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プロフィール
HN:
麻咲
年齢:
41
性別:
女性
誕生日:
1983/05/03
職業:
フリーター
趣味:
ライブ、乙女ゲーム、カラオケ
自己紹介:
好きなバンド
janne Da Arc
Angelo
犬神サーカス団
シド
Sound Schedule
PIERROT
angela
GRANRODEO
Acid Black Cherry 他
好きな乙女ゲームとひいきキャラ
アンジェリークシリーズ(チャーリー)
遙かなる時空の中でシリーズ(無印・橘友雅、2.藤原幸鷹、3.平知盛、4・サザキ)
金色のコルダシリーズ(1&2・王崎信武、3・榊大地、氷渡貴史)
ネオアンジェリーク(ジェット)
フルハウスキス(羽倉麻生)
ときめきメモリアルGSシリーズ(1・葉月珪、2・若王子貴文)
幕末恋華シリーズ(大石鍬次郎、陸奥陽之助)
花宵ロマネスク(紫陽)
Vitaminシリーズ(X→七瀬瞬、真田正輝、永田智也 Z→方丈慧、不破千聖、加賀美蘭丸)
僕と私の恋愛事情(シグルド)
ラスト・エスコート2(天祢一星)
アラビアンズ・ロスト(ロベルト=クロムウェル)
魔法使いとご主人様(セラス=ドラグーン)
危険なマイ★アイドル(日下部浩次)
ラブマジ(双薔冬也)
星空のコミックガーデン(轟木圭吾)
リトルアンカー(フェンネル=ヨーク)
暗闇の果てで君を待つ(風野太郎)
ラブΦサミット(ジャン=マリー)
妄想彼氏学園(神崎鷹也) 他
バイト先→某損保系コールセンター
janne Da Arc
Angelo
犬神サーカス団
シド
Sound Schedule
PIERROT
angela
GRANRODEO
Acid Black Cherry 他
好きな乙女ゲームとひいきキャラ
アンジェリークシリーズ(チャーリー)
遙かなる時空の中でシリーズ(無印・橘友雅、2.藤原幸鷹、3.平知盛、4・サザキ)
金色のコルダシリーズ(1&2・王崎信武、3・榊大地、氷渡貴史)
ネオアンジェリーク(ジェット)
フルハウスキス(羽倉麻生)
ときめきメモリアルGSシリーズ(1・葉月珪、2・若王子貴文)
幕末恋華シリーズ(大石鍬次郎、陸奥陽之助)
花宵ロマネスク(紫陽)
Vitaminシリーズ(X→七瀬瞬、真田正輝、永田智也 Z→方丈慧、不破千聖、加賀美蘭丸)
僕と私の恋愛事情(シグルド)
ラスト・エスコート2(天祢一星)
アラビアンズ・ロスト(ロベルト=クロムウェル)
魔法使いとご主人様(セラス=ドラグーン)
危険なマイ★アイドル(日下部浩次)
ラブマジ(双薔冬也)
星空のコミックガーデン(轟木圭吾)
リトルアンカー(フェンネル=ヨーク)
暗闇の果てで君を待つ(風野太郎)
ラブΦサミット(ジャン=マリー)
妄想彼氏学園(神崎鷹也) 他
バイト先→某損保系コールセンター
アクセス解析
2007/11/01 (Thu)
一次創作関連
「若い、って羨ましいと思いません?」
「……君は私よりは随分若いと思うが」
「いやいや……もうね、いくら人生をリセットしようとしてもやり直せるような年やないですからね、僕も」
指先でもてあそんでいた林檎の意匠の指輪をピンと弾くと、高く上がったそれはくるくる回転しながら床に落ちた。
それは先ほど彼が「恋人」から返却されたもの。
今となっては不要になってしまった虚しい飾り。
「袖にされたのが堪えたのか?」
「まあ……それなりに。でも、あの時ほどやないかなあ」
「……あの時、とは?」
「水無子にフラれた時ですよ……」
《第10章 吸血鬼 -baptize-》【2】
「やっぱり気付いてなかったですか?
昔から色恋沙汰だけは疎かったですもんねぇ、先生は……」
ホテルの地下にある静かなバーのカウンターで、世界的に有名なピアニストと、世界的に有名なデザイナー兼ブランドオーナーが肩を並べてグラスを傾けていた。
「水無子にね、もっと自由な場所で幸せにしたるから、僕と逃げようてゆうたったんですわ。
けど……水無子はなんぼしんどくても先生とおりたかったみたいですよ」
高槻は神妙な顔付きで、黙って秀人の顔を見やった。
秀人は年のわりに無邪気な印象を与える、彼独特の笑みを浮かべる。
「ま、僕としては軽い屈辱を感じるんですけど……水無子は高槻先生の妻として死ねたこと、満足なんと違いますかね」
高槻は相変わらず黙っていたが、秀人は構わずに更に続けた。
「日向子はええ子に育ちましたね。水無子に似て情が深くて、先生に似て芯が強い。あの子がうちのんと一緒んなってくれたら僕はホンマに嬉しいです。
……けど」
「……けど?」
「あの子は、どんな男と結ばれても、どんな生き方を選んでも……絶対に幸せを掴めると思いますよ。心配ご無用です」
「……私が過保護だと言いたいのかね?」
「……そうですねぇ、僕は無責任なくらい放任でしたけど、みんな案外まともに育ってたみたいなんで。
もう少し気楽に構えても大丈夫でしょ」
高槻は、いつもの気難しい顔で沈黙したきりだった。
ややあって、秀人が空気を変えるように明るいトーンでまた話し始める。
「そうそう、さっき小原さんとこのお嬢さんを見かけましたよ。何て名前でしたっけね……」
華やかなドレスからカジュアルなワンピースとコートに着替えた日向子は、少し早足でホテルの裏手で待っている筈の車へと急いだ。
てっきり玄鳥か有砂の車が待っているのかと思っていたが、日向子の姿を見付けて、ライトの明滅でサインを示してきたのは釘宮家の所有する黒塗りの高級車だった。
自然に、日向子の足はより一層早くなる。
日向子が車のすぐ側まで辿り着くと、ゆっくりと運転席のドアが開いて、降りて来た人物は慣れた仕草で後部座席のドアを開き、恭しく頭を垂れた。
「どうぞお乗り下さい、お嬢様」
「あ……」
日向子は思わず彼の顔をじっと見つめてしまう。
「いかがなさいました? お急ぎでいらっしゃるのではないのですか」
「え、ええ……」
戸惑いながらもとりあえず車に乗り込んだ。
丁寧にドアを閉めて、改めて運転席についた青年の顔を斜め後ろから見つめる。
眼鏡をかけた顔を見るのはいつ以来だっただろうか……?
「……雪、乃……?」
戸惑いを拭えないまま、そっと呼び掛ける。
「はい」
すぐに返事が返ってくる。
日向子は静かに問う。
「……本当の自分を偽る必要はもうなくなったのに、まだ続けるの……?」
日向子が「雪乃」と呼んで接してきた、この口数が少なく、冷静沈着に構えた青年は、彼が演じていた偽りの姿。
本来の彼は、「蝉」としてバンドの仲間といる時のような、明るく賑やかでよく喋り、コロコロと表情を変える青年の筈だ。
「もしお嬢様がご不快に感じるのでしたら、やめますが……」
彼はいたって真面目な口調で答える。
「私はあなたに『雪乃』と呼ばれてきたこの『私』を、今はとても愛しく思います。
あなたは、どの私も大切だと言って下さいましたから……私の中で『雪乃』はもう偽りではなくなったような気がしています」
「雪乃……」
今度はためらわずに呼ぶことができた。
今ここにいるのは間違いなく「雪乃」なのだ。
雪乃は少し目を伏せて、
「……お嬢様に、お返ししなければならないものがあります」
と告げ、少し身を屈めると、サイドシートの下から何かを取り出し、両の手で丁重に抱え、それを日向子に差し出した。
「……これは……」
日向子は目を丸くした。
それは先日、処分されたとばかり思っていたビロードの表紙のアルバム数冊。
そっくりそのまま、一冊も欠けることなく揃っていた。
「どうしてですの……?」
受け取って、思わず胸にきつく抱き締めながら問う。
雪乃はどこか苦しげな表情を浮かべた。
「……実際、処分するつもりで持ち出したのですが……結局どうしても出来ず、ここに隠していました。
お嬢様を悲しませてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「……あなたにとっても釘宮家での思い出は何の価値もないものではなかったのね……」
「……はい」
どこかにまだくすぶっていた哀しみも不安も、全て一瞬にして消え去った気がした。
「……お嬢様を、深く傷付けて、悲しませてしまったこと……どう詫びたらよろしいでしょうか」
いたたまれない顔をしている雪乃にそっと微笑みかける。
「いいえ、いいのです。あの時のあなたはそうしなければ自分自身を保てなかったのでしょう……?
嘘をついたあなたは、きっとわたくし以上に辛かった筈ですわ」
「……あなたが諦めてくれたなら、私を軽蔑し、憎んでくれたなら……最後の躊躇いを断ち切れると思いました。
けれどあなたは、私のごとき小者の思い通りになるような方ではありませんでしたね」
つい先日、秀人に似たようなことを言われたばかりのような気がして、日向子は思わず首を傾げた。
「……思い通りにならない、というのは誉め言葉ですの?」
「……そうは聞こえませんでしたか?」
「よくわかりませんわ」
「では言い方を変えましょう」
雪乃はわずかに、ほんのわずかに微笑した。
「……お手を拝借致します」
日向子は一旦アルバムを横において、言われるがままに片手を差し出した。
雪乃は恭しくその手を取り、真摯な眼差しを日向子に向けた。
「……あなたは、美しい人です。心も身体も、全てに魅了されずにいられないほど」
予想を遥かに越えた直球の賛美に、日向子の心臓は激しく反応を示す。
体温が上がっていくのがはっきりとわかる。
「……雪乃……」
「……再びここに誓いを立てましょう。
いつか本当にあなたが誰かを選び、旅立つその日まで……この私があなたを守り通します」
そっと指先に唇が触れた。
誓いの口付け。
その手を離した後、雪乃はまるで何事もなかったようにハンドルを握り、車を出した。
日向子はいつものように目的地に着くまで他愛ないおしゃべりをし、雪乃は適度に相槌を打つ。
けれど互いの胸の高鳴りは、しばらくおさまることなく続いていた。
突発クリスマスパーティーは、heliodorメンバーと日向子、うづみ、後から誘った美々の八人で行われることになった。
ちなみに秀人もかなり参加に意欲的だったのだが、全員一致で却下となり、いじけながら高槻と飲みに行った次第だ。
パーティーの会場は話し合った結果、日向子のマンションに決まった。
理由は単純に一番広いからだったが、誰より強く主張したのは万楼で、どうやらheliodorの中で自分一人が日向子の部屋に入ったことがないのを密かに不満に感じていたようだ。
一度解散し、各自分担した買い出しを行い、約束の時間に日向子のマンションに集合することとなった。
「何をぼーっとつっ立っとんねん。邪魔臭い」
「あ……うん……ごめん」
有砂とシェアする部屋に久々に足を踏み入れた「蝉」は、着替えながらあちらこちらへ視線を向けた。
出て行く前と何も変わっていない。
何も変わっていない、ということは放置されていたということではない。
維持されていたということだ。
「……ねえ、おれの部屋も掃除とかしてくれてたの……?」
同居人に呼び掛ける。返事はない。
「……あ」
ベッドの枕の上に、蝉が捨てた筈のオレンジのウイッグと携帯電話が並べて置かれている。
「ねえ、拾ってくれたの……?」
懲りずに呼び掛ける。今度は返事があった。
「燃えるゴミのゴミ箱にほってあったやろ? ……いらんのやったら分別してもっかいほっとけ」
「……いつも分別しないのそっちじゃん……おれがいっつも後で直して、さあ……」
感極まって目の端に熱いものが込み上げてくる。
「……いらないわけないじゃん……っ」
この部屋ごと切り捨てようとした「蝉」。
全てが、ここで待っていてくれた。
「……っ」
今まで殺してきた分、一気にあふれ出した感情がとめどなく、流れる。
「……っ、うぁぁーあん、よっちぃぃーん……っ!!」
たまらなくなり、キッチンで冷蔵庫の中のミネラルウォーターを取り出そうとしていた有砂の背中に駆け寄り、おもいっきり抱きついた。
「な、なんや……!」
勢いで少し屈んだ姿勢のまま前のめり、頭を思いきり上段のドアにぶつけた有砂は後ろに首をひねり、抗議の目を向ける。
「……アホ、いきなり何すんねん」
しかし当の蝉はそれに気付いていない様子で、ひしと有砂の細身な胴体にしがみついている。
「よっちぃん……ごめんねぇぇ……っ」
「キショいっちゅうねん……離せ」
「っふぇえん……っ、よっちぃぃん……!」
「泣くなっ、鬱陶しい……」
ひどく久々に用いた「よっちん」という彼しか使わない呼称。
それを繰り返し呟きながら、ついに背中に頭を押し付けて号泣しだした蝉に、有砂は不機嫌な顔で舌打ちし、溜め息をついた。
「……まったく……難儀な親友やな」
蝉がより一層、火がついたように泣き出したことは言うまでもない。
さながら季節を間違えて鳴くセミのように……蝉はしばらくの間そのまま泣いていた。
「そうですか、じゃあ蝉さんが帰ってきて、日向子も当分寿退社はなしってことで、めでたしめでたしな感じですね」
今日の出来事を聞いた美々はかなり呑気に感想を口にした。
「めでたしめでたし……なんですかねえ」
玄鳥はめでたくない顔でハンドルを握っている。
助手席に美々を、後ろに万楼と、買い込んだ大量の食材を乗せて日向子のマンションへと向かう道すがら、彼のテンションはじりじり下降していく。
「……なんか最近、いつも俺、蚊帳の外なんですよね……」
「何言ってるの? ボクもリーダーもそうだったでしょう?」
「まあ……そうなんだけど、何ていうか」
玄鳥は進行方向を見つめたまま、少しその瞳をすがめた。
「俺は蝉さんみたいに昔から一緒にいたわけでも、有砂さんみたいに家族ぐるみで関係があるわけでもない……二人とも、なんかズルいよな……」
「玄鳥さんって、本当に日向子が好きなんですね~」
しみじみと評する美々に、玄鳥は今更顔を赤くする。
それに美々は笑って、少し抑えた声で囁いた。
「……だったら覚悟して下さいね」
「はい??」
「……うちの日向子を傷付けたら、もう明日は来ないと思って下さい♪」
冗談めいた口調と裏腹に、きらりと鋭く光る美々の眼差しに、玄鳥と万楼はただただ苦笑いをするしかなかった。
《つづく》
「……君は私よりは随分若いと思うが」
「いやいや……もうね、いくら人生をリセットしようとしてもやり直せるような年やないですからね、僕も」
指先でもてあそんでいた林檎の意匠の指輪をピンと弾くと、高く上がったそれはくるくる回転しながら床に落ちた。
それは先ほど彼が「恋人」から返却されたもの。
今となっては不要になってしまった虚しい飾り。
「袖にされたのが堪えたのか?」
「まあ……それなりに。でも、あの時ほどやないかなあ」
「……あの時、とは?」
「水無子にフラれた時ですよ……」
《第10章 吸血鬼 -baptize-》【2】
「やっぱり気付いてなかったですか?
昔から色恋沙汰だけは疎かったですもんねぇ、先生は……」
ホテルの地下にある静かなバーのカウンターで、世界的に有名なピアニストと、世界的に有名なデザイナー兼ブランドオーナーが肩を並べてグラスを傾けていた。
「水無子にね、もっと自由な場所で幸せにしたるから、僕と逃げようてゆうたったんですわ。
けど……水無子はなんぼしんどくても先生とおりたかったみたいですよ」
高槻は神妙な顔付きで、黙って秀人の顔を見やった。
秀人は年のわりに無邪気な印象を与える、彼独特の笑みを浮かべる。
「ま、僕としては軽い屈辱を感じるんですけど……水無子は高槻先生の妻として死ねたこと、満足なんと違いますかね」
高槻は相変わらず黙っていたが、秀人は構わずに更に続けた。
「日向子はええ子に育ちましたね。水無子に似て情が深くて、先生に似て芯が強い。あの子がうちのんと一緒んなってくれたら僕はホンマに嬉しいです。
……けど」
「……けど?」
「あの子は、どんな男と結ばれても、どんな生き方を選んでも……絶対に幸せを掴めると思いますよ。心配ご無用です」
「……私が過保護だと言いたいのかね?」
「……そうですねぇ、僕は無責任なくらい放任でしたけど、みんな案外まともに育ってたみたいなんで。
もう少し気楽に構えても大丈夫でしょ」
高槻は、いつもの気難しい顔で沈黙したきりだった。
ややあって、秀人が空気を変えるように明るいトーンでまた話し始める。
「そうそう、さっき小原さんとこのお嬢さんを見かけましたよ。何て名前でしたっけね……」
華やかなドレスからカジュアルなワンピースとコートに着替えた日向子は、少し早足でホテルの裏手で待っている筈の車へと急いだ。
てっきり玄鳥か有砂の車が待っているのかと思っていたが、日向子の姿を見付けて、ライトの明滅でサインを示してきたのは釘宮家の所有する黒塗りの高級車だった。
自然に、日向子の足はより一層早くなる。
日向子が車のすぐ側まで辿り着くと、ゆっくりと運転席のドアが開いて、降りて来た人物は慣れた仕草で後部座席のドアを開き、恭しく頭を垂れた。
「どうぞお乗り下さい、お嬢様」
「あ……」
日向子は思わず彼の顔をじっと見つめてしまう。
「いかがなさいました? お急ぎでいらっしゃるのではないのですか」
「え、ええ……」
戸惑いながらもとりあえず車に乗り込んだ。
丁寧にドアを閉めて、改めて運転席についた青年の顔を斜め後ろから見つめる。
眼鏡をかけた顔を見るのはいつ以来だっただろうか……?
「……雪、乃……?」
戸惑いを拭えないまま、そっと呼び掛ける。
「はい」
すぐに返事が返ってくる。
日向子は静かに問う。
「……本当の自分を偽る必要はもうなくなったのに、まだ続けるの……?」
日向子が「雪乃」と呼んで接してきた、この口数が少なく、冷静沈着に構えた青年は、彼が演じていた偽りの姿。
本来の彼は、「蝉」としてバンドの仲間といる時のような、明るく賑やかでよく喋り、コロコロと表情を変える青年の筈だ。
「もしお嬢様がご不快に感じるのでしたら、やめますが……」
彼はいたって真面目な口調で答える。
「私はあなたに『雪乃』と呼ばれてきたこの『私』を、今はとても愛しく思います。
あなたは、どの私も大切だと言って下さいましたから……私の中で『雪乃』はもう偽りではなくなったような気がしています」
「雪乃……」
今度はためらわずに呼ぶことができた。
今ここにいるのは間違いなく「雪乃」なのだ。
雪乃は少し目を伏せて、
「……お嬢様に、お返ししなければならないものがあります」
と告げ、少し身を屈めると、サイドシートの下から何かを取り出し、両の手で丁重に抱え、それを日向子に差し出した。
「……これは……」
日向子は目を丸くした。
それは先日、処分されたとばかり思っていたビロードの表紙のアルバム数冊。
そっくりそのまま、一冊も欠けることなく揃っていた。
「どうしてですの……?」
受け取って、思わず胸にきつく抱き締めながら問う。
雪乃はどこか苦しげな表情を浮かべた。
「……実際、処分するつもりで持ち出したのですが……結局どうしても出来ず、ここに隠していました。
お嬢様を悲しませてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「……あなたにとっても釘宮家での思い出は何の価値もないものではなかったのね……」
「……はい」
どこかにまだくすぶっていた哀しみも不安も、全て一瞬にして消え去った気がした。
「……お嬢様を、深く傷付けて、悲しませてしまったこと……どう詫びたらよろしいでしょうか」
いたたまれない顔をしている雪乃にそっと微笑みかける。
「いいえ、いいのです。あの時のあなたはそうしなければ自分自身を保てなかったのでしょう……?
嘘をついたあなたは、きっとわたくし以上に辛かった筈ですわ」
「……あなたが諦めてくれたなら、私を軽蔑し、憎んでくれたなら……最後の躊躇いを断ち切れると思いました。
けれどあなたは、私のごとき小者の思い通りになるような方ではありませんでしたね」
つい先日、秀人に似たようなことを言われたばかりのような気がして、日向子は思わず首を傾げた。
「……思い通りにならない、というのは誉め言葉ですの?」
「……そうは聞こえませんでしたか?」
「よくわかりませんわ」
「では言い方を変えましょう」
雪乃はわずかに、ほんのわずかに微笑した。
「……お手を拝借致します」
日向子は一旦アルバムを横において、言われるがままに片手を差し出した。
雪乃は恭しくその手を取り、真摯な眼差しを日向子に向けた。
「……あなたは、美しい人です。心も身体も、全てに魅了されずにいられないほど」
予想を遥かに越えた直球の賛美に、日向子の心臓は激しく反応を示す。
体温が上がっていくのがはっきりとわかる。
「……雪乃……」
「……再びここに誓いを立てましょう。
いつか本当にあなたが誰かを選び、旅立つその日まで……この私があなたを守り通します」
そっと指先に唇が触れた。
誓いの口付け。
その手を離した後、雪乃はまるで何事もなかったようにハンドルを握り、車を出した。
日向子はいつものように目的地に着くまで他愛ないおしゃべりをし、雪乃は適度に相槌を打つ。
けれど互いの胸の高鳴りは、しばらくおさまることなく続いていた。
突発クリスマスパーティーは、heliodorメンバーと日向子、うづみ、後から誘った美々の八人で行われることになった。
ちなみに秀人もかなり参加に意欲的だったのだが、全員一致で却下となり、いじけながら高槻と飲みに行った次第だ。
パーティーの会場は話し合った結果、日向子のマンションに決まった。
理由は単純に一番広いからだったが、誰より強く主張したのは万楼で、どうやらheliodorの中で自分一人が日向子の部屋に入ったことがないのを密かに不満に感じていたようだ。
一度解散し、各自分担した買い出しを行い、約束の時間に日向子のマンションに集合することとなった。
「何をぼーっとつっ立っとんねん。邪魔臭い」
「あ……うん……ごめん」
有砂とシェアする部屋に久々に足を踏み入れた「蝉」は、着替えながらあちらこちらへ視線を向けた。
出て行く前と何も変わっていない。
何も変わっていない、ということは放置されていたということではない。
維持されていたということだ。
「……ねえ、おれの部屋も掃除とかしてくれてたの……?」
同居人に呼び掛ける。返事はない。
「……あ」
ベッドの枕の上に、蝉が捨てた筈のオレンジのウイッグと携帯電話が並べて置かれている。
「ねえ、拾ってくれたの……?」
懲りずに呼び掛ける。今度は返事があった。
「燃えるゴミのゴミ箱にほってあったやろ? ……いらんのやったら分別してもっかいほっとけ」
「……いつも分別しないのそっちじゃん……おれがいっつも後で直して、さあ……」
感極まって目の端に熱いものが込み上げてくる。
「……いらないわけないじゃん……っ」
この部屋ごと切り捨てようとした「蝉」。
全てが、ここで待っていてくれた。
「……っ」
今まで殺してきた分、一気にあふれ出した感情がとめどなく、流れる。
「……っ、うぁぁーあん、よっちぃぃーん……っ!!」
たまらなくなり、キッチンで冷蔵庫の中のミネラルウォーターを取り出そうとしていた有砂の背中に駆け寄り、おもいっきり抱きついた。
「な、なんや……!」
勢いで少し屈んだ姿勢のまま前のめり、頭を思いきり上段のドアにぶつけた有砂は後ろに首をひねり、抗議の目を向ける。
「……アホ、いきなり何すんねん」
しかし当の蝉はそれに気付いていない様子で、ひしと有砂の細身な胴体にしがみついている。
「よっちぃん……ごめんねぇぇ……っ」
「キショいっちゅうねん……離せ」
「っふぇえん……っ、よっちぃぃん……!」
「泣くなっ、鬱陶しい……」
ひどく久々に用いた「よっちん」という彼しか使わない呼称。
それを繰り返し呟きながら、ついに背中に頭を押し付けて号泣しだした蝉に、有砂は不機嫌な顔で舌打ちし、溜め息をついた。
「……まったく……難儀な親友やな」
蝉がより一層、火がついたように泣き出したことは言うまでもない。
さながら季節を間違えて鳴くセミのように……蝉はしばらくの間そのまま泣いていた。
「そうですか、じゃあ蝉さんが帰ってきて、日向子も当分寿退社はなしってことで、めでたしめでたしな感じですね」
今日の出来事を聞いた美々はかなり呑気に感想を口にした。
「めでたしめでたし……なんですかねえ」
玄鳥はめでたくない顔でハンドルを握っている。
助手席に美々を、後ろに万楼と、買い込んだ大量の食材を乗せて日向子のマンションへと向かう道すがら、彼のテンションはじりじり下降していく。
「……なんか最近、いつも俺、蚊帳の外なんですよね……」
「何言ってるの? ボクもリーダーもそうだったでしょう?」
「まあ……そうなんだけど、何ていうか」
玄鳥は進行方向を見つめたまま、少しその瞳をすがめた。
「俺は蝉さんみたいに昔から一緒にいたわけでも、有砂さんみたいに家族ぐるみで関係があるわけでもない……二人とも、なんかズルいよな……」
「玄鳥さんって、本当に日向子が好きなんですね~」
しみじみと評する美々に、玄鳥は今更顔を赤くする。
それに美々は笑って、少し抑えた声で囁いた。
「……だったら覚悟して下さいね」
「はい??」
「……うちの日向子を傷付けたら、もう明日は来ないと思って下さい♪」
冗談めいた口調と裏腹に、きらりと鋭く光る美々の眼差しに、玄鳥と万楼はただただ苦笑いをするしかなかった。
《つづく》
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2007/11/01 (Thu)
一次創作関連
立ち上がり、また一礼した彼に、会場中から惜しみ無い拍手が送られていた。
ごく数人の例外を除いて。
そのごく数人に入ってしまった日向子は、ただ大きく目を見開いたまま、演奏を終えた彼の姿を見つめていた。
明確に思考を定めることも叶わず、ただただ魂を抜かれたように見つめていた。
司会者がゲストへの挨拶を促し、マイクを手渡す。
彼は会場中を見渡し、やがて、口を開く。
「謝罪しなければならないことが、2つあります」
思いもかけない一声に、ざわめきが起こっても、構うことなく彼は一気に言葉をつむいだ。
「今の曲はオリジナルではなく、友人の創った曲を編曲したものです。
まずはそのことをお詫びします。
そしてもう1つ……」
一度だけ深く呼吸し、はっきりと告げた。
「……雪乃漸は、釘宮高槻先生の後継を辞退致します」
《第10章 吸血鬼 -baptize-》【1】
より一層騒がしくなった周囲に構うことなく、漸は告白を続ける。
「おれは最初から釘宮家の財産と権威を目当てに先生に取り入った汚い人間です」
人前で自身を「おれは」と表現した彼は、クールで非情な仮面を脱ぎ去って、ナイーブな青年の素顔をさらけだしていた。
「おれみたいな卑しい男を家族として慕ってくれていた人を利用して、傷つけて……おれを仲間として受け入れてくれた人たちも、最後には裏切ってしまいました」
微かに震える声。
今にも泣き出しそうな瞳が、日向子の胸を締め付ける。
思わず飛び出して行って「もうやめて」と言いたくなるほどに。
けれどそうしたとしてもきっと彼は全てを語り終わるまでやめないだろう。
「……偉大な先生はそんなおれの浅はかな考えなどとうに見抜いていらっしゃって……見抜いて尚、おれを選んで下さいました」
日向子のすぐ傍らで、高槻もまた真っ直ぐに漸を見つめている。
漸は高槻の鋭い視線を受け止めたまま、更に言葉を紡ぎ出す。
「嘘に汚れた舌の根で、今更何を言っても無意味だと思います……だけどおれは、ピアニストの端くれとして、先生を本当に尊敬していました。
そのことを忘れてしまうほどに、自分の不純さや、亡くなった育ての父とも呼べる人への思いが、絶えず後ろめたさとなっておれの目を曇らせてきました」
いつの間にか会場は水を打ったような静けさに包まれ、誰もが漸の言葉に耳を傾けている。
「愚かにも今になってようやく、気が付きました。
自分を救ってくれたスノウ・ドームの人たちがおれにとってかけがえのない家族であるのと同じように、今はもう釘宮家の皆さんも……一緒にバンドをやってきた仲間たちも、おれにとってはもう家族そのものだったってことに」
日向子の中で、2つの面影がゆっくりと重なっていく。
小さな頃から側にいて守ってくれた生真面目な眼鏡の青年と、苦しい時にいつも明るい笑顔で元気づけてくれた優しいオレンジの髪の青年。
こんなに一緒にいたのに、どうして今まで気付くことができなかったのだろう。
「……蝉、様……」
何故か一滴、涙が溢れた。
「……スノウ・ドームに恩を返したい。だけどそのために大切な人たちに嘘をついたり、利用したりするのはもう耐えられないんです……。
それに、おれなんかが継いだら釘宮の名前が汚れてしまうから、だから、おれは後継者には到底なれません」
そして漸は自嘲の笑みを浮かべた。
「抱えきれもしないのに、ばかみたいに両手をめいっぱい広げて……おれは結局何も救えず、誰も守れず、一つも貫けなかった……最悪だ」
「……違う……」
日向子は思わず呟いた。
その瞬間、いきなりすっと眼前にマイクが突き出された。
「……え?」
「言いたいこと、あるんだろう? 言ってやりな」
ハスキーな声が発した言葉が日本語でなければ、外国人と勘違いしそうなほどすらりとした背丈の金髪の女性だった。
何故か男なりをして、サングラスを身に付けていたが、淡い色みのグロスでてかる潤んだ唇は間違いなく女性のそれだ。
反射的にマイクを受け取ってしまった後で、
「あなたは……」
どなたですか? ……と問おうとした日向子の髪をおもむろに撫でつける、長い指。
「蝉を頼んだ。多分知ってるだろうけど、あいつすごくいい奴だから」
その指でヒラヒラと「バイバイ」のサインをして、女性は行ってしまった。
一瞬追い掛けようとした日向子だったが、漸がステージから立ち去ろうとしているのに気付いて、慌ててマイクのスイッチを「ON」にした。
「待って!!」
静まり返った会場に響き渡る切迫した声は、蝉の足を止め、振り返らせた。
日向子は唇の前でしっかりとマイクを構え、蝉を見つめて口を開く。
「……自分を取り巻く全てを愛して、守りたいと思う……それがあなたの優しさの形ではなかったのですか?」
またわずかに会場がざわついた。
蝉は困惑をにじませながら、再びマイクを握り直す。
「おれは優しくなんかない……優柔不断で、強欲で、嘘吐きなだけだよ」
日向子は一拍間を空けて、微笑して見せる。
「それでもいいんです」
「……え?」
いぶかしげに見つめる漸に、日向子は優しく語りかけた。
「それでも、あなたは家族ですから。
わたくしにとっては雪乃も、蝉様も……今目の前にいるあなたも、大切な人です。
あなたがこれからどんな名前で、どんな生き方をしていくとしても……わたくしの気持ちは変わらないでしょう」
蝉はいよいよ泣き出しそうにくしゃくしゃと顔を歪めた。
「……日向子……ちゃん……けど、おれはもう釘宮の家にはいられないし、スノウ・ドームにだって帰れない……それに、heliodorも抜けたし……」
「はァ!!? おいこら、今なんつった!?」
マイクも通していないのにすこぶるよく通る声が、後ろのほうから響いてきた。
「heliodorを抜けていいなんて誰が言った!!」
それは日向子も漸もよく知る声だったが、しかしここにいる筈のない人物の声であった。
漸は呆けたようにその名を口にした。
「紅朱……??」
「いつまで練習サボってんだ、このバカ」
「……なんで……っていうか、その格好どうしたの??」
「うるせェな、どうだっていいだろ」
一目で「SIXS」の製品とわかる、ゴテゴテしているが品の良いゴシック調のフォーマルウエア。
見慣れないスタイルではあるが、その赤い髪を垂らした小柄な青年はどう見ても紅朱だ。
しかもその横で、周囲の目を気にしてキョロキョロしている黒髪の青年も、周囲の目なんか一切お構いなしにスイーツをばくばく食べている美少年も、どう見ても玄鳥と万楼だ。
その近くで、涼しい顔をして事のなりゆきを見守っている有砂が一枚噛んでいることは間違いなさそうだった。
紅朱は肩をいからせながらつかつかと前へ歩み出て、漸を見上げ、睨んだ。
「お前にどんな事情があんのか、未だにサッパリわかんねェけど……とにかく俺はリーダーとして、お前の脱退は認めねェ。わかったら、早く帰って来い」
物も言えずに立ち尽くす漸に、更に呼び掛けた者がいた。
「ゼン兄……!!」
れっきとした招待客として席が用意されていたにも関わらず、遅れて会場入りし、そのまま立ってステージを見ていたうづみが、高いヒールと重たいドレスをものともせずに走り、紅朱のすぐ側まで出て来た。
「もうスノウ・ドームに帰れない……なんて言わないで!!
ようやく目が覚めたの。私も、ゼン兄もきっと焦り過ぎてた……大切なものを守るためなら手段を選ばない、なんて……そんなやり方じゃあ結局大切な人を哀しませるばかりだったのよね。
私はこれから誰にも恥じないやり方でスノウ・ドームを守るつもりよ。
ゼン兄がいつでも帰って来れるように……!!」
うづみは彼女本来の力強く、眩しい笑顔を見せた。
「だからゼン兄もゼン兄らしく、ゼン兄が望む場所で生きて!!」
「……あ……」
漸はまだ半分ぼんやりとした様子で、立ち尽くしている。
heliodorにスノウ・ドーム。どちらも大切なもの。
そして失う覚悟を決めていたものだった。
嘘と裏切りを受け止めて、尚、帰って来いと言ってくれている。
そして。
胸を熱くしながらステージを見上げていた日向子の手から不意にマイクが奪われる。
「……えっ」
高槻だった。
「漸」
威厳に満ちた声が呼び掛け、漸ははっとしたようにそちらを見やった。
「……先生……」
「……お前の仲間はああ言っているが、お前はこれからどうするつもりだ?」
真実を真っ直ぐに問掛ける眼差しに射抜かれた漸は、ゆっくりと答える。
「……戻る、つもりです。先生の軽蔑する軽音楽の道に。heliodorのキーボーディスト・蝉に」
高槻は深く溜め息をつく。
「……私もあまり若くない。あと30年くらいは生きたいとは思っているが……」
だが声音はいつもよりずっと穏やかな雰囲気だった。
「私が健在の間は、好きなようにしなさい。
だが、私が死んだらお前が釘宮を継ぐのだ。
わかったな、漸」
「それは……あの……」
「わかったな」
「……はい……!」
高槻は大きく頷いて、マイクを日向子に返した。
マイクを受け取った日向子は再度ステージに呼び掛ける。
「わかりましたでしょう? あなたがみんな愛おしむのと同じように、みんなあなたを愛しているのだということ」
当初の予定とは随分変わってしまったが、こうして釘宮高槻の後継者は無事に衆目に披露され、正式に決定した。
しかし襲名するのはあと何十年か後になりそうだったが……。
そのままステージを降りた漸に、日向子とうづみ、そしてheliodorの面々が駆け寄り、取り囲んだ。
漸は色々な感情に胸をつまらせながら、真っ赤な顔をしている。
「……あの……おれ、もう何て言ったらいいんだか……」
「まあ、よくわかんねェがとりあえず、めでたしめでたしなんだろ?」
紅朱がふっと笑みを浮かべる。
「せっかくクリスマスに集まったんだ、これからどっかでパーティーでもしようぜ?」
「それは賛成だけど」
まだスイーツの皿を持ったままの万楼が口を挟む。
「いいの? まだ式は終わってないんだよね??」
「そういえば」
漸がぽつりと呟く。
「この後、日向子ちゃんの婚約発表だっけ」
当事者でありながらすっかり忘れていた日向子は、
「まあ、そういえばそうでしたわ。どういたしましょう」
と有砂を見た。
有砂は、何か気だるそうに息を吐いて、言った。
「とりあえず、延期でどうや?」
「延期!?」
玄鳥が半分声を裏返らせて叫んだ。
「延期って何ですか!? いずれは本当に婚約しようとでも言うんですか!!?」
「別に……ただ、そういうことにしておけば、お嬢がようわからん他の男と無理矢理結婚させられることはないやろう?」
「それは……」
確かにその通りだった。
形だけとはいえ、日向子に父親公認の恋人がいる以上、他の相手との縁談が持ち上がる心配はない。
「ねえ、あのさ……」
漸が口を開く。
「……つまり二人が、っていうのは……全部嘘、なの??」
日向子は苦笑いしてこくん、と頷いた。
漸は何故か少し安堵したように微笑した。
「そっか……」
《つづく》
ごく数人の例外を除いて。
そのごく数人に入ってしまった日向子は、ただ大きく目を見開いたまま、演奏を終えた彼の姿を見つめていた。
明確に思考を定めることも叶わず、ただただ魂を抜かれたように見つめていた。
司会者がゲストへの挨拶を促し、マイクを手渡す。
彼は会場中を見渡し、やがて、口を開く。
「謝罪しなければならないことが、2つあります」
思いもかけない一声に、ざわめきが起こっても、構うことなく彼は一気に言葉をつむいだ。
「今の曲はオリジナルではなく、友人の創った曲を編曲したものです。
まずはそのことをお詫びします。
そしてもう1つ……」
一度だけ深く呼吸し、はっきりと告げた。
「……雪乃漸は、釘宮高槻先生の後継を辞退致します」
《第10章 吸血鬼 -baptize-》【1】
より一層騒がしくなった周囲に構うことなく、漸は告白を続ける。
「おれは最初から釘宮家の財産と権威を目当てに先生に取り入った汚い人間です」
人前で自身を「おれは」と表現した彼は、クールで非情な仮面を脱ぎ去って、ナイーブな青年の素顔をさらけだしていた。
「おれみたいな卑しい男を家族として慕ってくれていた人を利用して、傷つけて……おれを仲間として受け入れてくれた人たちも、最後には裏切ってしまいました」
微かに震える声。
今にも泣き出しそうな瞳が、日向子の胸を締め付ける。
思わず飛び出して行って「もうやめて」と言いたくなるほどに。
けれどそうしたとしてもきっと彼は全てを語り終わるまでやめないだろう。
「……偉大な先生はそんなおれの浅はかな考えなどとうに見抜いていらっしゃって……見抜いて尚、おれを選んで下さいました」
日向子のすぐ傍らで、高槻もまた真っ直ぐに漸を見つめている。
漸は高槻の鋭い視線を受け止めたまま、更に言葉を紡ぎ出す。
「嘘に汚れた舌の根で、今更何を言っても無意味だと思います……だけどおれは、ピアニストの端くれとして、先生を本当に尊敬していました。
そのことを忘れてしまうほどに、自分の不純さや、亡くなった育ての父とも呼べる人への思いが、絶えず後ろめたさとなっておれの目を曇らせてきました」
いつの間にか会場は水を打ったような静けさに包まれ、誰もが漸の言葉に耳を傾けている。
「愚かにも今になってようやく、気が付きました。
自分を救ってくれたスノウ・ドームの人たちがおれにとってかけがえのない家族であるのと同じように、今はもう釘宮家の皆さんも……一緒にバンドをやってきた仲間たちも、おれにとってはもう家族そのものだったってことに」
日向子の中で、2つの面影がゆっくりと重なっていく。
小さな頃から側にいて守ってくれた生真面目な眼鏡の青年と、苦しい時にいつも明るい笑顔で元気づけてくれた優しいオレンジの髪の青年。
こんなに一緒にいたのに、どうして今まで気付くことができなかったのだろう。
「……蝉、様……」
何故か一滴、涙が溢れた。
「……スノウ・ドームに恩を返したい。だけどそのために大切な人たちに嘘をついたり、利用したりするのはもう耐えられないんです……。
それに、おれなんかが継いだら釘宮の名前が汚れてしまうから、だから、おれは後継者には到底なれません」
そして漸は自嘲の笑みを浮かべた。
「抱えきれもしないのに、ばかみたいに両手をめいっぱい広げて……おれは結局何も救えず、誰も守れず、一つも貫けなかった……最悪だ」
「……違う……」
日向子は思わず呟いた。
その瞬間、いきなりすっと眼前にマイクが突き出された。
「……え?」
「言いたいこと、あるんだろう? 言ってやりな」
ハスキーな声が発した言葉が日本語でなければ、外国人と勘違いしそうなほどすらりとした背丈の金髪の女性だった。
何故か男なりをして、サングラスを身に付けていたが、淡い色みのグロスでてかる潤んだ唇は間違いなく女性のそれだ。
反射的にマイクを受け取ってしまった後で、
「あなたは……」
どなたですか? ……と問おうとした日向子の髪をおもむろに撫でつける、長い指。
「蝉を頼んだ。多分知ってるだろうけど、あいつすごくいい奴だから」
その指でヒラヒラと「バイバイ」のサインをして、女性は行ってしまった。
一瞬追い掛けようとした日向子だったが、漸がステージから立ち去ろうとしているのに気付いて、慌ててマイクのスイッチを「ON」にした。
「待って!!」
静まり返った会場に響き渡る切迫した声は、蝉の足を止め、振り返らせた。
日向子は唇の前でしっかりとマイクを構え、蝉を見つめて口を開く。
「……自分を取り巻く全てを愛して、守りたいと思う……それがあなたの優しさの形ではなかったのですか?」
またわずかに会場がざわついた。
蝉は困惑をにじませながら、再びマイクを握り直す。
「おれは優しくなんかない……優柔不断で、強欲で、嘘吐きなだけだよ」
日向子は一拍間を空けて、微笑して見せる。
「それでもいいんです」
「……え?」
いぶかしげに見つめる漸に、日向子は優しく語りかけた。
「それでも、あなたは家族ですから。
わたくしにとっては雪乃も、蝉様も……今目の前にいるあなたも、大切な人です。
あなたがこれからどんな名前で、どんな生き方をしていくとしても……わたくしの気持ちは変わらないでしょう」
蝉はいよいよ泣き出しそうにくしゃくしゃと顔を歪めた。
「……日向子……ちゃん……けど、おれはもう釘宮の家にはいられないし、スノウ・ドームにだって帰れない……それに、heliodorも抜けたし……」
「はァ!!? おいこら、今なんつった!?」
マイクも通していないのにすこぶるよく通る声が、後ろのほうから響いてきた。
「heliodorを抜けていいなんて誰が言った!!」
それは日向子も漸もよく知る声だったが、しかしここにいる筈のない人物の声であった。
漸は呆けたようにその名を口にした。
「紅朱……??」
「いつまで練習サボってんだ、このバカ」
「……なんで……っていうか、その格好どうしたの??」
「うるせェな、どうだっていいだろ」
一目で「SIXS」の製品とわかる、ゴテゴテしているが品の良いゴシック調のフォーマルウエア。
見慣れないスタイルではあるが、その赤い髪を垂らした小柄な青年はどう見ても紅朱だ。
しかもその横で、周囲の目を気にしてキョロキョロしている黒髪の青年も、周囲の目なんか一切お構いなしにスイーツをばくばく食べている美少年も、どう見ても玄鳥と万楼だ。
その近くで、涼しい顔をして事のなりゆきを見守っている有砂が一枚噛んでいることは間違いなさそうだった。
紅朱は肩をいからせながらつかつかと前へ歩み出て、漸を見上げ、睨んだ。
「お前にどんな事情があんのか、未だにサッパリわかんねェけど……とにかく俺はリーダーとして、お前の脱退は認めねェ。わかったら、早く帰って来い」
物も言えずに立ち尽くす漸に、更に呼び掛けた者がいた。
「ゼン兄……!!」
れっきとした招待客として席が用意されていたにも関わらず、遅れて会場入りし、そのまま立ってステージを見ていたうづみが、高いヒールと重たいドレスをものともせずに走り、紅朱のすぐ側まで出て来た。
「もうスノウ・ドームに帰れない……なんて言わないで!!
ようやく目が覚めたの。私も、ゼン兄もきっと焦り過ぎてた……大切なものを守るためなら手段を選ばない、なんて……そんなやり方じゃあ結局大切な人を哀しませるばかりだったのよね。
私はこれから誰にも恥じないやり方でスノウ・ドームを守るつもりよ。
ゼン兄がいつでも帰って来れるように……!!」
うづみは彼女本来の力強く、眩しい笑顔を見せた。
「だからゼン兄もゼン兄らしく、ゼン兄が望む場所で生きて!!」
「……あ……」
漸はまだ半分ぼんやりとした様子で、立ち尽くしている。
heliodorにスノウ・ドーム。どちらも大切なもの。
そして失う覚悟を決めていたものだった。
嘘と裏切りを受け止めて、尚、帰って来いと言ってくれている。
そして。
胸を熱くしながらステージを見上げていた日向子の手から不意にマイクが奪われる。
「……えっ」
高槻だった。
「漸」
威厳に満ちた声が呼び掛け、漸ははっとしたようにそちらを見やった。
「……先生……」
「……お前の仲間はああ言っているが、お前はこれからどうするつもりだ?」
真実を真っ直ぐに問掛ける眼差しに射抜かれた漸は、ゆっくりと答える。
「……戻る、つもりです。先生の軽蔑する軽音楽の道に。heliodorのキーボーディスト・蝉に」
高槻は深く溜め息をつく。
「……私もあまり若くない。あと30年くらいは生きたいとは思っているが……」
だが声音はいつもよりずっと穏やかな雰囲気だった。
「私が健在の間は、好きなようにしなさい。
だが、私が死んだらお前が釘宮を継ぐのだ。
わかったな、漸」
「それは……あの……」
「わかったな」
「……はい……!」
高槻は大きく頷いて、マイクを日向子に返した。
マイクを受け取った日向子は再度ステージに呼び掛ける。
「わかりましたでしょう? あなたがみんな愛おしむのと同じように、みんなあなたを愛しているのだということ」
当初の予定とは随分変わってしまったが、こうして釘宮高槻の後継者は無事に衆目に披露され、正式に決定した。
しかし襲名するのはあと何十年か後になりそうだったが……。
そのままステージを降りた漸に、日向子とうづみ、そしてheliodorの面々が駆け寄り、取り囲んだ。
漸は色々な感情に胸をつまらせながら、真っ赤な顔をしている。
「……あの……おれ、もう何て言ったらいいんだか……」
「まあ、よくわかんねェがとりあえず、めでたしめでたしなんだろ?」
紅朱がふっと笑みを浮かべる。
「せっかくクリスマスに集まったんだ、これからどっかでパーティーでもしようぜ?」
「それは賛成だけど」
まだスイーツの皿を持ったままの万楼が口を挟む。
「いいの? まだ式は終わってないんだよね??」
「そういえば」
漸がぽつりと呟く。
「この後、日向子ちゃんの婚約発表だっけ」
当事者でありながらすっかり忘れていた日向子は、
「まあ、そういえばそうでしたわ。どういたしましょう」
と有砂を見た。
有砂は、何か気だるそうに息を吐いて、言った。
「とりあえず、延期でどうや?」
「延期!?」
玄鳥が半分声を裏返らせて叫んだ。
「延期って何ですか!? いずれは本当に婚約しようとでも言うんですか!!?」
「別に……ただ、そういうことにしておけば、お嬢がようわからん他の男と無理矢理結婚させられることはないやろう?」
「それは……」
確かにその通りだった。
形だけとはいえ、日向子に父親公認の恋人がいる以上、他の相手との縁談が持ち上がる心配はない。
「ねえ、あのさ……」
漸が口を開く。
「……つまり二人が、っていうのは……全部嘘、なの??」
日向子は苦笑いしてこくん、と頷いた。
漸は何故か少し安堵したように微笑した。
「そっか……」
《つづく》
2007/10/12 (Fri)
一次創作関連
今回は予告通り、更新遅延しまくってすいませんでした。
DMSはまだ平気だったんだけど、恋華の世界から、こっちの世界に頭を切り替えるのが大変難しく、どうにも効率が悪いので、このあとがきを書いたらしばらく幕末の世界に引き込もって先にコンプしちゃおうかなぁと思います。
本編がまたすげー引きで終わってますが、まあ、今月中には執筆再開できるかなあと思います。
今回はタイトルの通り、嘘がキーワードですな。
嘘吐きだらけです。
またサブタイトルの「play」は「演奏」の意味と「演技」の意味でWミーニングとなってます。
【1】からいきなり黒雪乃本領発揮です。
日向子は踏んだり蹴ったりですが、相変わらず出番少な目の浅川兄弟のほうが気の毒です。
まあ、順番が回ってくれば今度は浅川兄弟ばっかになるんですけど……。
【2】でとうとう有砂が抜け駆けを。笑。
有砂的には【1】でメンバーに言ったように蝉の様子を見るのがメインの目的だったわけなんですが……よもやの急展開。
まあ、一瞬有砂がおいしい感じなんだけど、今回は当て馬的な役回りだよね、実際は。
【3】ではまず沢城家と釘宮家の奇妙な縁が発覚。
いずれ水無子を主役にした外伝を書いてみたいとちょっと思いました。
その後の親友(?)コンビの一触即発なシークエンスが今回の一番のお気に入りかもしれない。
【4】がなにしろ今回一番苦労したセクションで、もう釘宮家親子トークを四回くらい書き直したような気がする……なんか納得いかなくて。
高槻にどこまで言わせるか……抽象的過ぎても違うし、あけすけ過ぎても嫌かもって。
だいたい高槻がこんなに喋ること自体なかったしね~。
【5】は式の当日です。
とうとうこの時が来たかという感じです。
蝉の正体については、蝉自ら明かすか、日向子が自力で気付くか、どっちもありだなあと思ってたんですが、スーパーバイザーなゆきさんが、自分からバラすほうがいいって前に言ってたんで(笑)、その時にこの展開を決めました。
次の章の前半も蝉がメイン、後半から新しい展開となっていきます。
いよいよクライマックスに向けての大きな流れが生じますが、とりあえず最初に言った通りまたしばし更新お休みとなりますので、よろしくです。
ではまたご意見ご感想をばお聞かせくださいまし。ごきげんよう。
DMSはまだ平気だったんだけど、恋華の世界から、こっちの世界に頭を切り替えるのが大変難しく、どうにも効率が悪いので、このあとがきを書いたらしばらく幕末の世界に引き込もって先にコンプしちゃおうかなぁと思います。
本編がまたすげー引きで終わってますが、まあ、今月中には執筆再開できるかなあと思います。
今回はタイトルの通り、嘘がキーワードですな。
嘘吐きだらけです。
またサブタイトルの「play」は「演奏」の意味と「演技」の意味でWミーニングとなってます。
【1】からいきなり黒雪乃本領発揮です。
日向子は踏んだり蹴ったりですが、相変わらず出番少な目の浅川兄弟のほうが気の毒です。
まあ、順番が回ってくれば今度は浅川兄弟ばっかになるんですけど……。
【2】でとうとう有砂が抜け駆けを。笑。
有砂的には【1】でメンバーに言ったように蝉の様子を見るのがメインの目的だったわけなんですが……よもやの急展開。
まあ、一瞬有砂がおいしい感じなんだけど、今回は当て馬的な役回りだよね、実際は。
【3】ではまず沢城家と釘宮家の奇妙な縁が発覚。
いずれ水無子を主役にした外伝を書いてみたいとちょっと思いました。
その後の親友(?)コンビの一触即発なシークエンスが今回の一番のお気に入りかもしれない。
【4】がなにしろ今回一番苦労したセクションで、もう釘宮家親子トークを四回くらい書き直したような気がする……なんか納得いかなくて。
高槻にどこまで言わせるか……抽象的過ぎても違うし、あけすけ過ぎても嫌かもって。
だいたい高槻がこんなに喋ること自体なかったしね~。
【5】は式の当日です。
とうとうこの時が来たかという感じです。
蝉の正体については、蝉自ら明かすか、日向子が自力で気付くか、どっちもありだなあと思ってたんですが、スーパーバイザーなゆきさんが、自分からバラすほうがいいって前に言ってたんで(笑)、その時にこの展開を決めました。
次の章の前半も蝉がメイン、後半から新しい展開となっていきます。
いよいよクライマックスに向けての大きな流れが生じますが、とりあえず最初に言った通りまたしばし更新お休みとなりますので、よろしくです。
ではまたご意見ご感想をばお聞かせくださいまし。ごきげんよう。
2007/10/10 (Wed)
一次創作関連
「楽しくない……」
溜め息混じりの呟きがもれる。
「男の衣裳見立てるなんて、パパはちっとも楽しないで~、佳人~」
「やかましいオッサンやな……この間の件をホンマに反省しとんやったら黙って協力したらええねん」
「はいはい……わかりましたぁ。
まあ、やるからには完璧に仕上げますケド~?
ほんならキミたち、こっち来て」
子どものようにむくれる中年男と、その息子の傍らで居心地悪そうにしていた三人は不意に促されて顔を見合わせ、揃って頷いた。
とりあえず、致し方ない。
「有砂のパパ、よろしくね」
「どうぞお手柔らかに」
「とっとと頼むぜ、若作りのおっさん」
「……佳人、僕この赤いの嫌い」
「ええからとっととやれ」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【5】
「お麗しいですわ、お嬢様」
十ほど年上のメイドが感嘆の悲鳴を上げた。
「まるで奥様が蘇ったかのようですよ」
日向子は感慨深く、鏡の中の自分を眺めていた。
バロックパールをあしらったプリンセスラインの黒いドレス。
実際、こんなドレスを着た若いころの母親の姿を写真で見せてもらったことは何度もある。
「わたくしよりお母様のほうがずっと綺麗でしたわよ」
「まあ、そんなにご謙遜なさらなくともよろしいではありませんか。
ああ、そう遠くない日に今度は純白のウエディングドレスを着たお嬢様を見られるなんて……まるで夢のようですわ」
「はあ……」
日向子は明らかに戸惑った表情を見せたが、テンションの上がっているメイドは気付くことなく、鼻唄まじりにアクセサリー選びを始めていた。
なんとも落ち着かない気分になってしまう。
このドレスは、アトリエでのことへの謝罪を兼ねて秀人が今日のためにと言って贈ってきたものだ。
一体秀人はどこまで知っているのだろう。
まさか本当に沢城家に嫁ぐと思っているのではないだろうか。
それ以前に気になるのは有砂の真意だった。
今日の夕刻、式は始まってしまう。あと数時間しかない。
釘宮高槻の後継者の指名と、釘宮家令嬢の婚約を発表するための式だ。
有砂には何か考えがあるのだとは思うが、万が一このまま有砂と正式に婚約することにでもなってしまったらどうしよう……という不安が頭を去来する。
別に有砂が嫌だというのではない。
だが、こんな形で将来の結婚相手がいきなり決まってしまうのは困る。
何より。
日向子の心の中にはまだ「伯爵」がいる。
「伯爵」への思慕は未だに揺るぐことなくここにあるのだ。
こんな気持ちを抱いたまま誰と結ばれることができるだろうか?
「どうも、大変ご無沙汰を致しまして」
「ああ、息災のようだな」
「ええ、おかげさまで」
実際に親しげに挨拶を交す二人を見るまで、有砂は内心どこかで疑っていたのだが、真実二人は友人と呼べる関係のようだった。
高槻と秀人。まるでタイプの違う二人が、肩を並べている様は何とも不思議な光景だった。
「あいにく到着がギリギリになってまうんやけど、あとで僕のハニーちゃん紹介しますね♪」
「懲りん男だな、君は……」
「ええ、僕には恋が必要なんです。常に恋をしてへんと、僕のイマジネーションの泉は枯渇してまうんですよ。……ねえ、みんな? そうやろ」
振り返った先には一目で「SIXS」製とわかる独特なデザインの黒いフォーマルウエアを着た三人の青年が立っていた。
赤毛と黒髪に白いメッシュと、ピンクがかった白金の髪の三人はそれぞれに何とも複雑な表情を浮かべながら、
「……はい、先生のおっしゃる通りです」
前もって言われた通りの言葉を口を揃えて答えた。
「彼らは……?」
高槻の問いに、有砂が答えた。
「父のアシスタントです。今日は勉強のために同行していますが、邪魔にならないようにしますから、どうぞお気になさらずに」
「あ」
小さく声を上げた。
身支度を整えて、式の会場に向かう途中、日向子はまたしても彼と鉢合わせてしまった。
「雪乃……」
アルバムの一件以来、一度も顔を合わせていなかった。
式で披露する曲の制作にかかりっきりでろくに部屋から出て来なかったからだった。
数日ぶりに見た彼の顔には疲労の色がくっきりと見て取れる。
無言のままにすれ違おうとした瞬間、ほんの少しその身体が不自然に傾げた。
「雪乃……!」
とっさに支えるように腕に触れていた。
すぐに振り払われるかと思ったが、それはなかった。
「……雪乃、疲れているのでしょう?
まだ式までは時間があるわ、お部屋でお休みになってはいかが?」
彼は相変わらず表情の変化に乏しい面を、わずかにふせた。
「……お気遣いなく」
そっと、日向子の手に自身の手を重ね、静かに腕を離させる。
「……雪乃」
頼りない足取りで遠ざかっていく姿を見送って、日向子は今ほんの束の間彼に触れていた手を見やった。
あの綺麗な手から「温もり」を感じたのはとても久しぶりだった。
一瞬の触れ合いで感じた、戸惑うほどの優しさ。
「わからないわ……雪乃。あなたはわたくしを……本当はどう思っているのですか……?」
「……有砂のパパって本当に面白い人だね」
「え、面白いかな……? 俺はちょっと、いや大分苦手だけど」
「な~にが、『僕の機嫌損ねたらすぐに退場やからね~♪』だ。調子に乗りやがって。
おい有砂、あいつなんとかしろよ!!」
「……帰ってもええよ。お嬢が心配やないんやったらな」
なかばコスチュームプレイの様相を呈したheliodorの面々が、一人を除いて釘宮邸の一室に集っていた。
沢城秀人のアシスタントという設定は、有砂の提案だった。
確かに怪しまれずに潜り込むにはいい作戦かもしれなかったが、少なくとも紅朱と玄鳥は不満をのぞかせていた。
「……だいたいなんで有砂さんが日向子さんの恋人なんですか!?」
「せやから説明したやろう? ただ『反応』を見たくてゆうただけの冗談のつもりやったって。
……まさかあっさり許可されるとは思てへんかったけどな」
実際有砂は『彼』が動揺するかどうか見たかっただけだった。そのあとは、今のは冗談だと言うつもりだったのだが……。
「……だったら俺がその役、やりたかったんですけど……」
「え~、玄鳥には無理だよ」
万楼が笑う。
「玄鳥は役者に向いてないもんね。バカ正直だから」
「う」
確かに人よりかなり嘘の下手な玄鳥は何も言えなくなってしまった。
今日とて見破られてしまうのではないかとかなり神経をすり減らしているほどだ。
あの見るからにおっかない釘宮高槻の前で、日向子の恋人を装うことなどとても出来そうにない。
「……で、どうなんだ有砂。そろそろ本当のところを教えろよ」
気の毒な弟をよそに、紅朱はゆっくりと問掛ける。
「……日向子と、『あいつ』はどういう関係なんだ。偶然たまたま同じ名字でした、なんて馬鹿なことは言わねェだろうな?」
有砂からメンバーに語られていたのは真実の断片。
森久保は母親の旧姓、日向子の本当の姓は「釘宮」であるということ。
日向子の婚約が発表される場に、必ず蝉がいるということ。
そして、そこで蝉は何らかの答えを出すということだった。
「……悪いが」
有砂はきっぱりと返した。
「オレの口から全てを話す気はない」
いぶかしげな面々を見渡して、更に続ける。
「黙って見ていれば真実は自ずと判明する……どんな形にせよ、な。判明した後にどうするかは各自の自由や」
有砂のいつにない毅然とした雰囲気に、メンバーたちは押し黙った。
「……あの男は何年もの間さんざん嘘をついて、さんざん秘密を作って、さんざん悩んで、さんざん苦しんだ。
せやから、最終決断はあいつがするべきやと思う。
それであいつが……二度と帰って来なかったとしても」
すっかり日が落ちたというのに小さな灯り一つ灯らない暗い部屋の中で、青年がベッドの上に横たわっていた。
今日の式の主役の一人だった。
「……ん……」
浅い、とても浅い眠りから目が覚める。
それでも丸一日も眠っていたかのように、とても頭の中がすっきりしていた。
自分がするべきことがクリアに見えている。
最後の迷いが打ち払われていた。
もう今度こそ揺れることはない。
「……おれは、弾く……あの曲を」
小さく呟いて、ゆっくりとベッドから起き上がった。
運命の時が今訪れたのだ。
日向子は、高槻の隣に座って視線を純白のテーブルクロスに落としていた。
着々と式が進行するにつれ、日向子の心臓はその高鳴りを強くしていった。
ちらりと有砂や秀人のいるテーブルを見やったが、有砂は落ち着いた表情で、式の進行を見守っているばかりだ。
その近くに立っている(予定外のゲストのためテーブルが用意されていなかったようだ)、何故だかどこかで見たことのあるような三人組の存在にも気付いていたが、ゆっくり確認するだけの心の余裕が日向子にはなかった。
「日向子」
高槻が口を開く。
「あまりそわそわするな。みっともない」
「……すみません、お父様……」
「……いよいよ、漸が出てくる。ちゃんと見ていなさい」
「……ええ」
確かに、自分のことで頭がいっぱいになっているとはいえ、漸の晴れ姿はやはりしっかりと見ておきたいし、見ていなければいけないと思った。
漸はホワイトタイで正装し、彼のために用意された舞台の上に姿を現した。
漸がどういう経緯で釘宮家の後継となるに至ったか、会場内に知らない者はほとんどいなかったが、堂々とした歩みで颯爽と現れた漸は、生まれながらの名家の令息だと言われても疑う余地がないほど立派なものだった。
肉眼で日の光を見上げるかのような眩しさを感じながら、日向子は漸をじっと見ていた。
ゲストたちに向けて深く礼をした漸が頭を上げた時、ほんの一瞬だけ視線がぶつかった気がした。
「……!」
その一瞬、漸は微笑していた。
日向子に向けて確かに微笑んでいた。
見たこともないような……けれど初めて見たのではない、そんな笑顔だった。
……誰かに似ていた?
でも誰に……?
困惑している日向子の前で、漸はゲストたちの拍手と品定めのような数多の視線を一身に受けながらピアノの前に座っていた。
日向子の横で舞台を見上げる高槻の眼差しにも力がこもる。
やがてゆっくりと、最初の指が最初の鍵へ。
踊るように動く10本の指は、奏でていく。
それはせつなく。
それは優しく。
それは独創的で。
そして日向子と、他の何人かにとっては驚愕に満ちた旋律だった。
「これ……この曲は……」
ピアノソロとして、大幅なアレンジを加えられてはいるが、軸となるメロディは全くそのままだ。
全くそのままの、
「……Melting Snow……?」
《第10章へつづく》
溜め息混じりの呟きがもれる。
「男の衣裳見立てるなんて、パパはちっとも楽しないで~、佳人~」
「やかましいオッサンやな……この間の件をホンマに反省しとんやったら黙って協力したらええねん」
「はいはい……わかりましたぁ。
まあ、やるからには完璧に仕上げますケド~?
ほんならキミたち、こっち来て」
子どものようにむくれる中年男と、その息子の傍らで居心地悪そうにしていた三人は不意に促されて顔を見合わせ、揃って頷いた。
とりあえず、致し方ない。
「有砂のパパ、よろしくね」
「どうぞお手柔らかに」
「とっとと頼むぜ、若作りのおっさん」
「……佳人、僕この赤いの嫌い」
「ええからとっととやれ」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【5】
「お麗しいですわ、お嬢様」
十ほど年上のメイドが感嘆の悲鳴を上げた。
「まるで奥様が蘇ったかのようですよ」
日向子は感慨深く、鏡の中の自分を眺めていた。
バロックパールをあしらったプリンセスラインの黒いドレス。
実際、こんなドレスを着た若いころの母親の姿を写真で見せてもらったことは何度もある。
「わたくしよりお母様のほうがずっと綺麗でしたわよ」
「まあ、そんなにご謙遜なさらなくともよろしいではありませんか。
ああ、そう遠くない日に今度は純白のウエディングドレスを着たお嬢様を見られるなんて……まるで夢のようですわ」
「はあ……」
日向子は明らかに戸惑った表情を見せたが、テンションの上がっているメイドは気付くことなく、鼻唄まじりにアクセサリー選びを始めていた。
なんとも落ち着かない気分になってしまう。
このドレスは、アトリエでのことへの謝罪を兼ねて秀人が今日のためにと言って贈ってきたものだ。
一体秀人はどこまで知っているのだろう。
まさか本当に沢城家に嫁ぐと思っているのではないだろうか。
それ以前に気になるのは有砂の真意だった。
今日の夕刻、式は始まってしまう。あと数時間しかない。
釘宮高槻の後継者の指名と、釘宮家令嬢の婚約を発表するための式だ。
有砂には何か考えがあるのだとは思うが、万が一このまま有砂と正式に婚約することにでもなってしまったらどうしよう……という不安が頭を去来する。
別に有砂が嫌だというのではない。
だが、こんな形で将来の結婚相手がいきなり決まってしまうのは困る。
何より。
日向子の心の中にはまだ「伯爵」がいる。
「伯爵」への思慕は未だに揺るぐことなくここにあるのだ。
こんな気持ちを抱いたまま誰と結ばれることができるだろうか?
「どうも、大変ご無沙汰を致しまして」
「ああ、息災のようだな」
「ええ、おかげさまで」
実際に親しげに挨拶を交す二人を見るまで、有砂は内心どこかで疑っていたのだが、真実二人は友人と呼べる関係のようだった。
高槻と秀人。まるでタイプの違う二人が、肩を並べている様は何とも不思議な光景だった。
「あいにく到着がギリギリになってまうんやけど、あとで僕のハニーちゃん紹介しますね♪」
「懲りん男だな、君は……」
「ええ、僕には恋が必要なんです。常に恋をしてへんと、僕のイマジネーションの泉は枯渇してまうんですよ。……ねえ、みんな? そうやろ」
振り返った先には一目で「SIXS」製とわかる独特なデザインの黒いフォーマルウエアを着た三人の青年が立っていた。
赤毛と黒髪に白いメッシュと、ピンクがかった白金の髪の三人はそれぞれに何とも複雑な表情を浮かべながら、
「……はい、先生のおっしゃる通りです」
前もって言われた通りの言葉を口を揃えて答えた。
「彼らは……?」
高槻の問いに、有砂が答えた。
「父のアシスタントです。今日は勉強のために同行していますが、邪魔にならないようにしますから、どうぞお気になさらずに」
「あ」
小さく声を上げた。
身支度を整えて、式の会場に向かう途中、日向子はまたしても彼と鉢合わせてしまった。
「雪乃……」
アルバムの一件以来、一度も顔を合わせていなかった。
式で披露する曲の制作にかかりっきりでろくに部屋から出て来なかったからだった。
数日ぶりに見た彼の顔には疲労の色がくっきりと見て取れる。
無言のままにすれ違おうとした瞬間、ほんの少しその身体が不自然に傾げた。
「雪乃……!」
とっさに支えるように腕に触れていた。
すぐに振り払われるかと思ったが、それはなかった。
「……雪乃、疲れているのでしょう?
まだ式までは時間があるわ、お部屋でお休みになってはいかが?」
彼は相変わらず表情の変化に乏しい面を、わずかにふせた。
「……お気遣いなく」
そっと、日向子の手に自身の手を重ね、静かに腕を離させる。
「……雪乃」
頼りない足取りで遠ざかっていく姿を見送って、日向子は今ほんの束の間彼に触れていた手を見やった。
あの綺麗な手から「温もり」を感じたのはとても久しぶりだった。
一瞬の触れ合いで感じた、戸惑うほどの優しさ。
「わからないわ……雪乃。あなたはわたくしを……本当はどう思っているのですか……?」
「……有砂のパパって本当に面白い人だね」
「え、面白いかな……? 俺はちょっと、いや大分苦手だけど」
「な~にが、『僕の機嫌損ねたらすぐに退場やからね~♪』だ。調子に乗りやがって。
おい有砂、あいつなんとかしろよ!!」
「……帰ってもええよ。お嬢が心配やないんやったらな」
なかばコスチュームプレイの様相を呈したheliodorの面々が、一人を除いて釘宮邸の一室に集っていた。
沢城秀人のアシスタントという設定は、有砂の提案だった。
確かに怪しまれずに潜り込むにはいい作戦かもしれなかったが、少なくとも紅朱と玄鳥は不満をのぞかせていた。
「……だいたいなんで有砂さんが日向子さんの恋人なんですか!?」
「せやから説明したやろう? ただ『反応』を見たくてゆうただけの冗談のつもりやったって。
……まさかあっさり許可されるとは思てへんかったけどな」
実際有砂は『彼』が動揺するかどうか見たかっただけだった。そのあとは、今のは冗談だと言うつもりだったのだが……。
「……だったら俺がその役、やりたかったんですけど……」
「え~、玄鳥には無理だよ」
万楼が笑う。
「玄鳥は役者に向いてないもんね。バカ正直だから」
「う」
確かに人よりかなり嘘の下手な玄鳥は何も言えなくなってしまった。
今日とて見破られてしまうのではないかとかなり神経をすり減らしているほどだ。
あの見るからにおっかない釘宮高槻の前で、日向子の恋人を装うことなどとても出来そうにない。
「……で、どうなんだ有砂。そろそろ本当のところを教えろよ」
気の毒な弟をよそに、紅朱はゆっくりと問掛ける。
「……日向子と、『あいつ』はどういう関係なんだ。偶然たまたま同じ名字でした、なんて馬鹿なことは言わねェだろうな?」
有砂からメンバーに語られていたのは真実の断片。
森久保は母親の旧姓、日向子の本当の姓は「釘宮」であるということ。
日向子の婚約が発表される場に、必ず蝉がいるということ。
そして、そこで蝉は何らかの答えを出すということだった。
「……悪いが」
有砂はきっぱりと返した。
「オレの口から全てを話す気はない」
いぶかしげな面々を見渡して、更に続ける。
「黙って見ていれば真実は自ずと判明する……どんな形にせよ、な。判明した後にどうするかは各自の自由や」
有砂のいつにない毅然とした雰囲気に、メンバーたちは押し黙った。
「……あの男は何年もの間さんざん嘘をついて、さんざん秘密を作って、さんざん悩んで、さんざん苦しんだ。
せやから、最終決断はあいつがするべきやと思う。
それであいつが……二度と帰って来なかったとしても」
すっかり日が落ちたというのに小さな灯り一つ灯らない暗い部屋の中で、青年がベッドの上に横たわっていた。
今日の式の主役の一人だった。
「……ん……」
浅い、とても浅い眠りから目が覚める。
それでも丸一日も眠っていたかのように、とても頭の中がすっきりしていた。
自分がするべきことがクリアに見えている。
最後の迷いが打ち払われていた。
もう今度こそ揺れることはない。
「……おれは、弾く……あの曲を」
小さく呟いて、ゆっくりとベッドから起き上がった。
運命の時が今訪れたのだ。
日向子は、高槻の隣に座って視線を純白のテーブルクロスに落としていた。
着々と式が進行するにつれ、日向子の心臓はその高鳴りを強くしていった。
ちらりと有砂や秀人のいるテーブルを見やったが、有砂は落ち着いた表情で、式の進行を見守っているばかりだ。
その近くに立っている(予定外のゲストのためテーブルが用意されていなかったようだ)、何故だかどこかで見たことのあるような三人組の存在にも気付いていたが、ゆっくり確認するだけの心の余裕が日向子にはなかった。
「日向子」
高槻が口を開く。
「あまりそわそわするな。みっともない」
「……すみません、お父様……」
「……いよいよ、漸が出てくる。ちゃんと見ていなさい」
「……ええ」
確かに、自分のことで頭がいっぱいになっているとはいえ、漸の晴れ姿はやはりしっかりと見ておきたいし、見ていなければいけないと思った。
漸はホワイトタイで正装し、彼のために用意された舞台の上に姿を現した。
漸がどういう経緯で釘宮家の後継となるに至ったか、会場内に知らない者はほとんどいなかったが、堂々とした歩みで颯爽と現れた漸は、生まれながらの名家の令息だと言われても疑う余地がないほど立派なものだった。
肉眼で日の光を見上げるかのような眩しさを感じながら、日向子は漸をじっと見ていた。
ゲストたちに向けて深く礼をした漸が頭を上げた時、ほんの一瞬だけ視線がぶつかった気がした。
「……!」
その一瞬、漸は微笑していた。
日向子に向けて確かに微笑んでいた。
見たこともないような……けれど初めて見たのではない、そんな笑顔だった。
……誰かに似ていた?
でも誰に……?
困惑している日向子の前で、漸はゲストたちの拍手と品定めのような数多の視線を一身に受けながらピアノの前に座っていた。
日向子の横で舞台を見上げる高槻の眼差しにも力がこもる。
やがてゆっくりと、最初の指が最初の鍵へ。
踊るように動く10本の指は、奏でていく。
それはせつなく。
それは優しく。
それは独創的で。
そして日向子と、他の何人かにとっては驚愕に満ちた旋律だった。
「これ……この曲は……」
ピアノソロとして、大幅なアレンジを加えられてはいるが、軸となるメロディは全くそのままだ。
全くそのままの、
「……Melting Snow……?」
《第10章へつづく》
2007/09/26 (Wed)
一次創作関連
「本当に、一体どんな奴なんだ……日向子さんの婚約者って」
「婚約者じゃないよ、玄鳥。婚約するかもしれない人、でしょう?」
スタジオの駐車場に降り立った年少組は、美々の口から明かされた日向子の婚約騒動な一夜明けても当然のように興奮気味に話していた。
今日練習の見学に来る予定の日向子の意思を一応確認した上で、場合によっては妨害作戦を練らなくてはと昨夜も万楼の部屋でさんざん語り合い、そのまま今日も二人でここへ来たのだった。
「どっちだっていい。どうせろくでもない奴に決まってるさ」
「なんで決まってるの? 案外いい人で、お姉さんも気に入っちゃうことだってありえるよ?」
「……まだ日向子さんに会ってもいないのに婚約話を進めるような相手がいい人だと思うか?」
「ああ、そっか」
首を大きく上下する万楼。玄鳥は、すぐ近くに駐車されていた白のセダンを見やって、独り言のように呟いた。
「そんなどこの誰とも知れない奴に日向子さんを持っていかれるくらいなら……まだ有砂さんにかっさらわれるほうがマシだよ……」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【4】
珍しく一番最後に到着した玄鳥と万楼は、スタジオ入り口のロビーの椅子に座って、何やら難しい顔をしているバンドのリーダーに遭遇した。
「おはよう、リーダー。なんで中に入らないの?」
「有砂さんも来てるんだろ?」
あっけらかんと声をかける二人に、紅朱は何故かかたい表情を浮かべたままだ。
「兄貴?」
「……なあ、お前ら」
低いトーンで、問う。
「日向子の奴、結婚……しちまうかもしれねェぞ?」
あまりにも衝撃的な発言に、他二人は完全にポカンとしている。
「あいつもう来てて、それで聞いたんだ……昨日のこととか、婚約者こととか……したらな、あいつ何て言ったと思う?」
「あの……どうなってしまうのやらわたくしにもまだわかりませんけれど……けしてわたくしを不幸にはしないとおっしゃって下さいましたから、今は信じてお任せしておりますの」
「え」
目を丸くしたまま綺麗にハモる玄鳥と万楼に、紅朱はにわかに立ち上がった。
「お前ら、これって、どうなんだ!? 俺には結構マンザラでもないので前向きに検討中、って意味にしか聞こえねェ……!」
「確かに……ボクにもそういう解釈しか……」
「そんなわけない!」
玄鳥だけがキッパリと否定する。
「日向子さんは口の巧い男に言いくるめられて、騙されてるんだ……絶対!」
「……ねえ玄鳥」
そんな玄鳥とは反対に、万楼はすぐに冷静さを取り戻していた。
「気持ちはわかるんだけど、そうやって決めつけるのってどうかと思う……」
「万楼……?」
確かに言っていることはかなり正論だったが、玄鳥は、
「お前は……もうあきらめるのか?」
思わず問い返した。
万楼の様子は、夜の公園でライバル宣言した時とは全然違う。
「わからない。でもボクには口出しする権利なんかないよ」
万楼が日向子に対して消極的になってきていることはわかっていた。
理由も聞いた。
忘れていたとはいえ、他の女性を好いていた自分が、日向子を好きになってしまったことに対する自己嫌悪。
そして、自分の本当の気持ちがどちらにあるのかはっきり掴めない自己疑心。
「……お姉さんが誰かと結婚、って考えるとせつなくはなるけどね……」
「万楼………」
「それに……お姉さんはぼんやりしてるところもあるけど、案外頭のいい人だと思う。
いい人と悪い人の区別くらいはつくと思うし、本気で嫌だと思ったらちゃんと自分で逃げ出す筈だよ。
そうなったら、その時にボクたちが支えてあげればいいんじゃないかな」
「……なかなかいいこと言うじゃねェか」
黙って聞いていた紅朱が感心したように口を開いた。
「流石は、日向子の弟分だな」
「え、ボクって弟分だったの?」
「違うのか? いつも『お姉さん』って呼んでなついてんだろ?」
「兄貴……」
ここまでの会話の流れをふまえても相変わらずわかっていない兄に、もはやかける言葉もない玄鳥。
しかし万楼はふっと、微かに笑みを浮かべた。
「弟……か。それもいいかな……」
その日の取材が終わると、日向子は迎えに来た小原の車でまた実家に帰った。
また書庫に行って、昨日見ていたアルバムの続きを見るつもりだったのだが、三分と経たないうちに日向子はすぐに書庫から飛び出した。
「……これは、どういうこと……?」
良家の令嬢にも関わらず廊下を駆け出した日向子は、角を曲がる時に向こうから来る相手とぶつかりそうになった。
漸だった。
「……何事ですか? 屋敷の中を走り回るなど非常識ではありませんか」
相変わらず冷たい反応の漸だったが、日向子はそれどころではなく、焦った口調で問う。
「ねえ雪乃、書庫にあったアルバムがどこへ行ったか知らないかしら? 昨日まで確かにありましたのに……」
「ああ、あれでしたら今朝私が処分させましたが?」
あっさり返ってきたショッキングな言葉に、日向子は半分我を忘れて、漸の両腕をひしっと掴んだ。
「どうして……!?」
「……書庫が手狭になってきたので、不要な物を処分しただけですが、いけませんか?」
「あれは不要な物などでは……!!」
「ああ、そうですね。少し早まったことをしたかもしれません」
漸は、ほとんど涙目で見上げる日向子を見下ろして冷笑する。
「もうすぐあなたの部屋が空くのですから、そこを第二書庫にしてしまえばこと足りますね」
「っ」
頭の中が空白に溶けてしまったようだった。
「……不要……あなたにとってはそうなのかもしれないけれど、わたくしにはかけがえのないものでしたのよ……?」
ぎゅっと掴んだ両手に力を込める。
「……そんなの、あんまりですわ……!」
「……離して頂けますか? 私にはやるべき仕事が山ほどありますので」
言いながら日向子の手をほとんど力任せにふりほどいた。
うつむいて、ついにすすり泣く日向子の脇をすり抜けて、靴音が遠ざかる。
「……雪、乃……っ」
振り返って名前を呼んでも答えはなく、こちらを見ることすらしない。
「思い出を抱き締めることすら……許してくれないの……?」
抜け出したと思っていた失意が再び日向子を捕えていた。
とめどなく涙があふれてきて、視界はぼやけていく。
「日向子」
失意に沈みかけた意識を呼び戻すかのような、威厳のある声が呼び掛ける。
「日向子」
二度目。日向子はゆっくりと振り返った。
「……お父様」
いつ見ても厳しい顔をした父親が、いつからそこにいたのか、日向子を見つめていた。
「……顔を洗ったら私の部屋に来なさい」
短く促され、その有無を言わさない口調に、日向子はしゃくり上げながらも反射的に頷いていた。
「かけなさい」
座るだけでお金を取れそうなほど高級な革のソファに座った日向子は、紅茶を置いて退出して行った小原を労うと、向かいに座った父親に視線を戻した。
高槻と日向子が向かい合って二人きりでお茶を飲むのは、実際十年以上ぶりだった。
和やかな雰囲気などは皆無だったが、それでも日向子は不思議と落ち着きを取り戻していく自分に気付いていた。
「……日向子」
やがて高槻はゆっくりと切り出した。
「お前も釘宮の人間ならば他愛ないことで一々取り乱すものではない」
「……けれどお父様」
「写真など、漸が手放したものに比べれば全く他愛もない」
「……え?」
言われている意味がわからずに、何も返答出来ない日向子。
高槻は続けた。
「漸はお前を遠ざけたいのだろう。お前が側にいる限り、あれは手放したものを忘れることができないだろうからな」
「手放したもの……?」
高槻は一度押し黙り、それからまた少し角度の違う話をし始めた。
「……釘宮の後継者となることは並大抵のことではない。私とて、生まれたその日から周囲の多大な期待と重圧を受け、幾度も苦しんだ。
何度逃げたいと思ったか知れない」
「お父様が、ですか?」
「そうだ。それほどに釘宮の名前は重い。
周囲から後継となる男子を養子にするように強く勧められた時も、私はひどく懐疑的だった。
生まれた時から釘宮である私にとっても重荷だったものを、他家に生まれた子供が果たして背負いきれるのか」
高槻もまた、釘宮という名前をその父親から受け継いだ身……その高槻が語る言葉にはとてつもない深みがあった。
「漸と同じくらいピアノの素質がある子どもはたくさんいたが、漸ほど芯の強い、肝のすわった子どもは他にいなかった。
あれに、どうしても釘宮の後継者にならなくてはならない『目的』があることには気付いていたが、そんなことはどうでもいい。
ただ並々ならぬ覚悟の元で、子どもらしい素顔を隠して釘宮の人間になろうと必死に努力している漸に、私は全てを譲りたいと考えたのだ」
日向子の脳裏に、初めて漸に会った時の朧気な記憶が蘇る。
上手に名前を呼べなくて、困らせてしまったあの時だ。
大人びた声と表情は、しかし実は緊張で微かに揺らいでいたような気がする。
「とはいえ、若者はとかく葛藤するものだ。
思春期を経て世界が広がれば、もっと他の可能性を模索したいと感じることもある。
……だから私は、漸が成人し、決意が固まるまでは正式な養子縁組をしないことにしたのだ」
日向子は正直心の底から驚いていた。
頭が固く、厳しいばかりのワンマンで時代錯誤な父親だとばかり思っていた人は、こんなにも深い考えを持って漸を見守ってきていたのだ。
「そして漸は今、釘宮を背負う茨の道を選んだ。
……それ以外の可能性を手放すことに未練はないようなことを言ってはいるが、本心ではないだろうと私は思う」
「……雪乃には、他に何か進みたい道があるのですか……?」
かつてそんなことを何気無く雪乃に聞いたことがあったが、その時は何も言っていなかった。
言ってくれなかった。
胸がきゅっと締め付けられる。
「雪乃は、わたくしにはいつも本当のことを何も話してくれなかった……。
本当は優しい人でも、ひどい人でももう構わないから、あの人の本当の気持ちが知りたいです……。
……今からでも知りたいと思うけれど、もう何もかも遅すぎるかしら……」
「取り乱すなと言ったばかりだ。未熟者めが」
「あ……」
高槻の言葉は厳しかったが、今は何故か優しく聞こえる。
亡き母はよく高槻の優しいところが好きだと話していて、日向子にはそれが不思議でならなかったのだが、少しだけわかった気がする。
高槻は強く、厳しくあろうとしているのだ。
「釘宮」という役割を果たすために。
その生き方は、深紅の髪をしたあの青年とどこか似ている。
「……『そういうキャラで売って』いますのね」
「……なんだそれは」
いぶかしげに眉間に皺を寄せる高槻に、日向子は微かな笑みを向けた。
「……お父様と同じ……わたくしが泣くと怒る人のことを少し、思い出してしまって」
いよいよいぶかしそうな高槻に、日向子は本格的にクスクス笑いを浮かべる。
「……もう泣きません。写真を失っても、思い出が失われるわけではありませんもの。
雪乃が捨てるというなら、雪乃の分もわたくしが抱えてゆきます。
……忘れたりしません」
書斎のドアの前に封筒を携えた青年が立ち尽くしていた。
ノックをするために緩く握っていた拳をきゅっと固め、下に下ろす。
封筒を持つ手にも力がこもり、くしゃりと潰れた。
「……先生……お嬢、様……」
呟きは、かすれて、消える。
「……そう、だね。この曲じゃダメだ……」
《つづく》
「婚約者じゃないよ、玄鳥。婚約するかもしれない人、でしょう?」
スタジオの駐車場に降り立った年少組は、美々の口から明かされた日向子の婚約騒動な一夜明けても当然のように興奮気味に話していた。
今日練習の見学に来る予定の日向子の意思を一応確認した上で、場合によっては妨害作戦を練らなくてはと昨夜も万楼の部屋でさんざん語り合い、そのまま今日も二人でここへ来たのだった。
「どっちだっていい。どうせろくでもない奴に決まってるさ」
「なんで決まってるの? 案外いい人で、お姉さんも気に入っちゃうことだってありえるよ?」
「……まだ日向子さんに会ってもいないのに婚約話を進めるような相手がいい人だと思うか?」
「ああ、そっか」
首を大きく上下する万楼。玄鳥は、すぐ近くに駐車されていた白のセダンを見やって、独り言のように呟いた。
「そんなどこの誰とも知れない奴に日向子さんを持っていかれるくらいなら……まだ有砂さんにかっさらわれるほうがマシだよ……」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【4】
珍しく一番最後に到着した玄鳥と万楼は、スタジオ入り口のロビーの椅子に座って、何やら難しい顔をしているバンドのリーダーに遭遇した。
「おはよう、リーダー。なんで中に入らないの?」
「有砂さんも来てるんだろ?」
あっけらかんと声をかける二人に、紅朱は何故かかたい表情を浮かべたままだ。
「兄貴?」
「……なあ、お前ら」
低いトーンで、問う。
「日向子の奴、結婚……しちまうかもしれねェぞ?」
あまりにも衝撃的な発言に、他二人は完全にポカンとしている。
「あいつもう来てて、それで聞いたんだ……昨日のこととか、婚約者こととか……したらな、あいつ何て言ったと思う?」
「あの……どうなってしまうのやらわたくしにもまだわかりませんけれど……けしてわたくしを不幸にはしないとおっしゃって下さいましたから、今は信じてお任せしておりますの」
「え」
目を丸くしたまま綺麗にハモる玄鳥と万楼に、紅朱はにわかに立ち上がった。
「お前ら、これって、どうなんだ!? 俺には結構マンザラでもないので前向きに検討中、って意味にしか聞こえねェ……!」
「確かに……ボクにもそういう解釈しか……」
「そんなわけない!」
玄鳥だけがキッパリと否定する。
「日向子さんは口の巧い男に言いくるめられて、騙されてるんだ……絶対!」
「……ねえ玄鳥」
そんな玄鳥とは反対に、万楼はすぐに冷静さを取り戻していた。
「気持ちはわかるんだけど、そうやって決めつけるのってどうかと思う……」
「万楼……?」
確かに言っていることはかなり正論だったが、玄鳥は、
「お前は……もうあきらめるのか?」
思わず問い返した。
万楼の様子は、夜の公園でライバル宣言した時とは全然違う。
「わからない。でもボクには口出しする権利なんかないよ」
万楼が日向子に対して消極的になってきていることはわかっていた。
理由も聞いた。
忘れていたとはいえ、他の女性を好いていた自分が、日向子を好きになってしまったことに対する自己嫌悪。
そして、自分の本当の気持ちがどちらにあるのかはっきり掴めない自己疑心。
「……お姉さんが誰かと結婚、って考えるとせつなくはなるけどね……」
「万楼………」
「それに……お姉さんはぼんやりしてるところもあるけど、案外頭のいい人だと思う。
いい人と悪い人の区別くらいはつくと思うし、本気で嫌だと思ったらちゃんと自分で逃げ出す筈だよ。
そうなったら、その時にボクたちが支えてあげればいいんじゃないかな」
「……なかなかいいこと言うじゃねェか」
黙って聞いていた紅朱が感心したように口を開いた。
「流石は、日向子の弟分だな」
「え、ボクって弟分だったの?」
「違うのか? いつも『お姉さん』って呼んでなついてんだろ?」
「兄貴……」
ここまでの会話の流れをふまえても相変わらずわかっていない兄に、もはやかける言葉もない玄鳥。
しかし万楼はふっと、微かに笑みを浮かべた。
「弟……か。それもいいかな……」
その日の取材が終わると、日向子は迎えに来た小原の車でまた実家に帰った。
また書庫に行って、昨日見ていたアルバムの続きを見るつもりだったのだが、三分と経たないうちに日向子はすぐに書庫から飛び出した。
「……これは、どういうこと……?」
良家の令嬢にも関わらず廊下を駆け出した日向子は、角を曲がる時に向こうから来る相手とぶつかりそうになった。
漸だった。
「……何事ですか? 屋敷の中を走り回るなど非常識ではありませんか」
相変わらず冷たい反応の漸だったが、日向子はそれどころではなく、焦った口調で問う。
「ねえ雪乃、書庫にあったアルバムがどこへ行ったか知らないかしら? 昨日まで確かにありましたのに……」
「ああ、あれでしたら今朝私が処分させましたが?」
あっさり返ってきたショッキングな言葉に、日向子は半分我を忘れて、漸の両腕をひしっと掴んだ。
「どうして……!?」
「……書庫が手狭になってきたので、不要な物を処分しただけですが、いけませんか?」
「あれは不要な物などでは……!!」
「ああ、そうですね。少し早まったことをしたかもしれません」
漸は、ほとんど涙目で見上げる日向子を見下ろして冷笑する。
「もうすぐあなたの部屋が空くのですから、そこを第二書庫にしてしまえばこと足りますね」
「っ」
頭の中が空白に溶けてしまったようだった。
「……不要……あなたにとってはそうなのかもしれないけれど、わたくしにはかけがえのないものでしたのよ……?」
ぎゅっと掴んだ両手に力を込める。
「……そんなの、あんまりですわ……!」
「……離して頂けますか? 私にはやるべき仕事が山ほどありますので」
言いながら日向子の手をほとんど力任せにふりほどいた。
うつむいて、ついにすすり泣く日向子の脇をすり抜けて、靴音が遠ざかる。
「……雪、乃……っ」
振り返って名前を呼んでも答えはなく、こちらを見ることすらしない。
「思い出を抱き締めることすら……許してくれないの……?」
抜け出したと思っていた失意が再び日向子を捕えていた。
とめどなく涙があふれてきて、視界はぼやけていく。
「日向子」
失意に沈みかけた意識を呼び戻すかのような、威厳のある声が呼び掛ける。
「日向子」
二度目。日向子はゆっくりと振り返った。
「……お父様」
いつ見ても厳しい顔をした父親が、いつからそこにいたのか、日向子を見つめていた。
「……顔を洗ったら私の部屋に来なさい」
短く促され、その有無を言わさない口調に、日向子はしゃくり上げながらも反射的に頷いていた。
「かけなさい」
座るだけでお金を取れそうなほど高級な革のソファに座った日向子は、紅茶を置いて退出して行った小原を労うと、向かいに座った父親に視線を戻した。
高槻と日向子が向かい合って二人きりでお茶を飲むのは、実際十年以上ぶりだった。
和やかな雰囲気などは皆無だったが、それでも日向子は不思議と落ち着きを取り戻していく自分に気付いていた。
「……日向子」
やがて高槻はゆっくりと切り出した。
「お前も釘宮の人間ならば他愛ないことで一々取り乱すものではない」
「……けれどお父様」
「写真など、漸が手放したものに比べれば全く他愛もない」
「……え?」
言われている意味がわからずに、何も返答出来ない日向子。
高槻は続けた。
「漸はお前を遠ざけたいのだろう。お前が側にいる限り、あれは手放したものを忘れることができないだろうからな」
「手放したもの……?」
高槻は一度押し黙り、それからまた少し角度の違う話をし始めた。
「……釘宮の後継者となることは並大抵のことではない。私とて、生まれたその日から周囲の多大な期待と重圧を受け、幾度も苦しんだ。
何度逃げたいと思ったか知れない」
「お父様が、ですか?」
「そうだ。それほどに釘宮の名前は重い。
周囲から後継となる男子を養子にするように強く勧められた時も、私はひどく懐疑的だった。
生まれた時から釘宮である私にとっても重荷だったものを、他家に生まれた子供が果たして背負いきれるのか」
高槻もまた、釘宮という名前をその父親から受け継いだ身……その高槻が語る言葉にはとてつもない深みがあった。
「漸と同じくらいピアノの素質がある子どもはたくさんいたが、漸ほど芯の強い、肝のすわった子どもは他にいなかった。
あれに、どうしても釘宮の後継者にならなくてはならない『目的』があることには気付いていたが、そんなことはどうでもいい。
ただ並々ならぬ覚悟の元で、子どもらしい素顔を隠して釘宮の人間になろうと必死に努力している漸に、私は全てを譲りたいと考えたのだ」
日向子の脳裏に、初めて漸に会った時の朧気な記憶が蘇る。
上手に名前を呼べなくて、困らせてしまったあの時だ。
大人びた声と表情は、しかし実は緊張で微かに揺らいでいたような気がする。
「とはいえ、若者はとかく葛藤するものだ。
思春期を経て世界が広がれば、もっと他の可能性を模索したいと感じることもある。
……だから私は、漸が成人し、決意が固まるまでは正式な養子縁組をしないことにしたのだ」
日向子は正直心の底から驚いていた。
頭が固く、厳しいばかりのワンマンで時代錯誤な父親だとばかり思っていた人は、こんなにも深い考えを持って漸を見守ってきていたのだ。
「そして漸は今、釘宮を背負う茨の道を選んだ。
……それ以外の可能性を手放すことに未練はないようなことを言ってはいるが、本心ではないだろうと私は思う」
「……雪乃には、他に何か進みたい道があるのですか……?」
かつてそんなことを何気無く雪乃に聞いたことがあったが、その時は何も言っていなかった。
言ってくれなかった。
胸がきゅっと締め付けられる。
「雪乃は、わたくしにはいつも本当のことを何も話してくれなかった……。
本当は優しい人でも、ひどい人でももう構わないから、あの人の本当の気持ちが知りたいです……。
……今からでも知りたいと思うけれど、もう何もかも遅すぎるかしら……」
「取り乱すなと言ったばかりだ。未熟者めが」
「あ……」
高槻の言葉は厳しかったが、今は何故か優しく聞こえる。
亡き母はよく高槻の優しいところが好きだと話していて、日向子にはそれが不思議でならなかったのだが、少しだけわかった気がする。
高槻は強く、厳しくあろうとしているのだ。
「釘宮」という役割を果たすために。
その生き方は、深紅の髪をしたあの青年とどこか似ている。
「……『そういうキャラで売って』いますのね」
「……なんだそれは」
いぶかしげに眉間に皺を寄せる高槻に、日向子は微かな笑みを向けた。
「……お父様と同じ……わたくしが泣くと怒る人のことを少し、思い出してしまって」
いよいよいぶかしそうな高槻に、日向子は本格的にクスクス笑いを浮かべる。
「……もう泣きません。写真を失っても、思い出が失われるわけではありませんもの。
雪乃が捨てるというなら、雪乃の分もわたくしが抱えてゆきます。
……忘れたりしません」
書斎のドアの前に封筒を携えた青年が立ち尽くしていた。
ノックをするために緩く握っていた拳をきゅっと固め、下に下ろす。
封筒を持つ手にも力がこもり、くしゃりと潰れた。
「……先生……お嬢、様……」
呟きは、かすれて、消える。
「……そう、だね。この曲じゃダメだ……」
《つづく》
2007/09/20 (Thu)
一次創作関連
「君のお父上……秀人くんには大きな借りがある」
高槻が言った。
「彼がそう望むならば、娘を沢城家に嫁がせることに異存はない」
誰もが耳を疑う言葉だった。
「……父に、借り……ですか?」
さしもの有砂も驚きを露にしている。
どうやら秀人は日向子の母、水無子と面識があった(本人曰く元カレ)らしいということは知っていたが、高槻とも関係していたとは思っていなかった。
それは日向子も同じだった。
「……お父様……お話を、詳しくお聞かせ頂けませんこと?」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【3】
高槻の語る因縁は、日向子が誕生する以前にまで遡るものだった。
看護婦だった水無子を見そめて婚約した高槻だったが、周囲の水無子に対する風当たりは相当なものだったという。
水無子は高槻に恥をかかせまいと努力してはいたが、生まれ育ちの違いによる偏見もあいまって、社交の場でも明らかに浮き上がってしまい、陰でこそこそとさげすまれ、嘲笑されているような状況だった。
そんな折に、気鋭の若手デザイナーとして名を上げつつあった秀人との出会いがあったのだという。
秀人は水無子の美しさを絶賛し、自ら水無子の装飾品やドレスのプロデュースを買って出た。
「……最初は他人の婚約者に下心を持って近付き、色目を使うけしからん輩と思ったものだが」
高槻の言葉に、若者たちは皆内心「それは実際その通りだったに違いない」と思ったが、それを口に出来る空気ではなかった。
「秀人くんが、自身の新しいブランド名を水無子の名前から取って名付けたこともあり、周囲の評価は随分と暖かいものになっていった」
沢城秀人のブランド……「SIXS(シックス)」。
それは六月生まれであることに由来する「水無子」という名前から発想されたものだった。
秀人の実子で、そのブランドとかつて専属モデル契約を結んでいた有砂でさえも知らなかった事実だった。
「元カレ」は冗談にしても、実際水無子と秀人は因縁浅からぬ関係であったと知り、日向子も心底驚いていた。
高槻はさらに続ける。
「しかし秀人くんとは十年以上前に絶縁状態となっていた。
ある出来事から、交流を続けると迷惑がかかるから、と向こうから連絡を絶ったためだ」
ある出来事……恐らくは、沢城家の双子の悲劇のことだろう。
マスコミにセンセーショナルに書き立てられる渦中の一家と懇意と知れれば巻き込まれかねない。
「私は当時も彼への借りを返すために尽力したいと考えていたが、協力出来たことといえば、彼の家族のために完全にマスコミをシャットダウンできる隠れ家を紹介したことくらいだ」
漸と有砂は同時にはっとしていた。
少し遅れて日向子も思いいたった。
「スノウ・ドーム……?」
有砂をスノウ・ドームに入所させるよう手引きしたのは高槻だったのだ。
少年たちの出会いはただの偶然ではなかった。
「よう。ご立派やな。見違えたで」
「……」
夕刻、漸が一人になるのを見計らって、有砂はその背中に声をかけた。
漸は自室のドアにかけた手を戻し、ゆっくりと振り返った。
「……何故、あんな嘘を?」
睨むような眼差しで問う。
「……嘘?」
「お嬢様と、付き合っているなんて……」
「嘘やないで」
有砂は薄く笑い、即座に切り返す。
「お嬢とはもう、随分深い仲やし」
「……まさか」
「証明をお望みなん?」
チャリ、と軽く金属がこすれる音を立て、有砂はポケットから小さな鍵を引っ張り出した。
鍵には、漸にも見覚えのある月の形をしたキーホルダーがついている。
高山獅貴のファンクラブ限定ライブのグッズだと……聞かされている。
「それは……彼女の部屋の」
「合鍵。もうほとんど同棲みたいなもんやから」
意表をつく小道具を提示されて、漸は思わずうろたえていた。
「っ……」
「そんなに驚くこともないやろう? お嬢かてガキと違うんやで……あいつ、脱がせてみたら案外ええ身体つきしとるしな」
「お前……!」
「別に、遊びで抱いてるわけちゃうんやからええやろ。親御さんにも結婚の了承得たしな」
漸は一瞬沸騰しかけたある種の感情を必死に沈静化させようとするように唇を噛んだ。
「それなら……お前は、お前のしたいようにすればいい。
しかしどうする? いくら恩人の子だと言っても、先生はバンドマンとの結婚はお許しにはならない」
言い放つ漸に、有砂はあっさりと答える。
「バンド……? もちろん、辞めるで」
「な……?」
「オレは釘宮家に婿入りして事業のいくつかを任せてもらうつもりや……お前が引き継ぐ筈のな。
バンドなんて続けるより、ずっと安定したええ暮らしが出来るやろうな」
「黙れ……っ」
漸は、恐らく考えるよりも先に有砂の襟首に掴みかかっていた。
掴みかかられた有砂は、苦痛に顔を歪めながらも余裕の笑みを絶やさない。
「……なんで怒るんや? ジブンかて目的のためにバンド捨てたんやろ?」
「っ」
ひるんだ漸の手を掴んで、引き離す。
「この手はもうクラシック以外弾かへんのやろ? お嬢のためにハンドル握るこもない……」
有砂の淡々とした言葉は、1つ1つ鋭い針となって漸に突き刺さる。
「……正直、このまんまひねり潰したいくらい腹立っとんねんで」
漸は深く息を吐き出すと、突き刺さった針を振り払おうとするかのように、鼻先に笑みを浮かべる。
「……成程、そうやって動揺を誘う魂胆なわけか。
悪いけど、無駄だよ」
冷たい声音で告げながら、有砂の手をふりほどく。
「お前が言う通り。おれは自分の目的のために何もかもを切り捨てた。
どうせならば釘宮家の全てを手に入れる……そのためにはお嬢様には他家に嫁いでもらうほうが都合がいい。
……お前がお嬢様とどんな関係でも別に構わない。
だけど、おれの邪魔はするな」
鋭い視線を残して、漸は自室の中へと消えて行った。
残された有砂はしばらく閉ざされたドアを見つめていたが、不意に、小さく笑った。
「……ホンマに、難儀な男や」
ドアを背にした漸は立ち尽くしたまま、額に手を押し当て、うつ向いていた。
「……何もかも予定通りにはいかないもんだな」
吐き捨てるように呟いて、フラフラと窓際の机に歩み寄る。
書きかけの譜面が散らばった机の上には、シンプルな木製の写真立てで飾られたセピア色の写真がある。
古い小さなピアノの前で撮った、父と慕う人との写真。
ピアノという生き甲斐を与えてくれた人。
「だけど……ためらいなんて、もう許されない……」
書架で半分隠れた窓から西日がさしこんでいる。
日向子がこの釘宮家の一階奥の書庫に足を踏み入れるのは、学生時代以来だったが、常に整頓されて綺麗に埃を払われているのは相変わらずだ。
探し物を見つけるのも簡単だった。
表紙がビロードで飾られた古いアルバム。
日向子がこの世に誕生する前の写真を集めたアルバムだ。
在りし日の母・水無子、まだ今よりはずっと穏やかな雰囲気の高槻、フサフサした黒髪の小原。
そして、有砂と見間違えてしまいそうな秀人の写真もそこにはあった。
更には……伯爵・高山獅貴の姿を収めたものも。
秀人が高山獅貴と同じデザインのコートを着ていたのは、両者の間に交流があった……あるいは現在進行形で交流があるという可能性を示唆している。
世界は広いようで本当に狭いものなのだと、実感せざるをえない。
「それにしても……どうして有砂様はあのような……」
嘘をついたのだろうか?
後で理由を問いつめた日向子に、有砂は真面目な顔をして囁いた。
「悪いが、しばらく、オレの嘘に付き合うてくれ。……どう転んでもお嬢を不幸にはせんから」
すぐには理由を話すつもりがないらしい。
12月の夕暮れはあまりにも短く、気が付けば窓の外は漆黒の闇だった。
時の流れが速い。
一日があっという間に終わってしまう。
流されるように。
追い立てられるように。
アルバムを元の場所にしまって書庫を出ると、微かだがピアノの音が聞こえてきた。
屋敷の中で日向子以外にピアノを奏でる人間は二人しかいない。
高槻は午後から出掛けたまままだ戻らない。ということは……。
「雪乃の部屋……」
久々に聞く、彼の弾くピアノの音色。
本当に久々の筈なのだが……何故か、あまりそんな気がしない。
もっと最近、どこかでこの音を聞いた気がするのは何故だろうか。
それにしても今日の旋律は、せつない響きだ。
心の内側に何を秘めたらこんなふうにせつない音が鳴るのだろう。
二度も冷たく日向子を突き放した人……それでも……。
日向子は小走りで書庫の中に舞い戻った。
暗い部屋に灯りをつけて、先程と同じ書架の前に立ち、年月日とシリアルナンバーのついた背表紙を人指し指でたどり、何冊かをまとめて引っ張り出す。
それは、日向子が雪乃と呼んできた人物がこの屋敷に来てからの記録。
写真好きだった水無子が亡くなってからはぐっと枚数が減ったが、かわって小原が折りを見て撮ってくれたものが残っている。
幼い頃から、彼はあまり笑顔で写っていない。
いかにもな作り笑いを除いては、いつもはりつめたような真面目な顔で写っている。
あまりに無邪気だった少女時代の日向子にはわからなかったが、彼のような出自の人間が釘宮家の一員として生きるためには、大変な苦労があったのかもしれない。
かつて蝉から「雪乃は保身のために日向子に取り入ろうとしたのかもしれない」と言われた時には怒って「そんなことはない」と否定した。
だが実際は、そうだったのかもしれない。
日向子の知らないところで彼は苦悩し、自分を偽り、戦ってきたのかもしれない。
「わたくしは……雪乃のこと、本当は何も……何も、わかっていないのかもしれない……」
こわばった顔の彼の横で、日向子はリラックスしきった眩しい笑顔や、少し甘えたような幼い顔、時には泣き顔や寝顔……さらけ出して写っている。
だが「雪乃」という少年の素顔を、日向子は知らない気がした。
「……家族ごっこ……だったのかもしれない」
けれどそれでも、長方形に区切られて並んだ思い出の数々は、愛しく、尊い。その「家族ごっこ」は日向子にはかけがえのない日々だった。
秀人の別段善意ではなかったのだろうちょっとした気まぐれに、高槻が深く感謝しているように……相手の気持ちがどこか別にあっても、それで救われる人がいる。
本当に大切なのは自分が相手をどう思っているか……かつて蝉から教わった大切なことをもう一度思い出す。
日向子はぎゅっとアルバムを抱き締めて、目を閉じた。
「雪乃」
絶えず鍵盤の奏でる音が漏れ聞こえる部屋のドアをノックした。
ピアノの音が、止まる。
「……部屋から出て来なくてもいいから。聞いていて」
少しだけ声をはって、ドアの向こうにしっかり届くように、日向子は言った。
「ごめんなさい」
あふれる感情で声が震えないように、必死に堪える。
「ずっとずっと、家族ごっこしてしまってごめんなさい。
もう遅いかもしれないけれど、わたくしは……あなたと本当の家族になりたいです。
それが叶わないとしても」
拒絶されてもいい。
ただ伝えよう。
伝えなければきっと後悔する。
「ずっと側にいてくれて、ありがとう。
幾つもの思い出の中にあなたがいてくれることが、わたくしの幸いです」
沈黙した白と黒の世界へ音もなく雫が落ちる。
「ねえ……なんで……キミは……おれを楽にしてくれないの……?」
《つづく》
高槻が言った。
「彼がそう望むならば、娘を沢城家に嫁がせることに異存はない」
誰もが耳を疑う言葉だった。
「……父に、借り……ですか?」
さしもの有砂も驚きを露にしている。
どうやら秀人は日向子の母、水無子と面識があった(本人曰く元カレ)らしいということは知っていたが、高槻とも関係していたとは思っていなかった。
それは日向子も同じだった。
「……お父様……お話を、詳しくお聞かせ頂けませんこと?」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【3】
高槻の語る因縁は、日向子が誕生する以前にまで遡るものだった。
看護婦だった水無子を見そめて婚約した高槻だったが、周囲の水無子に対する風当たりは相当なものだったという。
水無子は高槻に恥をかかせまいと努力してはいたが、生まれ育ちの違いによる偏見もあいまって、社交の場でも明らかに浮き上がってしまい、陰でこそこそとさげすまれ、嘲笑されているような状況だった。
そんな折に、気鋭の若手デザイナーとして名を上げつつあった秀人との出会いがあったのだという。
秀人は水無子の美しさを絶賛し、自ら水無子の装飾品やドレスのプロデュースを買って出た。
「……最初は他人の婚約者に下心を持って近付き、色目を使うけしからん輩と思ったものだが」
高槻の言葉に、若者たちは皆内心「それは実際その通りだったに違いない」と思ったが、それを口に出来る空気ではなかった。
「秀人くんが、自身の新しいブランド名を水無子の名前から取って名付けたこともあり、周囲の評価は随分と暖かいものになっていった」
沢城秀人のブランド……「SIXS(シックス)」。
それは六月生まれであることに由来する「水無子」という名前から発想されたものだった。
秀人の実子で、そのブランドとかつて専属モデル契約を結んでいた有砂でさえも知らなかった事実だった。
「元カレ」は冗談にしても、実際水無子と秀人は因縁浅からぬ関係であったと知り、日向子も心底驚いていた。
高槻はさらに続ける。
「しかし秀人くんとは十年以上前に絶縁状態となっていた。
ある出来事から、交流を続けると迷惑がかかるから、と向こうから連絡を絶ったためだ」
ある出来事……恐らくは、沢城家の双子の悲劇のことだろう。
マスコミにセンセーショナルに書き立てられる渦中の一家と懇意と知れれば巻き込まれかねない。
「私は当時も彼への借りを返すために尽力したいと考えていたが、協力出来たことといえば、彼の家族のために完全にマスコミをシャットダウンできる隠れ家を紹介したことくらいだ」
漸と有砂は同時にはっとしていた。
少し遅れて日向子も思いいたった。
「スノウ・ドーム……?」
有砂をスノウ・ドームに入所させるよう手引きしたのは高槻だったのだ。
少年たちの出会いはただの偶然ではなかった。
「よう。ご立派やな。見違えたで」
「……」
夕刻、漸が一人になるのを見計らって、有砂はその背中に声をかけた。
漸は自室のドアにかけた手を戻し、ゆっくりと振り返った。
「……何故、あんな嘘を?」
睨むような眼差しで問う。
「……嘘?」
「お嬢様と、付き合っているなんて……」
「嘘やないで」
有砂は薄く笑い、即座に切り返す。
「お嬢とはもう、随分深い仲やし」
「……まさか」
「証明をお望みなん?」
チャリ、と軽く金属がこすれる音を立て、有砂はポケットから小さな鍵を引っ張り出した。
鍵には、漸にも見覚えのある月の形をしたキーホルダーがついている。
高山獅貴のファンクラブ限定ライブのグッズだと……聞かされている。
「それは……彼女の部屋の」
「合鍵。もうほとんど同棲みたいなもんやから」
意表をつく小道具を提示されて、漸は思わずうろたえていた。
「っ……」
「そんなに驚くこともないやろう? お嬢かてガキと違うんやで……あいつ、脱がせてみたら案外ええ身体つきしとるしな」
「お前……!」
「別に、遊びで抱いてるわけちゃうんやからええやろ。親御さんにも結婚の了承得たしな」
漸は一瞬沸騰しかけたある種の感情を必死に沈静化させようとするように唇を噛んだ。
「それなら……お前は、お前のしたいようにすればいい。
しかしどうする? いくら恩人の子だと言っても、先生はバンドマンとの結婚はお許しにはならない」
言い放つ漸に、有砂はあっさりと答える。
「バンド……? もちろん、辞めるで」
「な……?」
「オレは釘宮家に婿入りして事業のいくつかを任せてもらうつもりや……お前が引き継ぐ筈のな。
バンドなんて続けるより、ずっと安定したええ暮らしが出来るやろうな」
「黙れ……っ」
漸は、恐らく考えるよりも先に有砂の襟首に掴みかかっていた。
掴みかかられた有砂は、苦痛に顔を歪めながらも余裕の笑みを絶やさない。
「……なんで怒るんや? ジブンかて目的のためにバンド捨てたんやろ?」
「っ」
ひるんだ漸の手を掴んで、引き離す。
「この手はもうクラシック以外弾かへんのやろ? お嬢のためにハンドル握るこもない……」
有砂の淡々とした言葉は、1つ1つ鋭い針となって漸に突き刺さる。
「……正直、このまんまひねり潰したいくらい腹立っとんねんで」
漸は深く息を吐き出すと、突き刺さった針を振り払おうとするかのように、鼻先に笑みを浮かべる。
「……成程、そうやって動揺を誘う魂胆なわけか。
悪いけど、無駄だよ」
冷たい声音で告げながら、有砂の手をふりほどく。
「お前が言う通り。おれは自分の目的のために何もかもを切り捨てた。
どうせならば釘宮家の全てを手に入れる……そのためにはお嬢様には他家に嫁いでもらうほうが都合がいい。
……お前がお嬢様とどんな関係でも別に構わない。
だけど、おれの邪魔はするな」
鋭い視線を残して、漸は自室の中へと消えて行った。
残された有砂はしばらく閉ざされたドアを見つめていたが、不意に、小さく笑った。
「……ホンマに、難儀な男や」
ドアを背にした漸は立ち尽くしたまま、額に手を押し当て、うつ向いていた。
「……何もかも予定通りにはいかないもんだな」
吐き捨てるように呟いて、フラフラと窓際の机に歩み寄る。
書きかけの譜面が散らばった机の上には、シンプルな木製の写真立てで飾られたセピア色の写真がある。
古い小さなピアノの前で撮った、父と慕う人との写真。
ピアノという生き甲斐を与えてくれた人。
「だけど……ためらいなんて、もう許されない……」
書架で半分隠れた窓から西日がさしこんでいる。
日向子がこの釘宮家の一階奥の書庫に足を踏み入れるのは、学生時代以来だったが、常に整頓されて綺麗に埃を払われているのは相変わらずだ。
探し物を見つけるのも簡単だった。
表紙がビロードで飾られた古いアルバム。
日向子がこの世に誕生する前の写真を集めたアルバムだ。
在りし日の母・水無子、まだ今よりはずっと穏やかな雰囲気の高槻、フサフサした黒髪の小原。
そして、有砂と見間違えてしまいそうな秀人の写真もそこにはあった。
更には……伯爵・高山獅貴の姿を収めたものも。
秀人が高山獅貴と同じデザインのコートを着ていたのは、両者の間に交流があった……あるいは現在進行形で交流があるという可能性を示唆している。
世界は広いようで本当に狭いものなのだと、実感せざるをえない。
「それにしても……どうして有砂様はあのような……」
嘘をついたのだろうか?
後で理由を問いつめた日向子に、有砂は真面目な顔をして囁いた。
「悪いが、しばらく、オレの嘘に付き合うてくれ。……どう転んでもお嬢を不幸にはせんから」
すぐには理由を話すつもりがないらしい。
12月の夕暮れはあまりにも短く、気が付けば窓の外は漆黒の闇だった。
時の流れが速い。
一日があっという間に終わってしまう。
流されるように。
追い立てられるように。
アルバムを元の場所にしまって書庫を出ると、微かだがピアノの音が聞こえてきた。
屋敷の中で日向子以外にピアノを奏でる人間は二人しかいない。
高槻は午後から出掛けたまままだ戻らない。ということは……。
「雪乃の部屋……」
久々に聞く、彼の弾くピアノの音色。
本当に久々の筈なのだが……何故か、あまりそんな気がしない。
もっと最近、どこかでこの音を聞いた気がするのは何故だろうか。
それにしても今日の旋律は、せつない響きだ。
心の内側に何を秘めたらこんなふうにせつない音が鳴るのだろう。
二度も冷たく日向子を突き放した人……それでも……。
日向子は小走りで書庫の中に舞い戻った。
暗い部屋に灯りをつけて、先程と同じ書架の前に立ち、年月日とシリアルナンバーのついた背表紙を人指し指でたどり、何冊かをまとめて引っ張り出す。
それは、日向子が雪乃と呼んできた人物がこの屋敷に来てからの記録。
写真好きだった水無子が亡くなってからはぐっと枚数が減ったが、かわって小原が折りを見て撮ってくれたものが残っている。
幼い頃から、彼はあまり笑顔で写っていない。
いかにもな作り笑いを除いては、いつもはりつめたような真面目な顔で写っている。
あまりに無邪気だった少女時代の日向子にはわからなかったが、彼のような出自の人間が釘宮家の一員として生きるためには、大変な苦労があったのかもしれない。
かつて蝉から「雪乃は保身のために日向子に取り入ろうとしたのかもしれない」と言われた時には怒って「そんなことはない」と否定した。
だが実際は、そうだったのかもしれない。
日向子の知らないところで彼は苦悩し、自分を偽り、戦ってきたのかもしれない。
「わたくしは……雪乃のこと、本当は何も……何も、わかっていないのかもしれない……」
こわばった顔の彼の横で、日向子はリラックスしきった眩しい笑顔や、少し甘えたような幼い顔、時には泣き顔や寝顔……さらけ出して写っている。
だが「雪乃」という少年の素顔を、日向子は知らない気がした。
「……家族ごっこ……だったのかもしれない」
けれどそれでも、長方形に区切られて並んだ思い出の数々は、愛しく、尊い。その「家族ごっこ」は日向子にはかけがえのない日々だった。
秀人の別段善意ではなかったのだろうちょっとした気まぐれに、高槻が深く感謝しているように……相手の気持ちがどこか別にあっても、それで救われる人がいる。
本当に大切なのは自分が相手をどう思っているか……かつて蝉から教わった大切なことをもう一度思い出す。
日向子はぎゅっとアルバムを抱き締めて、目を閉じた。
「雪乃」
絶えず鍵盤の奏でる音が漏れ聞こえる部屋のドアをノックした。
ピアノの音が、止まる。
「……部屋から出て来なくてもいいから。聞いていて」
少しだけ声をはって、ドアの向こうにしっかり届くように、日向子は言った。
「ごめんなさい」
あふれる感情で声が震えないように、必死に堪える。
「ずっとずっと、家族ごっこしてしまってごめんなさい。
もう遅いかもしれないけれど、わたくしは……あなたと本当の家族になりたいです。
それが叶わないとしても」
拒絶されてもいい。
ただ伝えよう。
伝えなければきっと後悔する。
「ずっと側にいてくれて、ありがとう。
幾つもの思い出の中にあなたがいてくれることが、わたくしの幸いです」
沈黙した白と黒の世界へ音もなく雫が落ちる。
「ねえ……なんで……キミは……おれを楽にしてくれないの……?」
《つづく》
2007/09/17 (Mon)
一次創作関連
「……はい、では、おやすみなさいませ」
終話ボタンを押して、日向子は1つ、吐息をついた。
ものの数分ではあったが、美々と電話で話したことである程度気は紛れた。
美々に託したお手製ケーキの評判は悪くなかったそうで、浅川兄弟も一口ずつは食べてくれたようだった。
「……蝉様にも、食べて頂きたかったですわね」
また溜め息が漏れる。
ガウンを羽織っても、冷たい空気が肌を刺すような二十日月の夜。
噴水庭園を臨むバルコニーの寒々しい景色は、いつかのパーティーの夜を思い出させる。
ここから見えるあの場所で、蝉とダンスしたのだ。今思い出しても夢のような出来事だ。
「……蝉様なら……こんな時、なんとおっしゃるかしら」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【2】
朝、朝食の席に高槻や漸が同席することはなかった。
多忙な高槻が一緒に朝食をとることはもともと少なかったが、漸のほうはそうではない。
実家にいた頃は早起きが苦手な日向子を起こすところから、職場に送り届けるまで、特別な理由がない限り漸はいつも一緒だった。
その日々を、昨夜漸は「家族ごっこ」と言った。
家族ごっこは終わりなのだと……。
結局食事はろくに喉を通らずに、早々に退席した日向子を、
「お嬢様」
小原が呼び止めた。
「お嬢様、申し訳ございません。ご婚約の件は私からお嬢様にお話し申し上げるよう、漸様にきつく申しつけられておりましたものを……どうしても切り出せず、返ってお嬢様を驚かせてしまいましたようで」
白い頭のベテラン使用人のあまりにもしょぼくれた様子に、日向子は首を左右して微笑んで見せた。
「……確かに驚きましたけれど、遅かれ早かれいずれはこうなるのはわかっていましたもの」
避けては通れないのだ。
相応の家に嫁ぎ、平穏無事に生きることこそ日向子の幸せと信じる、頑固な父親との戦いは。
「小原、心配してくれてありがとう……けれど、表立ってわたくしをかばうことはなさらないでね。
あなたにはこれからもこの家を支えて頂きたいから……」
「お嬢様……」
わかっている。
二択なのだ。
父の決めた相手に嫁ぐが、あるいは……全てを捨ててこの家から逃げるか。
「お嬢様、どうぞ、思い余った行動を取られませぬように……まだ、チャンスがございます」
「……チャンス?」
「はい、本日お見えになるお嬢様の交際相手の男性が旦那様のお目に留まるようお祈りしておりますので」
「まあ」
漸のことばかり考えてすっかり忘れていたが、そういえばそんな話をしていた。
「では……今朝から屋敷の使用人たちがバタバタしているのは、もしや……」
「もちろん歓迎の準備にございます。旦那様のお言いつけでそれはもう念入りに……」
「お父様……!」
日頃はあまり察しが良いとは言えない日向子だが、流石に実父の考えはある程度読むことができた。
高槻はわざと盛大な歓待をするつもりなのだ。
免疫のない中流以下の男なら萎縮して逃げ出したくなるような……。
最終的にはうろたえている男の鼻先に大枚の手切れ金でもつきつけて帰らせるつもりなのだろう。
もっとも最初からはったりで言ってしまっただけのことなのだから、この準備は無駄になるだろうが。
「……お嬢様、お顔のお色が一段と優れないようですが……」
「……わたくし、ちょっとお部屋でピアノを弾いてまいります……」
日向子は心の中で、期待させてしまった小原や他の使用人に謝罪しながら自室へと向かう。
部屋に戻って少し心を落ち着けたら高槻ともう一度話そうと思った。
それでらちがあかないようなら、選択する。
運命の二者択一。
それに思い巡らせながら廊下を歩いていると、
「……あ」
けして狭くはない屋敷だというのに、何故遭遇してしまうのだろうか。
「雪乃……」
動揺する日向子と違い、漸は顔色一つ変えず、形式だけの会釈をすると、そのまま無言で通り過ぎようとした。
「ねえ」
日向子がそれを静かに呼び止める。
「……本当に、家族ごっこ……だったのですか?」
漸は立ち止まるが、日向子のほうを見ようとはしない。
「……わたくしを騙して、利用していたと?」
日向子は振り向かない背中に問掛ける。
「……それならばどうして、あなたのピアノの音は、いつもあんなに優しかったのですか?
たとえ言葉でいくつ嘘を列ねていたとしても、音楽は嘘をつかないのではなくて?」
「くだらないですね」
漸は日向子に背を向けたまま、きっぱりと言い放つ。
「……父親にあっさり見限られる程度の凡才のあなたが、音楽がどうのとこの私に説くなどばかげています」
「でも……っ」
更に言い募ろうとした瞬間、急ぎ足で近付いてくる靴音が耳に届いた。
「……お嬢様!」
今しがた別れたばかりの小原がいささか興奮した様子で飛んでくるのが見えた。
「お見えになりましてございます!」
「……はい?」
首を傾げる日向子に、小原は先程の言葉につくはずの主語を口にした。
「お嬢様の大切なお方にございます。さあ、早く応接室へ」
「え……?」
何のことやらさっぱりわからない日向子だったが、小原にせかされるまま応接室へと向かうよりなかった。
「……どうなっているのかしら……?」
日向子の姿が見えなくなると、小原は未だ興奮冷めやらぬ様子で呟いた。
「しかし、お嬢様のお相手がまさか……まこと不思議な巡り会わせでございます……これも奥様のお導きか……」
まだ立ち去っていなかった漸はいぶかしげにそんな小原を見やった。
「……どんな男だ?」
「使用人の教育がなってへんのちゃうか? ……お嬢」
「……はあ」
「人の顔を見るなりみんなで大騒ぎしよって、いたいけな小市民がいきなり問答無用でご令嬢のフィアンセにされてもうてるわけやけど」
当然だが、全ては小原たちの勘違いだった。
「申し訳ありません、有砂様……」
そう、応接室で待っていたのは有砂だったのだ。
話によれば屋敷の門の前に近付くや否やありえない数の使用人に取り囲まれ、名を名乗って(無論本名のほうである)日向子は在宅かと尋ねただけで勝手に勘違いされてしまっていたという。
「特に白髪のオッサンがなんやエライテンション上がってもうてたけど、一体どういうわけや? これは」
日向子は「申し訳ありませんでした」ともう一度謝罪し、ことの次第を説明した。
「……ある程度の事情は聞いとったけど……それはまた、難儀なことやな」
「そうですか……美々お姉さまから聞いていらっしゃいましたのね。……もしかして、わたくしを心配して来て下さったのですか?」
日向子の問いに、有砂は一拍間をおいて、
「そう、や」
と答えた。
日向子も一拍空けて、
「……ではないとするとなんでしょうか」
と返した。
「……ん?」
「わたくしは、これでもheliodorの番記者ですから」
本当に真実を突いていたならば、有砂の性格上絶対にあっさり肯定しない筈だということくらいは、もう日向子にもわかっている。
「本当の理由を追求されると面倒なことになるから、そういうことにしておこう、と思われましたのでしょう?」
自信たっぷりに尋ねる日向子に、有砂はふっと小さくシニカルな笑みを浮かべた。
「……まあ、否定はせんけど」
「うふふ、当たりましたわね」
日向子は予想が当たったことが嬉しくて、思わず微笑した。
その微笑を眺めながら、有砂はふっと笑みを打ち消した。
「……心配、してへんこともないけどな」
「え?」
日向子は更に言葉を重ねようとしたが、それを遮るように応接室のドアがノックされた。
「お嬢様」
ドアの向こうから小原の声がする。
「旦那様と漸様がいらっしゃいました」
日向子は一瞬びくっと肩をすくませて、有砂の顔を見た。
有砂は真意を読み取り難い表情を浮かべながらも、
「……本当のことを話すか? それともオレは『そういう』設定がええんか?」
「……え? えっと」
日向子にはっきりと返事をする間も与えず、ドアは開け放たれてしまっていた。
いかにも気難しい顔をした初老の男が、そしてスーツ姿の青年が順に入室する。
最後に小原が姿を見せ、
「当家の主人・釘宮高槻様、そしてその後継となられる釘宮漸様にございます」
と、有砂に向けて紹介する。
席から立ち上がった有砂は、ごく当たり障りのない口調で、
「……沢城、佳人……と申します」
と名乗り、
「……初めまして」
と最後に付け足した。
「……初めまして。沢城、さん」
漸が淡々とした口調で顔色一つ変えずに返す。
有砂は一瞬、目をすがめたが、何もなかったようにそれを消し去った。
高槻はしばらく黙ったまま有砂をしげしげと見つめていたが、
「……まあ、座りなさい」
そう短く促した。
有砂と日向子、高槻と漸。2対2で向かい合って席につくと、すぐに入れたてのお茶と、お菓子が運ばれてくる。
甘い香りを立てるテーブルの上で、さまざまな思惑と緊張感が交錯していた。
アールグレイの水面に視線を落として何かを考え込んでいるような有砂。
一言も声を発せず、お茶にもお菓子にも手をつけないまま対面の客を凝視する高槻。
それに倣うように沈黙を守ったままの漸。
日向子は三人を交互に見やりながら、
「あの」
最初に沈黙を破った。
「……お父様、雪乃、この方は……」
テーブルの下。真実の告白をしようとした日向子の、膝に乗せていた小さな手を大きな手が覆うようにして握った。
「っ、あり……」
「ご挨拶が大変遅くなり、申し訳ありません」
日向子の告白を制した有砂が、はっきりとした口調で告げる。
「すでにお聞きの通り、私は現在、日向子さんとお付き合いをさせて頂いています」
「ええっ……」
思わず叫びそうになる日向子の手を、有砂は更にぎゅっと力を込めて握る。
「……ぶしつけですが、単刀直入にお願い致します。
お嬢さんとの結婚を、認めては頂けませんでしょうか」
真剣な表情で高槻を見つめる有砂の横顔を、日向子は完全に絶句しながら見つめていた。
その向かいでは、漸が同じように驚きの色を微かに浮かべる。
有砂はそんな漸をちらりと見て、また高槻に視線を戻した。
「……佳人君、と言ったな」
高槻がゆっくりと口を開いた。
「……君のお父上は、知っているのかね?」
有砂は首を縦にした。
「はい。父も日向子さんのことをそれはもう……大変気に入ったようで」
確かに気に入られていたことは間違いなかった。
日向子の脳裏に先日のアトリエでの一件が蘇る。
あまりありがたい気に入られ方ではない。
日向子は有砂がどういうつもりなのかわからず戸惑い、そして何より心配していた。
眉間に深く皺を刻んだまま目をつぶった高槻は、その目を開けた瞬間どう出るだろうかと。
たとえ怒ってもいきなり手を出すことはないが、相手の全人格を否定するほどの辛辣な台詞が飛び出すかもしれないし、手切れ金を叩きつけて追い返すかもしれない。
漸も、そして当の有砂でさえも実際はそう考えていたのだ。
しかし。
高槻は両目を開くと同時に、聞き間違えようもない言葉を口にした。
「よろしい……認めよう」
有砂は言葉もなく眉尻を動かし、そのまま固まった。
「……は?」
「お父様、今……」
ぽかんとする日向子。
そして漸は完全にポーカーフェイスを打ち砕かれ、
「……先生……!…」
思わず立ち上がった。
「……一体、どういうことですか!?」
《つづく》
終話ボタンを押して、日向子は1つ、吐息をついた。
ものの数分ではあったが、美々と電話で話したことである程度気は紛れた。
美々に託したお手製ケーキの評判は悪くなかったそうで、浅川兄弟も一口ずつは食べてくれたようだった。
「……蝉様にも、食べて頂きたかったですわね」
また溜め息が漏れる。
ガウンを羽織っても、冷たい空気が肌を刺すような二十日月の夜。
噴水庭園を臨むバルコニーの寒々しい景色は、いつかのパーティーの夜を思い出させる。
ここから見えるあの場所で、蝉とダンスしたのだ。今思い出しても夢のような出来事だ。
「……蝉様なら……こんな時、なんとおっしゃるかしら」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【2】
朝、朝食の席に高槻や漸が同席することはなかった。
多忙な高槻が一緒に朝食をとることはもともと少なかったが、漸のほうはそうではない。
実家にいた頃は早起きが苦手な日向子を起こすところから、職場に送り届けるまで、特別な理由がない限り漸はいつも一緒だった。
その日々を、昨夜漸は「家族ごっこ」と言った。
家族ごっこは終わりなのだと……。
結局食事はろくに喉を通らずに、早々に退席した日向子を、
「お嬢様」
小原が呼び止めた。
「お嬢様、申し訳ございません。ご婚約の件は私からお嬢様にお話し申し上げるよう、漸様にきつく申しつけられておりましたものを……どうしても切り出せず、返ってお嬢様を驚かせてしまいましたようで」
白い頭のベテラン使用人のあまりにもしょぼくれた様子に、日向子は首を左右して微笑んで見せた。
「……確かに驚きましたけれど、遅かれ早かれいずれはこうなるのはわかっていましたもの」
避けては通れないのだ。
相応の家に嫁ぎ、平穏無事に生きることこそ日向子の幸せと信じる、頑固な父親との戦いは。
「小原、心配してくれてありがとう……けれど、表立ってわたくしをかばうことはなさらないでね。
あなたにはこれからもこの家を支えて頂きたいから……」
「お嬢様……」
わかっている。
二択なのだ。
父の決めた相手に嫁ぐが、あるいは……全てを捨ててこの家から逃げるか。
「お嬢様、どうぞ、思い余った行動を取られませぬように……まだ、チャンスがございます」
「……チャンス?」
「はい、本日お見えになるお嬢様の交際相手の男性が旦那様のお目に留まるようお祈りしておりますので」
「まあ」
漸のことばかり考えてすっかり忘れていたが、そういえばそんな話をしていた。
「では……今朝から屋敷の使用人たちがバタバタしているのは、もしや……」
「もちろん歓迎の準備にございます。旦那様のお言いつけでそれはもう念入りに……」
「お父様……!」
日頃はあまり察しが良いとは言えない日向子だが、流石に実父の考えはある程度読むことができた。
高槻はわざと盛大な歓待をするつもりなのだ。
免疫のない中流以下の男なら萎縮して逃げ出したくなるような……。
最終的にはうろたえている男の鼻先に大枚の手切れ金でもつきつけて帰らせるつもりなのだろう。
もっとも最初からはったりで言ってしまっただけのことなのだから、この準備は無駄になるだろうが。
「……お嬢様、お顔のお色が一段と優れないようですが……」
「……わたくし、ちょっとお部屋でピアノを弾いてまいります……」
日向子は心の中で、期待させてしまった小原や他の使用人に謝罪しながら自室へと向かう。
部屋に戻って少し心を落ち着けたら高槻ともう一度話そうと思った。
それでらちがあかないようなら、選択する。
運命の二者択一。
それに思い巡らせながら廊下を歩いていると、
「……あ」
けして狭くはない屋敷だというのに、何故遭遇してしまうのだろうか。
「雪乃……」
動揺する日向子と違い、漸は顔色一つ変えず、形式だけの会釈をすると、そのまま無言で通り過ぎようとした。
「ねえ」
日向子がそれを静かに呼び止める。
「……本当に、家族ごっこ……だったのですか?」
漸は立ち止まるが、日向子のほうを見ようとはしない。
「……わたくしを騙して、利用していたと?」
日向子は振り向かない背中に問掛ける。
「……それならばどうして、あなたのピアノの音は、いつもあんなに優しかったのですか?
たとえ言葉でいくつ嘘を列ねていたとしても、音楽は嘘をつかないのではなくて?」
「くだらないですね」
漸は日向子に背を向けたまま、きっぱりと言い放つ。
「……父親にあっさり見限られる程度の凡才のあなたが、音楽がどうのとこの私に説くなどばかげています」
「でも……っ」
更に言い募ろうとした瞬間、急ぎ足で近付いてくる靴音が耳に届いた。
「……お嬢様!」
今しがた別れたばかりの小原がいささか興奮した様子で飛んでくるのが見えた。
「お見えになりましてございます!」
「……はい?」
首を傾げる日向子に、小原は先程の言葉につくはずの主語を口にした。
「お嬢様の大切なお方にございます。さあ、早く応接室へ」
「え……?」
何のことやらさっぱりわからない日向子だったが、小原にせかされるまま応接室へと向かうよりなかった。
「……どうなっているのかしら……?」
日向子の姿が見えなくなると、小原は未だ興奮冷めやらぬ様子で呟いた。
「しかし、お嬢様のお相手がまさか……まこと不思議な巡り会わせでございます……これも奥様のお導きか……」
まだ立ち去っていなかった漸はいぶかしげにそんな小原を見やった。
「……どんな男だ?」
「使用人の教育がなってへんのちゃうか? ……お嬢」
「……はあ」
「人の顔を見るなりみんなで大騒ぎしよって、いたいけな小市民がいきなり問答無用でご令嬢のフィアンセにされてもうてるわけやけど」
当然だが、全ては小原たちの勘違いだった。
「申し訳ありません、有砂様……」
そう、応接室で待っていたのは有砂だったのだ。
話によれば屋敷の門の前に近付くや否やありえない数の使用人に取り囲まれ、名を名乗って(無論本名のほうである)日向子は在宅かと尋ねただけで勝手に勘違いされてしまっていたという。
「特に白髪のオッサンがなんやエライテンション上がってもうてたけど、一体どういうわけや? これは」
日向子は「申し訳ありませんでした」ともう一度謝罪し、ことの次第を説明した。
「……ある程度の事情は聞いとったけど……それはまた、難儀なことやな」
「そうですか……美々お姉さまから聞いていらっしゃいましたのね。……もしかして、わたくしを心配して来て下さったのですか?」
日向子の問いに、有砂は一拍間をおいて、
「そう、や」
と答えた。
日向子も一拍空けて、
「……ではないとするとなんでしょうか」
と返した。
「……ん?」
「わたくしは、これでもheliodorの番記者ですから」
本当に真実を突いていたならば、有砂の性格上絶対にあっさり肯定しない筈だということくらいは、もう日向子にもわかっている。
「本当の理由を追求されると面倒なことになるから、そういうことにしておこう、と思われましたのでしょう?」
自信たっぷりに尋ねる日向子に、有砂はふっと小さくシニカルな笑みを浮かべた。
「……まあ、否定はせんけど」
「うふふ、当たりましたわね」
日向子は予想が当たったことが嬉しくて、思わず微笑した。
その微笑を眺めながら、有砂はふっと笑みを打ち消した。
「……心配、してへんこともないけどな」
「え?」
日向子は更に言葉を重ねようとしたが、それを遮るように応接室のドアがノックされた。
「お嬢様」
ドアの向こうから小原の声がする。
「旦那様と漸様がいらっしゃいました」
日向子は一瞬びくっと肩をすくませて、有砂の顔を見た。
有砂は真意を読み取り難い表情を浮かべながらも、
「……本当のことを話すか? それともオレは『そういう』設定がええんか?」
「……え? えっと」
日向子にはっきりと返事をする間も与えず、ドアは開け放たれてしまっていた。
いかにも気難しい顔をした初老の男が、そしてスーツ姿の青年が順に入室する。
最後に小原が姿を見せ、
「当家の主人・釘宮高槻様、そしてその後継となられる釘宮漸様にございます」
と、有砂に向けて紹介する。
席から立ち上がった有砂は、ごく当たり障りのない口調で、
「……沢城、佳人……と申します」
と名乗り、
「……初めまして」
と最後に付け足した。
「……初めまして。沢城、さん」
漸が淡々とした口調で顔色一つ変えずに返す。
有砂は一瞬、目をすがめたが、何もなかったようにそれを消し去った。
高槻はしばらく黙ったまま有砂をしげしげと見つめていたが、
「……まあ、座りなさい」
そう短く促した。
有砂と日向子、高槻と漸。2対2で向かい合って席につくと、すぐに入れたてのお茶と、お菓子が運ばれてくる。
甘い香りを立てるテーブルの上で、さまざまな思惑と緊張感が交錯していた。
アールグレイの水面に視線を落として何かを考え込んでいるような有砂。
一言も声を発せず、お茶にもお菓子にも手をつけないまま対面の客を凝視する高槻。
それに倣うように沈黙を守ったままの漸。
日向子は三人を交互に見やりながら、
「あの」
最初に沈黙を破った。
「……お父様、雪乃、この方は……」
テーブルの下。真実の告白をしようとした日向子の、膝に乗せていた小さな手を大きな手が覆うようにして握った。
「っ、あり……」
「ご挨拶が大変遅くなり、申し訳ありません」
日向子の告白を制した有砂が、はっきりとした口調で告げる。
「すでにお聞きの通り、私は現在、日向子さんとお付き合いをさせて頂いています」
「ええっ……」
思わず叫びそうになる日向子の手を、有砂は更にぎゅっと力を込めて握る。
「……ぶしつけですが、単刀直入にお願い致します。
お嬢さんとの結婚を、認めては頂けませんでしょうか」
真剣な表情で高槻を見つめる有砂の横顔を、日向子は完全に絶句しながら見つめていた。
その向かいでは、漸が同じように驚きの色を微かに浮かべる。
有砂はそんな漸をちらりと見て、また高槻に視線を戻した。
「……佳人君、と言ったな」
高槻がゆっくりと口を開いた。
「……君のお父上は、知っているのかね?」
有砂は首を縦にした。
「はい。父も日向子さんのことをそれはもう……大変気に入ったようで」
確かに気に入られていたことは間違いなかった。
日向子の脳裏に先日のアトリエでの一件が蘇る。
あまりありがたい気に入られ方ではない。
日向子は有砂がどういうつもりなのかわからず戸惑い、そして何より心配していた。
眉間に深く皺を刻んだまま目をつぶった高槻は、その目を開けた瞬間どう出るだろうかと。
たとえ怒ってもいきなり手を出すことはないが、相手の全人格を否定するほどの辛辣な台詞が飛び出すかもしれないし、手切れ金を叩きつけて追い返すかもしれない。
漸も、そして当の有砂でさえも実際はそう考えていたのだ。
しかし。
高槻は両目を開くと同時に、聞き間違えようもない言葉を口にした。
「よろしい……認めよう」
有砂は言葉もなく眉尻を動かし、そのまま固まった。
「……は?」
「お父様、今……」
ぽかんとする日向子。
そして漸は完全にポーカーフェイスを打ち砕かれ、
「……先生……!…」
思わず立ち上がった。
「……一体、どういうことですか!?」
《つづく》
2007/09/12 (Wed)
一次創作関連
「蝉、いつ帰って来るのかなあ」
万楼は綺麗な顔を少し歪めて溜め息をつく。
カウントダウンライブまで、あと二週間を切っている。
未だに五人揃って練習が出来ていないことに、焦りを感じていたのは万楼だけではなかった。
スタジオに集まってはみても、なんとなくモチベーションが上がらず、手応えも得られないのは無理もない話だ。
「……確かに、そろそろリミットかもな」
「四人ではもうやれることをやりきってしまったような感じだし」
紅朱も玄鳥も、もはや蝉抜きでの練習には大して意義がないことをとっくに悟っていた。
だが蝉がいずれ必ず戻って来ることを前提に考えている彼らとは、一線を画している男もいる。
「……後でオレが、蝉の様子を見てくる」
有砂が口を開く。
三人は明らかに驚きの表情で見やった。
「え、お前がか?」
「有砂さんが積極的に行動するなんて、なんて珍しい……」
「ダメだよ二人とも、あんまり言うとまたへそ曲げちゃうから」
言いたい放題の仲間たちに、有砂が嫌味のひとつでも返そうとしたその時。
「すいません。お邪魔します!!」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【1】
スタジオの入り口からひょっこり顔を出した人物を見て、4人はそれぞれ全く違う反応を示した。
「……誰?」
初対面の万楼は首を傾げ、
「え、あの時の……?」
一度たまたま遭遇していた玄鳥は驚き、
「よう、久しぶり」
普通に面識のある紅朱は気さくに声をかけ、
「……なんや、どうした?」
有砂は何故かほんの少しばつが悪いような顔をしている。
「日向子が急に来れなくなっちゃったから、約束のヤツをあたしが代わりに持って来たんだけど……あ、万楼さんと玄鳥さんは一応ハジメマテ、ですよね」
モデルばりの美女はにっこり笑って告げる。
「蓮芳出版『RAPTUS』編集部の井上美々と申します。日向子の親友で、あと……そこで恥ずかしがってる人の、妹です♪」
「なっ……誰がや、アホ!」
思わず半分立ち上がりかける有砂を、他3名は振り返り、今度は全員同じ反応を示した。
「妹……っ!?」
メンバーたちは一様に愕然とした表情で叫んだ。
「えッ、有砂って兄妹いたの!?」
「え、えッ……だってこの前はなんか険悪な雰囲気で……」
「前会った時は全然そんな話してなかっただろ!?」
大騒ぎする3人に、美々は苦笑して見せる。
「……ついこの前まではちょっとだけ、兄妹喧嘩してましたから。……ね?」
同意を求められた有砂は、溜め息をつきつつも無愛想な顔を上下させた。
「……ちょっとだけ、な」
「そうそう。それで、日向子が仲直りのお祝いにってケーキ焼いてくれて、皆さんでどうぞってことらしいんで持って来たんです」
「ケーキ!?」
数秒前までプチパニック状態だったのに、一気にテンションの上がる万楼の前で、美々はテーブルの上にケーキの箱を乗せて、オープンする。
「じゃじゃーん☆」
ホワイトチョコレートでコーティングされた5号サイズのホールケーキの上には、ゼリー掛けのカットフルーツがほとんど隙間なく埋めつくされて、更に三種類のクリームでデコレートされている。
「わあ」
宝の山を見つけたかのようなキラキラの目をした万楼の横で、浅川兄弟は若干青ざめていた。
「……これ、いくらなんでも……凄過ぎねェか? 見てるだけで胸焼けしそうなんだが」
「あ、兄貴、失礼だろ? ひ、日向子さんのお手製だぞ?」
「お前も引きつってんじゃねェかよっ」
「……いや、それは……だから……」
「あー……すいません、あたしがめちゃめちゃ甘くしてって頼んじゃったから……じゃあこれは三等分かなあ」
「三等分??」
美々が箱にしっかり入れられていた使い捨て出来るケーキナイフを手にして、手際よく3つに切り分ける。
一般的なショートケーキの二倍以上の体積があるそれらを、これも持参してきた紙皿三枚に取り分けていく。
「すごいなあ、中が三層になっててシロップ漬けのフルーツが入ってる」
万楼が断面を眺めながら更に興奮した様子で実況する。
「万楼さんは絶対気に入ると思いました。……味もイケてる筈ですから」
皿からはみ出さんばかりのケーキの巨塊が、プラスチックのフォークを添えられて万楼に手渡され、
「はい」
有砂にも回ってきた。
有砂はそのスウィート・モンスターを凝視したまま固まっている。
「いや、そりゃ有砂には……」
「絶対無理だと思いますけど……」
浅川兄弟は口々にそう言ったが、美々はケーキの皿を手にしたまま微動だにせず黙っている有砂を見つめて、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。
そして、
「ええんよ、佳人」
自身長年封印していた、両親や兄と同じ言葉で囁きかける。
「……あたしも食べるから、あんたも食べ」
有砂は美々を見やると、無言で頷いた。
「え? まさか」と思っているギャラリーの目の前でフォークを握った有砂はケーキの鋭角の部分をストッと切り落として、フォークをつき立てると、そのまま口に運んだ。
一同が固唾を飲んで見守る中、有砂は無表情なまま、一言も声を発することもなく、そのままもくもくとケーキを端から順に片付けていく。
「ねえ、どういうこと? 有砂って甘い物嫌いじゃないの?」
万楼の問いに、美々が答える。
「ううん。あたしが好きなものは、大体佳人も好きだから」
言いながら美味しそうにクリームの塊を掬って口にする。
「あたしたち、甘い物は大好きだよ」
「でも有砂、甘い物なんて全然食べてなかったし、ボクが横で食べてるのだって、いつもすごく嫌がって……」
「……食べたくても我慢、してたみたいですから」
美々はほんの少し、長い睫毛が縁取る目を伏せる。
「甘い物が食べたくても、食べさせて貰えなかった女の子に遠慮して、食べられなかったらしいです」
有砂は一瞬フォークを握る手を止めて、何か遠い記憶を心に浮かべるような顔を見せたが、すぐにまた黙ってケーキを食べ始めた。
「……よくわかりませんけど、ようするに」
玄鳥が苦笑いしながら言った。
「万楼は知らず知らずにいつも有砂さんを拷問にかけてたわけだ」
「ええっ、ごめんね、有砂が我慢してるなんて思わなかったから……!!」
有砂は驚異的な速度で完食したケーキの皿をつ、と万楼に差し出した。
「悪かったと思うんやったら、それを半分」
「えっ、ダメだよ。これはボクの分!」
「半分」
「嫌だ」
「半分」
「嫌だってば!」
「……くっ、まさかリズム隊のケーキの奪い合いを見れる日が来るとはな」
紅朱はそのあまりにも微笑まし過ぎるやりとりに思わず吹き出した。
「……ところで日向子はどうしたんだ? 急な用事とか言ったよな」
それはみんな内心気になっていたらしく、四人とも美々のほうへ視線を向けた。
美々はその視線を受けて、何故か少し困ったような顔をした。
「実は今日、大変な事件がありまして……実家に抗議しに帰っちゃったんですよね~」
「これは一体どういうことですの!?」
「……品のない大きな声を上げるんじゃない」
「声も大きくなるというものですわ。お父様は一体何のおつもりですか?」
日向子は書斎の革張りの椅子に身をもたげた実父・高槻に飛びかかかるほどの勢いで問いつめる。
「あんまりですわ、職場の上司に勝手に、わたくしが婚約するなどとでたらめを報告なさるなんて……!!
いつの間にかわたくしが寿退社するなどと噂が広まってしまって、大変な事態ですのよ!!」
高槻は高音で響く抗議の訴えに頭が痛いような顔をしていたが、
「婚約の準備が進んでいるのは事実だ。24日に後継者の指名と同時にお前の正式な結納も執り行う」
あっさりと言い放つ。
「そのようなことは、わたくしは聞いておりません……! 第一どなたと婚約しろとおっしゃいますの!?」
「お前の嫁ぎ先は私が決める。間違いのない相手を選ぶから何も心配はいらない」
「わたくしの生涯の伴侶をお父様がお決めになるなんて、納得できませんわ!!」
いよいよヒートアップする日向子に、高槻は厳しい表情を緩めることなく問掛けた。
「よもや……誰かすでに将来を誓いあった男がいる、などと言うのではないだろうな?」
予想もしない問いに、日向子は、
「え?」
素に返って驚いてしまう。
「どうなんだ?」
ダメ押しとばかりに問われ、日向子は思わず、
「……は、はい、そうなのです……!」
と、答えていた。
「……なんだと?」
高槻の眉間に通常より4本余計に深い深い皺が刻み込まれる。
「……どんな男だ??」
「す、素敵な方ですわ……!」
「どういう家の生まれで、どういう仕事をしている男かと聞いているんだ」
「それは……あの……」
答えに窮してしまう。しばしのにらめっこを続けた後、高槻は溜め息をついて、言った。
「明日、ここに呼びなさい。実際に会って、ふさわしい相手かどうか私が見極める」
「そんな、明日などと……先方にもご都合というものが……」
「お前との将来より自分の都合を取る男ならばそれまでだろう。見極める必要もない」
高槻の発言はかなり理不尽ではあったが、一概に否定出来ない部分もある。
本当に日向子に真剣に交際している恋人がいるとすれば、黙っていられる状況ではないだろう。
ただ残念なことにこの場合は日向子のとっさのハッタリに過ぎないのだが。
「……話は終りだ。私には取り急ぎの仕事がある。もう行きなさい」
……などと言われて一方的に書斎を追い出された日向子は、ドアを背にして深く深く溜め息をついた。
「……一体、わたくしはどうしたらいいのかしら……」
心に決めた相手ならば、いる。
伯爵……高山獅貴だ。
だが将来を誓いあうなどとは程遠い……10年以上直接会ってすらいない相手だ。
もちろん明日、この屋敷に呼ぶなどという真似ができるわけがない。
仮に呼んだとしても、高山獅貴とはある種の遺恨のある高槻が結婚を許すとは到底思えないが。
絶望的な暗い気持ちになり、マンションに帰る気力もないので、とりあえず今夜は実家で過ごすことに決めた日向子は、重い足取りで自室に向かう。
最後の角を曲がったところで、
「……あ」
ばったりと、出くわした。
「……雪乃? 雪乃ですわね。眼鏡をかけていないから一瞬わかりませんでしたわ」
仕事中なのかスーツ姿の彼は、涼しい眼差しで日向子を見下ろす。
「……何か、御用でしょうか?」
「ずっとお祝いを言いたかったの。おめでとう、雪乃」
「……恐縮で、ございます」
彼のいつもと変わらぬ丁寧な言葉には、しかしこれまでにはけっしてなかった凍りつくような冷気が含まれていたが、日向子は気付いていない。
「……そうだわ、雪乃。あなたからお父様にお考えを改めるように進言して頂けませんこと?
わたくしはまだ婚約など……」
「いいえ、ご婚約はして頂きます」
日向子が雪乃と呼ぶ青年は、キッパリと言い切った。
「私としてもあなたには、釘宮の籍から外れて頂きたい」
「……雪乃?? それは、どういう……」
「あなたは十分、私の役に立って下さいました。感謝しております……ですが」
日向子は瞳を大きく見開いた。
その瞳に映る青年は、ひどく酷薄な笑みを浮かべていた。
「……今後、釘宮を名乗るのは私一人でいい。
……言っている意味が、わかりますか?」
彼の名は、「釘宮 漸」。
「……家族ごっこは、もう終わりました」
《つづく》
万楼は綺麗な顔を少し歪めて溜め息をつく。
カウントダウンライブまで、あと二週間を切っている。
未だに五人揃って練習が出来ていないことに、焦りを感じていたのは万楼だけではなかった。
スタジオに集まってはみても、なんとなくモチベーションが上がらず、手応えも得られないのは無理もない話だ。
「……確かに、そろそろリミットかもな」
「四人ではもうやれることをやりきってしまったような感じだし」
紅朱も玄鳥も、もはや蝉抜きでの練習には大して意義がないことをとっくに悟っていた。
だが蝉がいずれ必ず戻って来ることを前提に考えている彼らとは、一線を画している男もいる。
「……後でオレが、蝉の様子を見てくる」
有砂が口を開く。
三人は明らかに驚きの表情で見やった。
「え、お前がか?」
「有砂さんが積極的に行動するなんて、なんて珍しい……」
「ダメだよ二人とも、あんまり言うとまたへそ曲げちゃうから」
言いたい放題の仲間たちに、有砂が嫌味のひとつでも返そうとしたその時。
「すいません。お邪魔します!!」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【1】
スタジオの入り口からひょっこり顔を出した人物を見て、4人はそれぞれ全く違う反応を示した。
「……誰?」
初対面の万楼は首を傾げ、
「え、あの時の……?」
一度たまたま遭遇していた玄鳥は驚き、
「よう、久しぶり」
普通に面識のある紅朱は気さくに声をかけ、
「……なんや、どうした?」
有砂は何故かほんの少しばつが悪いような顔をしている。
「日向子が急に来れなくなっちゃったから、約束のヤツをあたしが代わりに持って来たんだけど……あ、万楼さんと玄鳥さんは一応ハジメマテ、ですよね」
モデルばりの美女はにっこり笑って告げる。
「蓮芳出版『RAPTUS』編集部の井上美々と申します。日向子の親友で、あと……そこで恥ずかしがってる人の、妹です♪」
「なっ……誰がや、アホ!」
思わず半分立ち上がりかける有砂を、他3名は振り返り、今度は全員同じ反応を示した。
「妹……っ!?」
メンバーたちは一様に愕然とした表情で叫んだ。
「えッ、有砂って兄妹いたの!?」
「え、えッ……だってこの前はなんか険悪な雰囲気で……」
「前会った時は全然そんな話してなかっただろ!?」
大騒ぎする3人に、美々は苦笑して見せる。
「……ついこの前まではちょっとだけ、兄妹喧嘩してましたから。……ね?」
同意を求められた有砂は、溜め息をつきつつも無愛想な顔を上下させた。
「……ちょっとだけ、な」
「そうそう。それで、日向子が仲直りのお祝いにってケーキ焼いてくれて、皆さんでどうぞってことらしいんで持って来たんです」
「ケーキ!?」
数秒前までプチパニック状態だったのに、一気にテンションの上がる万楼の前で、美々はテーブルの上にケーキの箱を乗せて、オープンする。
「じゃじゃーん☆」
ホワイトチョコレートでコーティングされた5号サイズのホールケーキの上には、ゼリー掛けのカットフルーツがほとんど隙間なく埋めつくされて、更に三種類のクリームでデコレートされている。
「わあ」
宝の山を見つけたかのようなキラキラの目をした万楼の横で、浅川兄弟は若干青ざめていた。
「……これ、いくらなんでも……凄過ぎねェか? 見てるだけで胸焼けしそうなんだが」
「あ、兄貴、失礼だろ? ひ、日向子さんのお手製だぞ?」
「お前も引きつってんじゃねェかよっ」
「……いや、それは……だから……」
「あー……すいません、あたしがめちゃめちゃ甘くしてって頼んじゃったから……じゃあこれは三等分かなあ」
「三等分??」
美々が箱にしっかり入れられていた使い捨て出来るケーキナイフを手にして、手際よく3つに切り分ける。
一般的なショートケーキの二倍以上の体積があるそれらを、これも持参してきた紙皿三枚に取り分けていく。
「すごいなあ、中が三層になっててシロップ漬けのフルーツが入ってる」
万楼が断面を眺めながら更に興奮した様子で実況する。
「万楼さんは絶対気に入ると思いました。……味もイケてる筈ですから」
皿からはみ出さんばかりのケーキの巨塊が、プラスチックのフォークを添えられて万楼に手渡され、
「はい」
有砂にも回ってきた。
有砂はそのスウィート・モンスターを凝視したまま固まっている。
「いや、そりゃ有砂には……」
「絶対無理だと思いますけど……」
浅川兄弟は口々にそう言ったが、美々はケーキの皿を手にしたまま微動だにせず黙っている有砂を見つめて、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。
そして、
「ええんよ、佳人」
自身長年封印していた、両親や兄と同じ言葉で囁きかける。
「……あたしも食べるから、あんたも食べ」
有砂は美々を見やると、無言で頷いた。
「え? まさか」と思っているギャラリーの目の前でフォークを握った有砂はケーキの鋭角の部分をストッと切り落として、フォークをつき立てると、そのまま口に運んだ。
一同が固唾を飲んで見守る中、有砂は無表情なまま、一言も声を発することもなく、そのままもくもくとケーキを端から順に片付けていく。
「ねえ、どういうこと? 有砂って甘い物嫌いじゃないの?」
万楼の問いに、美々が答える。
「ううん。あたしが好きなものは、大体佳人も好きだから」
言いながら美味しそうにクリームの塊を掬って口にする。
「あたしたち、甘い物は大好きだよ」
「でも有砂、甘い物なんて全然食べてなかったし、ボクが横で食べてるのだって、いつもすごく嫌がって……」
「……食べたくても我慢、してたみたいですから」
美々はほんの少し、長い睫毛が縁取る目を伏せる。
「甘い物が食べたくても、食べさせて貰えなかった女の子に遠慮して、食べられなかったらしいです」
有砂は一瞬フォークを握る手を止めて、何か遠い記憶を心に浮かべるような顔を見せたが、すぐにまた黙ってケーキを食べ始めた。
「……よくわかりませんけど、ようするに」
玄鳥が苦笑いしながら言った。
「万楼は知らず知らずにいつも有砂さんを拷問にかけてたわけだ」
「ええっ、ごめんね、有砂が我慢してるなんて思わなかったから……!!」
有砂は驚異的な速度で完食したケーキの皿をつ、と万楼に差し出した。
「悪かったと思うんやったら、それを半分」
「えっ、ダメだよ。これはボクの分!」
「半分」
「嫌だ」
「半分」
「嫌だってば!」
「……くっ、まさかリズム隊のケーキの奪い合いを見れる日が来るとはな」
紅朱はそのあまりにも微笑まし過ぎるやりとりに思わず吹き出した。
「……ところで日向子はどうしたんだ? 急な用事とか言ったよな」
それはみんな内心気になっていたらしく、四人とも美々のほうへ視線を向けた。
美々はその視線を受けて、何故か少し困ったような顔をした。
「実は今日、大変な事件がありまして……実家に抗議しに帰っちゃったんですよね~」
「これは一体どういうことですの!?」
「……品のない大きな声を上げるんじゃない」
「声も大きくなるというものですわ。お父様は一体何のおつもりですか?」
日向子は書斎の革張りの椅子に身をもたげた実父・高槻に飛びかかかるほどの勢いで問いつめる。
「あんまりですわ、職場の上司に勝手に、わたくしが婚約するなどとでたらめを報告なさるなんて……!!
いつの間にかわたくしが寿退社するなどと噂が広まってしまって、大変な事態ですのよ!!」
高槻は高音で響く抗議の訴えに頭が痛いような顔をしていたが、
「婚約の準備が進んでいるのは事実だ。24日に後継者の指名と同時にお前の正式な結納も執り行う」
あっさりと言い放つ。
「そのようなことは、わたくしは聞いておりません……! 第一どなたと婚約しろとおっしゃいますの!?」
「お前の嫁ぎ先は私が決める。間違いのない相手を選ぶから何も心配はいらない」
「わたくしの生涯の伴侶をお父様がお決めになるなんて、納得できませんわ!!」
いよいよヒートアップする日向子に、高槻は厳しい表情を緩めることなく問掛けた。
「よもや……誰かすでに将来を誓いあった男がいる、などと言うのではないだろうな?」
予想もしない問いに、日向子は、
「え?」
素に返って驚いてしまう。
「どうなんだ?」
ダメ押しとばかりに問われ、日向子は思わず、
「……は、はい、そうなのです……!」
と、答えていた。
「……なんだと?」
高槻の眉間に通常より4本余計に深い深い皺が刻み込まれる。
「……どんな男だ??」
「す、素敵な方ですわ……!」
「どういう家の生まれで、どういう仕事をしている男かと聞いているんだ」
「それは……あの……」
答えに窮してしまう。しばしのにらめっこを続けた後、高槻は溜め息をついて、言った。
「明日、ここに呼びなさい。実際に会って、ふさわしい相手かどうか私が見極める」
「そんな、明日などと……先方にもご都合というものが……」
「お前との将来より自分の都合を取る男ならばそれまでだろう。見極める必要もない」
高槻の発言はかなり理不尽ではあったが、一概に否定出来ない部分もある。
本当に日向子に真剣に交際している恋人がいるとすれば、黙っていられる状況ではないだろう。
ただ残念なことにこの場合は日向子のとっさのハッタリに過ぎないのだが。
「……話は終りだ。私には取り急ぎの仕事がある。もう行きなさい」
……などと言われて一方的に書斎を追い出された日向子は、ドアを背にして深く深く溜め息をついた。
「……一体、わたくしはどうしたらいいのかしら……」
心に決めた相手ならば、いる。
伯爵……高山獅貴だ。
だが将来を誓いあうなどとは程遠い……10年以上直接会ってすらいない相手だ。
もちろん明日、この屋敷に呼ぶなどという真似ができるわけがない。
仮に呼んだとしても、高山獅貴とはある種の遺恨のある高槻が結婚を許すとは到底思えないが。
絶望的な暗い気持ちになり、マンションに帰る気力もないので、とりあえず今夜は実家で過ごすことに決めた日向子は、重い足取りで自室に向かう。
最後の角を曲がったところで、
「……あ」
ばったりと、出くわした。
「……雪乃? 雪乃ですわね。眼鏡をかけていないから一瞬わかりませんでしたわ」
仕事中なのかスーツ姿の彼は、涼しい眼差しで日向子を見下ろす。
「……何か、御用でしょうか?」
「ずっとお祝いを言いたかったの。おめでとう、雪乃」
「……恐縮で、ございます」
彼のいつもと変わらぬ丁寧な言葉には、しかしこれまでにはけっしてなかった凍りつくような冷気が含まれていたが、日向子は気付いていない。
「……そうだわ、雪乃。あなたからお父様にお考えを改めるように進言して頂けませんこと?
わたくしはまだ婚約など……」
「いいえ、ご婚約はして頂きます」
日向子が雪乃と呼ぶ青年は、キッパリと言い切った。
「私としてもあなたには、釘宮の籍から外れて頂きたい」
「……雪乃?? それは、どういう……」
「あなたは十分、私の役に立って下さいました。感謝しております……ですが」
日向子は瞳を大きく見開いた。
その瞳に映る青年は、ひどく酷薄な笑みを浮かべていた。
「……今後、釘宮を名乗るのは私一人でいい。
……言っている意味が、わかりますか?」
彼の名は、「釘宮 漸」。
「……家族ごっこは、もう終わりました」
《つづく》
2007/09/06 (Thu)
一次創作関連
第8章終わりました。
8章書いてる間にライブ4本行き(キリト祭)、カラオケ3回行き(彼氏と・普通の友達と・普通じゃない友達と 爆)、風邪引いて、そして治った。笑
すでに予約済の「DEAR My SUN!!」をゲットする前には絶対終わらせようと思ってたんで、なんとかなってよかったです。
まあ、下手すると休日になんないと受け取れないから日曜までプレイできんわけだが……。涙。
ああ、ストーリーダイジェストのほうも更新してあるんで、よろしくです☆
今回は私の計画性のない行き当たりばったりな字数配分のせいで、ほとんど有砂しか出てきてませんが(汗)、実際はもっと万楼のシーンが入る筈だったんですよね。
その結果、前回の蛇足で2つ片付くって書いたのに1つしか片付いておりません……。
ちょっと待っててくれ、万楼。次も余裕なさそうだから、君はあと1章くらい悩んでてくれ。笑。
今回、回想以外で蝉(正確には「釘宮漸」)が唯一出てくる【1】。
私は黒雪乃と呼んでますが。笑。
彼は次の章で本格始動です。
雪乃の代役は女にしようかオッサンにしようか悩んだ結果オッサンに。
小原さんは親の代から釘宮の使用人で、高槻には若い頃からずっとつかえてるというイメージ。
相当な苦労人です。
【2】はもう、いい加減起きろ日向子と。笑。
かなり無茶なことしてますなあ。
今回、日向子の回想夢があったけど、有砂と日向子はお互いに遭遇したことを覚えてない。
冷や汗をかいた蝉は覚えてるだろうけど。
蝉と有砂の高校の制服は濃紺のブレザー。
ちなみに他の三人は学ランという設定。
あえて万楼にはレトロな黒い詰め襟を……!
しかも短ランで。
ここにきてムッツリすけべぶりを発揮し始めた紅朱がちょっと楽しい。笑。
【3】。女の友情。
ちなみに「美々」というのはライターとしてのペンネームで、本名は「井上有砂」。
兄貴も有砂、妹も有砂でわかりにくいね~。汗。
ちなみに本日9月6日は「妹の日」らしいよ。
兄・姉持ちの貴女は、是非ここぞとばかりにたかって下さい。笑。
私は一人っ子だから全然関係ないけど。笑。
その後から【4】にかけては秀人パパやりたい放題。
シドの曲で「そんなに知りたいのなら教えてあげない♪」という歌詞が出てくる曲があるんだけど(「罠」です。まさに罠だけど)、カラオケで歌った時に思わず秀人を思い出してしまったよ。
貴族口調で罵倒する日向子は新鮮だった。
地獄少女のあいちゃんの「なめんなよ。タコ」の場面がすごく好きで、ついつい……インスパイヤ??
秀人は日向子に叩かれるまでそんなに悪いことしてると思ってなかった筈。
きっと叩かれて反省してますよ。ちょっとだけ。笑。
秀人は本当に悪人というよりは、奇人というイメージで書いているキャラクター。
万楼の母親にしても、自分が間違ってるとはみじんも思ってないだろうから、そういう意味では太陽の国の登場人物に、根っからワルという人物はいないかも?
秀人には次の章で挽回の機会があるかも……。
【5】で有佳ママと吉住さん登場。
有佳を書いてて、なんとなく「嫌われ松子の一生」を思い出してしまった。
あそこまでひどくはないけどね。
吉住の年齢設定をちょっと悩んだ。
有佳の再婚相手になりうる年齢も検討したけど、あえて父親くらい年の離れた年輩の男性にしてみた。
男で人生破綻した人だから、男以外の幸せを見つけたほうがいいかなあと思って。
ラストの締め方は結構自分では気に入ってる。
ちゃんと兄妹が和解して感動の再会を果たす場面を書いてほしかった……っていう人もいるかもしれないけど。
こんな余韻のあるラストシーンもたまにはよろしいのでは??
さて。新しいゲーム始めると更新遅延の可能性があるけど、次章も気長にお待ち下さいませ。
ご意見ご感想お待ちしてます!!
8章書いてる間にライブ4本行き(キリト祭)、カラオケ3回行き(彼氏と・普通の友達と・普通じゃない友達と 爆)、風邪引いて、そして治った。笑
すでに予約済の「DEAR My SUN!!」をゲットする前には絶対終わらせようと思ってたんで、なんとかなってよかったです。
まあ、下手すると休日になんないと受け取れないから日曜までプレイできんわけだが……。涙。
ああ、ストーリーダイジェストのほうも更新してあるんで、よろしくです☆
今回は私の計画性のない行き当たりばったりな字数配分のせいで、ほとんど有砂しか出てきてませんが(汗)、実際はもっと万楼のシーンが入る筈だったんですよね。
その結果、前回の蛇足で2つ片付くって書いたのに1つしか片付いておりません……。
ちょっと待っててくれ、万楼。次も余裕なさそうだから、君はあと1章くらい悩んでてくれ。笑。
今回、回想以外で蝉(正確には「釘宮漸」)が唯一出てくる【1】。
私は黒雪乃と呼んでますが。笑。
彼は次の章で本格始動です。
雪乃の代役は女にしようかオッサンにしようか悩んだ結果オッサンに。
小原さんは親の代から釘宮の使用人で、高槻には若い頃からずっとつかえてるというイメージ。
相当な苦労人です。
【2】はもう、いい加減起きろ日向子と。笑。
かなり無茶なことしてますなあ。
今回、日向子の回想夢があったけど、有砂と日向子はお互いに遭遇したことを覚えてない。
冷や汗をかいた蝉は覚えてるだろうけど。
蝉と有砂の高校の制服は濃紺のブレザー。
ちなみに他の三人は学ランという設定。
あえて万楼にはレトロな黒い詰め襟を……!
しかも短ランで。
ここにきてムッツリすけべぶりを発揮し始めた紅朱がちょっと楽しい。笑。
【3】。女の友情。
ちなみに「美々」というのはライターとしてのペンネームで、本名は「井上有砂」。
兄貴も有砂、妹も有砂でわかりにくいね~。汗。
ちなみに本日9月6日は「妹の日」らしいよ。
兄・姉持ちの貴女は、是非ここぞとばかりにたかって下さい。笑。
私は一人っ子だから全然関係ないけど。笑。
その後から【4】にかけては秀人パパやりたい放題。
シドの曲で「そんなに知りたいのなら教えてあげない♪」という歌詞が出てくる曲があるんだけど(「罠」です。まさに罠だけど)、カラオケで歌った時に思わず秀人を思い出してしまったよ。
貴族口調で罵倒する日向子は新鮮だった。
地獄少女のあいちゃんの「なめんなよ。タコ」の場面がすごく好きで、ついつい……インスパイヤ??
秀人は日向子に叩かれるまでそんなに悪いことしてると思ってなかった筈。
きっと叩かれて反省してますよ。ちょっとだけ。笑。
秀人は本当に悪人というよりは、奇人というイメージで書いているキャラクター。
万楼の母親にしても、自分が間違ってるとはみじんも思ってないだろうから、そういう意味では太陽の国の登場人物に、根っからワルという人物はいないかも?
秀人には次の章で挽回の機会があるかも……。
【5】で有佳ママと吉住さん登場。
有佳を書いてて、なんとなく「嫌われ松子の一生」を思い出してしまった。
あそこまでひどくはないけどね。
吉住の年齢設定をちょっと悩んだ。
有佳の再婚相手になりうる年齢も検討したけど、あえて父親くらい年の離れた年輩の男性にしてみた。
男で人生破綻した人だから、男以外の幸せを見つけたほうがいいかなあと思って。
ラストの締め方は結構自分では気に入ってる。
ちゃんと兄妹が和解して感動の再会を果たす場面を書いてほしかった……っていう人もいるかもしれないけど。
こんな余韻のあるラストシーンもたまにはよろしいのでは??
さて。新しいゲーム始めると更新遅延の可能性があるけど、次章も気長にお待ち下さいませ。
ご意見ご感想お待ちしてます!!
2007/09/04 (Tue)
一次創作関連
「中学の時……」
信号待ちの最中、ふと有砂が口を開いた。
「……母さんがオレを訪ねてきてくれたことがあった」
「有佳様が……?」
「そうや。『病気』の治療の経過が順調やったから仮退院したけど、有砂……妹にはまだ会わせてもらえてへんような状況で、寂しかったんやろうと思った。
……オレも複雑な心境ではあったけど、久しぶりに母親に会えたことは、嬉しかった」
「そうでしたか……」
「学校でうまくやれとんか、友達はおるんか……なんてしつこく聞きよって……。
ちょうど文化祭の時期やったから、心配いらん、て証明するためにバンド組んで母さんを呼んでやることにしたんや」
「……それが有砂様がドラムを始めたきっかけですわね?」
「……まあ、そうなるな」
やがて信号は青になり、ゆっくりと、車が流れ出す。
「……オレのドラム人生のベストパフォーマンスは、未だにあのステージのような気がする」
《第8章 迷宮の果てで、もう一度 -release-》【5】
かつてスノウ・ドームの古いピアノの前で、蝉から話を聞いたことがあった。
蝉を感動させ、ロックの世界に引きずりこんだという有砂のプレイ。
それは根底に、母親への強い愛情があったからなのかもしれない。
「……有佳様は、さぞやお喜びでしたでしょう?」
「ああ……絶賛しとった。……ずっとオレのことを『有砂』と間違えたままやったけどな」
「……え?」
「……何回違うゆうても『有砂』『有砂』て……母さんの中で『沢城佳人』の存在は無かったことになっとったみたいやから」
「そんな……」
実の母親の記憶から存在ごと抹消される……想像を絶するような心痛であろう。
有砂はハンドルにかかった指先に少し力を加え、微かに充血した目をすがめる。
「あの人は多分……オレを忘れて、事件を忘れて……そうでもせんと正気を保てんかったんやろう」
自分を訪ねて来てくれたと思っていた母親は、自分を通して妹の幻影を求めていたに過ぎなかったという、事実。
裏切られた淡い期待。
有砂にとって実母との再会は新たな苦い記憶となってしまったのだろう。
「……ですから有砂様は、『期待』してしまうことを恐れていらっしゃるのですね」
有砂はそれきりまた、無言になってしまった。
夜の街を走り抜ける、白い車はもうすぐ目的地にたどり着く。
秀人のアトリエを出てすぐに、美々から日向子へ着信があった。
――わかったよ、日向子。
母さんの行方。
一時退院を繰り返しながら、都内の病院で療養を続けてるみたい。
明日からまた院に戻るらしいけど、今夜はきっと自宅にいるって。
自宅の場所は……
「……ここ、ですわね?」
静かに車のドアを閉めて、日向子はすぐ目の前の建物を見上げた。
薔子の住むハイソな高級住宅街から歩いても30分とかからないその一画は、現代世界から忘れ去られたようなうらぶれた雰囲気の商店街だった。
「……ホンマにここか?」
有砂がいぶかしい顔をするのも無理のない話だ。
時間が時間なのですでにシャッターが降りているが、そのシャッターと、上にかかった色褪せた看板には「洋菓子店 りでる」と書かれている。
「……ええ、その筈ですけれど」
日向子は情報の出所がどこであるか、有砂にはまだ話していなかった。
時間もないため有砂のほうもしつこくは追求しなかったが、たどり着く先がまさかレトロなケーキ屋とは想像だにしなかったようだ。
二人は戸惑いながらも建物の裏手に回り、住居スペースのほうへ繋がっていると思われる裏口を見つけた。
日向子がチャイムを三度押すが、中から誰も出てくる気配はない。
窓から灯りが見えているので、誰かしらいるようなのだが……。
「……ああ、すいませんね~。そのチャイムは壊れてて鳴らないんですよ~」
間のびした妙なテンポで、人のよさそうな高齢の男性が声をかけてきた。
中身のたくさん詰まった紙袋を抱えて、不意に現れたその男性は、二人のほうに近付いてくる。
「もしや、このお店の方でいらっしゃいますか?」
「はい~、店主の吉住(ヨシズミ)と申しますが、何かご用ですか~?」
吉住と名乗る男はにっこりと素朴に微笑む。
有砂は吉住に、静かに問掛ける。
「……井上、有佳という人はここにいますか?」
吉住は少し驚いたように小さい目を見開いたが、すぐにまた笑顔に戻った。
「おや~、有佳さんにお客さんとは珍しい」
「有佳さんが住み込みで働くようになって、四年ほどになります。
その四年の半分以上は病院で過ごしているから、実際にはもっと短いですがね~」
ショーウインドウの中の玩具に目を奪われるこどものように、有砂は硝子一枚隔てた向こう側の景色に釘付けになっていた。
硝子の向こう……厨房の中で、真っ白なエプロンをつけて、バンダナを頭に巻いた背の高い中年の女性が平台の上に乗せた何かの生地らしき塊をこねている。
有砂のすぐ隣で、日向子もまたその光景をじっと見つめていた。
彼女は本当に、美々とよく似ている……。
そんな感慨を抱きながら、平台からようやく頭半分覗く程度の小さな男の子が女性のすぐ傍らで、好奇心に瞳を輝かせているのを見て、安堵した。
若い訪問者二人の心中を察しているのかいないのか、吉住はまったりと語る。
「有佳さんは病気のせいで一緒に暮らせないお子さんのためにお菓子の作り方を覚えたいと言って、この仕事を始めたんですがね~。
不器用で、包丁も満足に握れないところから、随分と成長したみたいですよ~」
「……ろくに料理なんか作ったことなかったからな」
有砂が無表情のままぽつりと呟く。
「そうみたいですね~。だからあんなにはりきってるんですよ~。ようやく可愛い息子に自分が作ったものを食べさせてあげられると」
「息子に……?」
日向子と有砂は声を揃えて問い返す。
「ええ~。息子の佳人くん……あの男の子です。まさかあんなに小さい子だったとは思いませんでしたけどね~」
「佳人……?」
またしても声が重なり合う。
その瞬間、声が届いたわけではないだろうが、厨房の中の男の子……吉住が「佳人」だと認識している彼が日向子たちに視線を向け、何か呟いたのがわかった。
その呟きで、生地を夢中で伸ばしていた女性……有佳もまたこちらに気付き、振り返る。
女性の顔に驚愕が浮かび、その目線の先の有砂もまだわずかに脅えたような表情を浮かべ、後ずさる。
日向子はとっさにエレベーターの中でしたように、有砂の背中を軽く撫でた。
「……お嬢……」
「大丈夫……逃げないで。わたくしがここにおりますから」
その時、厨房の中に男の子をおいたまま、有佳が駆け足で飛び出してきた。
「ごめんなさい……!!」
有佳は半分日向子を押し退けるようにして、有砂にすがるように抱きついた。
「っ、母さ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……佳人を勝手に連れ出してもうて……堪忍ね……秀人さんっ」
「え……?」
有佳は周囲の様子も、有砂の表情も全く目に入らないふうで、有砂の胸にすがりながらぽろぽろ涙を流す。
「うち、やっぱり佳人と離れて暮らすん嫌や……うちが生んだ子ぉを、なんでうちが育てたらあかんの……?
佳人がおらんから有砂も毎晩毎晩、眠れんて泣いてるんよ……?
ねぇ、あんた……うちは、どうしたらええ?」
泣きじゃくる有佳と、当惑する有砂を呆然と見ていた日向子の上着のすそを、小さい手がつっと引っ張った。
「おねえちゃん」
「……菊人ちゃん」
厨房から抜けてきた菊人が、日向子を見上げる。
「あのおばちゃん、なまえまちがえるよ。
でも、うれしそうだからおれ……」
「間違ってる、と言えなかったのですわね?」
日向子は微笑んで、菊人の頭をなでなでしてあげた。菊人はくすぐったそうにしている。
恐らくたまたま幼い頃の息子とよく似た少年を見つけたことで、有佳の記憶は逆行したのだろう。
封印していた想いが蘇り、混乱をきたしてしまった……。
我が子を強く愛するが故に。
有砂は、しばし有佳を見つめていたが、やがて躊躇っていた両腕でぎゅっと有佳を抱き返した。
「……そうやな……有佳、ごめんな……僕が、悪かった」
「……秀人さん?」
有佳は泣くのを中断し、少し顔を上げる。
有砂はさながら恋人を愛撫するように、有佳の髪を撫でた。
そして、笑ってみせる。
「有佳の病気が良うなったら、また四人で暮らそう……?
有砂と、佳人と、僕と、キミで……」
「……秀人さん」
有佳は年を重ねても尚美しいその顔に至福の笑みを浮かべ、再び有砂の胸に顔を埋めた。
「一人、か?」
「いいえ、今日は待ち合わせですの」
事件の翌日。
冬晴れの午後。
来たるべき聖なる祝福の日に向けて装飾の施されたカフェの店内で、日向子と有砂は客と店員としてまた顔を合わせていた。
菊人は無事に薔子の元に戻り、有佳は予定通りまた病院に戻った。
哀しく辛い過去に囚われたままの有佳が完全に社会に復帰するにはまだまだ時間がかかるだろう。
しかし吉住は有佳の事情を知った上で、あの穏やかな笑顔で、これからもこの店で有佳とやっていくつもりだと話していた。
安住の地とあたたかい理解者を得た彼女は、きっとこれ以上不幸にはならないだろう。
たとえ有砂が囁いた幸福な嘘が、現実になりえなかったとしても。
有砂は日向子のオーダーを聞いてテーブルを離れたが、またすぐに戻って来て、日向子の向かいの席に座った。なんとなく不機嫌そうに。
「有砂様??」
「……休憩、やって」
ふとキッチンのほうを見やると、忙しく仕事をする振りをしながら、明らかにこちらを興味津々に見守っている視線があった。
「……あの、一体」
「……お嬢は気にせんでええ」
有砂が同じ方向を見やり、軽く睨むと視線の主たちは、そそくさと仕事を始めた。
「……それはそうと」
有砂は日向子のほうに向き直った。
「悪かったな、面倒なことに巻き込んで」
「いえ、先にご面倒をおかけしましたのはこちらですもの。わざわざわたくしを部屋まで運んで下さったのでしょう?」
「……一応、世話したるように言われとるからな。……まあ、オレは引き受けた覚えはないんやけど」
「はい?? あの、よくわかりませんがありがとうございました。
そういえば、アトリエの時も、助けに来て下さいましたものね?」
「……あの時のことはもう、ええやろ」
気まずそうに目線を逃がす有砂。
秀人に土下座した件といい、日向子の前で泣いたことといい、彼にとっては不名誉なことばかりだったに違いない。
「……あんなことがあったばかりですのに、お母様のためにお父様の振りをして差し上げるなんて、お辛くはありませんでしたか?」
「……多少不本意ではあったかもな」
と目を半眼しながらも、有砂のの口調は穏やかだった。
「……でもオレももう、いじけるだけのガキではおれんからな」
たとえ有砂を誰と見間違えていようと、有佳の中には確かに息子への強い愛情がある。自分を壊してしまうほどの……。
それを目の当たりにしたことで有砂の長年のわだかまりも氷解したようだ。
「お嬢……オレは、腹をくくった」
有砂の口調は、今までになく力強いものだった。
「妹を……『有砂』を捜す。また期待を裏切られるだけやったとしても、な」
迷いのない言葉に、日向子は頷いた。
「……そうですか」
悪戯な笑顔を浮かべて。
「ところで有砂様……本日は有砂様にわたくしの大切な親友をご紹介したいのですけれど、よろしいでしょうか……?」
《第9章へつづく》
信号待ちの最中、ふと有砂が口を開いた。
「……母さんがオレを訪ねてきてくれたことがあった」
「有佳様が……?」
「そうや。『病気』の治療の経過が順調やったから仮退院したけど、有砂……妹にはまだ会わせてもらえてへんような状況で、寂しかったんやろうと思った。
……オレも複雑な心境ではあったけど、久しぶりに母親に会えたことは、嬉しかった」
「そうでしたか……」
「学校でうまくやれとんか、友達はおるんか……なんてしつこく聞きよって……。
ちょうど文化祭の時期やったから、心配いらん、て証明するためにバンド組んで母さんを呼んでやることにしたんや」
「……それが有砂様がドラムを始めたきっかけですわね?」
「……まあ、そうなるな」
やがて信号は青になり、ゆっくりと、車が流れ出す。
「……オレのドラム人生のベストパフォーマンスは、未だにあのステージのような気がする」
《第8章 迷宮の果てで、もう一度 -release-》【5】
かつてスノウ・ドームの古いピアノの前で、蝉から話を聞いたことがあった。
蝉を感動させ、ロックの世界に引きずりこんだという有砂のプレイ。
それは根底に、母親への強い愛情があったからなのかもしれない。
「……有佳様は、さぞやお喜びでしたでしょう?」
「ああ……絶賛しとった。……ずっとオレのことを『有砂』と間違えたままやったけどな」
「……え?」
「……何回違うゆうても『有砂』『有砂』て……母さんの中で『沢城佳人』の存在は無かったことになっとったみたいやから」
「そんな……」
実の母親の記憶から存在ごと抹消される……想像を絶するような心痛であろう。
有砂はハンドルにかかった指先に少し力を加え、微かに充血した目をすがめる。
「あの人は多分……オレを忘れて、事件を忘れて……そうでもせんと正気を保てんかったんやろう」
自分を訪ねて来てくれたと思っていた母親は、自分を通して妹の幻影を求めていたに過ぎなかったという、事実。
裏切られた淡い期待。
有砂にとって実母との再会は新たな苦い記憶となってしまったのだろう。
「……ですから有砂様は、『期待』してしまうことを恐れていらっしゃるのですね」
有砂はそれきりまた、無言になってしまった。
夜の街を走り抜ける、白い車はもうすぐ目的地にたどり着く。
秀人のアトリエを出てすぐに、美々から日向子へ着信があった。
――わかったよ、日向子。
母さんの行方。
一時退院を繰り返しながら、都内の病院で療養を続けてるみたい。
明日からまた院に戻るらしいけど、今夜はきっと自宅にいるって。
自宅の場所は……
「……ここ、ですわね?」
静かに車のドアを閉めて、日向子はすぐ目の前の建物を見上げた。
薔子の住むハイソな高級住宅街から歩いても30分とかからないその一画は、現代世界から忘れ去られたようなうらぶれた雰囲気の商店街だった。
「……ホンマにここか?」
有砂がいぶかしい顔をするのも無理のない話だ。
時間が時間なのですでにシャッターが降りているが、そのシャッターと、上にかかった色褪せた看板には「洋菓子店 りでる」と書かれている。
「……ええ、その筈ですけれど」
日向子は情報の出所がどこであるか、有砂にはまだ話していなかった。
時間もないため有砂のほうもしつこくは追求しなかったが、たどり着く先がまさかレトロなケーキ屋とは想像だにしなかったようだ。
二人は戸惑いながらも建物の裏手に回り、住居スペースのほうへ繋がっていると思われる裏口を見つけた。
日向子がチャイムを三度押すが、中から誰も出てくる気配はない。
窓から灯りが見えているので、誰かしらいるようなのだが……。
「……ああ、すいませんね~。そのチャイムは壊れてて鳴らないんですよ~」
間のびした妙なテンポで、人のよさそうな高齢の男性が声をかけてきた。
中身のたくさん詰まった紙袋を抱えて、不意に現れたその男性は、二人のほうに近付いてくる。
「もしや、このお店の方でいらっしゃいますか?」
「はい~、店主の吉住(ヨシズミ)と申しますが、何かご用ですか~?」
吉住と名乗る男はにっこりと素朴に微笑む。
有砂は吉住に、静かに問掛ける。
「……井上、有佳という人はここにいますか?」
吉住は少し驚いたように小さい目を見開いたが、すぐにまた笑顔に戻った。
「おや~、有佳さんにお客さんとは珍しい」
「有佳さんが住み込みで働くようになって、四年ほどになります。
その四年の半分以上は病院で過ごしているから、実際にはもっと短いですがね~」
ショーウインドウの中の玩具に目を奪われるこどものように、有砂は硝子一枚隔てた向こう側の景色に釘付けになっていた。
硝子の向こう……厨房の中で、真っ白なエプロンをつけて、バンダナを頭に巻いた背の高い中年の女性が平台の上に乗せた何かの生地らしき塊をこねている。
有砂のすぐ隣で、日向子もまたその光景をじっと見つめていた。
彼女は本当に、美々とよく似ている……。
そんな感慨を抱きながら、平台からようやく頭半分覗く程度の小さな男の子が女性のすぐ傍らで、好奇心に瞳を輝かせているのを見て、安堵した。
若い訪問者二人の心中を察しているのかいないのか、吉住はまったりと語る。
「有佳さんは病気のせいで一緒に暮らせないお子さんのためにお菓子の作り方を覚えたいと言って、この仕事を始めたんですがね~。
不器用で、包丁も満足に握れないところから、随分と成長したみたいですよ~」
「……ろくに料理なんか作ったことなかったからな」
有砂が無表情のままぽつりと呟く。
「そうみたいですね~。だからあんなにはりきってるんですよ~。ようやく可愛い息子に自分が作ったものを食べさせてあげられると」
「息子に……?」
日向子と有砂は声を揃えて問い返す。
「ええ~。息子の佳人くん……あの男の子です。まさかあんなに小さい子だったとは思いませんでしたけどね~」
「佳人……?」
またしても声が重なり合う。
その瞬間、声が届いたわけではないだろうが、厨房の中の男の子……吉住が「佳人」だと認識している彼が日向子たちに視線を向け、何か呟いたのがわかった。
その呟きで、生地を夢中で伸ばしていた女性……有佳もまたこちらに気付き、振り返る。
女性の顔に驚愕が浮かび、その目線の先の有砂もまだわずかに脅えたような表情を浮かべ、後ずさる。
日向子はとっさにエレベーターの中でしたように、有砂の背中を軽く撫でた。
「……お嬢……」
「大丈夫……逃げないで。わたくしがここにおりますから」
その時、厨房の中に男の子をおいたまま、有佳が駆け足で飛び出してきた。
「ごめんなさい……!!」
有佳は半分日向子を押し退けるようにして、有砂にすがるように抱きついた。
「っ、母さ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……佳人を勝手に連れ出してもうて……堪忍ね……秀人さんっ」
「え……?」
有佳は周囲の様子も、有砂の表情も全く目に入らないふうで、有砂の胸にすがりながらぽろぽろ涙を流す。
「うち、やっぱり佳人と離れて暮らすん嫌や……うちが生んだ子ぉを、なんでうちが育てたらあかんの……?
佳人がおらんから有砂も毎晩毎晩、眠れんて泣いてるんよ……?
ねぇ、あんた……うちは、どうしたらええ?」
泣きじゃくる有佳と、当惑する有砂を呆然と見ていた日向子の上着のすそを、小さい手がつっと引っ張った。
「おねえちゃん」
「……菊人ちゃん」
厨房から抜けてきた菊人が、日向子を見上げる。
「あのおばちゃん、なまえまちがえるよ。
でも、うれしそうだからおれ……」
「間違ってる、と言えなかったのですわね?」
日向子は微笑んで、菊人の頭をなでなでしてあげた。菊人はくすぐったそうにしている。
恐らくたまたま幼い頃の息子とよく似た少年を見つけたことで、有佳の記憶は逆行したのだろう。
封印していた想いが蘇り、混乱をきたしてしまった……。
我が子を強く愛するが故に。
有砂は、しばし有佳を見つめていたが、やがて躊躇っていた両腕でぎゅっと有佳を抱き返した。
「……そうやな……有佳、ごめんな……僕が、悪かった」
「……秀人さん?」
有佳は泣くのを中断し、少し顔を上げる。
有砂はさながら恋人を愛撫するように、有佳の髪を撫でた。
そして、笑ってみせる。
「有佳の病気が良うなったら、また四人で暮らそう……?
有砂と、佳人と、僕と、キミで……」
「……秀人さん」
有佳は年を重ねても尚美しいその顔に至福の笑みを浮かべ、再び有砂の胸に顔を埋めた。
「一人、か?」
「いいえ、今日は待ち合わせですの」
事件の翌日。
冬晴れの午後。
来たるべき聖なる祝福の日に向けて装飾の施されたカフェの店内で、日向子と有砂は客と店員としてまた顔を合わせていた。
菊人は無事に薔子の元に戻り、有佳は予定通りまた病院に戻った。
哀しく辛い過去に囚われたままの有佳が完全に社会に復帰するにはまだまだ時間がかかるだろう。
しかし吉住は有佳の事情を知った上で、あの穏やかな笑顔で、これからもこの店で有佳とやっていくつもりだと話していた。
安住の地とあたたかい理解者を得た彼女は、きっとこれ以上不幸にはならないだろう。
たとえ有砂が囁いた幸福な嘘が、現実になりえなかったとしても。
有砂は日向子のオーダーを聞いてテーブルを離れたが、またすぐに戻って来て、日向子の向かいの席に座った。なんとなく不機嫌そうに。
「有砂様??」
「……休憩、やって」
ふとキッチンのほうを見やると、忙しく仕事をする振りをしながら、明らかにこちらを興味津々に見守っている視線があった。
「……あの、一体」
「……お嬢は気にせんでええ」
有砂が同じ方向を見やり、軽く睨むと視線の主たちは、そそくさと仕事を始めた。
「……それはそうと」
有砂は日向子のほうに向き直った。
「悪かったな、面倒なことに巻き込んで」
「いえ、先にご面倒をおかけしましたのはこちらですもの。わざわざわたくしを部屋まで運んで下さったのでしょう?」
「……一応、世話したるように言われとるからな。……まあ、オレは引き受けた覚えはないんやけど」
「はい?? あの、よくわかりませんがありがとうございました。
そういえば、アトリエの時も、助けに来て下さいましたものね?」
「……あの時のことはもう、ええやろ」
気まずそうに目線を逃がす有砂。
秀人に土下座した件といい、日向子の前で泣いたことといい、彼にとっては不名誉なことばかりだったに違いない。
「……あんなことがあったばかりですのに、お母様のためにお父様の振りをして差し上げるなんて、お辛くはありませんでしたか?」
「……多少不本意ではあったかもな」
と目を半眼しながらも、有砂のの口調は穏やかだった。
「……でもオレももう、いじけるだけのガキではおれんからな」
たとえ有砂を誰と見間違えていようと、有佳の中には確かに息子への強い愛情がある。自分を壊してしまうほどの……。
それを目の当たりにしたことで有砂の長年のわだかまりも氷解したようだ。
「お嬢……オレは、腹をくくった」
有砂の口調は、今までになく力強いものだった。
「妹を……『有砂』を捜す。また期待を裏切られるだけやったとしても、な」
迷いのない言葉に、日向子は頷いた。
「……そうですか」
悪戯な笑顔を浮かべて。
「ところで有砂様……本日は有砂様にわたくしの大切な親友をご紹介したいのですけれど、よろしいでしょうか……?」
《第9章へつづく》