子を抱き締めた。

「……ありがと……ごめんね。あんたのほうがよっぽど、お姉様みたいだね……」

「……美々お姉様は素敵なお姉様ですわ」

「そうだね、素敵なお姉様でいられるように、もっとしっかりしなくちゃ」

 美々は日向子を抱き締めていた腕をそっとほどいて、もう泣いてはいない、真面目な顔で切り出す。

「だけどごめん、あたしもずっと母さんには会ってなくて、今どこにいるかはわからないんだ」

「そうでしたの……」

「けど、前に母さんが入院してた病院とか、あたしがいた施設とか、色々当たってみればわかるかもしれない。
調べてみるから少し時間をちょうだい」

 いつもの行動力に満ちた頼りになる美々が戻ってきたようで、日向子は非常時に不謹慎かと思いながらも、純粋に嬉しくなった。

「はい、お願い致します……ではその間にわたくしは、もうひとつのあてを当たってみますわ」

「もうひとつのあて?」

 いぶかしげな美々に、日向子は自分のコートのポケットに入れたままだったあるものを取り出し、見せた。

「それ……」

「秀人様の名刺……アトリエに伺ってみようと思いますの。
薔子様がご連絡された際は、まともに話を聞いて頂くことも出来なかったと……わたくしから改めて事情をご説明して、有佳様の居場所をご存じないか確認しようと思いますの。
籍を外れたとしても、菊人ちゃんの実のお父様ですもの、きっと……」

「どうかな」

 苦々しく美々が呟く。

「あの人に世間一般の常識は一切通用しないからね……人並の親の情を期待しても無駄だと思うけど」

「……無駄、だったとしてもただ待っているよりはいいのではないかと思います」

 きっぱりと言い切る日向子だったが、美々はずっと渋い顔をしたままだった。

「……くれぐれも、気を付けてね? 日向子……」








「ねえ、玄鳥はどう思う?」

「何が?」

「有砂のこと。今日のあれってさ、やっぱりお姉さんのこと狙ってるのかな??」

 日向子を練習スタジオから連れ去った有砂は、何食わぬ顔で戻ってきた。

 玄鳥の非難や万楼の詰問も見事に煙に撒き、平然と練習をこなし、帰って行った。

 ファミレスで遅めの夕食をともにする年少組は、未だもやもやした気持ちを抱えたまんまだった。

「……別に有砂さんが本気で日向子さんを好きだっていうなら仕方ないと思う」

 玄鳥はサラダのレタスの青々とした繊維をフォークでザクっと貫く。

「……だけど、いい加減な気持ちの人間が日向子さんに近付くのは耐えられない」

「……いい加減な気持ち……」

 焼きたてのパンケーキにたっぷりメイプルシロップを回しかけながら、万楼はぽつりと呟く。

「……いい加減な気持ち、なのかな……ボク」

「万楼……?」

 玄鳥は恋敵の異変を敏感に感じとっていた。

「……今日、お前、ほとんど日向子さんと話してなかったよな。近くに行ったのは眠ってる時だけで……さ。
しばらくメールも控えてるだろ?」

「チェック細かいな……玄鳥って恋愛になると粘着質なんだね」

「……っ、なんだよ。心配してるんだぞ、一応」

 有砂や紅朱を牽制したり、万楼の行動をチェックしたり……自分でもあんまりかっこいいことではないとわかっている玄鳥は、わかっているが故に本気でむっとしてしまう。

「ごめん」

 万楼は苦笑いする。

「わかんなくなってきたんだ」

 とても、辛そうな笑みだ。

「ボクは本当にお姉さんが好きなのかな」

「……なんだよ、急に」

 二人はディナーを未だ一口も口に運ばないままに、互いを見つめる。


「お姉さんはボクを粋さんの代わりなんかじゃないって……言ってくれた」

「……うん」

「だけど……ボクにとってお姉さんはもしかしたら、代わりなのかもしれない」

 サラサラとした淡いピンクの髪に指をくしゃりと突っ込んで、万楼はきつく目を閉じる。

「だって思い出しちゃったから……ボクは、《万楼》が……粋さんのことが好きだったって」













「申し訳ありません、お約束もなく突然お邪魔致しまして」

「ええよ、ええよ♪ キミが遊びに来てくれるん、ホンマ楽しみやってんから」

 有砂と造形のよく似た顔がハイテンションで気さくに話す様子に、未だに戸惑いを覚えながらも、日向子はキョロキョロと室内を見渡した。

 秀人のアトリエ。

 《SIXS》のゴシックなイメージからもっと薄暗い洋館みたいなところかと思っていたが、ごく普通のモダンなデザイナーズハウスという雰囲気だった。

 秀人のアシスタントらしき人と数人遭遇したが、全員が若い女性だった。

 アシスタントの一人に案内された部屋は、三階建ての建物の最上階。
 その最奥の秀人のプライベートルーム。

 アシスタントにも入ることが許可されていない部屋だという。

 思いの外、無駄なもののないシンプルな部屋だ。

「座って」

 促されたのはベッドだった。
 有砂ほどではないが長身の秀人だけあり、ベッドは恐らくクイーンサイズだろう。

 日向子がちょこんと遠慮がちに腰を下ろすと、秀人は遠慮のかけらもなくすぐ横に座る。

「……で、急ぎの用って何?」

「あ、はい……その」

 日向子は菊人が行方不明であること、連れ去ったのは有佳の可能性が高いということを一生懸命説明した。
 秀人は、うんうん、と相槌を打ちながら話を聞いていた。

 これなら大丈夫かもしれない、日向子はそう思いながら尋ねた。

「有佳様がどちらにいらっしゃるかご存じでいらっしゃいますか?」

 秀人は問掛けにあっさり答えた。

「うん。わかるで」

「本当ですか!?」

「けど」

 年齢にそぐわない悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「教えて、あげないよ」








《つづく》

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2007/08/25 (Sat)
 その日の練習は、蝉を除く四人で行われていた。

 蝉が「また」出て行ったと聞いて、有砂以外の三人は呆れていた。

 日向子はまたスノウ・ドームへ様子を見に行ってみようかと言ったが、有砂は却下した。


 恐らくバンド内で最も蝉という人を理解しているであろう有砂がそう判断したのならば、仕方ない。

 しかしこうして四人での練習風景を眺めていると、たまらなく寂しい。

 寂しさをまぎらわすように、四人の音の隙間に、日向子は記憶の中の蝉の音色を呼び起こし、埋めていく。

 純粋に蝉の奏でるキーボードの幻だけを追っていると、何かとても、穏やかな気分になる。

 懐かしいとすら感じるのだ。

 「月影逢瀬」を弾いてくれた、あの時を思い出すのだろうか?

 それとも……。










《第8章 迷宮の果てで、もう一度 -release-》【2】










「……すごいね。熟睡だね」

 練習中も時折うとうとしている様子だった日向子は、紅朱が休憩を宣言した途端、ほっとしたか本格的に眠りに落ちてしまった。

 椅子の背もたれに小さい身体を預けて、少し上体を左側に折り曲げるようにして眠る姿は、どう考えても楽な姿勢には見えなかった。

 それで熟睡出来るのが不思議なほどだ。

「お姉さんは寝顔も可愛いね。睫毛長いなあ……」

「おい万楼っ、そんなに近くで……!」

「玄鳥、しーっ。お姉さんが起きちゃうよ」

「……っ、女性の寝顔を覗くなんて失礼じゃないか……」

 どうやら日向子の寝顔を直視出来ないようで、玄鳥は赤い顔で目を泳がせながら抗議する。

 万楼は可愛い顔でニヤニヤ意地悪く笑う。

「見ないともったいないよ。ねえ、リーダー?」

「知るか、俺に振るなよ」

 紅朱は迷惑そうに眉をしかめながらも、器用な姿勢で眠る令嬢を見やった。

 まるで無防備な寝顔をかばうように、サラサラとした絹糸のような髪が流れて、白い頬を少し隠している。

 うっすらと開いたチェリーのような唇からは規則正しく淡い寝息がもれているらしく、胸元が微かに上下している。

 無理な姿勢のためによれたブラウスの合わせ目からその奥の素肌が見えそうで……見えない。

「っ」

 それじゃまるで見たがってるみたいだろ、そんなわけあるか、と紅朱は心の中で自分に突っ込みを入れ、日向子から目をそらした。

「ったく……暑いんだよ、この部屋は……」

 ぶつぶつ言いながら出て行く紅朱を目で追った後、年少組は顔を見合わせた。

「この部屋暑い?」

「いや……肌寒いくらいじゃないか?」

 練習中は暑いので、スタジオの暖房を低めに設定されている。
 汗が冷えると少し寒く感じるほどに。

「ねえ玄鳥、このままだとお姉さん風邪引いちゃうんじゃない?」

「あ、そうだよな……上着とか掛けてあげたほうがいいか」

 玄鳥と万楼は同時に動き、備え付けのハンガーにかけてあったそれぞれの上着をそれぞれに取り、それぞれに日向子に掛けようとして、止まった。

「ボクのコートのほうがファーがふわふわであったかいよ」

「……俺のコートのほうが丈が長くて身体がはみださなくていいと思うけど」

「玄鳥、大人げないよ」

「お前こそ大人になれよ」

 呑気に眠りこける日向子を挟んで、チリチリと静かな火花を散らす男二人……のすぐ目の前で、カーキ色の布が翻った。

「え」

 二人は同時に声を上げて目を丸くする。

 いつの間にか(恐らくは不毛な睨み合いをしている間であろうが)日向子のすぐ傍らに立っていた有砂が、常通りのだるそうな顔をしながら、妙にテキパキとカーキ色のコートで日向子を包んで、挙げ句にあんぐりと口を開けたまま固まる二人を尻目に、ひょいっと日向子の小さい身体を抱き上げてしまった。

「有砂さん!?」

「有砂??」

「……前ん時より軽なってる……」

 日向子はこれでも全く目を覚ます気配もなく、自分がみの虫のように包まれて、お姫様だっこされているとは夢にも思わないだろう。

 有砂はこともなげに、

「ここにおくと練習の邪魔になりそうやから、今のうちに撤収する」

 淡々と言い放った。

「撤収……?」

 ハモる年少組に、

「……気ぃ利かせてドアくらい開けろや。塞がっとるやろう、両手が」

 と目を半眼する。

 するとタイミングよくドアが開き、ロビーの自販機で買ったのだろう500ミリリットルのコーラを片手に紅朱が戻ってきた。

「……は?」

 いきなり奇妙な光景を目にした紅朱の動きが止まっている間に、有砂は日向子を抱えたまま、その横をすり抜けてスタジオを出て行ってしまった。

「……なんだ? あいつどうしたんだ?」

 紅朱は残された二人に説明を求める。

 二人は手にしたコートが引きちぎれるのではないかというほどギュッと力を込めてドアの向こうを睨んだ。

「許せない……」

「有砂……っ!」


 その剣幕に二度驚きながら、紅朱はすれ違いざまに一瞬だけ至近距離で見た日向子の寝顔を何故か思い出していた。

「……美人、だったんだな……日向子って……」



 一方非難と困惑の眼差しを振り切った有砂は、そのまま駐車場へ向かった。
 実は寝たふりなのではないかというくらい全く目覚める気配のない日向子を落とさないように支えながら、苦労して愛車の後部座席に下ろす。

「なんや……誘拐犯の気分やな」

 日向子は少し寒さを覚えたのか、わずかにみじろいで、自分を包む布を更に強く巻き付ける。
 顔の下半分までが隠されてしまった。

「……アホ、窒息するやろ」

 有砂は嘆息して、日向子の口元の部分の布を少し引っ張ってやる。
 再び姿を見せた、控え目な色のグロスで艶めく唇が、微かに動き、声にならない言葉を紡いだ。


 ゆ・き・の


 そう読み取れた。
 
 有砂はおもむろに、軽く曲げた右手中指の関節部分で、こつん、と日向子の額を軽くどついた。

「……また、オレで悪かったな……」













「……雪乃!」

 駆け寄って、後ろ姿に呼び掛けた瞬間、びくっとその背中が震えたような気がした。

「……お嬢様……何故、ここに」

 振り返った少年は、確かに雪乃であったが、雰囲気が全くいつもと違って見えた。

 眼鏡をかけていないからかもしれない。

 いつも妙に大人びた雰囲気の雪乃が、今はなんだか年相応の普通の高校生に見える。

 濃紺のブレザーを着た雪乃の姿は朝・夕と目にしているから珍しくなどない筈なのに、新鮮に思えた。

 もっとも雪乃は大急ぎで通学鞄から眼鏡ケースを取り出して、すぐにいつもの通りに戻ってしまったのだが。

「わざわざこのような場所にいらっしゃるとは……どうなさったのですか?」

「うふふ、理由の一つは雪乃の通う学校が近くで見たかったから、ですわ」

 日向子の通う女学院の中等部校舎からも、この高校の校舎はよく見える。

 学院の女生徒たちは、みんな厳しく育てられた令嬢ばかりで、男性に対する免疫がないため、1キロメートルも離れていないこの場所を、憧れと怖さの入り混じった眼差しで眺めているのだ。

 もっともそれはお互い様で、丘の上にそびえる禁域……名門女学院の制服を着た少女が校門の前にたたずんでいるなどここの男子生徒たちにとってもあまりにレアな出来事だったのだが。

 日向子は自分が注目されていることに気付いていない様子で、ほんわかした笑顔を浮かべながら、ピンク色の可愛らしい紙袋を雪乃に差し出す。

「理由のもうひとつはこれですわ。家庭科実習でラズベリーのケーキを作りましたの。自分でもなかなかよく出来ていると……だから雪乃にも食べて頂きたくて」

「……私の帰宅が、待ちきれなかったので校門で待ち伏せなさっていたというわけですか」

「ええ。雪乃はいつも部活動で遅くなりますでしょう? 同じ『待つ』ならお屋敷よりこちらで、と」

「……お嬢様のお気持ちはよくわかりました。が、とにかくここから移動しましょう」

 雪乃は気持ち早口で告げて、日向子の先に立って歩き出そうとした。


「校門の前でナンパ……それもセシル女学院の生徒とは……なかなかおさかんなことやな、釘宮」

 日向子の知る限り、いつでもどこでも冷静沈着な雪乃の顔が、こんなにもはっきりと驚愕に彩られたことがかつてあっただろうか。
「……さっきから何を妙な話し方しとんねん、不気味すぎるで」

「……これはっ、その……」

「……雪乃? お友達ですの……?」

「……か、彼は、同じ部の……」

「まあ、そうでしたの」

 日向子は、雪乃と同じ制服を少し着崩した、鞄を肩口に引っ掛けるようにして斜に構えて立つ背の高いの少年を見上げて微笑する。

「オーケストラ部のお友達ですのね?」

 少年は、際立った美形ではないが、端正に整った顔を歪ませる。

「……オーケストラ部……?」

「よろしければ、ラズベリーケーキをおひとついかがですか?」

「お嬢様、彼は甘い物は召し上がりません。試食は私が責任を持って致しますので、早く参りましょう」

「……えっ、あ」

「失礼を」

 日向子の手からケーキと鞄を半分奪うように受け取って、歩き始める。

 日向子も仕方なく、

「雪乃とこれからも仲良くなさってね……ごきげんよう」

 と、何かまるで幽霊でも目撃したような顔をして雪乃を凝視する少年に、お辞儀をしてそれに続いた。


「……もう、雪乃ったら……どうなさったの? わたくし、雪乃のお友達ともっとお話したかったですのに」

「先生がお帰りになる前に早くお屋敷に戻りませんと、小原さんがお気の毒です。お迎えに上がっていながら、お嬢様に逃げられたなどと知れたらひどいお叱りを受けるでしょうから」

「……そう、ですわね……わたくし、軽率でしたわ」

 日向子は素直に頷き、雪乃はこっそりと胸を撫で下ろしていた。

「……そういえば、雪乃と帰るのは初めてですわね?」

「……はい」

「これからは毎日二人で帰りませんこと?」

「いけません。お嬢様を毎日歩いて帰らせるわけには参りません」

 ぴしゃりと遮断されてがっかりしながらも、日向子は少し考えて、言った。

「では、いつか雪乃が車に乗れるようになったら、わたくしを毎日迎えに来て頂けて……?」











「まあ……どういたしましょう」


 目を覚ました日向子は、まずそこが自分の部屋のベッドだったことに驚き、次に見覚えのあるコートにぐるぐるくるまっていたことに驚き、ベッドサイドに置かれたメモ書きに更に驚いた。


「……『カギは勝手に使わせてもらった。スペアのほうは預かってるから今度コートと交換する……涎ついとったら殺す』」

 やはりこのコートの主も、日向子を部屋まで送り届けたのも……有砂のようだ。

 日向子は状況を頭の中で整理しつつ、大切な預かりものをハンガーにかけて、ベッド脇に吊す。

 カーキ色のコートからはほんの少し、有砂が使っている香水の香りがする。

 だからだろうか?

 雪乃の夢なのに、有砂によく似た少年が出てきたのは。
 雪乃の友達を見たのはあの時が最初で最後……顔も声も覚えていないのに。

「あら」

 硬い感触を見つけ、「もしや」とポケットの中を探った。

 予想通り……それは有砂の携帯電話だ。

 しかも日向子が手に取るのを待ち構えていたように振動し始める。

「着信ですわ……どういたしましょう?」

 ディスプレイは非通知。

 日向子は悩んだが、携帯がないのに気付いた有砂本人からの着信の可能性を考えて出ることにした。

 通話ボタンを押した途端、日向子が何か言うより早く、上擦った声が響いた。

《佳人くん!?》

 日向子も知っている、女性の声。

 こんなにも取り乱した声は初めてだったが。

《佳人くん……っ、菊人がっ》

 続く言葉に、日向子は目眩を覚えた。


《誘拐、されたかもしれないの……!!》










《つづく》

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2007/08/22 (Wed)
「……どうして、今日は雪乃ではありませんの?」

 その朝に日向子を迎えに来たのは、釘宮家の古株の使用人・小原(オハラ)だった。

 小原はつい最近白の面積が黒の面積を追い抜いてしまった頭をかいて、言いにくそうに告げる。

「まことに急なことではございますが、本日より日向子お嬢様の送迎は私が任せられることとなりまして……」

「……雪乃に、何かあったのですか?」

「はい……とは、申しましても、けして悪いことではなく……むしろ喜ばしいことかとは思うのですが……」

「どうぞもったいぶらず、おっしゃって?」

 日向子が先を促すと、小原は顔を引き締めて、改まった口調で答えた。

「昨夜、旦那様が漸様を釘宮家の正式な後継者にご指名されました」








《第8章 迷宮の果てで、もう一度 -release-》【1】









「雪乃が……釘宮の後継者……」

 それは小原の言葉通りの、実に「喜ばしい」知らせだった。

 雪乃は幼い頃から釘宮の後継者になるべく教育を受け、努力を重ねてきたのだ。
 むしろ認められるのが、遅すぎたくらいだと日向子も思う。

 だがあまりにも急な決定であった。

 雪乃は年内にも公の場で正式な後継者としての襲名を行うこととなる。
 年が明ければすぐに高槻の携わる事業や役職を順に引き継いでいかなければならないため、今は釘宮邸で各種手続きや最終的な打ち合わせに追われている筈だ。

 もう日向子の世話にかける余裕はないし、またその必要もない。


 後継者として世界中を飛び回って仕事をするようになれば、顔を合わせることすら年に数度ということになりかねない。

 もう雪乃とゆっくり話をするチャンスはほとんどなくなってしまう。

 心の準備のできていなかった日向子には、それは寂しすぎる現実だった。

 デスクに向かい、昨日の紅朱と玄鳥への取材の件を原稿に起こそうとしても、キーボードの上に置かれた指はかろやかに動いてくれそうもなかった。

 なんだか、身も心も重く感じる。

 溜め息がもれる。

 こんな時には決まって「どうしたの?」と声を掛けて相談に乗ってくれる美々も、今は不在だ。

 まるで何かから逃れようとするかのように、前にも増して忙しく働く美々はデスクにいつかなくなっていた。

 日向子はノートパソコンの傍らに置かれた携帯電話を見やった。

 あんなにも頻繁にメールを送ってきていた万楼から、今日は一通も届いていない。

 こちらから送ってみようかとも思ったが、もし練習に集中しているなら邪魔になってしまうかもしれない。
 そう考えると出来なかった。

 同じように結局話を聞けずじまいの有砂のことも気になるのだが、昨夜はだいぶ機嫌が悪そうだったので、もう少し待ってから連絡したほうがいいような気がしていた。


 あまりにも筆が進まないので、日向子は原稿を書くのを諦めて、ノートパソコンを閉じる。

 昨日の取材の後、ラーメン屋で食事していた際、紅朱と玄鳥は翌日も同じスタジオで二人で曲作りをすると話していた。
 来たければ来てもいいとのことだったが、あまり毎日顔を出してもやりにくいのではないかと思い、遠慮してしまっていた。
 そうなるとそこへ行くのも躊躇われる。



 なんだか世界に一人取り残されたような孤独感を感じて、たまらなくやるせない。

 ふと思う。

 普段はなんとなく距離を置かれているような気がするけれど、辛くてたまらない時には、まるで全てを見透かしたようにいつも突然現れて、心を軽くしてくれる人のことを。

「そういえば蝉様は……どうしていらっしゃるのかしら?」

 あの笑顔がなんだか恋しくなって、日向子は携帯電話を手に取った。












――……ちゃんと、見に来てくれとったんや……

――何ゆうてるの? 約束してんから当たり前やないの

――……ん、ああ……そう、やな。……で、どうやった?

――そらもう、めっちゃよかったで

――ホンマに……?

――お前はうちの自慢の子やな……有砂

――……有砂?

――ホンマにかっこよかったで、有砂

――……オレは、佳人やで? ……母さん

――佳、人……?

――……母さん……?



――うちには、佳人なんて子はいてへんよ














「……っ」

 有砂は、無機質なデフォルト設定の着信音で目を覚ました。

 今が何時なのか、いつの間に眠っていたのかもわからないが、ダイニングテーブルに突っ伏したまま夜を明かしたようだ。

 目が覚めてからも有砂はしばらくそのままの姿勢でぼんやりしていた。

 過去という名の夢の余韻に捕まってしまっていた。

 すぐ近くでずっと、携帯電話が鳴っている。

 有砂の携帯の音では、ない。

「……おい……鳴ってるで……」

 半分覚醒しきっていない頭で、呼び掛ける。

「……やかましいから……はよ出ろ、アホ……」

 万が一「間違えて」もいいように、全く同じ機種で全く同じ着信音に設定して、二つ使い分けている……この携帯の主。

「……蝉……?」

 不意に、霞んでいた意識が覚醒する。

 ゆっくりと身体を起こして、着信音の出所を探した。
 すぐに判明する。それは、テーブルの脇のゴミ箱の中から響いていたのだ。

 点滅するランプが、携帯を包み込むかのようかぶさったウイッグの毛束の隙間から、チカチカとオレンジ色の光を発する。

 有砂はその光景を見つめて、思わず額に手を当てた。

 そう。

 蝉は携帯に出ることはできない。


 ここにはもう、いないのだから。


















「……蝉様でいらっしゃいますか? わたくしです。日向子ですわ」

 長い長い呼び出しのコール音が途絶えた途端、日向子は思わず早口で告げていた。

 しかし、返ってきた声は蝉のそれではなかった。

《……お嬢》

「まあ……有砂様」

《……悪かったな、オレで》

 やはり有砂の声音は不機嫌そのものだ。

「いえ、そのようなつもりでは……ご気分を害されたのでしたら申し訳ございません」

《……別にええ。こっちはすでにこれ以上ないくらい気分最悪やからな……》

「あの……何か、あったのですか?」

 日向子はおずおずと尋ねる。
 下手な発言をすると有砂はそのまま無言で電話を切ってしまうのではないかと思った。
 有砂はしばし間をおいて、溜め息を一つついて答えた。

《……蝉の奴が、出ていきよった》

「まあ、またですの? スノウ・ドームへお帰りになっておしまいですのね」

《いや……》

「携帯電話も置いて行ってしまわれたのですね。あちらは電波が入りにくいですから、必要ないのかもしれませんけれど……」

《……そやなくて》

「きっとすぐに戻られますわよ」

 どうにか口を挟もうとしている有砂に気付かず、日向子は笑って告げた。

「もうすぐカウントダウンライブですもの……少なくともそれまでには必ずお帰りになりますでしょう?
heliodorが次のステップへ進むための、大切なイベントですものね」

《……それは》

「でも……」

 日向子は携帯電話を握った指先にキュッと力を込める。

「……寂しい、ですね?
蝉様がいらっしゃらないと……」

《……》

 有砂は少しの間、沈黙した。

 そして、

《……まあ、少なくとも……》

 吐息の混ざったかすれた声が呟く。

《……この部屋は……オレ一人には広すぎるな……》














「後継者の指名式は二週間後、12月24日に行うことになった」

 「彼」は深く頭を下げた。

「……ありがとうございます。年内に……などと身勝手な申し出を致しまして、先生には大変なご迷惑を」

「私は構わんが、お前のほうは本当に大丈夫なのか?」

 革張りの椅子の肘掛けに肘をつき、頭をもたげた姿勢で、高槻は斜めに「彼」を見上げた。

 「彼」は頷き、応える。

「式で披露する曲はほとんど完成しておりますので、当日までには万全の状態に致します。ご心配には及びません」

「……その話ではない」

 高槻は目をすがめる。

「……本当に、軽音楽には見切りがついたのか?」

「はい」

 「彼」は顔色一つ変えず、完璧な無表情で即答した。



「全てほんの一時の、気の迷いでございましたので」



「……そうか。ならばよいが」

「……それでは私は、取り急ぎ披露曲の準備に入りますので失礼致します」

 「彼」はまた深く頭を下げてから、くるりと書斎から廊下へ続くドアへと踵を返した。

「漸」

 その背中に高槻がもう一つ問いを投げる。

「……眼鏡はもうかけなくていいのか?」

 「彼」は上体だけを軽くひねって振り返る。

「はい。もう、必要がなくなりました」


 そしてもう一度会釈程度に頭を下げて、「彼」高は槻の書斎を後にした。

 広い廊下を歩き、エントランスに続く吹き抜けの階段に差し掛かったところで、

「漸様……いえ、これからは若旦那様とお呼びするべきですね」

 階段を下から上にやってくるところだった、小柄で白髪まじりの頭の品の良さそうな初老の男が呼び止めてきた。

「小原……例の件はお嬢様にお伝えしたか?」

「いえ……それがまだでございまして……」

「何をしている」

 淡々とした口調で言い放つ。

「私は朝のうちにお伝えしろと言った筈だが?」

「……しかし若旦那様、お嬢様はお迎えが若旦那様でなかったことに落胆しておられまして……追い討ちをかけるようなことを申し上げるなど……」

「小原」

 「彼」は気持ち語気を強めて小原を見下ろしながら言った。

「これからも釘宮家で働くつもりなら、私の命令には間違いなく従ってもらう」

 小原は一瞬唖然としたが、元々皺の多い顔に更に皺を寄せ、目を伏せた。

「……それは、心得ておりますが……あまりにもお嬢様がお気の毒です。
若旦那様の襲名式に併せてご婚約を発表などと……何故そのようなことを旦那様に進言なされたのですか?」

「お嬢様のご婚約は先生も切望しておられたこと。お相手は先生がお選びになるのだから、家柄も人格も申し分ない男性に相違ない」

「しかしっ、あのお嬢様がそれを『はい、そうですか』と受け入れる筈がありませんでしょう?」

 おしめをしている頃からこの家の令嬢を見てきた小原にはそんなことはわかりきっていることだ。

 もちろん、「彼」もわかっている。

「反発して、本格的に釘宮を出奔するならそれもよしということだ」

 一片の感情すら覗くことのない「彼」の瞳は、雪の結晶のように冷たく澄んで、何の曇りも存在しない。

「……どちらに転んでも、釘宮日向子をこの家から排斥出来ればそれでいい」

 語る言葉には、いささかの迷いも躊躇もない。

「……何故そのような、ことを……」

 小原は悲しそうに頭を左右に振った。

「……お嬢様は、若旦那様を慕っておいでです。かようなお言葉をお聞きになったら、どれほどお嘆きになるか……」


 悲痛なその訴えですら、もはや「彼」を揺らすことはない。


「……それがどうした?」
 オレンジのウイッグを捨てた「彼」は「蝉」ではない。

 眼鏡をかけなくなった「彼」は「雪乃」でもない。


「つつがなく釘宮の全てを手にしてしまえば、もはや彼女に取り入る理由はない……むしろ目障りだ」


 「釘宮漸」なのだから。












《つづく》

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2007/08/17 (Fri)
「太陽の国」を読んでなくても読んだ気になれるストーリーダイジェスト


 各章を800字程度でまとめています。
 
 最初から読むのが面倒なご新規さんはもちろん、常連さんもざっくり内容を思い出すのにご利用下さい。

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2007/08/15 (Wed)
 第7章終了~。

 今回は今までになく悩みまくって、かなり苦労して書いたのですが、いかがだったでしょうか。

 6章までは一人のキャラクターをメインにして書けばよかっただけだったんだけど、7章からほとんど群像劇に近い形になっていて、同時多発的に事件が起きるのでね。

 特にこの7章は顕著なんで、偏らないように、わかりにくくならないように、最低でも1シーンは各メンバーが日向子と絡むようにとか……。

 パズルゲームのようだ。汗。


 ぶっちゃけ自制しないと有砂の出番が勝手に増えてしまうんです。爆。



 【1】は、ここだけ見るとどうでもよさそうな万楼の「ジェラシー」発言が肝だったり。

 座る位置とかって考えちゃいません?
 私はああやって三人で四人がけの椅子に座る時はなるべく先に座ります。
 うっかり三人目になっちゃうとどっち座っていいか悩むんだよね~。
 私だけか??

 有砂が作者の趣味に走ったコスプレ(笑)をさせられているけれど、きまぐれストロベリーカフェしかり、Vitamin Xしかり、ソムリエエプロンは乙女の必殺アイテムですなあ。

 カフェエプロンでもギャルソンエプロンでもなく、ソムリエエプロンで!!(落ち着け、マニア)


 【2】は久々に劇中詞登場。
 「Melting Snow」はここから3話に跨って鍵となる曲。

 浅川兄弟が生まれたのは雪国新潟で、粋と紅朱が出会ってheliodorが誕生したのも初雪の夜、蝉と有砂が出会ったのは「スノウ・ドーム」、蝉には「雪乃」という名前もある……色々な部分に引っ掛けてのタイトルであり、詞となっております。


 【3】、万楼の回想第1弾。
 そして紅朱と日向子がちょっとイチャイチャしてますが、相変わらず甘い雰囲気にはならないのよね~。


 【4】で蝉が作中にて二回目の家出。笑。
 今回はガチ家出です。
 この章の蝉は独りでひたすら悩んでるんでかなり痛々しい感じ。
 そしてこっからますます痛々しいことになります……。

 玄鳥は別な意味で痛々しいと思うけとね。

 
 【5】、万楼の回想第2弾。
 やっぱり万楼のほうがはるかに玄鳥よりは大人だったみたいですな。笑。

 そして名前だけは出てきていた有砂パパが登場。

 最初はもうちょっと病的な雰囲気の人にしようかと思ったんだけど、花宵ロマネスクの宝生紫陽と被っても面白くないので、結構テンションの高いおじさまに。
 この人はなにげに後々重要な役割を果たすことになります……。

 そして作者は密かに、萌えています。笑。


 第8章では、2つの事象が終局に向かいますが、また別な問題が浮上か……?

 ご意見ご感想、随時お待ちしてますので、今後ともよろしくお願い致します。

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2007/08/15 (Wed)
「どうしても、行くの?」

「ああ」

 あまりにもあっさりとした返事。

「だけど万楼がいなくなったら、ボクはまた独りぼっちになるよ」

「男の癖に情けない顔をするな……響平」

 犬や猫を撫でつけるようにがしがしと頭を撫でてくる。

「お前は東京へ行け。heliodorはきっと、お前を必要とする筈だ」

「heliodorなんか……嫌いだよ」

 ふつふつ、と自分の内側から見覚えのない感情が沸き上がってくる。

「万楼がこの街を去るのも、heliodorの為でしょう?」

「違うな……私自身の為だ」

「じゃあ、万楼にとって……heliodorは、過去?」

 つきつけた問いに、彼女は黙ったままどこか悲しそうに笑う。

「側にいても……万楼の心はいつも遠くにある……ボクを、見てくれてない」

「響平、私は」

 もうたくさんだ。

 無我夢中ですがるように、細く締まった腰を抱き締めた。

「……どうしても行くなら、最後に抱かせてよ。
今夜だけ、ボクのものになって」














《第7章 秒読みを始めた世界 -knotty-》【5】











「……今の……何?」

 両腕にリアルに蘇ってくる感触。

 その光景は、ただの白昼夢ではないと、全身の感覚が訴えている。

 ベースを抱えたまま、万楼は呆然としていた。

「……ボクは……?」


 照明を落とした薄暗い部屋の中で、「Melting snow」のせつないメロディだけがエンドレスで流れていた。












「日向子の奴、なんか急いでたな」

「……うん」

「有砂からの電話となんか関係あんのかな……」

「……」

 ラーメン屋を出てすぐに日向子と別れた浅川兄弟は、スタジオの駐車場へと向かっていた。

「……兄貴」

 突然玄鳥が立ち止まった。

「なんだ?」

 紅朱もまた、立ち止まる。
 そしてようやく自分を見つめる玄鳥の瞳に宿る思い詰めたような感情を察した。

「……綾?」

 玄鳥は紅朱を睨むようにして口を開いた。

「兄貴は日向子さんをどう思ってる?」

「どう……って、いい奴だと思ってるぞ?」

「女性としてどう思うかって聞いてるんだよ」

「あ? 女性として? なんだよ、それ」

 玄鳥はじれったそうに語気を荒げる。

「彼女を恋愛対象として見てるかってことだよ!」

 紅朱はあまりの勢いに不覚にも圧倒されていた。
 即答しない兄に痺れをきらしたように、玄鳥はついに言い放った。

「俺は、日向子さんが好きだよ……初めて彼女の手に触れた……あの瞬間から、ずっと、ずっとバカみたいに恋焦がれて……彼女だけを見てきたんだ」

 往来で大声で口にするには、通常ちょっとためらわれるような台詞を真剣に口にしながら、玄鳥は一歩踏み込み、唖然としている紅朱の両肩をぐっと掴んだ。

「兄貴はどうなんだよ!? そういうつもりじゃないんだったら、頼むから俺の邪魔をしないでくれ」

「邪魔……って……」

 肩に食い込む指の力の強さに、紅朱は玄鳥がいかに本気かを文字通り痛いほど思い知らされていた。

「悪ィ……全然、知らなかった。お前……日向子に、惚れてたんだな」

 自分で告白したことだというのに、玄鳥は微かに顔を赤らめてうつむき、紅朱から手を引いた。

「……うん」

 紅朱はしばしそんな玄鳥を見つめていたが、ややあって小さく溜め息をついた。

「……いいんじゃないか」

「え?」

 顔を上げた玄鳥に、苦笑して見せる。

「お前はしっかりし過ぎてっから、案外日向子みたいに抜けてる奴が合うかもしれねェな」

「……兄貴……」

 驚きで玄鳥の瞳がまんまるになる。

「応援してくれるのか? 俺のこと……」

「バカ……当たり前だろうが、俺はお前の兄貴だぞ」

 瞬間、玄鳥は感激と安堵がミックスされた半分泣きそうな笑顔で、

「……兄貴っ!!」

「うあっ」

 いきなり紅朱を思いきり抱き締めてきた。

「ありがとう! 兄貴っ!!」

「なっ、離せバカ野郎! 見られまくってんだろうが!!」

 あまつさえ玄鳥の腕にちょうどよくすっぽり収まってしまう自分の体型を疎みながら、紅朱は必死に逃れ出た。

「……ったく、大袈裟なんだよ、お前は」

「ごめん……けど、俺はもしかして兄貴も日向子さんのこと気になってたらどうしようかって思ってたからさ……」

「……あのなぁ、んなこと……」

 ふと。

 紅朱の頭の中に、日向子が現れる。

 微笑んだ日向子。

 涙を浮かべた日向子。

 すねた顔。

 恥じらう顔。

 鳥のさえずるような澄んだ声。

 触れた時の髪や肌の柔らかさ。

 真っ直ぐに見つめてくる大きな瞳。


「……あるわけ、ねェだろ」

 そうだ。

 意識したことなどなかった。

 これまでは一度も。

 そしてこれからも……?

 正体のはっきりしないもやもやを胸の真ん中に感じながらも、紅朱は玄鳥に笑ってみせる。 

「あ、そういや心配すんなよ。このことは他の奴らにはちゃんと黙っててやるからな」

「あの……すごく言いにくいんだけどさ。知らなかったのって……兄貴だけだよ?」

「あ?」













 日向子は有砂を待っていた。
 電話で、バイトが終わり次第そのまま真っ直ぐ迎えに来るから適当に時間を潰しているようにと言われていたので、12月を彩るイルミネーションを眺めながら、ふらふらと意味もなく街をぶらつく。

 有砂のほうから連絡をしてくること自体が珍しく、しかもその内容が「話したいことがあるから付き合ってほしい」……だ。
 声音が少し弱々しく聞こえたのは、バイト疲れのせいだけだったのか。

 何かあったのだろうか。日向子は不安を感じていた。

「有砂様……」

 名前を呟いた瞬間、日向子のすぐ横でふいに停車した車があった。

「有砂様?」

 振り返ったがそれは有砂の車ではなかった。
 艶やかなボディの薔薇色のフェラーリ。

「……やっぱり、水無子に似てる」

 わずかに開いたウインドウから声が聞こえた。
 男性の声だ。

「水無子……?」

 日向子はその名を聞き留めて、目をしばたかせた。

「わたくしの母が水無子ですけれど……」

「母っ? ほんならキミ、水無子の娘なん? えっ、ホンマに!?」

 早口の関西弁がまくし立てたかと思うと、少々乱暴に運転席側のドアが開け放たれた。

「そら生き写しも無理ないか、高槻センセーの遺伝子は一体どこいってもたんやー?」

 車から降りたのは、黒いロングコートを着た、背の高い、一見年齢不祥な男性だった。
 雰囲気から恐らく日向子より10以上は年上であろうとは思われたが。
 だがそれよりも、日向子は彼の着ているコートのほうに気をとられていた。

 よく覚えている。


 別れ際に、伯爵がまとっていたあのコートと全く同じデザインだ。


「あの……どなた様ですか?」

 男性は、日向子を見下ろして楽しそうに笑う。

「僕なー、キミのママの昔の彼氏やねん」

「えっ?」

「ああ、ええね。その驚いた顔とかホンマそっくりやわ」

 遠慮もなく伸ばされた左手のいくつものシルバーで飾られた五指が、日向子の右頬に触れる。

「実に、そそるね」



 ダンッ、と突然鈍い音が辺りに響いた。

 日向子と男性は同時に振り返り、

「まあ……っ」

「なぁっ……!!」

 同時に叫び、顔色を変えた。

「ちょっ、オマエはなんちゅーことをっ、先月納車したばっかやねんぞ!?」

「……あんたこそ年甲斐もなく恥さらしな真似せんといてくれへんか?」

 有砂だった。

 日向子には先刻から展開があまりに急過ぎて、何が起きているのか整理しきれなかったが、どうやら先刻の音は、有砂がフェラーリのバンパーを蹴り上げた音だったようだ。

「お嬢」

「は、はい」

「危ないからこっち来とき」

「はあ……」

 日向子はよくわからないまま、ひょこひょこと有砂の側に寄っていった。

「なんや、キミは佳人のタレやったん?」

「たれ?? あの、有砂様のお知り合いですか?」

 有砂は不機嫌そうに舌打ちした。

「いや、思いっきり赤の他人や。ほっといて行くで、お嬢」

 日向子の手首を掴んでとっとと歩き出そうとする有砂だったが、

「こーら、パパにそんな口聞いたらあかんやろ? 誰のおかげでそんな大きなった思てんねや」

「……パパ?」

「少なくともあんたのおかげやないやろ、クソ親父」

「おや、じ……?」

 日向子は目を見開いて、有砂と男性を見比べた。

 そうだ。

 コートにばかり気を取られていたが、よく見れば男性のルックスは、ほとんど有砂の「未来予想図」のようだ。

「あの……あなたが、沢城秀人さん……?」

 男性は微笑む。

「うん、そうやで♪ ちなみにキミの名前は?」

「あの……日向子、です」

「日向子か。カワイイ名前やんか~、キミにぴったりやん」

 軽い口調で評しながら、
「はい、あげる」

 差し出してきたのは名刺だった。

「僕のアトリエの住所、書いてあるからいつでも遊びに来てくれてええよ♪」

「はあ……」

「アホか、受け取らんでええって」

 有砂はイライラした様子で日向子の手首を引っ張る。

「ほら、行くで」

「あっ……はい」

 引きずられるようにして有砂に連行されながらも、日向子は少しだけ後ろを振り返った。

 秀人は微笑を浮かべたままヒラヒラと手を振っていた。

 日向子は軽く会釈だけを返して有砂に視線をスライドさせた。

 静かな怒りをたぎらせている様子だ。

 声をかけるのをためらってしまう。

 日向子は受け取った名刺をとりあえずコートのポケットにしまいこんだ。

 あの人が沢城秀人。

 有砂や、美々や、菊人の実の父親。

「……驚いたやろ?」

 有砂が口を開いた。

「……あれでもそこそこええ年やねんで。半世紀近く生きてもあんな調子や……昔からちっとも変わらへん。恥ずかしい奴や……」

 日向子には秀人が見た目より遥かに年齢を重ねていることよりも、秀人が話に聞いてイメージしていたほど悪い人に見えなかったことのほうが意外だった。

 だがけして、良い人に見えたというわけではない。

 感じたのは、善悪の境界の曖昧な、子供のような危うさだ。

 確かにあの人は、危険な人なのだろうと日向子は感じていた。

「お嬢」

「はい」

「間違ってもあのクソ親父と二人っきりで会ったりしたらあかんからな」

「はい、あの……有砂様、ところで今日は何を」

「今日はもうええ……気ィ削がれたから、ジブンをマンションまで送ったら帰るわ」

「……そう、ですか」

 とても残念なことだ。

 だが、今日は、ということは日を改めてまた話してくれるということだ。

 日向子は頷いた。

「わかりました。またいつでもお話し下さいね?」















 今一番会いたくない男と遭遇してしまったことにより、バイトの疲労感が一気に10倍に膨れ上がったようで、身も心も重く感じながら有砂は帰宅した。

 いい加減深い時間となっていたが、蝉のバイクがないようだった。

 蝉が釘宮やスノウ・ドームの事情で遅くなることはよくあるが、いつも必ず帰宅連絡をよこしてくる。

 何か、引っ掛かるものを感じた。


 そしてそれが杞憂ではないことを、有砂はダイニングルームで、知った。

 顔に似合わず達者な文字で記されたあまりにも短い、伝言。

「……あのアホ……」

 有砂は奥歯を噛んで、ぐしゃっ、とメモ握り潰した。







『よっちんへ

 今までありがとう

 おれはやっぱり

 釘宮漸、として

 生きていくことにします

 勝手でごめん

 heliodorと

 あの娘をよろしくね』














《第8章へつづく》

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2007/08/14 (Tue)
 約束の駅前広場のベンチ。

「ごめんごめん、ちょっと遅刻だね」

 いつも通りの笑顔で小走りに美々が駆け寄ってくる。

「いいえ、わたくしも今来たばかりですわ」

「そっか。どこ行く?」

「そうですわね……先月行ったエスニックのお店などはいかがですか?」

「いいね、そうしよう」

 美々があまりにもいつもと変わらないことに、日向子は少しの安堵と大きな違和感を感じた。

 先に立って歩き出した背中にそっと問掛けるべく口を開く。

「……美々お姉さま? あの」

「日向子」

 振り返らずに、美々は告げた。

「……写真、返さなくていいよ」

「え?」

 予想もしない言葉だった。

「あんたにあげる。捨ててくれて、いいから」

 振り返った美々はやはり、微笑んでいた。

 痛々しいまでに明るい笑顔で。

「過去なんか、もういらない」










《第7章 秒読みを始めた世界 -knotty-》【4】












「よっちん……それ、ツッコミ待ち?」

「は? ……っ」

 有砂は完全に巣のリアクションで、手にしていたものを洗面台の上に投げるように置いた。

 それはどう見ても洗顔フォームで、蝉が声をかけなければ確実に有砂はそれを歯ブラシにつけて口に入れていたに違いない。

「間違えたの?」

「……うるさい」

 先だってと真逆の状況に、蝉は苦笑し、有砂は気まずそうに目をそらした。

「疲れてんじゃん? 仕事、大変なんでしょ?」

「……そうやな」

 有砂はあっさり肯定した。

 ということは他に何か理由があるんだろうな、と蝉は思った。

 聞いてやるべきだろうか?

 聞いても答えてくれないかもしれないが。


「よっちん、あのさ……もし何かあったんならさ、相談……してくれていいよ?」

「……別に」

 反応は予想通りだった。

 相変わらず蝉の親友は、他人に甘えることがどこまでも苦手だ。

 だが蝉はわかっていた。

 今はもう、自分が必死になる必要はないということを。

「じゃあ……日向子ちゃんに聞いてもらいなよ」

「……別に、何もないゆうてるやろ」

「うん、わかった、わかった。おやすみ」

 蝉はそれ以上何も聞かずに自室へ戻った。

 灯りをつけることもなくベッドに無造作に身体を倒して、天井を見上げる。

「だよね……きっとおれは、手を貸さないほうがいい……」

 シャワールームから漏れ聞こえてくる水音をBGMに瞼を閉じた。

「……だって……これからはもう……」










 最大にひねったシャワーを頭から全身に浴びながら、有砂はきつく目を閉じ、うつむいていた。

 歪に痕を残す胸元に、右の手を当てる。

「……っ」

 傷痕に爪を立てて、ぎりぎりとつき立てる。
 えぐれた肌ににじんだ赤い液体は、豪雨のようなシャワーの水流にすぐに洗い流されていく。

「……さ……」

 呟いた名前もかき消され、ともに排水口へと吸い込まれた。










 どこにも帰る場所のなくなってしまった写真を手帳にはさみ、バッグにしまう。
 無意識に、溜め息をつく。

「……お姉さま……」

 美々にとってそれが最良の選択ならば、仕方ない。
 日向子は何度も自分にそう言い聞かせているが、心は少しも晴れてくれなかった。

 そもそも、美々は昨夜までは確かに写真を取り戻したがっていたのだ。
 それが土壇場になって「いらない」などと言い出したのは何故か?

 理由があるに違いない。

 だが美々はその理由を教えてはくれなかった。

 今は無理でもいつかは……そう願って静観するしかないのかもしれない。
 その時がくるまで大切に写真を保管しようと心に決めた。

「さて、お仕事ですわ」

 気合いを入れて、スタジオのドアをくぐる。

「おはようございます!」

 精一杯元気に挨拶すると、

「あ、おはようございます」

「おお、来たな」

 今日の取材の相手である浅川兄弟が待ちかねていたというように日向子を迎え入れる。

 今日は二人だけで新曲の製作ということで、その合間にカウントダウンライブと製作中の楽曲についてのインタビューを行うことになっていた。

「新曲というのは、カウントダウンで発表する曲なのですか?」

「いや、発表はもうちょっと後だな……桜が咲くまでにはってとこか」

「まあ随分先ですのね」

 驚く日向子に、玄鳥が後ろ手に差し出したとっておきのプレゼントを満を持して差し出すような顔で告げる。

「今度の曲がおそらく、heliodorのインディーズデビュー曲になります」

「インディーズデビュー……CDになるのですか!?」

「かねてから声をかけて頂いていたインディーズレーベルの方と、3月リリースの予定で話を進めているところなんです」

 それはheliodorにとって初の音源制作ということだ。
 もともと彼等ほどのレベルのバンドが未だにCDはおろかデモテープのひとつも世に発表していないというのは極めて珍しいことだった。
 ファンはもちろんのこと、業界的にも長く待ちわびた決断だ。

「新生heliodorが活動開始して丁度2年だ。頃合いだと思ってな」

 以前美々に聞いた話によれば、heliodorには、デビューの話が一度持ち上がっていたという。

 だが粋の脱退に伴う活動休止で立ち消えとなった。

 恐らくはあの曲、「Melting snow」がそうなのではないか。

 それを日向子が問うと、紅朱は首を縦にした。

「俺にとっても思い入れのある曲なんだ、あれは……出来れば音源として発表したかった。
だが新生heliodorが、昔のメンバーの曲でデビューするわけにはいかねェだろ。
だから、カウントダウンライブで演奏して供養することにしたんだ」

 紅朱がかの曲を演奏することにしたのは、実に前向きな趣向からだったのだ。

 日向子は感心していた。

「新曲は一体どのような曲になるのですか?」

 身を乗り出す日向子に、兄弟は顔を見合わせて笑った。

「それはまだ内緒です」

「ま、曲が完成すんのをいい子で待ってろよ」

「まあ」

 日向子はわざとらしく怒ったような顔をして見せた。

「お二人とも意地悪ですのね」

 すぐに笑ってしまったが。

 紅朱と、玄鳥と。
 3人で微笑みを交していると、心の支えが少しとれて楽になるような気がした。

「さてと……なんか腹減ったな。そろそろメシ行くか?」

 紅朱の言葉に時計を見やると、いつの間にか19時を回ろうとしていた。

「日向子さんも一緒に行きますよね?」

 玄鳥の問掛けに日向子はもちろん満開の笑顔で答えた。

「はい、もちろんですわ。ご一緒させて下さいませ」


 3人で過ごす、穏やかな安らぎに満ちた時間。

 それがこの日を境に失われてしまうことを、今はまだ誰も知らない。











 何度も書き直した手紙は、書き直す度にシンプルなものになっていった。

 言い訳をくどくど書き列ねてもなんにもならないような気がした。

「これで、いいか」

 最終的には本当に短いメッセージとなってしまったそれを、蝉はダイニングのテーブルに置いた。

「……少しは……」

 かすれた声で呟く。

「……寂しがるかな……」

 ふっと苦笑する。

 あまりにも図々しい願望だと思った。


 蝉はうつむきながら、テーブル脇のゴミ箱を覗いた。

 今しがた蝉自身がそこへ葬った品が恨めしげに蝉を見上げていた。


 オレンジ色のウイッグ。

 ジャラジャラとストラップのついた携帯電話。


 その他こんな小さなゴミ箱には入りきらないほとんどの私物をこの部屋に置き去りにするのだ。


「……ごめんね……」


 バイクの鍵や財布以外、ほとんど手ぶらに近い状態で、蝉は部屋を出た。

 部屋の鍵をしっかり閉めると、しばらく握り締めていたその鍵をドアポストから、ストン、と落とす。

「……っ……」

 早足で歩き出す。

「……紅朱……」

 涙が滲む。

「……玄鳥……」

 視界がぼやける。

「……万楼……」

 胸が詰まる。

「……よっちん……」

 息が苦しい。

「……日向子ちゃんっ……」

 痛い。






「さよなら」











「……え?」

 急に日向子は立ち止まり、後ろを振り返った。

「どうかしましたか?」

 心配そうに玄鳥が声を掛ける。
 少し先を歩いていた紅朱も立ち止まった。

「いえ……なんとなく、どなたかに呼ばれたような気がしたのですけれど……」

 キョロキョロ見渡したが、知人らしき者は全く見当たらない。

「気のせい……かしら?」

 その時、タイミングを合わせたかのように日向子の携帯が振動した。

「あら……万楼様かしら?」

 携帯に着信=万楼、といった図式が脳内に確立されつつある日向子の様子に、傍らの玄鳥は少し複雑な顔をしたが、

「まあ、珍しいですわ。有砂様からお電話なんて」

 有砂からと判明していよいよ渋い顔をした。

 一方紅朱は、

「少し店がこむ時間だから、俺と綾で先に行って席を取る。お前は電話が終わってからゆっくり来いよ」

 と気遣いを見せ、日向子もそれを承知した。

 実は二人の電話の内容が気になって仕方ない玄鳥も、やむをえず兄について先に歩き出した。











「なんで怒ってんだ? お前」

 自分のグラスを引き寄せながら、紅朱が問う。

 当然のように紅朱がチョイスしたラーメン屋で、テーブル席を何とか確保した兄弟は対面に座っていた。
 玄鳥はお冷やを一気飲みして空のグラスをどん、とテーブルに置いた。

 振動で、テーブルの真ん中で待ち惚ける3杯目が、その水面をふるふる震わせた。

「やっぱり俺、有砂さんのことは信用できない」

「脈絡なく不穏当なこと言ってんじゃねェよ。うっかり日向子が聞いたら確実にしょげるぞ」

「……ごめん。けど」

 玄鳥は険しい顔で目を伏せる。

「あの人はやっぱり、女性に対していい加減で冷た過ぎると思う。
昨日だって、ただならない雰囲気の女の人が声を掛けてきてて……多分、過去に関係のあった女性なんだろうけど……それを、あんな言い方して」

「どんな言い方だか知らねェが、あいつのそういうところは昔からだろ。
最近はマシんなったほうじゃねェか。今更何カリカリしてんだ」

「っ、それは日向子さんがっ」


「わたくしが?」


「えっ」


 いつの間にかテーブル横に立っていた日向子が興味深そうに玄鳥を大きな瞳で見つめていた。

「わたくしが、どうなさいましたの?」

「いや……なんでもないんで。その、どうぞ……座って下さい」

 日向子は不思議そうに玄鳥を見つめていたが、促されるままに……座った。


「……あ」


 玄鳥は少し目を見開いて、短く声をもらした。

 日向子は自然に、とても自然に座った。

 紅朱の隣の席に。

「ん? どうかしたか?」

 品書きを見ながら呑気に問掛ける紅朱は、おそらく何も特別な感想は抱いていない。

 だが玄鳥の頭の中には、先日の万楼の言葉がまざまざと蘇っていた。



――無意識なあたりが更にジェラシーだなあ



「……本当、だよな……」

「はい? 何か、おっしゃいましたか?」

「綾、お前も早く注文決めろよ」


 どこまでも無邪気な二人に、玄鳥は追い詰められていた。
















《つづく》

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2007/08/12 (Sun)
 鼓膜を震わせる音。

 潮騒の、ざわめき。

「ここで会ったのも何かの縁だし……ねえ、ボクと心中してくれない?」

「なかなか過激な口説き台詞だな」

 誰もいない、白い砂浜。
「……そんなに、死にたいのか?」

 突拍子もない申し出を、彼女は真顔で受け止める。

「そうでもないけど、そろそろ死んでもいいかな、とは思うよ。
積極的に生きていこうって思うだけの目的とか、楽しみがあるわけじゃないからね」

「そうか。まあ、付き合ってやってもいいぞ」

「……え?」

 道端でナンパされたかのような軽い返答。

「いいの?」

「ああ」


 反対方向から続いてきた2つの足跡が、繋がったその瞬間から運命が巡り始めた。


「ただし私と賭けをして、お前が勝ったらな」













《第7章 秒読みを始めた世界 -knotty-》【3】











「……賭けをしよう、ってあの人は言ったんだ」

 相変わらず殺風景な部屋の真ん中で、三人は向き合って座っていた。

「賭け……?」

「この曲のベースパートを一週間で引きこなせたら……一緒に死んでもいい、って」

 頼りなく細い糸をたぐりよせるように、たどたどしく、けれど確信を持って万楼は語る。

「それがheliodorの曲……『Melting Snow』だったよ」

 一つの有力な可能性に過ぎなかったことを、真実だと裏付けたメロディ。

「ボクの出会った『万楼』は、やっぱり粋さんだった……」

 紅朱は目を伏せて、笑った。

「ああ……それは粋の得意な罠だ」

「罠、ですか?」

 二人の横で静かに話に耳を傾けていた日向子が思わず口を開いた。

「同じ手に引っ掛かった奴が一人いるからな」

 紅朱は思い出し笑いで小さく噴きながら補足する。

「今頃、気色の悪ィ営業スマイルで精出して働いてんだろ」

「有砂様ですか!?」

「……やっぱりお前も気色悪いと思ってたんだな?」

「そ、そのようなことは……」

「気にすんな。その感覚は正常だ」

 日向子はそれをどうしても強く否定出来なかった。

「それで、罠というのは……?」

 話題を元に戻すのがやっとだった。

「粋のベースには、中毒性がある」

 紅朱もそれ以上日向子をいじめるつもりはないようだった。

「言葉で説明するのは難しいが、粋の弾くベースの音自体がな、何か強烈な毒を含んでるんだ」

「うん……痺れるような甘い毒」

 万楼が大きく頷く。

「側で聞いてるとすごく気持ちよくなっちゃうんだ。一週間もずっと聞いてたら、もう抜け出せなくなってしまうほど」


 さながら、船乗りを海に誘い込む魔性のセイレーン。
 魅惑の音色は鼓膜から人々を酔わせ、意のままにする。


「有砂は賭けに負けたらheliodorのメンバーになる筈だった。
けど、あいつは賭けには勝ったが、結局heliodorのメンバーになった。
万楼もそうだったんだろう?」

 紅朱の問掛けに、万楼は苦笑で答えた。

「約束通り心中してやる、って言われたけど、ボクはそんなことより、もっとベースを教えてほしいって頼んだんだ。
……行くところがないなら、ボクの部屋で一緒に……暮らさないかって」

 それが始まり。

 一人の少年が、ベーシストとしての道を歩き始めたきっかけだったのだ。

「ようやく、そこまでは思い出せたんだ」

 万楼は少し興奮した様子だった。

「『Melting Snow』を練習してると、どんどん、思い出すんだ。
すぐに思い出すよ。万楼……粋さんがどこへ行ったのか、どんなふうに別れたのかも」

 日向子はそんな嬉しそうな万楼に一抹の不安を感じてしまった。

 ナイト・アクアリウムで万楼は少し気になることを口にしていた。

 あの人の手を離してしまった……確かそんなような言葉だった。

 普通の状態ではなかった万楼はあの場での自分の発言を曖昧にしか覚えていないようで、確認しても何のことだかわからなかった。

 あの人……それが誰のことかはわからない。

 だがそれが彼女なのだとしたら。

 きっとそこには何か……万楼を苦しめる真実が隠れている。

 万楼は記憶を取り戻したいとずっと願っていた。
 日向子もそれが一番いいことだと信じて見守ってきた。

 今もそれは変わらない。

 だが同時に言いようのない不安も感じてしまう。

 急速に解かれていく封印が、乾ききっていない傷口をも開いてはしまわないかと。

「万楼様」

 日向子は万楼を真っ直ぐに見つめて言った。

「……頑張って下さいませ。お役に立てることなどないかもしれませんけれど、何かありましたら、いつでもわたくしを呼んで下さい」

 万楼は微かに頬をピンク色に染める。

「うん……ありがとう」














 ほどなくして万楼の部屋を出た2人はすぐには帰らず、紅朱のバイクをそこに置いたままで、しばし冬空の下を散歩していた。

 日向子は写真を美々に返却するために待ち合わせをしているのだが、待ち合わせの約束の時間までまだ少し余裕があった。

 ひとりで暇を潰すつもりだったのだが、紅朱は紅朱でバイトの時間までに少し持て余した時間があると言う。

 それならば……ということで今しばらく付き合うこととなったのだ。

 あてもないゆったりとした散歩。白い息を吐きながら交すとりとめない会話の内容は、自然と粋と万楼のことになっていた。

「粋と万楼の音は本当によく似てる。足りないのは毒の量だけだ」

「毒の量……紅朱様は万楼様に粋様と同じように弾けるようになってほしいのですか?」

「いや、思わない。あれは真似して真似出来るもんじゃねェからな……。
むしろ俺は、そろそろ万楼は粋とは違う個性を身に付ける段階にきたと思ってる」

 紅朱の口調は力強い。

「以前の万楼はただ粋の身代わりなろうと必死だった。あの段階で粋の音を聞かせれば、それをただ模倣しようとあがくだけで終わった筈だ。
だが、今の万楼ならそれではダメだとわかるだろう。あいつは、粋に勝ってheliodorのベーシストの座を防衛しなきゃなんねェんだからな」

 言いきった紅朱の表情は、温かく、優しい。
 万楼へのリーダーとして、バンドの仲間としての愛情を感じとり、日向子の顔も自然と綻んだ。

「まさか、あの曲がきっかけで万楼の記憶があんなにするする戻り始めるとは思わなかったけどな」

 ふと流れてきた雲に太陽が遮られるようにして、紅朱の表情に翳りが浮かんだ。

「……俺は、今更粋と再会してどうしようってんだろうな」

「え……?」

「粋が消えた時、俺はもうバンドを辞める気でいた。粋のいないheliodorに未練はなかった。
それに……まるで、今まで自分がやってきたことを全部否定されたような気分だったんだよな。
そのクセ、いつか帰って来てくれるんじゃないかなんて甘い考えも捨てきれてなかった。
だがもうheliodorは新しく生まれ変わって、着々と前に進んでるじゃないか……今更粋と会ったって仕方ない」

 万楼には粋を見つけだして、勝つことでheliodorのベーシストでい続けたいという願いがある。

 紅朱にはかつてもう一度粋とバンドをやりたいという願いがあったのだろうが、今はもう万楼を仲間として認めているようだ。

 少なくとも日向子にはそう思えた。

「紅朱様……粋様に、会いたくないのですか?」

 紅朱は目を細め、自嘲的に笑う。

「再会したってまた傷付け合って終わるくらいなら、本当はもう会わないほうがいいのかもしれない」

「そんな……」

 胸が苦しくなる。

 昨夜の、電話ごしの震えた声が頭をよぎった。

「……紅朱様も、なのですか……?」

「ん?」

 日向子の言葉の意味はもちろん紅朱にはわからなかったが、思いは伝わる。

「だが……望もうが望むまいが、もう一度出会う運命なら、きっとまた出会う」

 革の黒い手袋をはめた右手が、日向子の頭の上にポン、と乗っかった。

「だからそんな顔すんなよ」


 気遣うような優しい声が、日向子の胸に染み込んでいく。 

「……はい、紅朱様」



 ちょうどその時、二人の横を一台、鮮やかな深紅のフェラーリが通り抜けた。

 それがすれ違う瞬間、ほんの一瞬スピードを緩めたことに二人は気が付くことはなかった。

 だがドライバーのほうはバックミラーを横目で、けれどしっかりと見つめ、小さく呟いた。



「水無子(ミナコ)……?
……なわけないか」













 一方その頃、『気色の悪い営業スマイルで精を出して働いて』いた有砂は、実際慣れない筋肉を酷使して顔面が筋肉痛を起こしそうな勢いで頑張っていた。

「……しんどい……」

 有砂自身可能な限りフロアには出たくないと思っているのだが、

「沢城さん、6番ご指名入りましたよ~」

「……ご指名、ってなんですか。いつからこの店はホストクラブに?」

「まあまあ、いいからいいから」

 有砂は客から掟破りの「ご指名」をされるほど予想外の大人気となっていた。

 おっとりしているが押しの強い店長や、ベテランの先輩店員に押しきられて有砂はフロア専門にさせられつつあった。

 時には「あれってheliodorの有砂じゃない??」といった小声の会話が耳に入ってくることもあったが、最終的には「ま、そんなわけないよね」で会話は終了してしまう。

 クールさが売りの有砂がまさかそんな……と思うのは無理もない話だ。

 結局今日もひたすら接客に明け暮れていた有砂だったが、


「いらっしゃいま……なんや、ジブンか」

 不意に作りかけた笑顔を打ち消す。

「お疲れ様です」

 玄鳥だった。

「何しに来たんや」

「俺はもともと常連です」

 確かにheliodorがここで頻繁にミーティングを行うようになる以前から、玄鳥はこの店をよく利用していた。
 だが、

「有砂さんこそ……何が目的ですか?」

 この警戒心に満ちた言葉は、どう考えてもただお茶を飲みに来ただけ、という雰囲気ではない。

「バイトの目的が金以外にあるか?」

「……本当のところを聞かせて下さい」

 玄鳥は悲愴なほど真面目な顔で問掛ける。

「有砂さんは……日向子さんのこと、どう思ってるんですか?」

 有砂は黙ってテーブルに水を置いた。

「……仕事中や。雑談は後にしてくれ」

「有砂さん……すいません、これだけは言わせて下さい。
……日向子さんのこと、気まぐれや遊びなら絶対にやめて下さい。
あの人を傷付けるようなことをしたら、俺は……許さない」

 真っ直ぐで熱い思いをストレートにぶつけてくる玄鳥は、まさに有砂とはあらゆる意味で対称的だ。

 だが有砂には何故か時々、そんな玄鳥を「懐かしい」と感じる瞬間がある。

 有砂が遠い過去に失ってしまったものを、そのまま心の真ん中に持ち続けて大人になったのが玄鳥……そして、日向子なのかもしれない。

 「純粋な情熱」は強く眩しく、そして……危ういものだ。

「どうなんですか!? 有砂さん」

 答えを聞くまで逃がさないとでも言うような玄鳥の斜め下から突き上げる眼差しに、有砂はゆっくり口を開いた。

「……オレは……」












 局地的に緊迫した雰囲気に包まれたカフェの入り口に、ロングブーツのヒールを鳴らして、近付く者がいた。

「日向子が来る前に……コーヒーを一杯飲むくらいの時間はあるよね……」

 腕時計を気にしながら、彼女はその扉に、手をかけた。
















《つづく》

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2007/08/10 (Fri)
「万楼」

「何? リーダー」

 紅朱がようやくその話を切り出すことができたのは、帰り際のことだった。

 玄鳥の車で送ってもらおうと、乗り込みかけていたところを呼び止めて、紅朱は、

「受け取れ」

 万楼に向けて山なりに何かを投げてよこした。

「わっ、何?」

 両手でなんとかそれをキャッチする。

「……これ、MD?」

「その曲、やるから練習しとけ」

 万楼はラベルの文字をゆっくり読む。

「……『Melting snow』……」

 横で見ていた玄鳥が、はっとしたように紅朱を見た。

「兄貴、この曲は……」

「……綾、お前もギターのアレンジ、ちゃんと考えておけよ」

「……うん」

 真剣な顔をする二人を交互に見やりながら、万楼はただならない雰囲気を感じとっていた。

「『Melting snow』……この曲って……何?」












《第7章 秒読みを始めた世界 -knotty-》【2】










「……それで、今年は急遽、大晦日にカウントダウン・ワンマンライブを開催なさるのですって。今から本当に楽しみですわ」

 カフェでのミーティングで知らされた一ヶ月後の大きなイベント。

 冬休みまでの日数を指折り数える日向子は子どものように、そわそわしていた。

「ですから、大晦日は朝帰りになってしまいますけれど、お父様には内緒にしておいて頂けて?」

 運転席に向けてにこやかに微笑んだ。

 しかし。反応が、ない。

「……雪乃? 信号……青ですわよ?」

「……あ」

 思い出したようにアクセルを踏んで、再発進する。

「……失礼致しました」

「……雪乃、運転中に考え事というのはどうかと思いますわ。何か心配なことでも?」

「……いえ……大したことでは、ありません」

 言葉とは裏腹に、声音には全く覇気がない。

「……雪乃……」

 何があったのだろう。

 雪乃がこんなにもあからさまな動揺を見せるようなことがあったのだろうか。

「雪乃……わたくしでは頼りないかもしれませんけれど、気が向いたら何でも話してね」

 雪乃は何も、答えなかった。













 密閉型のイヤホンを耳に突っ込んで、万楼はシートに横になっていた。

 さながら胎児のように身体を丸めて、目を閉じて音に意識を集中する。


《温もりを拒んで進む
 万年雪の荒野では
 あらがうほどに凍てついて
 僕はもう
 目を開けられない》

 今より少し若い紅朱の声。

《絶望が
 孤独が
 虚偽が
 降り積もる街では
 月の光を憎んだ夜に
 爪先まで冷えて
 ひどく、痛んだ》

 今より少しだけ不安定な有砂のドラムに、今より少しおとなしい蝉の奏でるキーボード。

 だがギターは、玄鳥の音ではない……。

 そして。

《秘密と罪を抱えたまま
 旅を続けてきたけど
 ささやかなともしびは
 ここにあった
 こんな僕すら変えるだろうか
 唄う意味さえ変えるだろうか》

 じわりと、目尻からあふれた雫が、滴る。

 自分とよく似た、けれどずっと存在感とのある重低音。

《いつか解けていくよ
 哀しい夢も
 繰り返した過ちも
 愚かな執着も
 目覚めたら 冬が逝く
 微かな傷痕だけを残して》


「……あの人の、ベースだ……」

 息苦しい程に胸が詰まった。

「……万楼」

 労るような穏やかな声で、運転席から玄鳥が語りかける。

「その曲は、3年前に粋さんが作ったんだ……最後に、ね」

「最後に……?」

「一度もライブで演奏されることのなかった……幻の曲。もし演奏されていればheliodorの代表曲になったかもしれない曲だよ」

 伝説のベーシストが残した、幻の曲。

「……粋さんが戻るまで、封印される筈だった曲を、兄貴は唄うつもりなんだ。万楼のベースで……」

 とめどなく涙があふれてくる。

 涙の理由の半分は、自分は紅朱から本当に認められたのだという感激。

 もう半分は、この曲自体が持つ、引き裂かれるのではないかと思うほど心臓を締め付ける懐かしさ。

「……玄鳥……ボク、この曲聞くの……多分、初めてじゃ、ない」


 閉ざされていた扉が、軋んでいる。開かれようとしている。

 さながら耳に響くこのベースライン自体が、パスワードであるかのように。













 真夜中。
 就寝しようとしていた日向子の携帯が着信を知らせた。

 一瞬また万楼からのメールかと思ったが、それはメールではなく電話で、ディスプレイの名前も違っていた。

「お待たせ致しました、日向子です」

 電話の主は、ファーストネームで気がねなく名乗ることができる相手。

《ごめんね、まだ起きてた?》

「はい、大丈夫ですわ。美々お姉様」

《……そっか、ありがと。あのね、その、たいしたことじゃないんだけど……今日、あんたと別れる時にあたし、落し物……しなかったかなって》

「……写真、ですか?」

 日向子は慎重な声音で問い返した。

《……うん……日向子が、見つけてくれたんだ》

 美々の口調は写真があったことへの安堵と、それを日向子が見つけたということへの微かな動揺……相反する要素を含んでいるように思えた。

「……写真はわたくしが保管しておりますわ、ご安心下さいませ」

《……あたしに、何か聞きたいこと、あるんじゃないの……?》

「……え?」

《……聞いてもいいよ。そのかわり、あたしのお願いもひとつ聞いてくれるならね》

 美々の声は、震えているようだった。
 日向子は、答える。

「……ひとつだけ。
写真の女の子は……美々お姉さまですか?」

 思いつめたような吐息が生んだノイズが、携帯ごしに耳元を通り抜けた。

《……そうだよ》


 予想通りの答えだった。

 偶然にしては出来すぎている。

 だがこれは、偶然ではない。

 あんなにもheliodorに詳しかった美々が、どうしてもheliodorの直接取材を引き受けられなかったその理由がようやくわかった。

 美々はずっとheliodorを見守ってきたのだ。

 けっして気が付かれることのないように、ひっそりと。

 そして自分には出来ないことを日向子に託した。

「……美々お姉さまが……有砂様の」

《日向子》

 まるで咎めるかのような強い口調で、美々は日向子を制した。

《約束だから、あたしのお願い、聞いてくれるよね》

「はい……」


 美々はきっぱりと言い放った。


《余計なことは、絶対しないで》


「美々お姉さま……」

 かつて美々の口から聞いたこともなかった、突き刺さるような冷たい声。

 それは出会ったばかりの頃の有砂を思わせた。


 やはり二人はどこか似ているのだろう。双子の兄妹なのだから。


「……お二人に家族として再会してほしいと願うことは、余計なことですか?」

《……やめて。会いたくなんかないの》

「美々お姉さま……」

《わかって、日向子。あんたのこと、親友と見込んで頼んでるんだよ》

 親友……憧れの先輩からそう呼ばれたことを、嬉しく思わないわけではない。

 しかし日向子はいたたまれず、泣きたいような気持ちでいっぱいだった。

 古い写真の中の無垢な眩しい笑顔、二つ。

 皮肉な運命に引き裂かれてしまっただけだ。

 二人の心と身体に残った傷がどれだけ深いとしても、こんなにも強く結び合っていた絆が、元に戻れないなどということがあるだろうか。

 きっかけさえあれば、きっと……日向子はそう純粋に信じていた。

 それでも。


「……わかりましたわ」

 そのきっかけを本人が望まないというなら、今の日向子にはどうすることもできない。












「余計なお世話かもしれんけど……それは、醤油やで」

「……え。あれ」

 蝉は今自分がグラスに注ごうとしているものをまじまじと見つめた。

「……どうやったら水と醤油を見間違えられるんや。寝惚けとんか?」

 呆れた顔で、ダイニングを通過しようとする有砂を、

「……よっちん」

 蝉は思わず呼び止めた。

「……なんや」

 面倒臭そうに立ち止まった有砂を見つめて、蝉は黙った。

「……はよ言え」

 こんなことを相談出来る相手は、有砂しかいない。

 秘密を知っているのは有砂だけだし、このことは有砂自身にも深く関わることだ。

「……えっと、あのさ……その……」

 どう切り出していいのかわからない。
 
 頭の中で、昼間つきつけられたうづみの言葉が反響している。



「年が明けたらすぐに入籍するの……沢城秀人と。離婚してから半年は籍を入れられないらしくて、随分待たされたけどね。
これでスノウ・ドームを立て直すことが出来るわ。

ようやく、私がゼン兄を自由にしてあげられるの」



 どうしてもっと早く気付かなかったのか。

 思えば随分前からうづみの様子はずっとおかしかったのに。

 自分のことにばかり夢中になっていて思いやることができなかった。

 自分がいつまでも正式な釘宮の後継者になれないばかりにうづみが犠牲になる。

 うづみに……大事な幼馴染みに身売りのような真似をさせてまでバンドを続けるというのか?

 うづみはそうしろと言う。

 蝉がバンドを辞めずに済むなら、それ以上は何もいらないと。



「いいの……だって、私はゼン兄を愛してるから。ゼン兄が幸せになってくれればそれでいいの」



 あまりにも残酷なタイミングで告げられた、一途な想い。

 もう蝉には自分がどうしたいのか、どうしたらいいのかわからなくなってしまっていた。

「……蝉?」

「よっちん……あの」

「……バイトのことやったら、ジブンに非難される謂われはないで」

「え」

「……どこで働こうとオレの自由やろ」

 さっぱり本題とは関係ない話題を不意に出されて、蝉はタイミングを見失ってしまった。

「……やだな、十数年来の親友がやっと社会復帰できたのに非難なんかするワケないじゃん」

 誰に強制されているわけでもないのに明るく振る舞ってしまう。

「しかも動機が、気になるオンナのコがよく利用するお店で働きたいから……なんてそんな純情な高校生みたいな」

「醤油飲み干して死ね」

「幼稚園レベルの愛情表現しかできなかったよっちんが、いっきに高校生レベルまで飛び級なんておれ感動して泣いちゃいそー」

「……そうか。自殺志願なんやな」

 有砂が死ねの殺すのと言い出す時は、あながち否定できない部分を突かれて反論の言葉が浮かばない時なのだと、蝉はとっくに見抜いている。

 そんなことがわからないほど浅い付き合いではない。

「……マジでさ……心配、してないよ」

 蝉は苦笑する。

「よっちんはもう平気じゃん。おれがお節介やく必要ない……」

「蝉……?」

 有砂のほうも蝉の様子が何か普通でないことは感じとれたようだった。

「……もし、さ。マジで、もしもの話だよ?
……おれがもうあの子の側にいられなくなっちゃったらさ……」

 思い詰めた言葉が、あふれ出す。

「……よっちんが、守ってあげてくれる?」

 有砂は一瞬切長の目を見開き、蝉を凝視したが、ほとんど間を空けずにきっぱり答えた。


「断る」

「え……?」

 まさかこんなにはっきり拒否されるとは。

 あっけにとられている蝉に、有砂は呆れ顔で溜め息をもらした。

「……やっぱり寝惚けてるやろ。アホなことゆうてんとはよ水飲んで寝てまえ」

「……あ、うん」

 ダイニングを出て行く有砂を見送って、蝉もまた溜め息をついた。



「……大丈夫だって言ってよ……おれが、いなくなっても……」















《つづく》

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* ILLUSTRATION BY nyao *